私たちの教団のホームページにようこそ!

教団委員長 佐藤義則

 
 ホームページをご覧くださり、あ りがとうございます。

 「ホーリネス」(Holiness)という名称は、神の聖さのことを表わしますが、私たちの教会は、神がその聖さを授けてくださるという恵みを信じ、これに生き、これを証してゆくことを使命としています。

「すべて重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。」(マタイによる福音書11章28節)
 
 人はだれでも、重荷を背負って日々を歩んでいますが、しばしば疲れ果てて負いきれなくなってしまうことがあります。そのような私たちを、キリストは招いておられるのです。この方の前にいっさいの重荷をとり降ろすなら、真の休息と平安を与えてくださるのです。日曜日は教会へ。是非、キリスト教会をお訪ねしてみてください(教会については、「全国教会所在地」をご参照ください)。

 主イエス・キリストの父なる神が、あなたを豊かに祝福してくださいますように。

【年間標語】新たな宣教と教会形成をめざして
【年間聖句】「私か植え、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させてくださったのは神です。」(Ⅰコリント3:6)


 
 
 
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(2017年6月15日)
(2017年4月13日)
平和の祈り
(ページ内よりダウンロードできます)
 
 

このきぼうをあなたに

この希望が失望に終わることはありません。(ローマ5:5)
 
 春は希望の季節です。寒い冬がようやく終わって暖かくなり、草木が芽を出し花を咲かせ、豊かな実りへの期待が生まれます。学生は新しい学校やクラスで楽しい未来を期待します。しかし、しばしば希望は失望に変わります。やがて行き詰まり、希望を失ってしまいます。

 なんとなくというあやふやな希望ではなく、目に見えるお金や道具があればうまくいくでしょうか。
物体ではありませんが、地位や健康も頼りになるモノです。でも、それらはある日突然に壊れたり失われたり、価値が変わります。昭和の時代は多くのモノを手に入れれば幸せになると思っていたのが、バブルがはじけ、モノの価値が思ったほど万能ではないと気がつき、今はモノ離れの時代と言われます。見えるモノにも将来を保証する希望は無いと気がついてしまったのです。
 
 東日本大震災のときに「きずな」という言葉が脚光を浴びました。多くを失い絶望しそうになったとき、人と人とのきずなが支えとなり、将来を期待できるようになります。しかし、人間関係はトラブルをも生み出しますし、どれほど信頼できる関係であっても、いつかは死によって断ち切られ希望は失われるのです。
モノではなく人、それも亡くなることのない人がいるのでしょうか。決して裏切ることのない真実な人を見いだせるでしょうか。唯一、イエス・キリストだけが永遠の命を与えてくださる救い主であり、弟子たちに裏切られても、彼らを決して見捨てなかった真実なお方です。このお方を倍頼するなら、決して無くならない希望となってくださるのです。

 私たちの人生は、例外なく終わりが来ます。その時でさえ、復活されたイエス・キリストを信じるなら天国の希望が与えられ、失われることのない平安に心が満たされるのです。あなたにも、この希望をお届けしたいのです。
(「きぼう」4 月号)

     

 (「きぼう」アーカイブ) 
   

愛と信頼につながれて

教団委員長 佐藤義則
 
「二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、私を愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、私があなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「私の羊の世話をしなさい」と言われた。」(ヨハネ21:16)

 私は、牧師になって本当に良かったと思っています。それは、主が「わたしを愛するか」とおっしゃって、この務めを託してくださるからです。今日、「愛する」という関係で仕事を託する雇い主はいません。誰もが賃金というつながりの中で働いています。

 「愛するか」と言って仕事を託し、「愛します」と言ってその仕事に就くのです。本来の仕事はお金のためではなく、人の幸せを願って、愛する行為としてなされるものであろうと思います。

 さらにこの16節には、互いの倍頼というものを観ることができます。イエスさまはペトロに羊を託しますが、「羊」とは、主を言じる人たちの群れのことです。主は「私は良い羊飼である。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」(ヨハネ十11)と言われました。主にとって、羊は命よりも大切なものです。それを数日前、
三度否んだ者に託するというのです。これは冒険的な信頼です。それに対しペトロは、主を否んでしまったという前科がありますから、遠回しな表現で「あなたを愛していることはあなたがご存じです」と、それでも精一杯応えたのです。ここには、主に倍頼しなくては、主を愛することができないことが告白されています。私たちは牧師徒を問わず、愛と頼の関係につながれて仕事を託され、この世に遣わされているのです。名利のためではなく、主の栄光のために働くのです。

 最後に申し上げたいことは、教会もまた互いに愛と言頼によってつながれ、宣教と教会形成という尊い使命を果たしてゆくということです。さらに同じ教団に所属する教会同士が互いに愛し信頼し合い、一つとなってキリストの麗しい身体を築き上げてゆきたいと思うのです。
(「りばいばる」4 月号)

  

「りばいばる」アーカイブ

主に託せられた使命を担って

「私に付いて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を負って、私に従いなさい」(マタイ16:24)
 
 奥羽教区の楯岡教会で、初任から隠退されるまで長きにわたって、尊い主の働きをなされた中上常助牧師の葬儀が2月20日に行われ、参列させていただきました。同式者である神田めぐみ牧師が式辞の中で、上掲の御言葉が開かれ、「中上先生は終生、使命に生きられた」という言葉が、私の心に深く刻まれ、自らの召命と献身が問われました。
 
 中上牧師は楯岡教会に赴任してまもなく、教会が閉鎖せざるを得ない状況にあることを知らされ、教団から閉鎖か存続かという2つの選択肢を突きつけられ、新任牧師としてはあまりにも重い決断を迫られました。
中上牧師はこのことを主に祈り、決して状況に流されずに主の御旨を問いつづけ、教会存続を決断したというのです。翌年幸子先生と結婚し、その後、幼稚園教諭の資格を持つ幸子先生と共に幼児教育を始め、園舎が建てられ、地域の人々に言頼を得られるようになり、倉仰に導かれる人たちが徐々に起こされていきました。主の聖名をあがめるのは、その中から5名の献身者が起こされ、現在、牧師として各地で活躍しておられるとのことです。
 
 閉鎖が叫ばれている中で、結婚され家庭を持ち、経済的な保証はどうなっていたのでしょうか。いずれにしても、主に従い己が十字架を背負って行った時に、道は開かれていったのです。
 私たちは今年度より、「新たな宣教と教会形成をめざして」というテーマをかかげ、今後数年かけて教団の改革に取り組み、新たな再生をめざします。これは教団本部の取り組みであって、任せておけばよいというものではありません。それぞれの教会が取り組むべきことです。それは、それぞれの教会が歴史、地域性、年齢層などに見合った宣教、教会形成をめざすことです。教団の働きをできるかぎり軽減し、遣わされている教会で本来の使命に専念していただきたいのです。牧師にかぎられたことではありません。信徒も一丸となって取り組んでいただきたいのです。主は誰ひとり失われてはならないと心に定め、十字架の道を歩まれました。私たちも十字架をとり、それぞれに託せられた使命を担って、主に従ってゆきたいと思います。外に向けてわが身になされた救いのみわざを語り、教会に集っては、御言葉の恵みを互いに分かち合い祈り合って、教会のうちにキリストの身体を形造られてゆくことを、願い求めてまいりたいと思います。
(「りばいばる」視4 月号

 

(「りばいばる」アーカイブ)
 
 

 

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