私たちの教団のホームページにようこそ!

教団委員長 島津吉成


 私たちの教団は、キリスト教の新教(プロテスタント)に属する教団で、全国に155の教会があります。
 「夜はよもすがら泣き悲しんでも、朝と共に喜びが来る」。これは、聖書の詩篇30篇5節というところに記されているみ言葉です。夜の闇がどんなに深くても必ず明るい朝が来るように、神さまはどんな人に対しても希望の光を注いでくださると約束してくださっているのです。嬉しいことですね。
 ぜひ、お近くの教会にお出かけください。きっと、素晴らしい出会いが待っています。(私たちの教団の教会は、このホームページの中にあります「全国教会所在地」に掲載されています)
 このホームページをご覧くださった皆さまの上に、神さまの祝福がますます豊かにありますようにお祈り申し上げます。

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(2017年6月15日)
(2017年4月13日)
平和の祈り
(ページ内よりダウンロードできます)
 

9月号

 
自由と幸い

「自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さった」

            (新約聖書 ガラテヤ人への手紙第5章1節)

 
 「あなたは今、何か欲しいですか」。
 そう問われたら何とお答えになるでしょうか。ある人に聞くと「やっぱりお金かな」と答えられました。「そのお金で何を買うのですか」と問うと、じっと考えながら「『自由と幸い』かな」と言われました。
 
 「自由」という言葉はいつも私たちの心にあります。あらゆる束縛から逃れ、自由に生きたいという願いがあるのは理解できます。親から逃れたい、学校の勉強からも逃れたい、きつい仕事からも逃れたい。そう思うのはごく自然です。
 
 さて、その「自由」という言葉が、聖書にはたくさん出て来ます。その中のひとつを紹介しましょう。「自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである」(ガラテヤ人への手紙5:1)です。
 
 キリストが「自由を得させる」とありますが、ここで言われる「自由」とは、先ほど述べたような、私たちもが考える自由とはかなり違っており、そのことを「解放して下さった」との言葉が教えてくれます。
 
 それでは、いったいキリストは私たちを何から解放してくださったのでしょうか。
 本来、私たちは自分勝手な存在です。自分のことばかり考え、こうしたい、ああしたいとの思いがいつもあり、そこから脱することができないだけでなく、思うようにならないために、悩み苦しんでいます。つまり自由に生きたいと願いつつ、不自由の中に自分自身を追い込んでいます。これが聖書で言う「罪」です。
 
 この罪は、私たちを創造してくださった神さまから離れ、自分勝手にしたいという思いによって生じます。そして自由を得ようとしてかえって、深い束縛感を味わうようになります。
 
 主イエスはこの私の罪をご自身の身に負って十字架の上で死んでくださり、復活されました。この主イエスの死と復活を信じるならば、それによって私たちの罪は消し去られ、束縛から解放され、自由を得るのです。
 
 私たちは自分勝手に生きることはなくなりますが、それを不自由とは感じなくなります。キリストに従って歩み続けることによってまことの「自由」を味わい、「幸い」もまた与えられていくからです。
 (「きぼう」9月号) 

9月号 

「見よ、兄弟が和合して共におるのは
いかに麗しく楽しいことであろう」詩篇133:1

教育局長 平野信二

 11月22日(木)〜23日(金)、那覇市のパシフィックホテル沖縄において「第9回全国信徒大会おきなわ大会」が開催されます。冒頭聖句の「兄弟(姉妹)」には、3つの意味が考えられます。

 第一は、信徒大会に参加するすべての信徒・牧師たちです。「前夜祭/ちゃんぷるナイト」での食事と交わり、「礼拝/ほーらしゃ」での賛美と御言、「分科会/ゆんたく」での発題と分かち合い、24日の観光ツアーや25 日の南西教区内教会での主日礼拝式出席を通して、参加するすべての人が、聖霊により、互いに結び合わされ、愛の内に育てられていくのです。

 第二は、この大会のために準備している実行委員を始めとした南西教区の方々です。キャンプなどを企画した私自身の経験から言えることは、一参加者として大会に参加するよりも企画・運営する方がワクワクし、多くの恵みを受けることができます。もちろん、準備する中で戸惑うことや、意見がまとまらず苦慮することもあったでしょう。プログラム立案のような企画だけでなく、ホテル/旅行社との折衝など、実行委員会の働きは多岐にわたります。しかし、それらのことを通して、一つの目標に向かって進んでいく中で、主にある交わりが深められていくのです。

 そして第三は、沖縄大会のために祈り、信徒仲間や牧師を送り出してくださる全国の方々です。
 
 その兄弟(姉妹)が「和合して共におる」ことを、神さまはお喜びになるのです。ここでちょっと立ち止まり、改めてこの言葉を開催地・沖縄という文脈で考えてみたいと思います。旅行ガイドなどで見る美しい海、三線の音色と躍動感にあふれる賛美、日本で最も早くプロテスタント信仰が伝えられたクリスチャンの人口比率が最も高い県。私たちが普段イメージしている側面だけでなく、沖縄の歴史、今も負わされている痛みと苦悩に目を向け、耳を傾けさせていただきたいと願います。そのようにして理解を深めるところから、真に「和合して共におる」ことが可能になるのです。そのための新たな一歩を踏み出す全国信徒大会となるならば、神さまは私たちを「麗しく楽しい」とお喜びくださるのではないでしょうか。
 

(「りばいばる」9月号)

神の宣教に仕える教会

逆転の神を見上げて ―たくましく、しなやかに―

固守すべき事とは思わず

教団委員長 島津吉成

   

 
 神の宣教に仕える教会は、どのようにしてつくられていくのでしょうか。ピリピ1:6には、主イエスがしてくださったことがこのように記されています。「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず」。キリストは「神のかたち」であり、「神と等しい」お方でした。このことを、コロサイ1:15〜16ではこう記しています。「御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生まれた方である。万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである」。まさに主イエスは、私たちが思い描くことのできる範囲をはるかに超えた栄光をお持ちのお方でした。しかし、主イエスはそれを「固守すべき事とは思わず」、それを捨ててくださったのです。なぜ?私たちを救ってくださるためです!

 ピリピ教会の中に、「党派心」や「虚栄」を握りしめて、高慢になっている人たちがいました。その根っこには、「ねたみ」がありました。その人たちが教会の中に分裂を引き起こしていたのです。使徒パウロは言うのです。「キリストは、神と等しくあることさえも握りしめることなく、私たちを救うために手放してくださったではないか。それなのに、あなたがたは党派心や虚栄などというつまらないものを、いつまで固く握りしめているのか」。

 
 それにしても、主イエスはどうして神と等しくあることさえも、手放すことがおできになったのでしょうか。それは手放しても、父なる神さまとの愛の関係は変わることはないと確信しておられたからではないでしょうか。主イエスは弟子たちに言われました。「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい」(ヨハネ15:9)。父なる神と主イエスとのこの愛の関係は、あの十字架においても変わることはありませんでした。ですから、主イエスは、「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」(ルカ23:46)と言って息を引き取られたのです。
 
 なぜ、党派心や虚栄に固執するのでしょうか。なぜ、ねたみが起きるのでしょうか。自分に対する神の愛がわかっていないからではないでしょうか。

 父なる神、そして主イエスの自分に対する愛に気づくとき、人と比較して生きる思いから解き放たれます。自分がどんなにつまらないものを握りしめていたのかがわかります。そして、それを捨てることができるのです。こうして、神の宣教に仕える教会がつくられていくのです。

 
(「りばいばる」9月号)
 
災害支援対策委員会

このたびの「西日本豪雨」「大阪北部地震」「北海道胆振東部地震」で被災されたすべての皆さまにお見舞い申し上げるとともに、主の慰めと平安を心よりお祈り申し上げます。 
【北海道胆振東部地震】
LinkIcon第2報 北海道教区の状況
【大阪北部地震】
LinkIcon第4報 高槻第一教会のため
【西日本豪雨災害】
LinkIcon災害支援対策ニュース①
LinkIcon災害支援対策ニュース②
LinkIcon災害ボランティアご案会

青少年委員会


 
 

  

 

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