胎児から成人までの一貫した教案誌 個人的な学び・家庭集会にも最適

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 このコーナーは聖書の光の子どもデボーション (子どもだけでなくてもいいのですけれど…)のページをそのまま載せてあります。自由にコピーしてフリガナをつけたり、文字の大きさを変えたり、言い方を変えたり、 みなさんのクラスの子どもたちに合わせてアレンジして使ってください。

 イエスさまは逮捕されて、裁判にかけられてしまいました。イエスさまがどんな悪いことをしたのか調べるためです。でもどんなに調べても、イエスさまに罪はありません。

3月17日(日)マルコ十五1〜5

 イエスさまの罪は、自分のことをユダヤ人の王とした、ということでした。ユダヤ人を支配しているのはローマ皇帝です。それなのに、自分を王とすることは、皇帝に逆らうことです。だからイエスさまは大きな罪を犯したと言われました。イエスさまを妬む人々にとっては、どんな手を使ってもイエスさまを死刑にしたかったのです。

3月18日(月)マルコ十五1〜5

 ローマの総督ピラトは、イエスさまが本当に悪いのか調べました。でもイエスさまが「私は悪くない」と、自分を守るようなことを何も言わないので、不思議でたまりませんでした。イエスさまはもう十字架に向かうことを決めていたので、自分を守る必要はなかったのです。

3月19日(火)マルコ十五6〜10

 ピラトには、イエスさまが訴えられているのは、妬みのためだとわかっていました。だからイエスさまをゆるしたいと思いました。ピラトから見ても、ユダヤ人リーダーのしていることは明らかに、妬みからだとわかるようなことだったのです。神さま、私たちが妬みで心がいっぱいになりそうな時に、妬みに支配されないようにどうぞ助けてください。

3月20日(水)マルコ十五11〜13

 ピラトのところには大勢の人々が押しかけてきていました。祭司長たちは彼らに「バラバを許せ」と、ピラトに訴えさせました。彼らはさらにイエスさまを「十字架につけろ」と叫びました。大勢の人々からいっせいに言われたら怖いですね。大勢の声には力があります。もし間違った意見なのに、力を持つならば、それはとても恐ろしいことです。正しいことができなくなるからです。

3月21日(木)マルコ十五14〜15

 ピラトには、イエスさまが十字架にかけられるような悪いことを、何一つしていないことがよくわかっていました。ところが群衆の激しい叫びはどんどん強くなりました。ピラトは正しいことを行う力を持っていたのに、群衆の声に負けて、正しいことを行うことをやめてしまいました。

3月22日(金)マルコ十五15

 神さま、恐れや不安で正しいことができなくなる私たちです。どうぞ、正しいことを行う勇気と力を与えてください。

3月23日(土)マルコ十五16〜20

 ローマの兵隊たちは、死刑になったイエスさまをバカにして、ひどくいじめました。イエスさまを十字架につけたのは、私たちみんなの妬み、人を下にみてバカにする心、ずるい思い、自分勝手な心の罪でした。

 今週は、金曜日にイエスさまが十字架につけられる受難週です。イエスさまが私たちのために苦しまれ、死なれたことを思い出してお祈りできたらいいですね。

3月24日(日)マルコ十五21〜24

 通りがかったばっかりに、シモンはイエスさまの十字架を担がされ、イエスさまと一緒にゴルゴタへ行きました。イエスさまはそこで十字架につけられました。息子たちの名前が書かれているので、きっとシモンは後でイエスさまを信じたのでしょう。シモンは十字架を担ぐことによって、救い主と出会ったのです。

3月25日(月)マルコ十五25〜27

 罪状書とは、その人がどんな悪いことをしたかが書かれるものです。イエスさまは、自分のことをユダヤ人の王と言ったとされて、罪があると裁かれました。でも罪状書は「ユダヤ人の王と言った人」ではなく、「ユダヤ人の王」でした。まさに人々が「ユダヤ人の王」を十字架につけてしまったと示すことになりました。

3月26日(火)マルコ十五28〜32

 通りがかりの人も、祭司長や律法学者たちも、そして一緒に十字架につけられた人たちですら、イエスさまをののしりました。「自分を救ってみろ。」「十字架から降りてみろ。」イエスさまはできるのに、十字架からは降りませんでした。私たちを救うために、この苦しみを耐え忍んでくださったのです。

3月27日(水)マルコ十五33〜36

 辺りが急に暗くなりました。神さまもまた、イエスさまの十字架を深く痛み悲しんでおられたのです。その場にいるみんながこの暗さに、これは大変なことが起こっていると思いました。イエスさまが叫ぶ言葉によって、天から昔の預言者エリヤがやってきて、本当にイエスさまを救い出すかもしれないと思うほどでした。でも人々が期待する奇跡は起こりませんでした。神さまは別の奇跡を計画しておられたからです。

3月28日(木)マルコ十五37〜38

 イエスさまは本当に死んでしまいました。するとその時、神殿にあった神さまと人との間を隔てていた大きな垂れ幕が裂かれました。きよい神さまと罪人の私たちとの間の境目はもういらないという、神さまからのしるしでした。イエスさまによって罪が裁かれたからでした。

3月29日(金)マルコ十五29

 死なない奇跡ではなく、死んでいかれるイエスさまを見た百人隊長は、イエスさまを神の子と信じました。死を通して奇跡が起こりました。

3月30日(土)マルコ十五16〜20

 イエスさまを最後まで見守っていたのは、女の弟子たちでした。イエスさまは悪いことをした人として死刑にされたのです。だからその人の仲間がそこにいることは、とても勇気のいることでした。

 イースターおめでとうございます。イエスさまは、罪と死を勝ってよみがえられました。ハレルヤ!

3月31日(日)マルコ十六1〜6

 お墓の入り口を塞ぐ石がすでにどけられていたので、女の人たちは驚きました。さらに驚いたのは、お墓の中に二人の天使が座っていたことでした。でも一番驚いたことは、イエスさまの体がなかったことでした。イエスさまの体に香油を塗りに来たのに、女の人たちは塗ることができませんでした。その必要がもうなくなっていたのです。イエスさまがよみがえられたからです。

4月1日(月)マルコ十六7〜8

 天使たちはとてもすばらしいことが起こっていることを教えてくれました。でも女の人たちは、天使に会ったことが恐ろしくて、イエスさまが生きておられることを喜ぶことも、落ち着いて考えることもできませんでした。だからこのすばらしい知らせを伝えることができなかったのです。

4月2日(火)マルコ十六9〜11

 最初に生きておられるイエスさまにお会いしたのはマグダラのマリアでした。彼女はイエスさまが生きておられることを弟子たちに伝えました。ところが弟子たちは全く信じることができませんでした。死んだが人が生き返ることはあり得ないと思っていたからです。

4月3日(水)マルコ十六12〜13

 田舎に向かって歩いていた二人の弟子も途中でイエスさまとお会いしました。最初は、イエスさまだとは全くわかりませんでした。イエスさまの姿が十字架の前とは違って見えたのです。彼らも弟子たちに伝えに行きましたが、信じてもらえませんでした。死の力より神さまの力の方が強く、大きいとは思えなかったのです。

4月4日(木)マルコ十六14

 十一人の弟子たちはイエスさまに会って初めて信じることができました。イエスさまは彼らのことを、「頑固だなあ」と言われました。イエスさまは死んで、生きているはずがないと思い込んでいたからです。神さま、あなたにはできないことがないことをいつも思い出させてください。自分の頑固な思い込みから自由にしてください。

4月5日(金)マルコ十六15〜18

 出て行ってだれかにイエスさまのことを伝えるのはとても勇気が必要です。でも伝えていくための必要な力も与えてくださいます。イエスさま、私たちにも、イエスさまのことを伝える勇気と力をください。

4月6日(土)マルコ十六19〜20

 イエスさまは天にお帰りになられましたが、弟子たちが、出て行っていろいろな国の人々にイエスさまを伝えました。イエスさまが彼らといつも一緒におられ、どんな時も彼らはイエスさまを伝える力をいただいて進みました。

 使徒言行録は、医者のルカが、テオフィロというローマの国の偉い人に読んでもらうために書いたものです。でももちろん、ルカはいろいろな人に読んでもらいたいと思っていました。だから2000年後の私たちにまで届けられました。

4月7日(日)使徒一1〜2

 ルカはイエスさまのことを書きました。それがルカの福音書です。そして使徒言行録はその続きの話です。イエスさまが天に帰られた後、今度は聖霊なる神さまの力を受けた使徒たちが、イエスさまのことを伝えました。ルカは、イエスさまは目に見えなくても、聖霊を通して使徒や信じた人たちと共にいてくださり、力を与えてくださることを書いたのです。

4月8日(月)使徒一3

 よみがえられたイエスさまは、40日後に天に帰られます。だからこれからは使徒たちだけで、人々に「イエスさまを信じて、神の国に入れていただこう」と伝えていくのです。彼らにそんな勇気や力があるでしょうか。でもイエスさまは弟子たちに最後まで「神の国」のことを教えられました。彼らが聖霊の力を受けて、やっていけると知っておられたからです。

4月9日(火)使徒一4〜5

 イエスさまは弟子たちに、「聖霊を受けるまで、エルサレムで祈って待っていなさい」と強く言われました。イエスさまがいなくなってしまったら、弟子たちは怖くてたまらなくなるでしょう。でも、神さまからの聖霊が与えられると、彼らは変えられるのです。力と勇気で満たされるのです。だから大丈夫なのです。

4月10日(水)使徒一6〜8

 ペトロたちはいよいよイエスさまがイスラエルの王様になって、「神の国」ができると思っていました。ローマの国から自由になるのが神の国だと思っていたのです。でもイエスさまの言われる「神の国」とは違うことがわかりませんでした。聖霊の力によって初めて、イエスさまの言われたことが本当にわかるようになるからです。

4月11日(木)使徒一6〜8

 聖霊は、弟子たちだけでなく、信じる私たちの心にも住んでくださいます。弱い私たちの心を強くして、弟子たちのようにイエスさまのことを伝える力を与えてくださいます。4月12日(金)使徒一9〜11イエスさまは天に上げられて、今は神さまのそばにおられます。でもイエスさまはもう一度おいでになるのです。神さま、イエスさまがまた来てくださることを待ちながら、イエスさまのことを他の人にも伝えることができますように。

4月13日(土)使徒一12〜14

 聖霊を待っていた人々の中には、イエスさまのお母さんのマリアだけでなく、昔は反対していた弟たちも心を合わせて祈る仲間になっていました。

 ペトロとヨハネは、生まれた時から歩けなかった男の人を、イエスさまの名前で歩けるようにしました。イエスさまの力が二人を通して働いたのです。

4月14日(日)使徒四1〜3

 神殿で働いている祭司やサドカイ派の人たちは、死んだ人がよみがえることを信じていません。だからイエスさまがよみがえられたとか、イエスさまが男の人を歩けるようにしたとかと言って、二人がイエスさまを伝えるのはがまんできませんでした。しかし二人を逮捕しても、聞いた人たちがイエスさまを信じることを止めることはできませんでした。みんなイエスさまに希望があると思ったからです。

4月15日(月)使徒四4〜7

 ユダヤ人のリーダーたちが集まって、ペトロとヨハネを調べ始めました。「権威」というのは、命令したとおりにさせる力のことです。「歩け」と言ったら歩けるようにさせた力が、一体どこからきたのか知ろうとしたのです。4月16日(火)使徒四8〜12悪いことをした人のように逮捕され、調べられることは、こわいことです。でも聖霊の力がペトロを満たして強くしました。だからペトロはイエスさまによってこのことをしましたと言って、イエスさまが救い主であると伝えました。

4月17日(水)使徒四13〜18

 ユダヤ人リーダーたちから見たら、二人は普通の人なのに聖書を教えたり、奇跡を行ったりできたことが不思議でたまりませんでした。でもこのまま二人がイエスさまを伝え続けることは、ユダヤ人たちにとっては困ることです。二人をどうやって止めることができるでしょうか。彼らは二人に、もしまたイエスについて伝えたら、処罰すると脅しました。

4月18日(木)使徒四19〜22

 ユダヤ人リーダーたちにとっては、神さまはすばらしいと、喜んでほめたたえている人たちがいるので、ただ二人を脅すことしかできませんでした。でも二人は「私たちは神さまに従います。イエスさまのことを伝えていきます。」と言って、どんなに脅されても心は変わりませんでした。

4月19日(金)使徒四23〜30

 ペトロとヨハネの報告を聞いた仲間たちは、イエスさまのことを伝える人はだれでも、逮捕されることを覚悟しました。そして心を一つにしてお祈りしたのです。脅されても、堂々とイエスさまを伝えられるように、イエスさまの名前で病気を直したり、人々助けたりする奇跡を行えるようにとお祈りしました。

4月20日(土)使徒四31

 祈っていたみんなが聖霊に満たされ、堂々と神様の言葉を語り出しました。神さま、私たちはこういう時、心が恐れでいっぱいになってしまいます。どうぞ私の心も恐れでなく聖霊で満たしてください。

 ステファノは聖霊と知恵に満ちていたので、彼に反対するユダヤ人たちが、彼を困らせようとしても、だれも彼の知恵にはかないませんでした。それで、ステファノが悪いことをしたとうそを言って逮捕したのです。

4月21日(日)使徒七51

 私たちはどんな時にがんこになりますか。間違っていることを認めたくない時。だれかに負けたくない時。そういう時は、何を言われても聞くことができません。神さま、私たちはがんこです。どうぞがんこな私たちが、神さまの言葉を聞けるように、聖霊によって変えてください。

4月22日(月)使徒七52

 イスラエルの昔の時代から、イエスさまの時代まで長い間、人々はがんこで、預言者が神さまから受け取って伝えてくれる、神さまの言葉を聞こうとしませんでした。そしてそのようながんこな心が、神の子イエスさまを十字架で殺してしまったのです。

4月23日(火)使徒七53

 律法は、神さまからまずユダヤ人に与えられた、神さまと人、人と人との決まり事です。みんなが好き勝手なことをしていたら世界はめちゃくちゃになってしまいます。だからみんなが、神さまを信じ、人と愛し合い、助け合いながら生きていくための掟が与えられました。ユダヤ人はそれを守って、世界の人にも、神さまを信じ、神さまの言葉を守っていくことのすばらしさを伝える役目があったのです。でも守ることができませんでした。

4月24日(水)使徒七54

 裁判する人たちは、自分たちが神に逆らっていると言われて、怒りが激しく燃え上がりました。みんな神さまに従ってきたし、正しく生きてきたと思っていました。だからステファノの言うことを受け入れられませんでした。歯ぎしりするほどに悔しさといまいましさで、ステファノを懲らしめたい思いでいっぱいになったのです。

4月25日(木)使徒七55〜58

 聖霊によってステファノには、神さまとその右に立っておられるイエスさまが見えました。ステファノは何も悪くないのに、ねたみで殺される時が近づいていました。そんな彼を天国でイエスさまが迎えようと立ち上がっておられたのです。

4月26日(金)使徒七55〜58

 ユダヤ人にとって、ステファノの言った「神さまが見える」は、彼を死刑にさせる言葉でした。本当はねたみでいまいましかったから石を投げたのです。神さま、ねたみで恐ろしい罪を犯してしまわないように助けてください。

4月27日(土)使徒七59〜60

 ステファノは、死ぬ前に自分を苦しめる人々のために祈りました。その祈られた人の中に、イエスさまを信じる人を苦しめていた人から、イエスさまを伝える人になったパウロもいました。

 イエスさまとイエスさまを信じる人たちに反対して苦しめてきたサウロが、イエスさまを信じて伝える人になりました。イエスさまの奇跡でした。

4月28日(日)使徒九1〜9

 サウロはイエスさまも、イエスさまを信じる人々も、神さまに背いたうそつきで、間違っていると思っていました。そういう人は懲らしめて、信じる人がいなくなるようにしなくてはならないと思っていたのです。だからイエスさまの天からの声を聞いた時、本当にショックでした。自分の方が間違っていたからです。

4月29日(月)使徒九1〜9

 まぶしい光で目が見えなくなったサウロは、三日間、食べることも飲むこともできませんでした。自分が今までしてきたことは大きな間違いで、自分が神さまに背いていたのだと知り、ただただ神さまにごめんなさいと祈り続けることしかできなかったのです。

4月30日(火)使徒九10〜17

 アナニアは神さまから言われたことを最初は「はい」と言えませんでした。サウロが多くのイエスさまを信じる人たちを逮捕して、ひどく苦しめてきたからです。でも不思議なことに神さまは、そんな敵のようなサウロを、イエスさまを伝える人に選ばれました。そこで神さまの「行け」という言葉にアナニアは従いました。

5月1日(水)使徒九17〜19

 アナニアはサウロのことを「兄弟」と呼んでお祈りしました。イエスさまを信じる仲間としてサウロを受け入れたのです。お祈りしてもらうと、サウロの目を見えなくしていたうろこのようなものが落ちました。また見えるようになった目で、今度はイエスさまを救い主として見るようになりました。

5月2日(木)使徒九19〜22

 あんなに反対していたサウロがイエスさまを信じて「イエスさまこそ、神の子です」と伝え始めたから、みんなびっくりしました。サウロは神さまに熱心に従う人です。だから今度はイエスさまが正しいお方だと知ったので、聖霊の力を受けて、イエスさまを伝えることに熱心になりました。

5月3日(金)使徒九23〜25

 今までサウロが、信じる人々を逮捕し、殺そうとする人だったのに、今度はサウロが、殺そうとねらわれる人になりました。ユダヤ人にとっては力のあるサウロによって信じる人が増えることはこわいことでした。

5月4日(土)使徒九26〜31

 最初サウロは、イエスさまを信じたことを、なかなか信じてもらえませんでした。無理もないことです。でもバルナバのおかげで、弟子の仲間になることができました。教会にとって、自分たちを苦しめてきた人が、イエスさまを信じ、伝える人になったことは、神さまの大きな恵みで、とても励まされたのでした。

 教会を迫害する力がどんどん強くなりました。迫害というのは、イエスさまを信じることはいけないことだと言って、逮捕したり、殺したりして信じる人を苦しめることです。

5月5日(日)使徒十二1〜3

 教会のリーダーの一人であるヤコブが殺されてしまいました。イエスさまに反対するユダヤ人たちは、イエスさまを信じる人たちはいない方がいいと考えていました。だからユダヤ人たちに認めてもらうために、ヘロデ王がヤコブを殺したのです。神さま、自分の得のために人を傷つける罪ある私たちです。どうぞ、そうしてしまう時に気づかせてください。そして止める力を与えてください。

5月6日(月)使徒十二4〜5

 次にはペトロが逮捕されました。ペトロは教会の一番のリーダーです。教会にとってとても厳しいことでした。でも教会の人たちは、神さまに全てを任せて、ペトロのためにお祈りしました。助けに行くことができなくても、神さまにお祈りできることは、私たちの大きな力です。

5月7日(火)使徒十二6〜11

 ペトロは牢屋の奥の奥に入れられ、鎖に繋がれていました。そして見張の兵隊の間に挟まれていました。どう考えても牢屋から出られないはずでした。でも天使に起こされたペトロは、天使についていき、気づいたら牢屋の外に出ていました。神さまが教会の祈りに答えて救ってくださいました。またペトロにはまだ生きて働く使命があったのです。

5月8日(水)使徒十二12〜15

 ペトロの声を聞いて、うれしすぎてドアを開け忘れて、先にみんなに知らせに行ったロデの様子が目に浮かびます。でもその時もみんなで祈っていたのに、ロデの言うことをだれも信じなかったのはどうしてでしょうか。先にヤコブが殺されたので、ペトロもきっと助からないという思い込みがあったのです。神さま、どうぞ思い込みで見てしまう私たちの心の目を開いてください。

5月9日(木)使徒十二16〜17

 みんなはペトロを見て驚きました。もう助からないと思い込んでいたのに、目の前に立っていたからです。神さまが天使を遣わしてくださったことを聞いて、神さまのなさることを喜んだことでしょう。神さまがどんなことでもできるお方であることを、いつも忘れないでいられますように。

5月10日(金)使徒十二18〜19

 ペトロがいなくなったため、ヘロでは番兵たちを殺しました。でも彼らのせいではないのです。神さまの力を認めないヘロデにはわかりませんでした。

5月11日(土)使徒十二20〜24

 神さま、私たちもヘロデのように高ぶり、神さまよりも自分を偉くする心があります。どうぞへりくだらせてください。

 迫害を受けることは、苦しく辛いことですが、イエスさまを信じる人々は迫害されても他の町でイエスさまのことを伝えて行きました。苦しみによってイエスさまがさらに広く伝えられていくチャンスになったのです。

5月12日(日)使徒十一19〜21

 ステファノが殺された後、イエスさまを信じる人たちはますます迫害されるようになりました。そこで多く人が、危険なエルサレムを離れバラバラになりました。でもアンティオキアという外国の町まできた人たちは、その町の人たちにイエスさまを伝えました。すると多くの人がイエスさまを信じました。彼らは迫害されて苦しみにあいましたが、神さまが共にいてくださり、新しい場所に教会が始まったのです。

5月13日(月)使徒十一22〜24

 エルサレムの教会に、アンティオキアにも教会ができたと知らせが入りました。そこでエルサレム教会から 代表してバルナバがアンティオキア教会を見にいくことになりました。バルナバは、確かに外国の人たちもイエスさまを信じて喜んでいる姿を見て、うれしく思いました。そして、どんな時もイエスさまから離れないでいようと彼らを励ましました。

5月14日(火)使徒十一25〜26

 バルナバはさらに、サウロを連れてきて一緒にアンティオキア教会の人々を教えました。それまでイエスさまを信じる人たちは「この道の者」と呼ばれていましたが、アンティオキア教会の人たちが初めて「キリスト者」(クリスチャン)と呼ばれるようになりました。外国で「イエスさまの弟子」と見られるようになったのです。

5月15日(水)使徒十三1〜3

 アンティオキア教会で、みんなが礼拝し、お祈りしていると、聖霊なる神さまが言われました。「バルナバとサウルは、救い主を伝えに他の国に出ていきなさい。」こうして二人は教会から送り出されました。私たちも、神さまの自分への言葉を聞きたいなら、礼拝すること、聖書を読んでお祈りすることを続けることが大切なのです。

5月16日(木)使徒十三4〜8

 魔術師エリマは、総督をだまして自分の言うことを信じさせようとしていた人でした。私たちは魔術が使えたらすごいと思います。でも神さまは魔術よりもっと力があります。でもエリマにはまだ、自分が神さまに対抗できないことがわかりませんでした。

5月17日(金)使徒十三9〜12

 聖霊はパウロを通して、神さまの力を示されました。エリマは目が見えなくなって、自分の魔術がたいしたことはないことを知りました。

5月18日(土)使徒十三9〜12

 総督は、魔術をはるかに超えた神さまの言葉の力に驚きました。神さまの力が本物だと信じました。

 聖霊は、イエスさまのかわりに来られた神さまの霊です。私たちと共にいてくださるお方です。

5月19日(日)使徒二1〜4

 ペンテコステのお祭りの日に、集まって祈っていた弟子たちの上に、聖霊は降りました。イエスさまが天に帰られて10日後のことでした。聖霊によって一人一人に力が与えられ、勉強したことのない外国語でイエスさまが救い主だと、語り出しました。聖霊はイエスさまを伝えるために私たちに力を与えてくださるお方です。

5月20日(月)使徒二5〜13

 ペンテコステのお祭りのために、エルサレムにはたくさんの人が集まっていました。中には、外国で生まれ育ったユダヤ人も大勢いました。弟子たちが自分の生まれ育った国の言葉で話しているイエスさまの話は、よくわかり心に響いてきたので、とても驚きました。聖霊は聞く人にもわかるように助けてくださるのです。

5月21日(火)使徒二14〜21

 ペトロは十一人の使徒と立ち上がって、不思議そうに見ている大勢の人々に話し始めました。「私たちはお酒に酔っているのではありません。これは、すべての人に、神さまの聖霊を注いでくださるという、あのヨエルが預言した神さまの約束が今日起こったことなのです。」聖霊はペトロの信じる心を強め、勇気を持って堂々とみんなに語る力を与えていました。

5月22日(水)使徒二22〜24

 ペトロは続けて言いました。「イエスさまこそ救い主です。神さまは、あなたがたがイエスさまを十字架で殺すことをそのままにされました。そして神さまは、イエスさまを死から復活させられました。それが私たちを救うための神さまの計画だったのです。」

5月23日(木)使徒二25〜28

 昔のイスラエルの王ダビデは、救い主が死んで終わらないことに希望を持って詩にしています。私たちにとって死は怖いですが、だれもさけられません。でもイエスさまはその死に打ち勝ってよみがえられたので、私たちももう死んで終わりではなくなりました。

5月24日(金)使徒二29〜36

 イエスさまが一緒におられたときは、ペトロや他の使徒たちは、なかなかイエスさまの言われることがわかりませんでした。でもペトロたちは聖霊によって、イエスさまの言われてきたことや、十字架でしてくださったことがよくわかり、伝えることができたのです。「イエスさまこそ救い主です」と。

5月25日(土)使徒二37〜42

 聖霊は聞いていた人々の心にも働いていました。みんなこのままではいけないと罪を悔い改めて、洗礼を受け、イエスさまを信じる仲間になりました。私たちが信じることも、イエスさまについて知ることも、聖霊の助けによるのです。

 イエスさまの救いは途絶えることなく語り継がれ、今の私たちにまで届きました。

5月26日(日)使徒十三13〜15

 パウロとバルナバの伝道旅行には、助手のヨハネがいました。しかし大変な旅だったのでしょう。一人で帰ってしまいました。仲間が抜けてしまうことは残念なことでしたが、二人は旅を続けアンティオキアまで来ました。そしてイエスさまを伝えるためにいつものようにまずユダヤ人の礼拝堂に行きました。

5月27日(月)使徒十三16〜25

 イスラエルは神さまと一緒に生きるように選ばれました。世界中の人がイスラエルを見て、神さまが共におられることが、安心で喜んで生きられることを知らせるためでした。そして神の子イエスさまが人となって生まれてくださり、イスラエルの人たちと一緒に生きてくださり、もっと近くで神さまの愛がわかるように示してくださいました。

5月28日(火)使徒十三26〜32

 イスラエルの預言者たちが預言していた通り、ユダヤ人たちはイエスさまをねたんで十字架で殺してしまいました。しかし神さまはイエスさまを死んだ人々の中から復活させました。そして復活したイエスさまが弟子たちに会って、生きておられることを示されたました。だから弟子たちはそれを見た証人としてイエスさまを伝えているのです。

5月29日(水)使徒十三33〜41

 イエスさまは私たちと同じ人間として死なれました。でも神さまが約束されていた通り復活されました。そして「あなたの罪はもうゆるされた」と言ってくださったのです。だからイエスさまを信じる人は罪がゆるされ神の子とされて、神さまと正しくつながれるのです。

5月30日(木)使徒十三42〜43

 パウロが話したイエスさまのことを聞いた人たちは、イエスさまのことをもっと聞きたいと思いました。だから次の安息日にも同じことを話してほしいとパウロにお願いしたのです。自分たちにとって関係のないと思っていたイエスさまが、本当の救い主だと知ったからです。

5月31日(金)使徒十三44〜47

 安息日にほとんど町中の人が会堂に集まるぐらいですから、イエスさまのことをみんな知りたいし、信じたいと思ったのでしょう。しかしここでもまたパウロたちをねたんだユダヤ人たちが邪魔をしてきました。そのため彼らは、いただけるはずの神さまの恵みを受け取ることができませんでした。

6月1日(土)使徒十三48〜52

 パウロたちは、これからはユダヤ人ではなく、外国人にイエスさまを伝えることにすると言いました。ユダヤ人でなければ救われないと思っていた人たちは、自分たちも救われることを知って喜び、イエスさまを信じました。

 多くの人をイエスさまに導いたパウロも、アテネではあまりうまく行きませんでした。

6月2日(日)使徒十16〜18

 私たちの日本では人が作った偶像や、自然、動物などが神様として信じられています。私たちは目に見えるものの方がしんじやすいからです。アテネも町中に偶像が置いてありました。パウロはとても悲しくなり、イエスさまが本当の神さまだと伝えなければ、という強い思いでいっぱいになりました。

6月3日(月)使徒十七16〜18

 パウロは毎日ユダヤ人にも、アテネに住むユダヤ人以外の人にも、イエスさまこそ本当の神さまだと伝えました。聞いた人たちは、本当の神さまとはなんだろうと言い合ったり、復活する人がいるなんて聞いたことがないけれど、そんなことが本当にあるのかと、パウロの話に興味を持ち、意見を言いあったりしました。

6月4日(火)使徒十七19〜21

 パウロは、アレオパゴスというアテネのリーダーたちの議会に話をするようにと連れて行かれました。パウロが伝えているイエスさまの復活と救いは、今までアテネの人が聞いたことのない不思議な教えでした。パウロがイエスさまをアテネのリーダーたちに伝える良い機会が与えられたのです。

6月5日(水)使徒十七22〜25

 パウロは、アテネの人たちが知らないけれども拝んでいる神さまについて話を始めました。「あなたがたが知らないけれど拝でいるのは、世界のすべてを造られた神さまです。世界を造られお方ですから、私たちの神殿にはおさまりきらないお方です。そして人のお世話も必要ありません。神さまが私たち人間を造り、命を与え、世話をしてくださっているからです。」

6月6日(木)使徒十七26〜29

 神さまは、神さまを知りたいと探し求める人に答えてくださるお方です。私たちは神さまに造られたものなので、神の子であり、神さまの中に生かされているのです。神さまに造られた私たちには神さまを造ることはできないのです。だから人が、石や金や銀などで作ったどんなものも生きた神さまではないのです。

6月7日(金)使徒十七30〜31

 神の子イエスさまは私たちの罪のために、私たちと同じ人間として死なれました。しかし死者の中から復活されて、私たちの罪がゆるされるようにしてくださいました。だから私たちは本当の神さまでないものを拝んできたことを悔い改める必要があるのです。

6月8日(土)使徒十七32〜34

 残念ながら多くの人が、死者からの復活の話を、あまりにも不思議で理解できないことだと思い、それ以上は聞くのをやめてしまいました。それでも信じた人もいたことは、アテネの希望となりました。

 パウロは伝道旅行を終えて、エルサレムに向かいました。パウロにはそれがとても危険な旅になるとわかっていましたが、さらにローマまで行く使命も与えられていました。

6月9日(日)使徒二一1〜6

 ティルスの町にいたイエスさまを信じる弟子たちは、聖霊に教えられて、パウロにエルサレムへ行くのは危険だからやめたほうがいいと伝えました。けれどもパウロたちは旅を続けることにしました。弟子たちは別れの日、家族みんなで見送りにやってきて、みんなで神さまにお祈りをして別れました。弟子たちは危険だとわかっていても進むパウロを祈りによって支えました。

6月10日(月)使徒二一7〜16

 カイサリアでも、預言者アガボに告げられました。「聖霊が教えてくださった。パウロさん、あなたはエルサレムで逮捕されてしまう。」これを聞いて旅の仲間もみんなでパウロを止めました。危険を避けてもいいはずです。でもパウロの心を変えることはありませんでした。パウロは神さまを信じて、どんな目にあっても与えられた使命を果たす覚悟を決めていたからです。

6月11日(火)使徒二一7〜16

 聖霊によって仲間たちはパウロを止めました。パウロが聞き入れようとしないので、仲間たちはパウロのことを頑固にすら思ったかもしれません。でもパウロは聖霊がこの先の危険を繰り返し告げてくださることを通して、彼の進むことを止めようとされているのではなく、自分の力ではなく、ただ神さまに信頼して進むことを心に刻んだのです。

6月12日(水)使徒二一七17〜26

 エルサレムに着くと、パウロたちはエルサレム教会の人たちに、多くの外国人がイエスさまを信じた恵みを報告しました。みんな神さまを崇めました。教会のリーダーのヤコブは、パウロのことを勘違いしている人々に、パウロの正しさをわかってもらうための提案をしました。それはとてもいい提案に思えました。

6月13日(木)使徒二一27〜30

 神殿の中でパウロは逮捕されてしまいました。あるユダヤ人たちが、パウロがしてはいけないことを神殿でしていると勝手に思い込んだからです。パウロのことを、神さまの教えに背くことを教える人だという目でしか見ていかなかったからです。

 6月14日(金)使徒二一31〜36

 群衆を巻き込んだ大きな騒ぎとなっていましたが、多くの人はなぜパウロが逮捕されたのか、わかりませんでした。悪人という間違った思い込みがパウロを殺そうとしていました。

 6月15日(土)使徒二一37〜40

 パウロはローマの軍隊によって助け出されました。軍隊の大隊長は、パウロに話すチャンスをくれました。パウロの命は守られました。

 パウロは逮捕されましたが、大勢の人々の前でイエスさまについて話す機会を与えられました。

6月16日(日)使徒二二1〜5

 パウロは大勢の人の前で、自分のことを話しました。パウロはエルサレムで育ち、ユダヤ教の有名なガマリエル先生のところで、厳しく教えを受けて、とても熱心に神さまに従ってきました。そしてパウロは、先頭に立って、イエスさまを信じる人々を迫害し、苦しめた人だったのです。聞いている人々は不思議に思いました。そんなパウロが今は反対にイエスを伝えているのはなぜなのかと。

6月17日(月)使徒二二6〜11

 ダマスコにいるイエスの弟子たちを逮捕しようと向かう途中で、パウロは天からの光を受け、イエスさまの声を聞きました。パウロは、それまでイエスはとんでもない犯罪人だと思っていたのに、天からの声を聞いて、本当の救い主だと知りました。これからどうしたらいいのかわからなくなりました。反対していたイエスさまに聞くしかありませんでした。

6月18日(火)使徒二二12〜16

 目の見えなくなったパウロのためにアナニアは祈って目を見えるようにしてくれました。アナニアは、これからパウロがどう生きたらいいのかを伝えました。「神さまはあなたを、イエスさまを伝える証人に選ばれました。」神さまは反対者であったパウロに新しい生きる道を与えられました。

 6月19日(水)使徒二二17〜21

 パウロは神殿でお祈りしていた時、イエスさまの言葉を聞きました。パウロは自分がイエスさまを信じる人の迫害者であったので、ユダヤ人たちにそこから変えられたことを伝えるのがいいと思っていました。しかしイエスさまはパウロの考えとは違っていました。パウロを外国人に伝える人にされたのです。

6月20日(木)使徒二二22〜29

 大隊長は群衆の激しい声に、パウロの何が悪いのか、ムチでうって取り調べようとしました。しかしローマの市民であることが大隊長にわかると、彼は態度を変えました。ローマの市民には特権があり、パウロを守りました。

6月21日(金)使徒二二30

 パウロの何が悪いのか、大隊長は確かなことを知りたいと思いました。叫ぶ人々の言葉を鵜呑みにしないで、ちゃんと調べることにしたのです。パウロはユダヤ人の議会でもイエスさまを話すチャンスを与えられました。

6月22日(土)使徒二三1〜11

 パウロが話す「死者が復活する希望」は、復活を信じる人と信じない人のいるユダヤ人議会を分裂させました。混乱した議会からパウロは大隊長によって助け出されました。さらにイエスさまの「ローマでも証しをせよ」と言う言葉が、パウロを励ましました。

 パウロが牢獄に入れられて2年が経ちました。ローマの総督たちでは裁判が進まなかったので、パウロはローマ皇帝に裁判をしてもらうことにしました。そこでパウロと仲間たちは船でローマへ向かいました。

6月23日(日)使徒二七1〜12

 船が「良い港」についた時、もう冬になっていました。パウロはみんなに、「このまま進むのは命まで危ない目にあうから、ここで冬を過ごしましょう」と言いました。冬の海は荒れて危険なのです。しかしパウロよりも、海のことをよく知っている船長が、大丈夫だと言った言葉が信用されました。神さま、私たちが本当に聞くべき言葉を聞くことができますように。

6月24日(月)使徒二七13〜20

 良い風が吹いてきたので、今がチャンスと思って船出しました。しかしすぐに天気が悪くなり暴風に巻き込まれてしまったのです。何日も嵐が続くので、みんなはもう助からないと思いました。どんなに怖く辛いことだったでしょう。そしてパウロの言葉を聞けばよかったとどんなに後悔したことでしょう。

6月25日(火)使徒二七21〜26

 一人だけ希望を捨てないでいられた人がいました。パウロです。パウロは、みんなに言いました。「私の言った通りにしていたら、このような大変な目には合わなかったでしょう。でも元気を出してください。私の信じている神さまが、私たちは全員助かると言われました。」パウロがいることはみんなの希望になりました。

6月26日(水)使徒二七21〜26

 神さまはパウロに「恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない」と言われました。この言葉はどんなにパウロを勇気づけ元気にさせたことでしょうか。パウロは必ず皇帝の前に立つと神さまが約束してくださったからです。今は激しい嵐の中で、何もできなくても、必ずそこから助け出していただけるのです。

6月27日(木)使徒二七27〜32

 海の上を流されるままに過ごしましたが、ついに陸地に近づいているのが感じられました。船員が逃げ出そうとできるほど安全なところにきたのです。神さまの言われた通りみんな無事でした。

6月28日(金)使徒二七33〜38

 パウロは神さまによって助かることを確信していました。そこで生きるためにご飯を食べようと提案しました。そして感謝のお祈りをして食べ始めたのです。そこでみんなも久しぶりのご飯を食べて、元気になりました。

6月29日(土)使徒二七39〜44

 せっかく助かったのに、兵隊たちは囚人を逃さないために殺そうとしました。パウロを助けるため百人隊長は、兵隊たちを思いとどまらせました。こうして一人も命を落とさずに、全員上陸できたのです。

 パウロたちにとって、死を覚悟した嵐から生き延びて、打ち上げられた島で親切に受け入れてもらえたことは、本当にありがたいことでした。

6月30日(日)使徒二八1〜6

 親切な島の人たちは、体が濡れて寒くなっていたパウロたちのために、焚き火を焚いて体をあたためられるようにしてくれました。しかし島の人たちは驚くようなことを見ました。パウロが毒蛇に噛まれたのに、何も起こらないまま、平気でいることでした。でもそれはパウロが神さまなのではなく、神さまに守られているからでした。

7月1日(月)使徒二八7〜10

 パウロは島の長官プブリウスの父親をはじめ、島の病人たちのために祈って、癒してあげました。島の人たちはパウロによって、大きな喜びと慰めをもらいました。そしてイエスさまを信頼し、聖霊の力によって病を癒すパウロとその仲間たちのことをとても尊敬しました。島の人たちに希望をもたらしたからです。パウロたちは嵐で多くを失いましたが、船出するときには、島の人たちによって必要なものが満たされました。

7月2日(火)使徒二八11〜15

 3ヶ月、島で冬をゆっくりと安全に過ごした後、ついにローマに着きました。神さまの約束通り、命が守られてローマにこられたのです。そしてローマにいるイエスさまを信じる仲間と会うことができ、パウロはとても勇気づけられました。イエスさまを信じるもの同士の交わりは何よりの慰めでした。

7月3日(水)使徒二八16

 ローマでパウロは家に住みました。囚人なので、番兵が見張っていました。でも牢獄ではなかったので、家で自由に人と会うことができ、イエスさまのことを伝えることができました。

7月4日(木)使徒二八17〜22

 パウロは、ローマにまではパウロを悪く言うような話は届いていないことを知りました。ローマのユダヤ人は、イエスさまを信じる人々が至るところで反対されているので、パウロたちが伝える教えが本当かどうかを知りたいと思っていました。

7月5日(金)使徒二八七23〜28

 パウロはローマでもいつものように、まずはユダヤ人にイエスさまを伝えました。一日中家にやってくる人に、聖書を通して、神の国のことと、預言されていた救い主はイエスさまだと説明しました。信じる人もいれば信じない人もいました。神さま、なかなか聞くことのできない私たち心の耳を開いてください。

7月6日(土)使徒二八30〜31

 パウロはどこへ行っても反対者によって邪魔をされることが多くありました。でもローマでは二年間、だれにも邪魔をされることなく、自由に、神の国の希望と、イエスさまの救いを伝え続けました。