胎児から成人までの一貫した教案誌 個人的な学び・家庭集会にも最適

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 このコーナーは聖書の光の子どもデボーション (子どもだけでなくてもいいのですけれど…)のページをそのまま載せてあります。自由にコピーしてフリガナをつけたり、文字の大きさを変えたり、言い方を変えたり、 みなさんのクラスの子どもたちに合わせてアレンジして使ってください。

 

 75歳で神さまに従ったアブラム。神さまと一緒に生きるアブラムの生活は、夢を与えられ、時間をかけてかなえられていく歩みでした。

6月27日(日)創世記十五1

 神さまはアブラムの盾になるから、何も恐れることはないといわれました。神さまがアブラムの前に立って、どんな攻撃からもアブラムを隠し守ってくださるのです。さらには、神さまがアブラムから始まってアブラムの子孫へと受け継がれていくすばらしい恵みを与えると約束されました。

6月28日(月)創世記十五2?3

アブラムには子どもがいません。子どもがいないのに、子や孫へと受け継がれていくものを与えられてもアブラムの後、だれがそれを受け継いでくれるでしょう。だからアブラムはもう後継ぎとして別の人を考えていました。

6月29日(火)創世記十五4?6

神さまは子どものいないアブラムに、星の数ほどの子孫を与えると大きな約束を与えられました。だからアブラムが考えている人を後継ぎにする必要はないのです。自分の考えを越えた神さまのびっくりするような言葉にアブラムはワクワクしました。自分の子どもをちゃんと後継ぎにできるのです。その約束をアブラムは信じました。そういうアブラムを神さまは、あなたは正しい人だ、私の心にかなう人だと受け入れられました。

6月30日(水)創世記十五7

神さまの約束は、この地をアブラムに与えるということでした。まだ子どもは一人もいないし、ここには他の人々が住んでいて、アブラムの土地はありません。でも星の数ほどの子孫が与えられ、数えきれない人が住む土地が与えられるのです。

6月31日(木)創世記十五8?11

 神さまはその約束をどうやって進めていくのでしょうか。アブラムは契約のしるしとして動物を用意しました。契約を結ぶとき、どうやってアブラムがこの地を受け継ぐことができるのかを聞くことができるのです。アブラムは動物を狙ってやってくる鳥を追い払いながら神さまを待ちました。

7月1日(金)創世記十五12?16

 アブラムはカルデヤのウルという町から神さまによって導き出されました。神さまは、アブラムの子孫もまた奴隷という苦しみを乗り越えてエジプトから導き出され、この土地を与えられると言われました。アブラムが生きているうちに起こるのではなく、もっともっと長い時間をかけた神さまの計画でした。

7月2日(土)創世記十五17?20

 夜の暗闇の中で、神さまの炎が、アブラムの裂いた動物の間を通られました。こうして、今はいろいろな人々が住んでいるこの地をあなたの子孫に与えるという神さまとアブラムの契約が結ばれました。 

 時々テレビで、90歳を超えたおじいちゃんやおばちゃんが、畑仕事や草刈りをして、元気に働いているのをみます。果たして90歳を超えた私たちはどうなっているでしょうか。想像するのはちょっと難しいかもしれませんね。

7月5日(日)創世記十七1~8

神さまは、アブラムが神さまを信じて従うなら、神さまはアブラムを祝福するという契約を結ばれましした。子孫が与えられること、多くの国民の父となること、そして名前をアブラハムにしなさいということでした。子どものいないアブラムが多くの人の父と呼ばれるようにまでなるのです。99歳と、驚くような年齢ですが、神さまについていく人生は、いつまでも希望にあふれています。

7月6日(月)創世記十七9~14

神さまとアブラハムとそしてその子孫との間に約束した契約のしるしとして、アブラハムとアブラハムの家にいる男の人たちはみんな割礼を受けることになりました。神さまとの約束を忘れないために体にしるしをつけたのです。

7月7日(火)創世記十七15~19

アブラハムは神さまの約束を信じられずに笑ってしまいました。「こんな年寄りに子どもなど産めるはずがない」と。でも神さまは約束されました。サライは祝福されて子どもを産み、新しい名前の通り、多くの人の母「サラ」になると。そして子どもの名前も「イサク」と決まっています。まだ形もなにもないのに。人が「そんなの絶対ムリ」と思うようなことでも、神さまの約束は必ず果たされます。

7月8日(水)創世記十七20~21

アブラハムにはサラの召使いハガルによって生ませた男の子がいました。イシマエルです。イシマエルももちろん神さまから祝福されます。けれども神さまが、アブラハムに約束した子孫はイサクです。イサクがアブラハムと神さまとの契約を受け継いでいくのです。

7月9日(木)創世記十七22~27

 アブラハムは、自分もイシマエルも、家にいるすべて男の家来たちと一緒に、割礼を受けました。こうして彼らは神さまを信じて生きる家族となりました。私たちは洗礼を受けて、神を信じる家族とされます。

7月10日(金)創世記十八1~8

 イスラエルでは、旅人が通りかかる時には、迎え入れてもてなすのがあたりまえでした。だからアブラハムも3人の旅人を迎え入れて、ごちそうを用意してもてなしたのです。もちろん、それが神さまの使いであることは知りません。

7月11日(土)創世記十八9~15

 旅人の言葉にサラは笑ってしまいました。おばあさんの自分が子どもを産むなんてありえないと。でも神さまのなさることには、ありえないも、不可能もないのです。

 神さまは私たちに、神さまをとことん信じてほしいと願っておられます。そして時々、私たちに信じるためのテストをされることがあります。それにしてもアブラハムの受けたテストはとっても難しい問題でした。

7月12日(日)創世二十二1~2

神さまの言葉にだれだって耳を疑うでしょう。どうしてそんなことを求めるのでしょう。愛する子どもイサクを、動物のいけにえと同じように、祭壇の上で焼いて神さまにささげなければならないのです。神さま、どうしてですか?それだけはできません。そう言いたいことです。

7月13日(月)創世二十二3

アブラハムは何も言いません。ただ朝早く起きて、イサクと二人の若者を連れてでかけました。みんなは何も知らず、礼拝に向かいました。今私たちに神さまは決して子どもを殺してささげなさいとは言われません。でも神さまの言われたとおりにすることがとても難しくつらい時があります。

7月14日(火)創世二十二4~5

礼拝の場所が見えると、二人の若者とろばを途中で待たせました。そしてアブラハムは言いました。「二人で礼拝したらまた戻ってくるから」。アブラハムは信じていました。たとえイサクをささげても、また二人で戻って来ることになると。

7月15日(水)創世二十二6~8

イサクはずっと不思議でした。たきぎはあるのに、肝心のささげものがないのです。お父さんはどうするのだろう。ついに聞きました。「ささげる子羊はどうするの?」。「神さまが用意してくださるよ」。アブラハムは心がはりさけそうな中で、でも神さまにはお考えがあるのだからと、そう信じて答えたのです。

7月16日(木)創世二十二9

 アブラハムはイサクを縛って祭壇の上に載せました。イサクはやめて!と言わなかったのでしょうか。抵抗しなかったのでしょうか。きっと静かにお父さんに従ったのでしょう。何も言わないお父さんを信じて、全てをまかせたのでしょう。

7月17日(金)創世二十二10~12

 アブラハムがイサクを殺そうとしたその瞬間、天使が「アブラハム、アブラハム、やめなさい!」と止めました。ぎりぎりのところでイサクは守られました。アブラハムが本当に心から神さまのことを信じていることがわかったから、神さまはもうそれでいいと言われたのでした。

7月18日(土)創世二十二13~14

 アブラハムはイサクの代わりに、神さまが用意してくださった雄羊をささげました。アブラハムは本当にイサクをささげました。それはアブラハムのすべてをささげたのです。すべてをささげたら、神さまもすべてを与えてくださいます。主の山には用意されているからです。

 アブラハムが神さまからいただいた約束は、イサクに受け継がれました。今度は長男のエサウに受け継がせるのが普通です。でもヤコブは自分がそれをいただきたいとずっと狙っていました。

7月19日(日)創世二十七1~10

お母さんのリベカにはびっくりさせられます。お兄さんがもらうものをヤコブに横取りさせようとするなんて。お母さんとヤコブが二人してお父さんをだまし、お兄さんを出し抜く計画です。お父さんに嘘がわかってしまったら大変です。でもお母さんはエサウではなく、ヤコブに受け継がせたかったのです。

7月20日(月)創世二十七11~17

毛深いエサウと反対に肌がすべすべのヤコブ。お父さんが触ったらすぐにヤコブだとわかってしまいます。ヤコブはとってもためらいました。「私の言う通りにしなさい」とリベカは全部自分のせいにする覚悟を決めていました。なんとしてでもヤコブに祝福を受け取らせたかったのです。

7月21日(火)創世二十七18~25

ヤコブはドキドキしながら料理を運びました。イサクは、声も違うし、ずいぶん早く鹿を仕留めて料理をもってきた息子を怪しく思います。でも毛皮で覆われたヤコブの手に、エサウの毛深い腕だとだまされたイサクは、ヤコブをエサウだと信じてしまいました。

7月22日(水)創世二十七26~29

イサクからヤコブに授けられた祝福は、ヤコブのおじいさんのアブラハムが神さまから与えられた約束の言葉です。他のだれよりも偉大な者、祝福された者とされるという約束です。ばれたらどうしようとドキドキしていたヤコブでしたが、ついにずっとほしいと願っていたものを受け継ぎました。

7月23日(木)創世二十七30~35

 エサウが、何も知らないでお父さんに料理を運んで来た時、イサクは驚き、激しいショックを受けました。体が激しく震えました。それは昔双子のエサウとヤコブが生まれる前、「兄は弟に仕える」と言われた神さまの言葉を思い出し、これは神さまのなさったことだと気づいたからかもしれません。

7月24日(金)創世二十七36~38

 エサウは怒りでどうにかなりそうでした。祝福なんて一つだけじゃないでしょう、とも思いました。でももうどうすることもできないと言われてしまいました。アブラハムからイサクが受け継いだ神さまとの関係をエサウは受け継ぐことはできませんでした。

7月25日(土)創世二十七39~40

 兄に告げられた言葉は、「あなたは弟に仕える」でした。それはヤコブが受け継いだ、アブラハムに与えられた約束や使命は、エサウにはないのです。でもやがてヤコブを通してエサウとエサウの子孫も祝福されるのです。

 あなたは、だれかのことをものすごく怒ったときは、どうやってその怒りを沈めますか。反対にもしだれかをものすごく怒らせてしまったら、あなたならどうしますか。

7月26日(日)創世二十七41~46

エサウはヤコブが憎くてたまりません。「いつか殺してやる!」それを知ったお母さんのリベカはヤコブを守るため、エサウの怒りがおさまるまでの間、ヤコブを逃がすことにしました。ヤコブは祝福を受けましたが、兄の怒りを買い、心にはいつも取り返しのつかないことをしたと思いを抱えて生きることになりました。

7月27日(月)創世二十八1~5

ヤコブは親戚の家からお嫁さんをもらいに行くことにして、エサウから逃げることになりました。自分をだましたのにイサクはヤコブを祝福しました。「神さまに祝福され、多くの子どもが与えられ、偉大な人となれ」。

7月28日(火)創世二十八6~9

エサウのお嫁さんたちはカナン人です。でもヤコブはお母さんの親戚からお嫁さんをもらいに行ったので、両親が自分のお嫁さんを良く思っていないと知りました。またしても自分はなんだか不利なのです。少しでもお父さんに気に入ってもらいたいと、エサウはお父さんの親戚からお嫁さんをもらうことにしました。

7月29日(水)創世二十八10~12

ヤコブは一人ぼっちでした。祝福を受けたのに、逃げることになり、大事な家族を失いました。寂しくて、心細かったでしょう。するとその晩夢を見ました。天と地がつながったはしごがありました。そして天使たちがそのはしごを上ったり下りたりしていました。ヤコブは一人ぼっちではありませんでした。

7月30日(木)創世二十八13~15

 ヤコブははじめて神さまと一人でお会いしました。神さまはヤコブに約束されました。「私はあなたがどこに行っても守る。あなたはまたここに帰って来る。私はあなたを決して見捨てない」。お父さんを騙しお兄さんを出し抜いて奪った祝福なのに、神さまはそれを惜しみなくヤコブに与えると約束されました。

7月31日(金)創世二十八16~17

 人をだまし出し抜いてでもほしいものを手に入れたヤコブ。そんなヤコブを祝福される神さまとお会いして、ヤコブは心が震えました。神さまは自分とともにいてくださるのです。この場所はヤコブにとって大事な場所となりました。

8月1日(土)創世二十八18~22

 ヤコブはここに記念碑を立て、ベテルと呼びました。そしてヤコブは決意しました。「私はあなたを私の神とします。いつまでも私とともにいて私を守り、いつか父の家に帰らせてください。そしてあなたに感謝をささげることができますように」。

 兄エサウの怒りを買い、家を出てから20年。ヤコブは家族と故郷へ帰ってきました。果たしてお兄さんはゆるしてくれるのでしょうか。

8月2日(日)創世三十二1~2

ヤコブはずっと不安でした。お兄さんの祝福を奪ったことをゆるしてもらえないかもしれないと。すると旅の途中で天使がヤコブの前に現われました。「わたしはあなたとともにいるから故郷に帰りなさい」と言われた神さまが、天使が守っていることを示して、ヤコブを励ましてくださいました。

8月3日(月)創世三十二3~5

ヤコブは人をやって、お兄さんのエサウに、自分が帰って来たことを伝えました。ヤコブが帰ってくると知ったら、お兄さんはどうするだろうか、果たしてお兄さんは受け入れてくれるだろうか。お兄さんの反応を知りたかったのです。

8月4日(火)創世三十二6~8

ヤコブは、エサウが四百人を連れてヤコブたちを出迎えようと向かっていると知りました。四百人で!ヤコブはびっくりし、怖くなりました。もしかしたら、四百人で襲うつもりかもしれません。もし襲われても誰かが生き残れるよう、2つのグループに分けました。

8月5日(水)創世三十二9~12

ヤコブはまだまだ不安でした。お兄さんが怖くてたまりませんでした。だから神さまにお祈りしました。「私は神さまの恵みを受け取るにはふさわしくない者です。けれども今までおじさんのもとでたくさんの恵みをいただきました。どうぞ、エサウ兄さんからも救ってください。神さまが約束してくださったように、私と家族を守ってください」。

8月6日(木)創世三十二13~21

 ヤコブはさらに考えました。「お兄さんに羊やラクダをたくさんプレゼントしよう。心がやわらいで、優しく迎え入れてくれるかもしれないから」。多くの家畜を3つのグループにわけて、順番にお兄さんの前に出して、心がなごんだところで、最後にヤコブが会う作戦です。それでもまだ不安はとれませんでした。

8月7日(金)創世三十二22~25

 見知らぬ人との戦いは神さまとの戦いでした。神さまが守ってくださると信じるのか、それともお兄さんを怖がり続けるのか。自分だけでがんばり続けるのか。いつまでも勝負が決まらなかったので、神さまはヤコブの足に怪我をさせて、戦えなくさせました。

8月8日(土)創世三十二26~32

 ヤコブは神さまから新しい人となる祝福をいただきました。「押しのける者ヤコブ」から「神と戦う」「神に守られた者イスラエル」とされました。足をひきずって歩くようになったヤコブ。でももう不安はありません。神に守られた者イスラエルとして生きるからです。

 ヤコブの家族には困った問題がいろいろありました。神さまは不思議です。問題のない家族を見せて、このようになりなさいと言われないようです。問題がないようになりなさいということではなく、問題を乗り越えていける道、救いの道を教えてくださっているのです。

8月9日(日)創世三十七1~4

だれだって、自分より他の兄弟姉妹のだれかが可愛がられていたら、嫌な気持ちになります。みんな自分だって愛されたいからです。でもヤコブはヨセフばかり可愛がるし、えこひいきするので、他の兄弟たちはヨセフのことが妬ましく、憎らしく、嫌いでした。やがてこのことが、家族みんなを長い間苦しめる出来事となりました。

8月10日(月)創世三十七5~11

ヨセフが見た夢は、兄弟たちを怒らせました。なぜならお兄さんたちやお父さんよりもまるでヨセフが偉い人になるかのような夢だったからです。こんな夢を聞いたら、ヨセフはますますお兄さんたちに憎まれるだけです。でもこの夢には神さまの大きな計画が隠されていました。

8月11日(火)創世三十七12~20

兄たちは思いました。「ヨセフを殺そう。死んだらヨセフのあの生意気な夢はどうなるだろう」。ヨセフなんていなくなってしまえばいい。そうすれば、お父さんは自分たちをもっと愛してくれるに違いない。妬みや憎しみは「あの人さえいなければ」そういう思いになりやすいものです。

8月12日(水)創世三十七21~24

一番上のお兄さんのルベンによって、ヨセフは殺されずにすみました。けれども穴に投げ込まれてしまいました。ヨセフはお兄さんたちがどんなに自分のことを憎んでいたかを知りました。きっと心は悲しさと怖さでいっぱいだったでしょう。

8月13日(木)創世三十七25~28

 「ヨセフを奴隷として売ってしまおう」。奴隷に自由はありません。自分をお金で買ったご主人の言う通りにするのです。まさか兄弟にそんなふうにされるとは、ヨセフの心はどんなに深く傷ついたことでしょう。

8月14日(金)創世三十七29~32

 ルベンはヨセフを救うことができませんでした。そして他の兄弟たちとともに、お父さんに嘘をつきました。ヨセフの服に血をつけて獣に殺されたのだと。ヤコブが昔父親をだましたように、今度はヤコブが息子たちにだまされてしまいました。

8月15日(土)創世三十七33~36

 兄たちはヨセフがいなくなってせいせいしたでしょうか。ヨセフを思って嘆くばかりの父を見て、兄たちは、自分たちがしてしまったことの後悔で長く苦しむことになりました。しかしヨセフと家族たちのこの苦しみは、やがて家族の救いに変えられるのです。

 奴隷にされ、牢屋に入れられたヨセフ。神さまが守ってくださるなら、そんな目に合わないはずじゃないの?と私たちは思います。でも神さまがともにおられるということは、どんなことも乗り越えさせてくださるということです。

8月16日(日)創世四十1~15

ヨセフは神さまから、夢の意味を知って説明する力を与えられていました。給仕役の長は、王さまの飲み物をつぐ仕事をする人です彼のが見た夢の意味は、罪がゆるされ、もとの仕事に戻ることができるということでした。そこでヨセフはその人に、自分が牢屋から出られるようにしてほしいとお願いしました。

8月17日(月)創世四十16~20

夢の意味を解けたら、なんだか得意な気持ちになりそうです。でもいつも良い意味だとは限りません。料理役の長の夢は、罪がゆるされないで、死刑にされるというものでした。それを伝えなければいけないのは、とても言いづらくて、嫌だったでしょう。そしてヨセフは残念ながら忘れられてしまいました。

8月18日(火)創世四十一1~14

2年後にエジプトの王さまが夢をみました。2つの夢は7つの太ったものが7つのやせたものに食べつくされてしまうという怖い夢でした。王さまは、この夢が何か大事なことを教えてくれると思いましたが、だれも解き明かすことができませんでした。

8月19日(水)創世四十一9~24

この時やっと給仕役の長はヨセフのことを思い出しました。「王さま、いい人がいます」。王さまによばれて、ヨセフは牢屋からでることができました。ヨセフは夢を解き明かすのは神さまだと王さまに説明しました。夢を解く力を自分の力として自慢することはありませんでした。

8月20日(木)創世四十一25~36

 「これから7年間たくさん作物ができます。その後の7年は全く作物ができず、大飢饉になります。だから一番賢い人に、国中の作物を集めさせていろいろな所に蓄えさせてください。そうすれば大飢饉にも困りません」。ヨセフは夢を解き明かし、またこれからどうしたらよいのかも伝えることができました。

8月21日(金)創世四十一37~45

 王も家来たちもヨセフの言ったことがすばらしいと思いました。そして王さまはヨセフに国中の作物を集めて蓄える仕事を任せました。王さまは、ヨセフには確かに神さまがついていることがわかったからです。

8月22日(土)創世四十一33~36

ヨセフの子どもマナセの意味は「忘れる」です。今までの悲しいこと苦しいことを忘れさせるほど神さまは恵みを与えてくださいました。エフライムは「実る」意味です。ヨセフは何も持っていなかったのに、豊かにされました。

 エジプトの周りの国も大飢饉で食べるものがなくなりました。みんなエジプトに食べ物を買いに集まるようになりました。その中にヨセフの兄たちもいたのです。ヨセフを兄たちが拝んだのは、昔ヨセフが見た夢、兄たちの束がヨセフの束にお辞儀をした夢の実現でした。

8月23日(日)創世四十二18~25

ヨセフは兄たちをわざとスパイだと疑いました。兄弟の様子を伺おうとしたのです。次に来る時まで、一人を人質にしました。兄たちはヨセフを奴隷として売ってしまった罰だと言い出しました。「あの時ヨセフを苦しめたから」。兄たちの言葉に、ヨセフは一人になって泣きました。お兄さんたちが、後悔していることがわかりました。

8月24日(月)創世四十三26~34

兄たちが末っ子のベニヤミンを連れてやってきました。自分の家の食事に招待し、ごちそうをふるまいました。ヨセフは自分と同じお母さんから生まれた弟ベニヤミンを見て、胸がいっぱいになりました。だれにもわからないようにまた泣きました。

8月25日(火)創世四十四1~13

ヨセフは兄たちを試すための仕掛けをしました。兄弟たちは楽しい食事をし、食べ物をたくさん買うことができ、後はお父さんのもとへ帰ろうと出発したところでした。よりによってベニヤミンの袋からヨセフの杯がみつかってしまったのです。無事に連れて帰らなかったら、もうお父さんは生きてはいられないでしょう。

8月26日(水)創世四十四14~34

ユダはお父さんを思い、ベニヤミンを守るため、自分がベニヤミンの代わりになると言いました。もうこれ以上お父さんを苦しめたくありません。昔ヨセフを売ろうと言ったユダが、今は家族を守るために自分を差し出す人になっていました。

8月27日(木)創世四十五1~5

 ついにヨセフは自分の正体を明かしました。「わたしはヨセフです」。お兄さんたちはびっくりしました。ヨセフは仕返しをしようとしているのではと怖くなりました。でもヨセフは言いました。「私をエジプトに売ったことをもう後悔しないでください。神さまがみんなを救うために、先に私をエジプトに送られたのです」。

8月28日(金)創世四十五6~8

 ヨセフは兄たちに売られたことを思うたびに悲しかったり、辛かったりしたでしょう。でも今それは神さまの計画だったとわかりました。家族を救うために、先に私は送られたのだ、すべては神さまがされたことだったのだと。

8月29日(土)創世四十五9~15

「お父さんと家族みんなでエジプトに住みましょう。そうすればこの大飢饉を生き延びることができます」。ヨセフはすべての兄たちと仲直りしました。

 日本の昔はどうだったのかな。学校はいつできたのかな。そういう昔から今に続いているいろいろなことを歴史と言います。昔のことを知ることは、今の生活にもいろいろな知恵をもらえます。今の自分にたくさんのことがつながっていることを知ることができます。

8月30日(日)出エジ一1~7

ヨセフの家族がエジプトに移り住んでから、ずいぶんたちました。ヨセフも、兄弟たちもみんな死にました。そして最初は70人だったのに大勢になりました。大飢饉の時にみんなが生き残れただけでなく、エジプトでも神さまが祝福してくださったので、イスラエル人として大きくなりました。

8月31日(月)出エジ一8~14

エジプトの新しい王さまは、どうしてイスラエル人がエジプトに住むようになったのか、ヨセフのことも知りません。それよりもどんどん増えるイスラエル人が怖くなりました。このままではエジプトをイスラエル人に乗っ取られてしまうかもしれません。イスラエル人を奴隷にしてこき使いました。

9月1日(火)出エジ一15~22

パロは助産師に恐ろしい命令をくだしました。イスラエルの女の人が男の子を産んだなら、殺しなさいと言ったのです。命令に背いたらどんな罰が待っているでしょう。けれども助産師二人はパロよりも神さまの思いを大事にしました。だから、命令に従わなかったのです。神さまは二人を祝福されました。

9月2日(水)出エジ二1~3

パロは「イスラエル人に男の子が生まれたらナイル川に投げ込め」と恐ろしい命令をだしました。でもかわいい子どもにそんなことできません。ある家のお父さんとお母さんは赤ちゃんを隠していましたが、隠しきれなくなりました。そこで赤ちゃんを水の入りにくいかごにいれて、ナイル川の葦の上に置きました。

9月3日(木)出エジ二4~6

 そのかごを見つけたのはパロの娘でした。でもかごの中の赤ちゃんを見ると「イスラエル人の子だ。かわいそうに」と思ったのです。パロの命令に背いて、なんとその赤ちゃんを育てることにしました。

9月4日(金)出エジ二7~9

 赤ちゃんのお姉さんがずっと様子を見ていました。そしてパロの娘に言ったのです。「この赤ちゃんにおっぱいを飲ませることができる人がいますよ」。こうして赤ちゃんは、死なないですみました。それどころか本当のお母さんによって、しばらく育てられたのです。

9月5日(土)出エジ二10

水の中から引き出された赤ちゃんは「モーセ」と名づけられ、パロの娘の子どもとして育てられました。イスラエルの男の赤ちゃんは殺せといったパロのそばでしたが、一番安全な場所でした。

 自分がやる気があっても、今はまだだよ、と言われることがあります。モーセが、自分がイスラエルを助けたい、役に立ちたいと思った時は、まだ神さまの時ではありませんでした。

9月6日(日)出エジ二11~15

モーセは自分がイスラエル人だと知っていました。だからエジプト人にいじめられているイスラエル人を助けたかったのです。だからといって人を殺していいはずはありません。喜ばれなかったし、受け入れてもらえませんでした。それどころか、殺人犯として逃げることになったのです。

9月7日(月)出エジ二16~22

モーセは正義感が強く、いじめられている人を放ってはおけない人でした。娘たちが一生懸命ためた水を横取りして、自分たちの羊に与えようとするずるい羊飼いたちに、黙っていられませんでした。彼らを追い払い、祭司の娘たちを助けたのです。エジプト王の追っ手もここまではきません。彼はそこで結婚し安全に生活する場所をみつけました。

9月8日(火)出エジ二23~25

奴隷のイスラエルはエジプトで苦しみ続けていました。そして神さまに助けを求めて叫び続けていました。するとエジプト王が死に、新しい王が立てられる時になりました。それはイスラエルの祈りと叫びに応えて、神さまがイスラエルを救い出す神さまの時でした。

9月9日(水)出エジ三1~6

羊飼いをしていたモーセは山でびっくりすることを見ました。しばの木が火で燃えているのに、木がなくならないのです。近づこうとすると声が聞こえてきてさらにびっくりしました。それは神さまでした。「ここに近づくな。ここは聖なる所だ」「足から靴をぬぎなさい」と言われました。モーセは神さまと初めてお会いしました。神さまは羊飼いをやめて、神さまに従うようにと言われました。

9月10日(木)出エジ三7~12

 神さまはイスラエルの人々を救う仕事をモーセにやってもらいたいと言われました。もうモーセにはそんな気持ちは全くありませんでした。それなのに神さまが今だと言われたのです。神さまがともにいるからあなたはそれができると言われました。

9月11日(金)出エジ三13~15

 神さまの名前は、「わたしは、有って有る者」です。「アブラハム、イサク、ヤコブとともにいて、イスラエルとそしてあなたとともにいる者」そういう名前のお方です。

9月12日(土)出エジ三16~22

神さまは、イスラエルの人々の奴隷の苦しみ、悩みを知っておられました。そこから出させて、すばらしい地へ連れて行ってくださるのです。パロはすぐには手放さないけれども、神さまの力強い腕によってちゃんと救い出すと約束されました。

 神さまがエジプトに10の災いを与えました。エジプト人は次々とくる災いに苦しめられましたが、10番目は最初に生まれた子どもがみんな死んでしまうという、一番辛く悲しい災いでした。パロは、神さまに守られたイスラエルを恐れ、ついにもう出ていってくれと言ったのです。

9月13日(日)出エジ十四5~9

イスラエルの人々は得意げにエジプトを出て行きました。ところがすぐにパロの心が変わりました。奴隷を手放すなんてもったいないと。六百の戦車や全ての軍隊でイスラエルを追いかけたのです。これはイスラエルの人々が神さまを本当に信じるようになるため、そしてパロが徹底的に神さまに降参するための方法でした。

9月14日(月)出エジ十四10~12

追いかけてくるエジプト軍を見て、イスラエルの人々の心が凍りました。自由になれたと思ったのに、結局ここで殺されるのか。みんなは一斉にモーセに文句を言いました。「エジプトから出るんじゃなかった。俺たちはだまされた」。人々はモーセも神さまも信じられなくなりました。

9月15日(火)出エジ十四13~14

目の前に「ああ、もうだめだ」と思えるようなことが迫っている時、私たちはどうしたらいいのでしょう。モーセは言いました。「主が戦ってくださるから信じて黙っていなさい」。イスラエルの人々だけではなく、文句ばかり言って騒いでしまいがちな私たちです。でも主が戦われることを信じて黙る時、救いを見させていただけるのです。

9月16日(水)出エジ十四15~18

神さまはモーセに、杖を海の上に差し伸べるように言われました。そうすれば、海がわかれて人々が道を歩いて渡れるのです。道がない、進めないと思うところに、神さまは道を造られるのです。さらについてくるエジプト軍に神さまの裁きがなされるのです。

9月17日(木)出エジ十四19~20

 イスラエルの人々の先頭には天使がいました。また雲の柱が導いていました。エジプト軍が迫ってくると、天使と雲の柱が間に立ったので、エジプト軍は近づくことができなくなりました。

9月18日(金)出エジ十四21~25

 モーセが海の上に手を差し伸べると、海がふたつに別れました。人々はその真ん中にできた道を歩いて渡ることができました。しかしついてきたエジプト軍は途中で動けなくなりました。自分たちが戦っているのは神さまで、勝てないことを知りました。

9月19日(土)出エジ十四26~31

エジプト軍はモーセによって戻された海の水に覆われて滅びました。イスラエルは確かに神さまの救いを見ました。海に死んだエジプト人の姿は、奴隷生活が終わったことを教えてくれました。

 神さまとイスラエルは契約を結びます。契約というのは、神さまはイスラエルの神さまとして、イスラエルを祝福し、救い続けてくださるという約束です。だからイスラエルは神さまだけを信じ従うという約束をするのです。

9月20日(日)出エジ十九1~2

エジプトを脱出して三ヶ月目になりました。イスラエルの人々はシナイの荒野にやってきました。目の前にはシナイ山が見えます。シナイ山は、昔モーセが神さまと初めてお会いした燃えるしばの木を見たところです。これからいよいよイスラエルの人々も神さまとお会いするのです。

9月21日(月)出エジ十九3~6

イスラエルの人々がエジプトを脱出するために、神さまがエジプト人にしたことをイスラエルは見ました。そしてイスラエルを救う数々の神さまの働きが、まるで鷲の翼にのせたかのように持ち運んでくださいました。だからこれからも神さまを信じ、神さまの言葉に従うなら、イスラエルは神さまの宝物とされるのです。

9月22日(火)出エジ十九7~8

この言葉を聞いたイスラエルのリーダーたちは、「神さまの言われたことをみな行います」と、神さまの言葉に従うことを約束しました。ずっと神さまはイスラエルの神さまでしたし、イスラエルも神さまを信じてきました。これからもです。

9月23日(水)出エジ十九9~15

いよいよ三日後に人々は神さまとお会いします。会うと言っても神さまを直接目で見ることはできません。神さまが近くにおられることを示してくださるのです。きよいお方に会うために、体と服を洗ってきよめます。注意しなければならいのは、モーセ以外は合図があるまで誰も山に登ることはできません。きよい神さまを見ることは生きていられないからです。

9月24日(木)出エジ十九16~17

 三日目の朝、人々は神さまにお会いするため山のふもとに立ちました。目に見えない神さまがシナイ山におられるしるしが見えました。山の上にかみなりと稲妻と厚い雲がそのしるしです。ラッパの音が聞こえると、人々は神さまがおられることに恐れを感じました。

9月25日(金)出エジ十九18~20

 けむりと地震でさらに神さまがおられることがわかりました。モーセが神さまに従いますと語ると、神さまはかみなりで応えられました。強い揺れと大きな怖い音。神さまが確かにおられるのです。こうして、神さまとイスラエルの契約が結ばれました。

9月26日(土)出エジ十九21~25

神さまはモーセがシナイ山に登っている間、勝手に登ってこないようにと念を押されました。人々が神さまの言葉に従わず、神さまに裁かれてしまうことがないためでした。

 「~してはいけません」と言われると、窮屈な気持ちになることがあります。では神さまがイスラエルに与えた十戒は窮屈な規則なのでしょうか。

9月27日(日)出エジ二十1~2

奴隷の生活には自由はありません。やりなさいと言われたことをなんでもして、主人の言うままに働くのが奴隷なのです。イスラエルの人々は長い間、奴隷としてエジプトに苦しめられました。神さまはそこからものすごくたくさんの人々をごっそり助け出したのです。自由に生活できる人にしてくださったのです。

9月28日(月)出エジ二十3~6

私たちは自分のいいなりに動いてくれる家来のような神さまをほしがります。だから自分で神さまを作ったり、いろいろなものを神さまにして拝んだりします。自分の思い通りにしてくれないと神さまじゃないと思ったりするのです。でも私たちを救う神さまはイスラエルをエジプトから救い出した神さまで、人が神さまを作ることはできないのです。

9月29日(火)出エジ二十7~11

自分に都合の悪い時、神さまを使って神さまのせいにしないことです。また奴隷には休みがありません。何かに囚われてしまうと、私たちも奴隷になってしまいます。ゲーム、お金、だれかへの怒り、仕事。なんでもやりすぎたり、やめられなくなったりするのです。だから安息日は、それらから離れてただ神さまに会う時間、礼拝をささげる時を持つことが必要なのです。

9月30日(水)出エジ二十12

「父と母を敬いなさい」とありますが、人の愛はたとえ親でも、不十分なことがあります。だから敬えないと悩むこともあるでしょう。でも神さまの愛は、私たちの心をいっぱいにして、溢れるほどです。神さまの愛は私たちが、親を敬うことも助けてくださいます。

10月1日(木)出エジ二十13~14

 「殺すな」とは、人を殺すことは恐ろしいことだとだれもが知っています。でも私たちの言葉が、また行動が、まるで人の心を殺すように傷つけてしまうことがあります。「姦淫するな」とは、結婚生活だけでしていいことがあります。それを大事にしないなら、自分たちも周りも苦しみ傷ついてしまいます。

10月2日(金)出エジ二十15~17

 「盗む」こと、「むさぼること」は、自分にないものをなんでもほしがることです。また「偽証」することはだれかについてうそを言って、その人の生活を壊したり、悪者にしたりすることです。

10月3日(土)出エジ二十1~20

十戒は窮屈な規則ではありません。神さまを愛し、人を愛して生きるようにという命令です。なぜなら、それが私たちの心が一番安心し、喜んで生きられる道だからです。