K元牧師 性加害事件検証報告

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日本ホーリネス教団人権対策室

はじめに

 私たちの教団の牧師が性加害事件を起こしました。そのことが明らかになって、まもなく12年となります。この間、私たちは自分たちが加害者であるという自覚を持つことなく、また被害に遭われた方々に寄り添うこともなく過ごしてきました。そして、尊い命が傷つき失われてしまいました。改めて、Mさんとご家族にお詫び申し上げます。
 私たちの神に対する悔い改めが実を結ぶために、そしてMさんへの償いの務めを果たしていくために、ここに事件についての検証報告をまとめ、公表します。
 なおこの検証文においては、性加害事件を起こした牧師を「K元牧師」、被害に遭われた方を「Hさん」、そのお母様を「Mさん」と表記します。また、日本ホーリネス教団については適宜「教団」、東京聖書学院については「聖書学院」と略記します。

1.なぜ今、検証なのか

2.検証の概要 
   ⅰ.検証の内容と目的
   ⅱ.検証の方針と方法
Ⅱ.性加害事件-何があったのか
  事件の事実
  教団の対応
  検証までの経緯
Ⅲ.性加害事件はなぜ起きたのか
  資質面での諸要素
  立場、環境、体制
  その特異性と普遍性
Ⅳ.教団の問題点について
1.母体としての教団。問われるべき管理責任
   ⅰ.牧師の養成過程の問題
   ⅱ.教団外の働きに関する管理責任
   ⅲ.教団と牧師の関係
2.事件への対応。 危機管理の問題
   ⅰ.事件当初から検証までの対応
   ⅱ.処分と措置
   ⅲ.事件の兆候と問題意識
   ⅳ.加害当事者としての認識
3.教団の本質的な問題
   ⅰ.救いと献身
   ⅱ.罪の赦しと償い
   ⅲ.福音に生きる交わり
結.今後の課題
 1.事件を振り返って
 2.今後のために

Ⅰ.本検証について

 

1.なぜ今、検証なのか

 
 もう終わったことではないのか。あれは特異な事件だったのではないか。いい加減、K元牧師をゆるしてもいいのではないか。いつまで被害者の声に耳を傾けなければならないのか。
 これらの言葉は、Mさんに投げかけられた言葉であり、またこの検証作業を行っている人権対策室に寄せられた声である。しかし、ここで告白しなければならないのは、検証作業にあたったメンバーも、対策室の設立当初はこれらの言葉と同じ思いを持っていたことである。やがて、この問題はまだ終わっていないという「気づき」がようやく与えられ、検証作業を進めてきた。この辺りのことから、まず検証の意味について考えてみたい。
 なぜ今検証なのか。その理由は第一に、被害者の痛みが今なお続いていることを挙げなければならない。確かに、事件をめぐる法的な手続きは終わっているが、それで傷が癒えるわけではない。私たちの教団の牧師が犯した過ちが契機で、一人の人の命が失われたという現実がどれほど重いことであるか、私たちは考え続けなければならない。つまり私たちの共感能力が問われているのである。
 第二に、私たちの教団にとって、世俗化の影響が深刻さを増していることが挙げられる。現代の性・結婚・家庭に関する考え方の多様性と教会は無関係ではなく、さらにネット社会がもたらす悪影響も、模範であるべき教会を蝕んでいる。しかもこれらのことは、表ざたにはなりにくいが、水面下においては確実に進行している。性の乱れは日常的になっており、多少の過ちについてはキリスト者も寛容になってしまっている。つまり悔い改めは安易になされ、キリスト者もそれを受容している。
 そして性加害事件が起きた場合、加害者は安易に「悔い改め」を口にはするが謝罪や和解には至らず、キリスト者の中にも加害者を擁護し被害者を批判する者が表れ、被害者の思いは放置される。これは、現在の日本のキリスト教界にも共通する課題であることが、明らかになってきている。
 命の尊さを説き、傷ついた心の癒しを語っていながら、被害者の心情に思いが至らないのはなぜか。加害事実を過小評価し、加害者の安易な「悔い改め」を受容するのはなぜか。これらは、教会の福音理解と教会としてのあり方が問われている問題である。
 実は、K元牧師による事件に、これらの問題が含まれている。そして私たちはその答えをまだ見出していない。したがってこの検証は、過去の問題を蒸し返すことや、K元牧師を糾弾することを目的としていない。今の私たちの福音理解と、教会としてのあり方が問われている問題として、共に考えていただきたいと願っている。
 

2.検証の概要


ⅰ.検証の内容と目的


 まず、この検証文の概要をまとめておきたい。検証内容は次の通りである。
①牧師による性加害事件はなぜ起きたのか、事件発生の経緯を検証する。
②事件当時、またその後の教団の対応は適切であったのか、危機管理の課題を検証する。
③教団の教職養成過程や指導管理に問題があったのかを検証する。
④事件を未然に防ぐために何が必要であるのか、健全に機能する教会の在り方を検証する。
⑤これらの検証から得られたことを教団内の諸教会に周知徹底する。
⑥これらの検証の取り組みと、その結果を公表する。等々。

 次に、検証の目的に次の諸点を挙げる。
①キリストの福音に反し、その宣教を阻害するセクシュアル・ハラスメント、性暴力などが起きないよう、神のかたちであるかけがえのない人格が大切にされる健全な教会を立て上げるために必要な基盤を整える。
②福音の担い手として健全かつ有用な働き人を育成し、適切に指導・管理するために必要な体制を整える。
③性暴力の温床となるような不健全な福音の理解や適用、安易な「悔い改め」とその是認につながる信仰理解の問題点を見極め、そうした体質を改善する。
④将来もし万一、不幸にしてそのような事件が起きた場合、被害の傷を最小限にとどめることができるよう、適切かつ迅速な対応をするために必要な体制を整える。
⑤教団内への適切な周知等によって、被害者への偏見や被害感情についての無理解、安易な加害者の擁護、偏狭な正義感による憶測や噂などを防ぎ、二次被害を出さないよう努める。
⑥検証の取り組みと結果を教団内外に公表することを通して、将来にわたり実質を伴う形で教訓を継承し、広くキリスト教界に対し、また宗教界に対し、さらに社会に対して証を立て、主イエス・キリストの教会にふさわしく真摯に責任を果たす。

ⅱ.検証の方針と方法


 以上のような検証内容と目的に沿い、次のような方針・方法で検証作業を進めた。
 再発防止に主眼を置き、Hさんの被害事件に至るまでの問題点、事件発生後の教団の対応、今後に向けて必要とされる取り組みは何かについて、教団の責任と、なすべきことは何であったのか、何であるのかを見極める。
 調査対象は、K元牧師を知る関係者、すなわちHさんの被害事件当時から対応にあたってきた当時の総務局長、K元牧師が主宰していた病気の子どもの医療伝道「星の子どもたち」の働きに関わっていた元スタッフ、K元牧師の聖書学院修養生時代を知る当時の修養生(現在、当教団牧師)、聖書学院関係者、K元牧師が伝道師・副牧師時代に任命された複数の教会の主任牧師及び教会員である。
 調査方法は、上記の調査対象者から、面談または電話による聞き取りを行った。また、その証言内容を裏付ける記録の確認を行った。
なおこの検証にあたり、教団外からご意見として、丹羽雅代氏(アジア女性資料センター運営委員。女性の安全と健康のための支援教育センター運営委員)、藤掛明氏(聖学院大学総合研究所カウンセリング研究センター准教授。臨床心理士)にご協力いただいた。

Ⅱ.性加害事件-何があったのか

 
 今回の調査では、Mさんのご厚意により裁判資料を読む機会が与えられ、より詳しい実態を知ることができた。まだ十分に把握できているとは言えないが、少なくともこの事件が「妻以外の女性との性関係」(『りばいばる』1999年11月号の公示文書)から想像されるような、不倫、不貞といった類のものではなく、K元牧師による一方的な性暴力であって、虐待ともいうべき卑劣な加害行為であったことがわかる。
 まず、これまでに私たちが知り得た事件の概要を記し、その評価を後述する。
 

1.事件の事実

 

 「星の子どもたち」は超教派の活動であったことから、K元牧師は当時無牧であった他教団の北九州の教会へ礼拝説教などで度々赴いていた。Mさん夫妻はその教会の教会員であり、夫は癌の闘病中で、K元牧師は一家の支えとなり、繰り返しMさん宅を訪問していた。夫が召された際、K元牧師は葬儀を司式するなど、家族に寄り添う存在であった。
 K元牧師は、父親の死後、失意と自責、当惑の中にあったHさんに対し、その心理を巧みに利用して、自分の働きに加わるように勧め、それが父の遺志だと思わせて誘い、自身の管理下においた。当時、Hさんは専門学校を卒業し就職が決まっていたが、K元牧師の強い誘いがあり、1996年4月「星の子どもたち」の本部スタッフとして平塚の事務所で働くことになった。Hさんが、その状況からも、将来に対する十分な判断ができたとは思えない。
 本部に行ってまもなく、Hさんは自宅へ戻ることになったが、K元牧師はHさんを自分付きのスタッフとして地元で働かせることに決め、「星の子どもたち」の働きのためという理由で、毎日のように電話をかけて来るようになった。また、自身の伝道やラリーキャンプなどにHさんを同行するようになった。
 K元牧師がHさんへの性加害に至ったのは、そのような活動の中であった。1997年、K元牧師はラリーや他の活動の間にHさんを呼び出し、やがて性関係を強要するようになった。頻繁な電話、その内容もHさんを悩ませるものであって、Hさんは重度の摂食障害に苦しむようになった。混乱するHさんに対しK元牧師は、これらはK元牧師の活動を支えるために必要なことで、自分に無条件で服従するようにと指示している。その後K元牧師は、Hさんを家族や友人からも引き離すかのように遠い場所に勤めさせるなど、逃げ出せない状況を作った。たとえばHさんの異変を心配したMさんが、K元牧師に相談すると、K元牧師はHさんを地元から離し、沖縄の病院に勤務させ、関係を続けさせた。
 Hさんの混乱は想像を絶するものである。関係を拒絶し、距離を置こうとするHさんに対し、K元牧師は言葉巧みに、また信仰を逆手に取るように、神への奉仕と自分への服従を混同させ、さらには罪意識すら利用して脅迫し、加害を続けた。その執拗さ、行為の異常さは、後にHさんから聞き取りをした臨床心理士が書き記すのをためらったほどであった。加害は、Mさんからの訴えがあるまで約2年にわたった。裁判資料にはその苦しい症状も記録されている。性暴力が人間に与える破壊力がこれほどのものかと驚く。まさに人格を壊す、徹底的な存在否定の行為であった。
 やがてHさんは、K元牧師による性加害がHさん以外にも及んでいると知ったことをきっかけに、Mさんにそれまでのことを話した。MさんはHさんを実家へ呼び戻したが、Hさんは睡眠障害、摂食障害、幻覚、幻聴など重度の精神障害に苦しんでいた。被害に遭った経緯が医療にかかわる働きであったため、Hさんには病院、医師に対する恐怖が強く、治療は困難を極め、症状は改善されないままであった。
 1999年4月、MさんはK元牧師とその妻、教団に対しこの事実を知らせ、早急に適切な対応をするよう求めた。教団は責任を認め、合意書を取り交わしたが、K元牧師については裁判となり、Hさんが勝訴。K元牧師に賠償金の支払いが命じられた。しかしMさん母娘に対し、K元牧師から真摯な謝罪がなされることはなかった。Hさんは被害を訴えた後も、K元牧師の心理的な支配に苦しみ、せめて心からの謝罪をとの期待も裏切られ、K元牧師の責任を認めた判決の確定から1年後の2002年、自死された。
 Mさんは二度とふたたびこのような被害が起こらないようにと事件を公表された。『M(実際の表記は実名)の発信 性暴力被害者の家族として』に詳しく記されている。以後、Mさんの元には他の被害の情報が多くよせられる一方で、HさんやMさんの責任を問うような電話、手紙も多くあり、Mさん自身を長く苦しめることになった。
 このように、性加害の残忍さはもとより、加害者が牧師であったことの重大さが問われる。被害者は牧師に対し大きな信頼と尊敬を抱き、その教えに従うことが神に仕えることだと信じていた。「牧師が自分にこのような行為をするという事実が理解できない。牧師が間違うはずはない」。このような認識は、被害を知った周囲の人にも同様におこる。この混乱を回避するために、周囲は被害を過小評価する、あるいは被害者を責めるという行動に出る傾向がある。それは被害者をさらに苦しめ、事件への適切な対応を阻んできた。
 

2.教団の対応

 

 1999年4月、Mさんから、被害の情報と、教団としての対処・加害当事者の悔い改めを求めるファクスが、当時教団の総務局長であった牧師の任地教会に届いた。総務局長は教団委員長に報告。K元牧師を活動先から呼び戻し、この事実を確認。K元牧師には、Mさんに直接連絡をしないように、また活動を停止するようになど指示したが、その後もMさんから、K元牧師が「星の子どもたち」の活動をしている、献金を集めているなどの連絡が教団にあった。
 総務局長はK元牧師夫妻と共にMさんを訪問。K元牧師は周囲の促しで謝罪の言葉は口にするが、経緯の弁明に終始した。教団委員会はK元牧師夫妻と面談し、K元牧師の解任、正教師辞令の返還、一か月以内に住居(教会)を明け渡すように伝え、『りばいばる』1999年6月号に「K元牧師(実際の表記は実名と教会名)は日本ホーリネス教団の牧師職を解任されました」と公示した。
 これに対しMさんから、教団の認識の甘さが指摘され、Hさんの弁護士から教団に謝罪と慰謝料を求める文書が送られてきた。その後、事件内容が、それまでK元牧師から聞いていたことよりも深刻であること、さらにK元牧師が、教会員に安易な謝罪を行ったこと、Hさんへの対応、「星の子どもたち」の対応について教団の指導に従わず、心からの謝罪がなされていないことなどを理由に、教団委員会はK元牧師の処分を解任から除名に改め、『りばいばる』1999年11月号に「K元牧師(実名)を当教団から除名する。理由:妻以外の女性とのある期間にわたる性関係を有したこと。更にその後の対応において同女性を深く傷付けた事」と公示した。また、「K元牧師に関する『公示』に至る経過とお願い」を教団委員長と教団委員一同の名で教団内牧師宛に送付した。
 教団はK元牧師に対する監督責任を認め、12月、教団委員長、総務局長、教団の弁護士がHさんの弁護士事務所でMさん、弁護士、カウンセラーと面談。謝罪の言葉を述べ、合意書を交わし、和解金を支払った。その際、MさんからはHさん以外の被害者について調査し、対応してほしいとの要望があった。
 教団は、K元牧師に平塚教会からの立ち退きを命じ、教会の再建を図るが、教会の混乱は大きく、負債処理も困難となり、2002年3月、教会は閉鎖となった。
 

3.検証までの経緯

 

 2003年、教団はMさんからの連絡で、Hさんが自死されたことを知った。以後、Mさんから教団委員長、総務局長宛の手紙により、事実の検証と再発防止の取り組みをするようにとの働きかけがなされてきた。
 教団としての取り組みが始まったのは、さらに2年後で、2005年7月、教団委員会は「人権対策準備室」(後に「人権対策室」)の設置を決議し、同年11月、人権対策準備室メンバーがMさん宅を訪問した。
 Mさんとの面談を契機として、K元牧師性加害事件はまだ終わっていないことを改めて認識した同対策準備室は、再発防止へ向けて啓発資料『人権問題としてのセクシュアル・ハラスメント』作成にとりかかる。2007年12月に発行し、教団内諸教会に配布。そのことが、キリスト教関係の新聞に掲載されたことなどから、他教団、教会からの問い合わせが続き、内容を、教団ホームページに掲載。これと並行して、2007年3月、第44回教団総会で「セクシュアル・ハラスメント防止・相談室」の設置を決議し、同防止・相談室は相談員の養成・訓練を経て、2008年1月、電話による相談を開始した。それに伴い、教団は「同じ過ちを繰り返さない」との決意を教団全体で共有するため、その趣旨を2008年3月の第45回教団総会において報告し、同年4月、広くキリスト教界内外に向かって、「神の聖さに与るものとして歩むことを目指し、過ちを繰り返さないという決意」を表すと共に、教団ホームページ等にK元牧師が引き起こした性的加害の事実について概要を公表した。
 このような経緯の中で、教団が公式に表明した再発防止への決意に基づき、人権対策室は2008年度中に事件の検証へ向けての予備調査に着手し、2009年度活動計画として「K元牧師性加害事件の検証への取り組み」を決定。神と人の前に立てられた教会としての責任を果たすべく、検証に取り組むことを表明した。2010年3月の第47回教団総会にて、検証の途中経過を報告した。

Ⅲ.性加害事件はなぜ起きたのか

 
 今回の調査・検証の結果、K元牧師による性加害事件が起きた背景には、様々な要因が絡み合っていることがわかった。再発防止に向けて課題を明確にするため、浮き彫りにされた問題の諸点を以下に列記する。
 

1.資質面での諸要素

 

①K元牧師が聖書学院在学中、牧師として成長途上の伝道師・副牧師時代にもしばしば、若い女性との不審を買う挙動や、金銭感覚のルーズさなどが周囲に認識されていた。
②副牧師時代の主任牧師などは、「言うことを聞く人ではなかった」という感触を覚えており、指導するべき立場の者たちが対応しきれないままに苦慮していたことがうかがえる。
③K元牧師によって立ち上げられた「星の子どもたち」の活動は高く評価され、日本国内だけでなく、海外にまでその影響は及んでいた。多くのこどもたち、病気の家族を抱える親たちを支えるものであった。しかし、その一方で、本来最優先すべきであるべき所属教会での牧師としての働き、或いは、教団、教区の働きなどを軽視し、独善的な面が見られた。
④教団のあり方、体制への批判は聖書学院在学中から多く、「星の子どもたち」の活動については、教団の無理解を批判する発言をしていたことを、多くの人が聞いている。
⑤K元牧師はほかに超教派の宣教大会事務局、種々の聖会の賛美リードや聖書学院の音楽講師など、多くの指導的立場にあり、その多忙さは尋常ではなかった。そのため関係各所のスケジュールはK元牧師の都合が優先された。
⑥自身の働きについて語る際のエピソードは奇跡的、英雄的な色合いが濃く、感銘を受ける一方、ともすると他者の働きについては批判的となり、特に指導を受ける側は、その言葉の厳しさに違和感を抱いていた。
 

2.立場、環境、体制

 

 K元牧師が取り組んだ病気や障害を持つ子どもへの医療伝道「星の子どもたち」の働きは、K元牧師がパイオニア的存在であった。他の追随を許さない分野であり、K元牧師の言動にもその自負が色濃く表れていた。そのため事件の舞台となった働きについて、その在り方や健全な運営等に対して誰も、意見を言ったり、指導をしたり、介入したりすることができない空気が醸成され、一種の治外法権的な状態となった。
 支援者らの間でも、より責任ある体制を目指して理事会を形成するべきとの声があったが、K元牧師自身がその動きを忌避し、結局K元牧師ひとりがすべてを取り仕切る体制が温存され、自浄作用が働かなかった。特に心配されたのは、財政面の不明瞭さと、「星の子どもたち」本部(平塚教会内)に多くの女性スタッフが住み込みで働く体制であった。
 

3.その特異性と普遍性

 

 これらの諸要素は、K元牧師による性加害事件に固有のものであると同時に、牧師、教会、教団における普遍的な問題を含んでいる。
 臨床心理士であり、社会的な逸脱行動の心理に詳しい藤掛明氏によれば、人は強いストレスや行き詰まりを経験すると、精神論・根性論で強行突破するか、問題を先延ばし、あるいはあきらめて他者の援助を期待するか、どちらかの行動をとる。前者の「背伸び・強行突破」型が極端になると、行動的で反社会的な方向に問題が生じやすくなるという。中でも自己愛性が強く病理的な場合、自分は特別な存在と感じる、共感性がない、大きな目標に邁進する使命至上主義的な傾向をもつ一方で、評判を気にする小心さをもち、他者からの非難忠告を嫌うなどの特性が顕著にあらわれる。問題に直面しても周囲の指導や援助を嫌い、自分のやりかたを押し通し、強行突破し続ける結果、破たんし、逸脱行動に至る。
 K元牧師の場合は逸脱の仕方がより特異で悪質であったと言わざるを得ないが、そこにいたる以前の要素は、決してK元牧師に限られたものではない。通常、自己愛性の強い人物は非常に精力的で才能があり、傍目にはだれも、それが極端な逸脱行動にいたるものだと思わない。しかし後から振り返ってみれば、もっと早い時期に、その傾向性を感じさせる行動が目撃され、多くの人が違和感を覚えている。藤掛氏によれば、早期にその性質を認識し、教育・訓練、霊的・心理的ケアをすることが重要だという。
 また牧師という働きの性質からいっても、過度のストレスや行き詰まりは日常的で、その解決が必ずしも最善な方法でなされていない現実を見れば、それが私たちと無関係なものでないことがわかる。
 立場、体制という面では、ある専門的な働きや独立的なグループの指導者が、その立場に付与された権威を用いて、支配的、独裁的な振る舞いに偏っていくケースに共通した要素がある。キリスト教会やその関連団体が、ある意味閉鎖的で他の介入を受けにくい性質をもつこと、また指導者である牧師に与えられる権威の絶大さは、他の牧師によるトラブルの例を見ても明らかである。その中では、他よりも高い倫理性が求められる。しかしそのことが、問題行動に対して「そんなことはあるはずがない、あってはならない」という拒絶反応となり、事実を認識できないという自己矛盾に陥っている現実がある。人は神ではないし、その言葉が絶対に正しいということはない。しかし教会やその関連団体において牧師という立場は特異なものであり、そこでは人が神にとって代わる可能性がある。その意味では、教会や教団、さらには関連団体も非常に危機的な場であることを、牧師自身も、また信徒も、認識して、事実を見極めなければならない。

Ⅳ.教団の問題点について

 
 私たちは、このような性加害が日本ホーリネス教団に属する牧師によって行われたという事実を深刻に受け止め、その牧師を育て生み出し派遣してきた教団、同じ教職である自身の責任を自覚し、また問うべきである。
 

1.母体としての教団。問われるべき管理責任

 

ⅰ.牧師の養成過程の問題

 既に述べたように、聖書学院在学中、また牧師として成長途上の伝道師・副牧師時代にも、K元牧師の問題行動が周囲に認識されていた。しかし教団として、聖書学院として、関係者らが指導・育成のために連携し、組織として対応していたふしがうかがえない。
 人を育てることにおいて、ましてや神の働きをする牧師を養成することにおいて、将来重大な事態を招く可能性のある問題点が把握できず、また適切な指導ができないとしたら、それは献身者養成における重大な欠陥である。そこで養成された牧師が派遣されて福音を語り、教会を形成するのであって、そこにわずかでも、このような重大な加害にいたる可能性が含まれているとするなら、牧師である限り常に、その適性が、厳しく問われ続けるべきである。これは私たちが信じ教えている福音の理解という本質にも関わる問題である。任命権者である教団委員会と教育機関である聖書学院は、これを優先課題として、連携して取り組み克服しなければならない。
 

ⅱ.教団外の働きに関する管理責任

 
 教団に属する教職・信徒は、それぞれの使命感と責任において、教団外の活動に携わっている。それらについて、教団がどこまで指導監督できるのか、その権限と根拠はどこにあるのか、実際問題としてどのようにしたら指導監督が可能なのか、どこまで責任を負えるのか。このことは常に課題である。
 特にK元牧師の場合、前述の通り、病気の子どもたちへの医療伝道という分野が他の追随を許さないK元牧師の独壇場だったこともあり、その働きについて誰も口を挟めない空気が醸成され、一種の治外法権の状態が生じてしまったことも、教団の指導監督が及ばない要因になった。K元牧師自身、教団内でも外でも他者の意見や指導を受け入れようとしない性向を持っていたことが各方面の証言で明らかにされたが、それに対して教団は監督責任者としての適切な対応をしてこなかった。K元牧師に関わる不祥事の情報が、何度か、教団内教職や「星の子どもたち」スタッフの耳に入ったが、教団として事実確認がされず、具体的な対応・対策がとられなかった。「性加害」に対する認識が甘く、監督責任者としての自覚及び危機意識・危機管理が不足していた。個人の賜物への依存という課題が問われる。
 多くの活動は有意義で、健全に機能しており、教団がその働きに干渉する必要はない。しかし、たとえ教団外の働きであっても、日本ホーリネス教団に属する教職者・信徒である以上、その活動によって教団内教会の働きがおろそかにされることがあってはならず、具体的な行動は教団の一員としての信仰・福音理解にふさわしくなされるべきである。
 今後の課題として、教団委員会あるいはその下に置かれるしかるべき機関において、それを見極める管理体制、具体的な指導方法を見いだすことが必要である。
 

ⅲ.教団と牧師の関係

 
 K元牧師は平素から自分の働きに対する「教団の無理解」を批判していた。またK元牧師が牧会する平塚教会のため立て替えた教団からの融資の返済に不誠実であったこと等で、K元牧師と教団との関係は険悪な状況であった。教団とK元牧師の間に存在した相互不信が放置されていたことが、「星の子どもたち」スタッフから教団への報告を鈍らせてしまったとするならば、教団にもその責任の一端がある。
 

2.事件への対応。危機管理の問題

 

ⅰ.事件当初から検証までの対応

 
 教団の事件への対応に関する問題点を列挙する。
①Mさんは早い時期から被害者の声を聞くようにと要望されたが、教団はその思いを理解することができず、深刻な状況にあったHさんを訪ねることを躊躇した。これには加害者側の立場からケア当事者にはなれないという思い、二次被害を恐れたという事情があるが、それは被害者の思いとは異なるものであった。
②当初、K元牧師による性加害の実態に関する情報は、Mさんからのファックス、電話、手紙等、限定されたものであった。訴えを受けた後、教団はK元牧師に事実があったかどうかの確認はしたが、その詳細について問おうとしなかった。
③事実認識が不十分だったことが、被害者・加害者の双方への対応に影響し、教団内外にも誤認や事実に反する噂、加害者の擁護を招き、結果、避けようとしたはずの二次被害を生んだ。また再発防止への取り組みも大幅に遅れることになった。
④教団内には事件発覚後から、一刻も早くMさん母娘に教団として謝罪し、誠意を尽くすべきとの意見があった。しかしMさんとの交渉の過程で次第に法的な責任の色合いが出てきていたため、教団はMさんが請求する署名捺印による文書の提出を躊躇するなど、守りの姿勢に入っていった。弁護士による示談・補償というかたちでけじめをつけることによって、事態が先へ進む面もあり、社会的な責任の取り方として一面で必要なプロセスではあったが、他方、傷ついた魂の癒しを最優先すべき教会としては、被害者の気持ちを尊重することを疎かにしてきた。
⑤被害当事者であるHさんが、事件のショックから立ち直ることができず、自死される結果となったことは、痛恨の極みである。本来、人を生かし、魂を救いに導く牧師が、人格も魂も蹂躙した言語道断の行為である。しかし、それを未然に防ぐことができなかった当教団の不見識、さらに、尊い命までも取り留めることができなかった私たちの無力が悔やまれる。
⑥2003年にMさんとの通信が再開されてから、Mさんが一貫して、教団は事件を検証し再発防止に努めてほしいと声を上げ続けてこられたことについても、教団として正面から向き合って受け止めてきたとは言えない。その責任を負う立場にあることを教団組織として自覚するまでに、事件から7〜8年がかかってしまった。教団委員会は1999年の示談成立で教団の責任はすでに果たし、事件は過去の済んだことという認識であったため、教団としての対応を怠った。この事件を終わったものとする認識は、教団全体に蔓延していた。それにもかかわらず、Mさんが続けてくださった教団に対する忍耐強い働きかけ、問いかけによって、ようやくその誤りに目覚め、加害教団としてなすべき責任に目を向ける必要に気づきが与えられたことは、申し訳なくもあり、また感謝すべきことでもあった。

ⅱ.処分と措置

 
 次に、戒規の執行に関する問題点を列挙する。
①教団は、Hさんに対する性加害事件を知ってから2週間足らずの間に、K元牧師に対する最初の「解任」処分を決定した。その際に、他にも複数女性との関係があるとの情報は寄せられていたが、その事実関係の詳細を調査することなく、教団として事態収拾を図ることで必死であった。そこに加害事実に対する判断の甘さがあった。
②10月になり改めて「除名」処分を決定したが、それは同じ地域に居住し牧師としての働きをすることがないよう、教団が責任を持つようにとのMさんからの要請に応えることにならなかった。処分当初、教団としてその旨をK元牧師に指導したが、現実には、除名処分によって教団の指導監督が及ばない立場に置かれてしまい、実効性がない。これは、処分当初はあまり意識されていなかったことである。処分後の対応のために、どのような処分の在り方が適切であるのか、なお今後の課題として残されている。
③『りばいばる』(1999年11月号)に掲載された除名の公示文書は、K元牧師が行った性暴力の実態が相手の魂と人権を蹂躙するものであることを正確に伝えられなかったばかりでなく、HさんあるいはMさんに非があると受け止められるものであった。このことは、HさんとMさんを傷つけることとなった。
④除名の処分とその後の教団の対応は、戒規が目指す真実な悔い改めと回復に、K元牧師を導くことができなかった。このことは、教団外にK元牧師の加害行為を過小評価して擁護し続ける牧師がいたり、K元牧師を講師として招く教会が現れたりするなど、不適切な事態を生じさせることになった。
 

ⅲ.事件の兆候と問題意識

 
この事件に至るまでには、いくつかの兆候があった。
①1990年頃から、キリスト教界にはK元牧師による性的不祥事の噂があり、教団内教職の一部はその情報を聞いていた。しかし、事実確認ができないまま、噂の域を出ないとの判断から、依然として様々の超教派の活動などでK元牧師が用いられる状況は続いた。
②1996年頃、教団内教職が、教団外の教職からK元牧師による性的不祥事の情報の確認を求められ、この牧師は「星の子どもたち」のスタッフに問い合わせた。このスタッフはK元牧師に問いただしたがK元牧師は否認、それ以上の事実確認ができないまま、不祥事「否定」の回答が伝えられた。
③1998年7月、教団外教職からK元牧師に女性問題があるとの情報を聞いた教団内教職は、事実との感触を得、当時の教団委員長、教育局長に伝えた。2人はこの牧師に「何か証拠になるものを入手してほしい」と依頼。同牧師は情報源の教団外教職に照会したが、当該女性が話したくないと言っているとの回答があり、同牧師はその結果を教団委員長らに伝えた。このため同情報はそれ以上の事実確認ができず、教団委員会に報告したり諮ったりすることのないまま立ち消えとなった。Mさんから、「過去にも同様の加害の事実があったのに教団は放置した。早く適切な対応をしていれば、Mさんの娘さんら複数の女性の被害は未然に防げたはず」と指摘されている。
これらの事前情報があったにもかかわらず、教団が被害防止のために何もできなかったことについては、次のような反省点が挙げられる。
①前述の通り、教団委員長らは証拠の入手を依頼したが、同事案は教団委員会で共有されなかった。その結果、教団として迅速な被害防止の対応につながらなかった。また被害女性からそれ以上の証言の協力が得られなかったため、その時点で事実確認を断念。教団の責任主体である教団委員会が、関係者の不祥事等に際して、早期の段階から情報と問題意識を共有し、組織として危機対応に当たるという意識と体制がなかった。
②しかし、より本質的な問題として挙げなければならないのは、被害者の心情に思いが及ばないアプローチの仕方である。例えば、証拠入手の依頼は必要なことではあるが、その依頼の仕方によっては、被害の訴えが信用されていないと受け止められる。それは、被害者の口を閉ざさせることになる。一般に、性暴力被害者が被害を訴えるまでには大きな勇気と決断を要する。他の被害女性が、当教団からの照会に対して「話したくない」と回答したが、当該女性は教団外教職には事情を打ち明けており、MさんのもとにはK元牧師による性的被害を受けた複数の女性から声が届いているといわれる。もし当時の教団の対応が、「信用されていない、疑われている」「話しても無駄」「真摯に対応するとは思えない」といった不信感を被害者たちに与えていたとすれば、そうした体質の改善が課題である。教団側に、組織としてそうした声を受け止める窓口がなかったことも、被害の話しにくさを助長したかもしれない。
③また、不用意な加害者に対する事実確認は、事実確認そのものの妨げとなる。多くの場合、加害当事者は否認するからであり、そうなると当然のことながらそれ以上の調査はできなくなる。しかし否認されたことは、事実確認の断念の言い訳にはならない。
 

ⅳ.加害当事者としての認識

 
①教団は事件発覚後の1999年4月21日、当時の総務局長がK夫妻を伴い福岡市内でMさんに会見、K元牧師に謝罪を促した。しかし、教団も加害当事者であるとの認識は希薄だった。本事件発生の舞台が教団の直接の管理外である超教派の働きの場であったことがその要因であったと言える。そのため、事件発生当初より、教団は監督責任を認めつつも、他方では第三者的な意識が拭えなかった。また、長期にわたり自発的にMさんと接点を持とうとしなかったことは、加害当事者としての意識の欠落の表れであったと言うほかない。また、事件がK元牧師個人に起因する不祥事であるとの認識から、この一人の伝道者を生み出した教団の責任についての意識が欠落していた。
②当時の教団には同種事案における自らの責任についての認識が深まっておらず、むしろK元牧師によって教団の信用を失墜させられ損害を被ったという「被害」意識を持つに留まった。また、K元牧師の任地であった平塚教会の動揺に対する事態収拾、その信徒の精神的なケア、K元牧師除名後の事後処理等に追われ、肝心の被害当事者であるMさん母娘の痛みに思いを馳せることから遠ざかってしまうという、本末転倒の過ちに陥った。
 

3.教団の本質的な問題

 
 K元牧師による性加害事件を問う問いは、おのずと教団のより本質的な「あり方」への問いになる。それはまだ入り口に立ったばかりで、答えはおろか、問いの全容も把握できていないが、今の時点で浮き彫りになっている部分を提示したい。
 

ⅰ.救いと献身

 
 キリストと教会、人に仕えるべき牧師が、凶暴な支配者になるという矛盾は、神の愛と聖さ、キリスト信仰を否定するものである。私たちキリスト者は、確かにキリストの贖いにあずかり、新しく生まれた。牧師は心から福音を信じ、主に仕える者として自らを捧げた。それなのに、なぜそのような過ちに陥るのか、今回の検証で十分には解明されていない。人間存在の闇の深さを思う。このことはさらに問い続けなければならない。どのようにして、それを避けることができるのか。それはこの加害の事実を見つめ続けていく以外にないが、現時点で確認し得ることを挙げる。
 私たちは「救い」における個人的な宗教的経験を尊重してきた。また「献身」についても、「召命」が非常に個人的な神との関係におけるものとして重視してきた。牧師の歩みはこの「召命」によって始まり、その後の献身の生涯においても常に土台となる。これらの宗教的な経験は、個人的な体験である一方で、決して個人の主観に留まらない。救いの経験は洗礼という礼典によって、召命は教職制度によって、神と人の前に明らかにされ承認される。このことは、キリスト教会の歴史を形作ってきた大切な要素であり、私たちの教団もその流れに属している。洗礼については、諸教会において聖書に基づいて学びと信仰告白がなされている。教職に関しては、私たちの教団でも規定が聖書に基づいて定められ、教師試験が行われている。任命、教団加入の諸手続き、また牧師の養成を担う聖書学院の働きも、教職制度を下支えする。礼典の執行資格についても、厳密に規定されている。つまり、信仰は本質的に独りよがりではあり得ないのである。
 このことを前提として牧師やキリスト者は、自由で主体的な教会生活を送る。聖書はこの信仰の生活が具体的な結実となり、目に見える形で他者にもそれと分かるものとなるよう教えている。また、献身とは文字通り神に自分を献げることであり、「神がこんな私を用いてくださる」という、あくまで神主体のものである。献身の動機には、「自己実現」的な要素が含まれる。個人が神に用いられることによって多くの豊かな働きをし、生きがいと喜びを感じることは神の大いなる恵みである。しかし、神から与えられたはずの使命、賜物、才能が自分の所有物のように、自己実現の道具のように使われ、その個人に対する称賛となるなら、すでに神が主体ではない。あるいは使命がその個人への負荷となり、どんな手段を用いても成し遂げなければならないと思われるようになれば、はなはだしい逸脱を生むことになる。
 日本ホーリネス教団が掲げる「聖化」は、全く神のものとなることである。私たちは、その表れとして高い倫理性も求めてきたが、それは決して一回的、危機的な経験によって完全な人間になることではない。生涯、自分の弱さを見つめ、向き合い、神の救いを与えられ続けていくものである。しかし、その信仰をもつはずの牧師が性加害を犯すとすれば、語られた聖書の言葉や教理が実生活に結実していないばかりか、福音理解そのものが誤っているといわざるを得ない。
 

ⅱ.罪の赦しと償い

 
 K元牧師による性加害という重大な罪に対して、それぞれがとった対応は、私たちにとって重い現実である。
 K元牧師自身によって、真摯な悔い改めと謝罪がなされたとは言えない。事件発覚直後には事実を認めたものの、Mさんへの謝罪に同行した者は、K元牧師の不誠実な態度に困惑し、叱責したほどである。その後Mさんに対する謝罪を翻し、裁判の中では提訴された内容を否認した。他方、自分が働く教会や関係者に対しては、「神に対して悔い改め、赦された」と告白し、その弁を受け入れた教会は混乱した。説教などの奉仕を依頼したケースもある。
 教会には戒規の規定があり、キリスト者が過ちを犯した場合、悔い改めと償い、回復に導かなければならない。K元牧師による事件の場合、その本来の機能を果たすような適切な執行、指導はできなかった。また、戒規が処罰であるとの誤解は根強く、そうなると過ちを犯した者は自らの正当性を主張したり、責任を転嫁したりすることとなり、悔い改めを妨げる結果となる。また教会においては、過ちを犯した者を断罪することとなる。断罪とは逆に、悔い改めの内容を問わずに赦すべき、受け入れるべきという考えが生じるのも、戒規の趣旨が理解されていないからである。この課題は今なお残されている。
 教会は罪の悔い改めと赦しを説く。しかし過ちを犯した者が自己防衛に走り、被害者や教団と対立関係になるのはK元牧師に限らない。被害の詳細を十分に調査せず、またK元牧師への処分が不十分であったことの背景には、事を穏便におさめたいという傾向性があったことは否めない。それは被害者の痛みに対して無関心にさせ、認識がリアリティを欠く結果となった。また教会の中には、他者をさばく、罪を指摘することへの強い抵抗感がある。それは「さばくな」という聖書の教えが正しく理解された結果だとは言えない。実際、事を穏便にすませようという思いがはたらくとすれば、それは必ずしも隠蔽を意図しているというよりは、罪と赦しについて明確に語れないことに原因がある。自分の罪を認める、この最も基本的なことができない。またそう導くことができない。罪の赦しの権限は誰に与えられているのか。何をもって、それを宣言できるのか、正しい認識を共有できていない。
 

ⅲ.福音に生きる交わり

 
 ここでの大きな問題は「無関心」である。それは個人と、社会に対する無関心である。
 K元牧師による性加害は、Hさん以外にも及んでいた。つまり、この性加害事件は、魔がさしたというような一過性の問題ではない。これほどの事態になる前に、それに気づき、本人に指摘する者はいなかったのか。すでに見たように、情報はあったし、性加害は知らなくてもK元牧師の働き方に違和感を覚える者は多くいた。しかし、そこからさらに踏み込んだ関わりにはならなかった。これは被害に遭われた方々はもちろんだが、周囲の人々にとっても、また加害当事者にとっても、悲劇である。
 しかし、同じ信仰をもち、同じ神の働きにたずさわりながら、どのように暮らし奉仕しているのかわからない。どんな課題を抱えて悩み、何に挫折し、そこにどう神を見出そうとしているのか、解決はどこにあるのか。互いに分かち合う機会が乏しく、その戦いが孤立しているという現実は、実はめずらしくない。この検証を通して、教会共同体の交わりが軽視され、希薄になることの問題性を教えられる。
 教会におけるこのような課題はすでに指摘されていて、教団でも教職者同士の交わりを密にするための機会、場を増やそうとの試みもある。しかしそこで目にするのは「無関心」と「戸惑い」である。もっと言えば「恐れ」だろう。ありのままの自分を開示すること、また他者の現実、痛みを直視すること、そこに自分が関わること、それによって互いの生活や関係に変化が生じることへの「面倒くささ」や、恐れである。
 特に牧師として生涯を全うするためには、「△△教会の○○牧師」といった付加価値抜きの、素の自分を見せられる相手、一人の人として自分を見、意見してくれる存在が不可欠である。できることなら、こうした肩書や、成果を求められる状況が生じる以前、信徒、修養生時代にそのような相手を得られることが望ましい。と同時に、継続した訓練が必要である。
 また、この事件とその対応は、教会に対する社会の期待を大きく裏切るものであった。教会内に向いた視点に偏り、教会が置かれている社会に対して無関心であった。私たちは性暴力に関してあまりにも無知であった。そこから被害者や被害実態の軽視、偏見、加害者擁護などの弊害が生じる。人権対策室とセクシュアル・ハラスメント防止・相談室が設置され、電話相談がはじまり、被害を受けた方が訴えやすい環境を更に整えつつ、理解と啓発に取り組んでいるが、教団・教会に広く、より深い認識が共有される必要がある。
 人を、自分を、過大も過小もなく、その存在の事実として認めること。欠けや弱さや傷のある、しかし神の愛の賜物であるお互いとして向き合う「率直さ」が求められている。それはキリスト者特有の「すべてが赦される、受け入れられる」という甘えや、「どんな人も赦さねばならない、受け入れなければならない」という強迫観念とは、似て非なるものだ。しかし事実を知る勇気と努力がなければ、この過ちに陥る。
 これは教団組織、管理の問題ではない。また個人主義、各個教会主義でも、全体主義でもなく、目に見えないキリストの体なる教会の生命力とも言うべきものである。
 

結.今後の課題

 
 以上が検証報告である。上記の各項目に挙げた課題と併せて、今後さらに、以下の課題に取り組んでいく必要がある。
 

1.事件を振り返って

 
 ⅰ.事件の継承。この事件で明からにされた私たちの諸問題は、時間の経過とは関係なく、常に問い続けなければならない。そのため、私たちはこの事件を忘れぬよう、事実を伝えていかなければならない。
 ⅱ.関係者とのかかわり。私たちは、この検証の公表に先立ち、Mさんに改めて謝罪した。私たちは、Mさんたちを深く傷つけてきたにもかかわらず、Mさんから多くのことを教えられ、気づかされてきた。Mさんとの間に与えられている交わりを大切にしながら、慰めを祈り、償いの務めを果たさなければならない。また、K元牧師によって被害に遭われた他の方々の声にも耳を傾け、誠意をもって対応したい。さらに、K元牧師への働きかけを模索し、真実な悔い改めと、被害に遭われた方々への謝罪を促したい。
 

2.今後のために

 
ⅰ.啓発活動。この検証で明らかになったように、問われているのは今の私たちの福音理解であり、聖化を掲げる教団としてのあり方、そして人権感覚である。これは私たちにとって決して自明のことではない。再発防止のための努力を怠らず、自由に、主体的に神のみこころを選び取っていかなければならない。
 ⅱ.教育活動。事件を風化させず、「気づき」が与えられるために、教育活動を継続しなければならない。パンフレットの作成をはじめ、既に聖書学院で、また教団加入者研修、正教師志願者研修等、教団の教職教育において教育活動は実施されている。このほかにも、教団執行部や学院教師、有志を対象としたセミナーを開催している。これらの働きを一層充実させ、継続しなければならない。
 ⅲ.体制。再発防止のため、また事件が起きてしまった時に適切に対応するための体制を整えなければならない。セクシュアル・ハラスメント防止・相談室が立ち上げられて活動しているが、緊張感をもって対応を続けなければならない。また、教団と聖書学院教授会、同理事会との連携、さらに他教派で同じ課題に取り組んでいる関係諸機関、専門家との連携を充実させなければならない。


 私たちは、これは終わることのない検証作業であることを自覚しなければならない。加害責任を負った教団として、性暴力の問題を契機とした人権の尊重・擁護について、私たちは引き続き研鑽を積み、あるべき教会の姿を求めて正すべきところは正し、悔い改めるべきところは悔い改め、自らを改革し続けていく必要を銘記し、後に続く者たちに受け継ぎ、神と人との前に責任を果たせる教団への変革を図っていく決意を新たにするものである。
 
2011年3月21日
日本ホーリネス教団 第48回総会
 
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