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第9回全国信徒大会 in 那覇

 

宣教局



 
 

11月号

 

ゆるされる幸い

 
「われわれの神に帰れ、主は豊かにゆるしを与えられる」(新約聖書 イザヤ書第55章7節)
 
 「お母さんは、うそついたことないの?」。3人の子どもたちは、ある年齢になると、同じように聞いてきました。そのたびに、お母さんのうそつき物語が始まります。
 
 「お母さんが幼稚園に行ってた時だよ。今みたいに、送り迎えがなくて、ひとりで歩いて幼稚園に行ってたの。ある日、お友達のB君がね、『帰りにA子ちゃんのお家を見に行こう』って言うの。だからお母さんね、『寄り道はだめよ』って言ったの。そしたらねB君こう言ったの。『お家の人に怒られたら「帰る途中で風が吹いて帽子が飛んで行ったの。追いかけたら遅くなった」って言えばいい』って。こんなうそ、ばれないのかな。
お母さんはね、A子ちゃんのお家を見に行きたかったの。だから見に行っちゃった。そして急いで帰った。そしてね、その通り話したの。『途中で風が吹いて帽子が飛んで行ったの。追いかけたら、遅くなったの』って。そうしたら、お父さんが、大きな目で私のことを見て、ゆっくりこう言ったの。『本当はどうして遅くなったの?』って。やっぱり、うそだってわかるんだよね。それで、『A子ちゃんのお家を見に行きました。うそついてごめんなさい』とあやまったのね。ゆるしてもらってよかった」。
 
 子どもに、「うそをつくとわかる?」と聞いたら、3人とも、「すぐわかるよ。おかあさんもうそついちゃだめだよ。ゆるしてもらってよかったね」と言われました。
 
 自分の言動で相手を深く傷つけたり、また関係を悪くしてしまうことがあります。いつかあやまろうと思っているうちに機会を失い、うやむやにしてしまったり、あやまってもゆるしてくれないことさえあります。ゆるされないことほど苦しいことはありませんが、多くの人たちは、ゆるされない自分を引きずって生きているのです。
 
 しかし、聖書を開くと、そこにあなたの心を安らかにするゆるしが書かれてあります。
 
 神の御子イエス・キリストは十字架の上で私、そしてあなたのために祈ってくださいました。「父よ、彼らをおゆるしください」。この言葉こそが、私たちに与えられるゆるしの鍵の言葉です。教会に来られるならば、どんな罪もゆるしてくださるお方と出会えます。

 

 (「きぼう」11月号)
 

11月号

若者に語り伝えてほしい

奉仕局長 佐藤 義則

 

神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。(使徒行伝2:17)

 今年の年会で隠退された牧師は、15名おられました。「りばいばる」5月号に折り込まれる任命一覧表の「隠退」の欄には、100名余の名前が連ねられております。そうした先生方の互いの消息を知り、共に祈り合うことができたらと願って、錦織博義先生が奔走されて、文集を編集・発刊してくださいました。奉仕局でなすべきところ、自らお独りの手と足で制作されました。感謝に絶えません。

 今年から奉仕局の仕事に就かせていただいて、神さまから賜わったもっとも大切な務めは、隠退された先生方の御労をねぎらうことであると受けとめております。隠退された先生方は、長い歳月にわたって慎ましい生活をしながら、すべてをささげ切って福音を語り伝え、群れを牧してこられました。天で報われこそすれ、この地上では報われることの少ない仕事です。だからこそ、奉仕局としては限られたものではありますが、少しでもその御労をねぎらい、安心して老後を送っていただきたいと願っております。
 
 さて、私の仕えている青梅恵み教会の礼拝堂には、すでに天に帰られた堀井美佐代牧師の書が掲げられています。それは端正な美しい書で、冒頭のみことばがしたためられています。このみことばを仰ぎ見るたびに、私の心は勇気と希望にあふれてきます。

 日本という国は、宣教がもっとも困難な国のひとつと言われますが、この国のすべての人々に聖霊が注がれるなら、信仰に対して反抗的な息子が、あるいは無関心な娘が「預言をする」、親にみことばを語って聴かせる者となるのです。また、現実に押しつぶされて虚無的になっている若者が幻を見、将来を憂えているご年配の方が夢を見るというのです。
 
 今日の私たちの教団の最重要課題のひとつは次世代育成です。ご年配の方々にお願いしたいことがあります。ご自身の信仰の体験を若者に語っていただきたいのです。そして、これからの教会に夢と希望があることを語ってほしいのです。 

 
 
(「りばいばる」11月号)
神の宣教に仕える教会
逆転の神を見上げて ―たくましく、しなやかに―

 

教会が病むとき

 

教団委員長 島津吉成

 

 教会は、生きたキリストのからだです。生きているということは、動きがあるということです。イキイキとしているときもあれば、残念ながら病んでしまうときもあります。では教会は、どんなときに病んでしまうのでしょうか。
 
①利益追求型の企業のような教会
 
 ピーターソンという方が、こんなことを書いています。「アメリカの牧師たちは『企業経営者』の一群に変容してしまった。彼らが経営するのは『教会』という名の店である。牧師は経営者感覚、すなわち、どうしたら顧客を喜ばすことができるか、どうしたら顧客を道路沿いにある競争相手の店から自分の店へ引き寄せることができるか、……そうした経営者的な感覚に満ちている」(E.H.ピーターソン著『牧会者の神学』)。私は、企業経営者的感覚のすべてが間違っているとは思いません。ここで問題となるのは、利益追求のみに傾いてしまった経営者的感覚ということだと思います。そのような企業は長続きせず、やがて破綻すると言われています。
 
 この感覚が教会の中に入ってくると、成功、名声、数などという成果を求めることに重きを置く教会となってしまいます。一人ひとりの存在を大事にし、尊重するというよりも、どんなことができるかという、その人の能力で人を評価し、being(共にいる)よりもdoing(何かをする)に傾いた教会、イベントからイベントへと追い立てられていく教会となり、やがて教会員は教会生活に疲れてしまうのです。
 
②ゆがんだ家族のような教会
 
 これは先ほどとは逆の形ですが、ここにも病んでしまった教会の姿があります。教会は「神の家族」と言われていますので、家族的であるということは大事なことです。ところが、「私たちの教会は家族的な教会です」というとき、注意しなければならないことがあると思います。それは、「神の家族」というよりも、「ゆがんだ、人間的な家族」という姿に陥っていないかということです。
 
 教会が仲良しグループになってしまっていて、閉鎖的で外から入りづらい。教会の中に親分と子分のような関係ができてしまっている。できないこと、無理なことに対して、「No」と言えない。息が詰まる。こんな症状が出ていたら、要注意です。
 
 私たちを丸ごと愛してくださっている主に感謝し、喜びをもって主に仕えていく、ここに健やかな教会の姿があります。 

 
(「りばいばる」11月号)
 
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◆三多摩教区
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◆東京東部・西部教区共催
 1月8日(月・休)東京中央教会
 講師/水間照弥師
◆神奈川教区
 1月8日(月・休) 横浜教会
 講師/大前信夫師
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 1月8日(月・休)静岡教会
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◆近畿教区
 1月8日(月・休)大阪栄光教会
 講師/島津吉成師
◆四国教区 1月8日(月・休)
 今治市湯ノ浦ハイツ 講師
 江副謙一師
 
神さまのみ言葉をいただいて新しい年を迎えましょう。みなさまのご参加をお待ちしております。(聖会委員会)

東京聖書学院


 
願書しめ切りと試験日
【第一回】
願書締切 2017年11月21日(火)
試験日 2017年11月29日(水)
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願書締切 2018年2月21日(水)
試験日 2018年3月1日(木)
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