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1月号

 
 

心の思いを実現される神


「あなたはわたしの神」       旧約聖書 詩篇22篇10節
 
 ある先生が、「若い頃夢に描いていた事を、今、牧師になって思いもかけなかった形で神さまは実現させてくださっている」と話されていました。
 
 同感でした。私にもいくつかの夢がありました。牧師になる前は絵を描いていて、アー・テイストとして成功したいと願っていましたが、本当は絵を描くことよりも文章を書くことの方が好きでした。絵を描くためのアトリエよりも本で埋まった書斎がほしいと思っていました。今、牧師になって、子どもの頃の夢であった文章を書くこと、それは説教の原稿ですが、書斎を持つこと、それは応接室という名の牧師室ですが、ちゃんと神さまは私の心の中の願いを、実現させてくださっています。
 
 絵を描くことを生涯の仕事にしたいと思っていましたが、洗礼と同時に牧師となることを決意したため、クリスチャンになってすぐに開いた個展が私にとって最後のものとなりました。
 
 小さなギャラリーは縦に細長く、高い天井と3面の壁に囲まれた空間を持っていました。1つの面に1枚の絵、たった3枚だけの絵を飾ろうと何年もの間イメージをし、心に描いていました。それは教会をイメージしたものでした。そして自分の心の中にだけしまっておいた思いでしたが、いく人もの人が、「教会のような空間」だと言ってくれたことにとても驚きを感じました。
 
 聖書に、「わたしは生れた時から、あなたにゆだねられました。母の胎を出てからこのかた、あなたはわたしの神でいらせられました」(詩篇22:10)とあります。私は、絵を描くことは神さまとは何の関係もない、自分だけのものだと思って、神さまを受け入れない人生を送ってきたはずでした。でも、神さまはそんな私にも、神さまを知る前から、いえ、生まれる前から、心の中に神さまを思う思いを置いてくださっていたのです。
 
 だからこそ、つまり、神さまは、私だちと共におられるからこそ、どんな小さな願いをも知っておられ、実現してくださるのです。それは自分の思った通りではないかもしれません。でも、最も良い形に変えて実現させ、そして私たちの心に喜びを与えてくださるお方なのです。
 
 新しい年、あなたの心の思いを実現される神さまを仰いでいきましょう。
 

 (「きぼう」1月号)
 

1月号

 

それがなんであろう!

教団委員長 島津 吉成

 

「さて、兄弟たちよ。わたしの身に起った事が、むしろ福音の前進に役立つようになったことを、あなたがたに知ってもらいたい」(ピリピ1:12)。
 
 昨年の4月、2017年度のスタートに当たって、私たちはピリピ一章12節のみ言葉をいただいて、その歩みを始めました。「むしろ」という御わざを行ってくださる主を信じてスタートしたのです。そして、今、昨年の4月からの歩みを振り返ってみるときに、このピリピ1章12節のみ言葉が真実であったか、ということが試され続けた日々であったことを思わずにいられません。思いがけない、いろいろなことが起きてきました。その中で、本当にこのことが、「むしろ福音の前進に役立つようになった」と言えるのか、と問われ続けたのです。正直言って、「とてもそのようには言えない」と思ったことが、何度あったことでしょう。今も、まだ、そのようには言えない、という課題を抱えています。おそらく、この地上での歩みの中では、私たちには目の前のことしかわからないので、「わたしの身に起こった事が、むしろ福音の前進に役立つようになった」と言い切れる日は来ないのではないかとさえ思ってしまいます。
 
 ところがパウロは、言い切ったのです。彼だって、全部のことを見通していたわけではないでしょう。しかし、彼は課題を抱えつつも、「役立つようになった」と言い切ったのです。
 
 パウロが捕らえられていることをチャンスと考え、その間に自分たちの勢力を拡大しようという不純な動機から伝道している人たちがいました。そのことについて、パウロはこう言っています。「他方は、自分の利益を求めて、獄中のわたしをいっそう苦しめようという不純な動機からキリストを告げ知らせているのです。だが、それがなんであろう。口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます。これからも喜びます」(ピリピ1:17〜18 新共同訳)。何という突き抜けた信仰でしょうか。うんざりするような問題、課題がある中で、「それがなんであろう」と言って、問題にしないのです。それは、「むしろ」という御わざを行ってくださる神を信じるからこそ立つことのできる信仰の姿勢です。
 
 新しい年の歩みの中でも、私たちはさまざまな課題に直面することでしょう。しかし、「むしろ」という御わざを行ってくださる神を信じ、「それがなんであろう」と言って乗り越えていく、突き抜けた信仰をもって歩んでいきたいと切に願います。 

 
(「りばいばる」1月号)
神の宣教に仕える教会
逆転の神を見上げて ―たくましく、しなやかに―
 

幻に導かれて

  使徒行伝十六章には、福音が海を渡ってヨーロッパに伝えられるようになった経緯が記されています。

 当初、パウロはアジヤに行って伝道したいと思っていたようです。しかし、理由はわかりませんが、聖霊によって禁じられてしまいました。そこで、次にビテニヤに行こうとしましたが、これもイエスの御霊が許さなかったというのです。そして、ついにトロアスにたどり着きました。ここは今のトルコの西の果て、その先はエーゲ海です。つまり、これ以上は進めないという行き止まりの地でした。
 
 彼はそこで、ひとりのマケドニヤ人が、「マケドニヤに渡ってきて、わたしたちを助けて下さい」と懇願する幻を見るのです。マケドニヤ、それは海を渡った向こう側の地です。パウロは、これは彼らに福音を伝えるために、神が自分たちをマケドニヤへと招いておられるのだと確信して、海を渡ってマケドニヤに行くのです。ヨーロッパへの伝道は、こうして始められていったのです。
 
 このトロアスから使徒行伝は、パウロたち一行のことを「わたしたち」という言い方で記すようになります。つまり、使徒行伝の著者であるルカが、ここからパウロの伝道旅行に同行することになったということです。ルカは医者です。どうして、トロアスでパウロはルカと出会うことになったのか。想像をたくましくして考えると、パウロが当初計画していた伝道計画通りに旅を続けることができなかったのは、彼が病気をしたためということができるのではないかと思います。だから、トロアスに来て、医者のルカと出会うことになった。そして、パウロのことですから、ルカに福音を伝えたのではないでしょうか。ルカはパウロの語る福音を信じ、そして自分の同胞にも福音を伝えてほしいと願ったのではないでしょうか。「マケドニヤに渡ってきて」と懇願するマケドニヤ人こそ、ルカ、その人だったのではないでしょうか。
 
 自分の計画通りに行かないこと、健康が損なわれること、行き止まりの地に追い詰められること、そのすべてにマケドニヤへと導こうとする神の見えざる手があった、ということが言えるのではないでしょうか。パウロは万策尽きるそのところで、神の幻を見、思っても見なかったであろう、ヨーロッパへと導かれるのです。お手上げの地が、新たな出発の地となったのです。
 
 神は私たちにも幻を見せてくださり、私たちを導いてくださいます。神の宣教に仕える教会は、神の幻に生きる教会です。

 
(「りばいばる」1月号)
 

東京聖書学院


 
 
願書しめ切りと試験日 
【第二回】
願書締切 2018年2月21日(水)
試験日 2018年3月1日(木)
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