このコーナーは聖書の光の子どもデボーション (子どもだけでなくてもいいのですけれど…)のページをそのまま載せてあります。自由にコピーしてフリガナをつけたり、文字の大きさを変えたり、言い方を変えたり、 みなさんのクラスの子どもたちに合わせてアレンジして使ってください。
パウロが牢獄に入れられて2年が経ちました。ローマの総督たちでは裁判が進まなかったので、パウロはローマ皇帝に裁判をしてもらうことにしました。そこでパウロと仲間たちは船でローマへ向かいました。
6月23日(日)使徒二七1〜12
船が「良い港」についた時、もう冬になっていました。パウロはみんなに、「このまま進むのは命まで危ない目にあうから、ここで冬を過ごしましょう」と言いました。冬の海は荒れて危険なのです。しかしパウロよりも、海のことをよく知っている船長が、大丈夫だと言った言葉が信用されました。神さま、私たちが本当に聞くべき言葉を聞くことができますように。
6月24日(月)使徒二七13〜20
良い風が吹いてきたので、今がチャンスと思って船出しました。しかしすぐに天気が悪くなり暴風に巻き込まれてしまったのです。何日も嵐が続くので、みんなはもう助からないと思いました。どんなに怖く辛いことだったでしょう。そしてパウロの言葉を聞けばよかったとどんなに後悔したことでしょう。
6月25日(火)使徒二七21〜26
一人だけ希望を捨てないでいられた人がいました。パウロです。パウロは、みんなに言いました。「私の言った通りにしていたら、このような大変な目には合わなかったでしょう。でも元気を出してください。私の信じている神さまが、私たちは全員助かると言われました。」パウロがいることはみんなの希望になりました。
6月26日(水)使徒二七21〜26
神さまはパウロに「恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない」と言われました。この言葉はどんなにパウロを勇気づけ元気にさせたことでしょうか。パウロは必ず皇帝の前に立つと神さまが約束してくださったからです。今は激しい嵐の中で、何もできなくても、必ずそこから助け出していただけるのです。
6月27日(木)使徒二七27〜32
海の上を流されるままに過ごしましたが、ついに陸地に近づいているのが感じられました。船員が逃げ出そうとできるほど安全なところにきたのです。神さまの言われた通りみんな無事でした。
6月28日(金)使徒二七33〜38
パウロは神さまによって助かることを確信していました。そこで生きるためにご飯を食べようと提案しました。そして感謝のお祈りをして食べ始めたのです。そこでみんなも久しぶりのご飯を食べて、元気になりました。
6月29日(土)使徒二七39〜44
せっかく助かったのに、兵隊たちは囚人を逃さないために殺そうとしました。パウロを助けるため百人隊長は、兵隊たちを思いとどまらせました。こうして一人も命を落とさずに、全員上陸できたのです。
パウロたちにとって、死を覚悟した嵐から生き延びて、打ち上げられた島で親切に受け入れてもらえたことは、本当にありがたいことでした。
6月30日(日)使徒二八1〜6
親切な島の人たちは、体が濡れて寒くなっていたパウロたちのために、焚き火を焚いて体をあたためられるようにしてくれました。しかし島の人たちは驚くようなことを見ました。パウロが毒蛇に噛まれたのに、何も起こらないまま、平気でいることでした。でもそれはパウロが神さまなのではなく、神さまに守られているからでした。
7月1日(月)使徒二八7〜10
パウロは島の長官プブリウスの父親をはじめ、島の病人たちのために祈って、癒してあげました。島の人たちはパウロによって、大きな喜びと慰めをもらいました。そしてイエスさまを信頼し、聖霊の力によって病を癒すパウロとその仲間たちのことをとても尊敬しました。島の人たちに希望をもたらしたからです。パウロたちは嵐で多くを失いましたが、船出するときには、島の人たちによって必要なものが満たされました。
7月2日(火)使徒二八11〜15
3ヶ月、島で冬をゆっくりと安全に過ごした後、ついにローマに着きました。神さまの約束通り、命が守られてローマにこられたのです。そしてローマにいるイエスさまを信じる仲間と会うことができ、パウロはとても勇気づけられました。イエスさまを信じるもの同士の交わりは何よりの慰めでした。
7月3日(水)使徒二八16
ローマでパウロは家に住みました。囚人なので、番兵が見張っていました。でも牢獄ではなかったので、家で自由に人と会うことができ、イエスさまのことを伝えることができました。
7月4日(木)使徒二八17〜22
パウロは、ローマにまではパウロを悪く言うような話は届いていないことを知りました。ローマのユダヤ人は、イエスさまを信じる人々が至るところで反対されているので、パウロたちが伝える教えが本当かどうかを知りたいと思っていました。
7月5日(金)使徒二八七23〜28
パウロはローマでもいつものように、まずはユダヤ人にイエスさまを伝えました。一日中家にやってくる人に、聖書を通して、神の国のことと、預言されていた救い主はイエスさまだと説明しました。信じる人もいれば信じない人もいました。神さま、なかなか聞くことのできない私たち心の耳を開いてください。
7月6日(土)使徒二八30〜31
パウロはどこへ行っても反対者によって邪魔をされることが多くありました。でもローマでは二年間、だれにも邪魔をされることなく、自由に、神の国の希望と、イエスさまの救いを伝え続けました。
イスラエルにまだ王様のいない時代のことでした。困った問題が起こると、その度に神さまに選ばれたリーダーが、神さまから力をいただいてイスラエルの人々を救い出しました。ギデオンもその一人でした。
7月7日(日)士師六1〜6
イスラエルの人たちは神さまから離れて自分勝手に生活していました。そのため七年間ミデアン人に苦しめられていました。畑が荒らされ、家畜が奪われるので、イスラエルに食べるものがなくなり、とても苦しい生活をしていたのです。そこでやっとイスラエルの人々は神さまに助けてくださいとお祈りしました。神さま、私たちは、どんな時でも神さまから離れないで、祈ることができますように。
7月8日(月)士師六7〜10
イスラエルの人々は、昔エジプトで奴隷でした。そこから神さまが脱出させて、カナンの地に導いてくださったのです。でもいつの間にかカナンの地で信じられていた、偶像の別の神さまを拝むようになってしまいました。神さま、目に見えなくても私たちを愛し共にいてくださる神様を、私たちが信じていけるように助けてください。
7月9日(火)士師六11〜13
ギデオンは主の使いに正直な気持ちをぶつけました。「神さまが共におられるなんて信じられません。神さまが私たちを見捨てたから、私たちはこんなに苦しい目にあっているのです。」私たちも同じように思うことがあるかもしれません。でも私たちが苦しんだり悲しんだりするのは、神さまから見捨てられているからではないのです。
7月10日(水)士師六14〜18
神さまは、強い戦士ばかりいる氏族の人を選んだのではなく、弱く若いギデオンを選ばれました。そして「私があなたを遣わす。あなたと共にいるから大丈夫だ」と言われました。だからギデオンは自分のありったけの力で敵に立ち向かえばいいのです。必要なことは神さまに信頼することでした。
7月11日(木)士師六19〜24
神さまは恐れるギデオンに、「死なないから大丈夫だ」と語られました。ギデオンはほっとして祭壇を作り、神様を礼拝しました。彼は神さまが、遠く怖いお方なのではなく、共にいる平和のお方であることを知ったのです。
7月12日(金)士師六33〜35
ギデオンは神さまの霊に包まれました。神さまが一緒にいてくださり、リーダーとしての力と、戦いに必要な力を備えてくださったのです。
7月13日(土)士師六36〜40
ギデオンはそれでも心配で不安でした。神さまはそんなギデオンが本当に大丈夫だとわかるように彼が試すことを許しくださいました。神さまは私たちが信じることができない時、信じることも助けてくださるお方です。
ギデオンは兵隊を集めて、ミデヤン人と戦うための軍隊の陣営を作りました。いよいよ勝つための作戦を考えるのです。
7月14日(日)士師七1〜3
戦いには数の多い方が有利に思えます。そうでなくてもミデヤン人の方が遥かに多いのに、神さまは集まった兵隊は多すぎるから、怖い人は帰っていいと言われました。イスラエルは数の多さではなく、共におられる神様によって勝つからです。神さまだけに頼るために、兵隊は少なくていいのです。
7月15日(月)士師七4
神さまは、まだ兵隊の数が多いと言われました。もっと減らすためにだれを残すか、神さまが試験されることになりました。神様にとって大切なのは、人数ではなく、少なくても神さまが共にいれば、どんなに多くの敵が攻めてきても、勝たせてくださることを信じることなのです。
7月16日(火)士師七5〜8
神様の試験に合格したのは三〇〇人でした。ギデオンは不安にならなかったでしょうか。でも神さまの言われた通り、他の人々を家に帰らせました。これは神さまが本当に助けてくださるのかと、神さまを試したギデオンが、今度はまるで試されているかのようでした。兵隊の人数ではなく、私を信じなさいと。
7月17日(水)士師七9〜12
いよいよ作戦を決行する時がやってきました。神さまは「私は彼らをあなたの手に渡したからだ。」と言われました。しかし神さまは、その前にギデオンに敵の陣地にそっと入って、彼らが話しているのを聞くように言われました。そこで敵の陣地にやってきた彼らが見ると、敵の数は海辺の砂のようでした。それでも、ギデオンの恐れを勇気に変えるチャンスを神さまは与えてくださったのです。
7月18日(木)士師七13〜14
ギデオンは敵が見た夢の話と、それを聞いたもう一人の言葉を聞きました。「それはイスラエル人ギデオンが攻めてきて、われわれがやられてしまうと言うことじゃないか。神さまがミデヤン人をギデオンの手に渡されたんだよ。」神さまがすでに「あなたの手に渡した」と言われた言葉を今度は敵の口からもギデオンは聞いたのでした。
7月19日(金)士師七15〜18
ギデオンは神さまにひれ伏しました。神さまが勝利を与えてくださると確信しました。もう恐れはありません。ただ神さまの言葉を信じて進むだけでした。
7月20日(土)士師七19〜22
その夜、ギデオンたちは敵陣を囲んで、角笛を吹き鳴らし、水瓶を砕き、松明を照らして叫びました。暗闇の中で驚いた敵は、混乱し、イスラエルの剣ではなく、仲間同士で打ち合い、イスラエルに負けてしまいました。ギデオンたちは三百人で大勝利しました。
いよいよ夏休みですね。楽しい時となりますように。サムエルは子どものいなかったお母さんがお祈りして与えられた子でした。サムエルは神さまのために働くように、小さい時から祭司エリと生活していました。
7月21日(日)サム上三1
この頃、イスラエルの人々が神さまの言われることを聞こうとしないので、神さまは人々にあまり語られず、好き勝手にさせておられました。祭司エリの子どもたちは神さまのために働く祭司なのに、悪いことばかりしていました。神さま、心が高ぶると神さまの言葉や人の注意を聞けなくなります。どうぞへりくだって聞ける心を与えてください。
7月22日(月)サム上三2〜5
サムエルは寝ている時に、初めて神さまから呼ばれました。でも初めてだったので、それが神さまだとはわからず、エリの元へ走りました。寝ていたサムエルですが、呼ばれたらすぐに起きてこたえるよう心の準備ができていました。
7月23日(火)サム上三6〜9
エリは神さまがサムエルを呼んでおれると気づきました。そこでサムエルに言いました。「サムエル、お前を呼んでいるのは神様だ。もう一度呼ばれたらこう言いなさい。『主よ、お話しください。僕は聞いております。』」私たちも神さまの声を聞けますように。
7月24日(水)サム上三10〜14
4度目、神さまはサムエルのそばに来られると、サムエルに呼びかけられました。サムエルも今度は神さまにこたえました。すると神さまがサムエルに語られたのは、エリとエリの家族が神さまから裁かれることでした。初めて受け取った神さまの言葉はサムエルにとって、とても語ることの辛い言葉だったのです。
7月25日(木)サム上三15〜17
サムエルには、エリに神さまの言葉を伝えることはとても言いにくく、辛いことでした。エリはサムエルに「神さまが語られたことを一つも隠してはいけないよ。」とサムエルが言いにくいことを言えるように励ましました。神さまの言葉は、良い言葉も、厳しい言葉も聞く必要があるのです。
7月26日(金)サム上三18
サムエルは何も隠しませんでした。辛い気持ちをこらえて、何もかも神さまからのお言葉を伝えたのです。エリは「神さまの良いと思うわれることが行なわれますように。」と受け止めました。神さま、私にとって聞きづらい言葉もしっかりと聞いて受け止めることができますように。
7月27日(土)サム上三19〜21
神さまがサムエルと共におられました。彼の伝える神さまの言葉はみんなその通りになったので、人々はサムエルが神さまからの預言者だと信頼しました。人々も神さまの言葉を聞くようになりました。
サムエルはおじいさんになりましたが、イスラエルの人々に神さまの言葉を伝えて導いていました。しかしイスラエルの最初の王サウルは、サムエルの伝える神さまの言葉に従いませんでした。
7月28日(日)サム上十六1
サムエルはサウルのことをとても惜しみました。けれども神さまは、新しい王を決めておられました。サウルは神さまの言葉より、人からの意見や自分の王としての強さを見せることを大切にしました。だから神さまは「サウルを退けた」と言われました。それはサウルの子どもが王になるのではなく、別の人に任せるということなのです。
7月29日(月)サム上十六2〜3
サムエルは新しい王となる人に、神さまから選ばれたしるしとしての油を注ぐため、ベツレヘムへ出かけました。けれどもそれは秘密です。ベツレヘムで神さまに動物をささげるためにやってきたふりをして、王となる人を神さまにささげるのです。
7月30日(火)サム上十六4〜5
サムエルが突然やってきて、ベツレヘムの人たちは何だろうと心配になりました。サムエルは、神さまから言われた通りにしたので、人々は安心しました。神さまはエッサイの息子の中から王を選んでおられましたが、サムエルにはまだだれか分かりませんでした。
7月31日(水)サム上十六6〜7
サムエルは、一番上のお兄さんのエリアブを見た時、この人だろうと思いました。背が高くて顔もカッコよかったのです。でも神さまは、外側の良さではなく、心を見ると言われました。エリアブではありませんでした。神さま、私たちは目に見える外側ばかりに囚われてしまいます。見えないことを見ておられる神さまのように、違う目で見ることができますように。
8月1日(木)サム上十六8〜11
おかしなことに、エッサイの息子たちを一人一人確認しましたが、その中に神さまが「この人だ」と言われる人はいなかったのです。実はまだ一人息子がいましたが、末っ子だけが呼ばれていないことがわかりました。お父さんの目から見たら、なぜか末っ子はまだ、連れてくる人数に数えられなかったのです。
8月2日(金)サム上十六11〜12
羊の番をしていた末っ子ダビデがサムエルの前に立ちました。彼もまたイキイキしてかっこいい立派な青年でした。お父さんにはまだ子どもだからと、人前に連れてくる数には入れられていなかったダビデを、神さまは「この人だ」と王に選んでおられました。
8月3日(土)サム上十六13
油を注がれたダビデには、神さまの霊が与えられたので、いつも聖霊の力がダビデを導き、支えていました。新しい王としてダビデは育てられていくのです。
イスラエルとペリシテは長く戦争をしていました。イスラエルが勝つ時は、神さまに信頼している時でした。でもサウル王はそれを忘れていたのです。
8月4日(日)サム上十七1〜11
イスラエルは戦いに手も足も出ませんでした。ペリシテ軍にいる3メートルぐらいある大男ゴリアトとの一騎打ちを挑んできたからです。彼は立派な鎧やすねあてをつけ、投げやりを背負って見るからに強そうで、王も兵隊もみんな震え上がって、だれも立ち向かうことができませんでした。
8月5日(月)サム上十七12〜16
ダビデの兄弟で、上の三人のお兄さんたちがイスラエル軍の中にいました。まだ兵隊でなかったダビデは、戦場で起こっていることを知りませんでした。そしてゴリアトが一騎打ちを提案してから40日が経ちましたが、戦いに名乗りをあげる人はいませんでした。神さま、自分の力ではとても戦えない時、どうしたらいいのか、神さまに聞くことができますように。
8月6日(火)サム上十七17〜25
戦いの中にいるお兄さんたちが無事かどうかを確認するため、差し入れを持ってやってきたダビデは、初めてゴリアトの言葉を聞きました。ゴリアトは、イスラエルには自分と一騎打ちをする者などいないだろうとみくびっていて、イスラエルを馬鹿にしていました。
8月7日(水)サム上十七26〜30
ダビデはゴリアトの言葉が悔しくてたまりませんでした。神さまと神さまの民の軍隊が馬鹿にされているからです。でも戦争を知らないダビデが、まるで自分が戦いに行こうとして、勝つつもりなのを聞いて、エリアブお兄さんには、ダビデが生意気で傲慢にしか見えませんでした。確かに戦争を知らないダビデでしたが、ダビデは神さまが味方であるから自分もイスラエル軍も勝てると信じていたのです。
8月8日(木)サム上十七31〜40
普通に考えたら、ゴリアトはダビデに敵う相手ではありません。けれどもサウル王は、ダビデが自分の力ではなく、神さまを信頼して勝てると確信しているのをみて、ダビデに任せることにしました。
8月9日(金)サム上十七41〜47
ゴリアトは戦いに現れたのが羊飼いの少年なので、とてもバカにしました。でもダビデは言いました。「私は万軍の主の名によって戦う。この戦いは主の戦いだ。」神さまが戦われるので、勝つのはイスラエルだと信じていました。
8月10日(土)サム上十七48〜54
ダビデが投げた石がゴリアトの額に当たり、ゴリアトは倒れてしまいました。ダビデはゴリアトの剣でとどめを刺しました。彼は戦争の武器を持っていなかったからです。神さまが彼を通して戦って、勝たせてくださいました。
ダビデが戦いに行くといつも勝ちました。そしてみんなの人気者でした。サウル王はそんなダビデがねたましくてたまりませんでした。ダビデはいない方がいいと思い、彼を殺すことにしたのです。
8月11日(日)サム上二六1〜5
サウル王は、ダビデを捕まえようと3000人もの兵隊を引き連れてやってきました。そんなに大勢の軍隊でやってきたのは、なんとしても邪魔なダビデを捕まえようと必死だったのです。早くダビデをやっつけて安心したいのです。
8月12日(月)サム上二六6〜9
ダビデたちの目の前でサウル王は眠っています。まるで神さまから与えられた、殺すための絶好のチャンスに思えました。サウルを殺してしまえばもう追いかけられることはありません。けれどもダビデは、神さまが王に選んで、油を注いだサウルを、自分たちが殺してはいけないと、だれにも手を出すことを許しませんでした。神さまに油注がれたものを殺すことは、神さまの思いにそむくことだと思っていました。
8月13日(火)サム上二六10〜11
サウルをここで殺さないなら、ダビデはまたこれからもサウルに追いかけられ、いつか殺されてしまうかもしれません。でも、ダビデは、サウルの命の終わりは神さまが決めることだからと、神さまにお任せしました。
8月14日(水)サム上二六12
ダビデはサウロの槍と水差しを取って、その場を立ち去りました。サウルを殺せるところまで確かに忍び込んだけど、殺さなかった証拠です。それを知ったら、サウル王も兵たちも、「参りました」と思うでしょう。サウルたちはみんなぐっすりと眠っていて、ダビデたちが忍び込んだことに気づくことはありませんでした。神さまがダビデたちに味方して守られたのでした。
8月15日(木)サム上二六13〜16
ダビデは、サウルの兵隊たちと将軍アブネルに向かって、「お前たちは王を守れなかったから、王の護衛は失格だ。」と叫びました。3000人も兵隊がいるのに意味がありませんでした。ダビデには神さまがついているからです。
8月16日(金)サム上二六17〜24
サウルはダビデが自分の命を大切にしてくれたことで、自分が間違っていたと認めました。でもダビデは、自分がサウルの命を守ったのだから、もうサウルも自分の命をねらわないだろうとは思いませんでした。ダビデは本当に自分の命を守ってくださるのは神さまだと信じていました。
8月17日(土)サム上二六25
サウルはダビデがすることは何もかもうまくいって、成功するとわかっていました。それでもやはりねたみはなくなりませんでした。二人は別々の場所へ帰り、一緒に歩むことはありませんでした。
サウル王が戦争で死んだ後、ダビデがイスラエルの二代目の王になりました。ダビデは、神の箱をイスラエルの中心の町エルサレムに置くことにしました。
8月18日(日)サム下六1〜5
神の箱は、神さまがイスラエルといつもともにいることを教えてくれるものです。ダビデは神の箱を、エルサレムに盛大に迎えようとしました。兵隊3万人。神の箱を乗せる新しい立派な車。音楽を奏でる様々な楽器。人々がダビデ王はすごいなと思うほどで、まるでダビデが自分の力を自慢しているようにも見えました。
8月19日(月)サム下六6〜8
ところが神の箱を触った人が死んでしまいました。神の箱はきよい箱です。罪ある人間が簡単に神さまに近づけないのと同じように、神の箱に触ってはいけないのです。神さまから、触ると打たれると言われていたのです。盛大なばかりで、ダビデたちは神の箱を正しく扱っていませんでした。こわく悲しい出来事でした。
8月20日(火)サム下六9〜10
ダビデもこわくなってしまいました。神さまのことをとても信じていましたが、でも王になって神さまの前に高ぶっていたのかもしれません。何がいけなかったのでしょう。ダビデは今のままでは神の箱をお迎えできないと思いました。
8月21日(水)サム下六11
恐ろしいことがあったのに、オベド・エドムとその家族は、神の箱を預かることになりました。ガド人オベドは、戸惑ったかもしれません。でも彼の家は祝福されました。神の箱は恐ろしいものではなく、神さまが共におられることは、何よりも幸せなことだと教えてくれました。
8月22日(木)サム下六12〜16
ダビデは、もう一度エルサレムへ迎えることにしました。今度は、聖書に書かれている通りに、神の箱を人が担いで運びました。ダビデはうれしくて、神さまの前に全身で心からの踊りを踊りました。カッコ悪いとか、恥ずかしいとか思いませんでした。神様への感謝があふれてきて踊らないではいられませんでした。
8月23日(金)サム下六17〜19
エルサレムに神の箱が置かれました。ダビデはいけにえをささげて、神さまを礼拝しました。人々は王に祝福され、記念のお菓子をもらって帰りました。みんなの心に、神さまがともにおられる喜びがありました。
8月24日(土)サム下六20〜23
ミカルはダビデや人々と共にどうして神の箱を喜んで迎え入れなかったのでしょう。そうしていたら、ダビデが踊る姿を恥ずかしいとは思わなかったでしょう。王の娘としての気位の高さが、神さまからいただく恵みや喜びを見えなくしていたのかもしれません。喜ぶ人と共に喜ぶことができますように。
いよいよ夏休みも終わりです。宿題は終わりましたか?ダビデの後、イスラエルの3代目の王には、ダビデの息子のソロモンがなりました。
8月25日(日)列王上三1〜3
ソロモンは王として、イスラエルの人々を守ために、外国と仲良くし、協力する関係を大切にしました。そのためエジプトのお姫様をお嫁さんに迎えました。そうすれば、エジプトからもイスラエルを大事にしてもらえるからです。でもソロモンが何よりも大切にしたのは、お父さんのダビデと同じように神さまを信じて従うことでした。
8月26日(月)列王上三4〜9
もしあなたが神さまから「願い事は何でもかなえてあげよう。」と言われたら、何をお願いしますか?ソロモンは「王として、人々の声を正しく聞いて、何をしたらいいのかを考え、どうしたらいいか決められる心を与えてください。」とお願いしました。国中の人々が安心して平和に生活できるために、自分が人々を導くための知恵をお願いしました。
8月27日(火)列王上三10〜14
神さまは、ソロモンのお願いをとても喜ばれました。普通なら自分のことばかりお願いしても不思議はありませなん。でもソロモンはそうはしませんでした。神さまは、彼がお願いしたこと以上に多くのものをくださると言われました。神さま、私たちも本当に必要なことを祈り求めることができますように。
8月28日(水)列王上三15
ソロモンが目を覚ますと、夢を見ていたことがわかりました。夢の中で神さまは、すばらしい約束をしてくださったのです。そこでソロモンは神さまへの感謝のささげものをして、王と一緒に働く人々とパーティーを開いて喜びました。
8月29日(木)列王上三16〜23
赤ちゃんの本当のお母さんは誰なのか、それを知っているのは、二人の女だけです。どうやって本当のお母さんを見つけることができるでしょうか。神さま、何が正しいのかわからない時、それを知るために知恵を与えてください。
8月30日(金)列王上三24〜27
ソロモンの言葉に驚いて反対したのは、本当のお母さんでした。赤ちゃんが無事でいられるなら、自分の子どもとして戻ってこなくてもいいと思ったのです。ソロモンは子どもの命を守った人が本当のお母さんだと言って、その人に赤ちゃんを返しました。
8月31日(土)列王上三28
ソロモンのことを王として認めたくない人もいたでしょう。でもこの難しい問題をちゃんと解いて赤ちゃんを本当のお母さんのもとにえ返すことができた話を聞いて、みんなソロモンをすごい王さまだと尊敬するようになりました。ソロモンは神様の知恵をもらっているから大丈夫だと信頼しました。
ソロモンは、年をとってから奥さんたちが信じているいろいろな偶像を拝むようになり、神さまから離れてしまいました。
9月1日(日)列王上十二1〜4
イスラエルの人々と一緒にやってきたヤロブアムは、神さまから選ばれた人でした。ソロモンが罪を犯したので、息子が王になったら、神さまはイスラエルを2つに分けることにされました。そしてヤロブアムを分かれた1つの国の王にすると言われたのです。ヤロブアムとイスラエルの人々は、レハベアム王にお願いをして、国を変えようとしました。
9月2日(月)列王上十二5〜11
ソロモン王をそばで支えてきた年老いた人たちの意見は、人々の声を聞いて、そのお願いにこたえてあげてほしいということでした。長い人生の中でいろいろ見てきた人たちは、王に、人々の苦しみや痛みを思いやる心を持ってほしかったのです。そういうリーダーに人はついていくからです。
9月3日(火)列王上十二12〜14
レハベアムは、年老いた人たちの意見ではなく、若い人たちの意見を受け入れました。イスラエルの人々のお願いを聞かないで、父ソロモンよりもっと厳しく命令して、それに従わせる方が、自分が王らしく偉そうで、かっこいい姿に思えました。
9月4日(水)列王上十二15〜19
イスラエルの人たちは、「もうこんな王にはついていけない」と、王に反抗しました。これは神さまがそうなるようにされたからです。レハベアムは、父ソロモンのように神さまから離れてしまったら、自分の力では国を治めることができないこと知らなければならなかったのです。
9月5日(木)列王上十二20〜24
レハベアムを王と認めてついてきたのは、ユダ族だけでした。レハベアムはもう一度イスラエルの全部族の王でありたいと思いました。人々の心が離れているなら、力で勝って、自分のいうことを聞かせようとしたのです。しかし神さまがしたことだと言われ、神さまの言葉に従いました。何もかも自分の思い通りにしたいと思う時、神さまの言葉を聞くことができますように。
9月6日(金)列王上十二25〜29
神さまがヤロブアムを王にしました。けれどもヤロブアムは、神さまを信頼できませんでした。人々が自分から離れていくことが怖くなったのです。いつまでも王でいられるために、二体の金の子牛を造ってそれを拝ませました。
9月7日(土)列王上十二30〜33
ヤロブアムは王でいるために、神さまに背いて罪を犯してしまいました。私たちは、手に入れた良いものを取られてしまわないよう、自分の間違ったやり方で守ろうとしてしまいがちです。神さまへ従うことを大切にできますように。
イスラエルが北イスラエルと南ユダに分かれて何年も経ちました。北イスラエル王国の王にアハブがなりました。
9月8日(日)列王上十六29〜33
アハブは、北イスラエルのそれまでの王さまの中で一番悪く、神さまを怒らせた王でした。彼は外国人の奥さんが持ち込んだバアルという偶像を進んで拝みました。また他にも偶像を造りました。神さまだけを信じて従うことが、国を治め、人々を導く確かな道ですが、アハブはそうしませんでした。
9月9日(月)列王上十七1
預言者エリヤが王の前に現れて言いました。「神さまが言われました。数年間雨が降りません。」長い間雨が降らなくなったらどうなるでしょうか。野菜が取れなくなります。飲み水がなくなってしまいます。そうなったらだれも生きられません。国のリーダーが神さまに背いて、自分勝手なことばかりしているので、人々の生活も大変なことになりました。
9月10日(火)列王上十七2〜7
エリヤはケリト川のそばに隠れて住みました。王がエリヤの命を狙っているからです。これでしばらく水を飲むことができます。それにしても不思議ですね。カラスは人のカバンを開けて物をとっていくような鳥なのに、神さまはそのカラスにパンと肉を運ばせて、エリヤが食べることに困らないようにしてくださったからです。私たちがふさわしくないと思うものを、神さまはご自分のお使いに用いることができるお方です。
9月11日(水)列王上十七8〜9
次に神さまはエリヤに、外国の町のやもめにあなたを養わせる、と言われました。これもまた不思議です。やもめは夫がいないので、貧しくて生きていくのが大変な人が多いのです。お金持ちの家ではなく、やもめに、これからエリヤの住むところや食べ物の世話をさせると言うのです。でもこれが神さまのやり方なのです。
9月12日(木)列王上十七10
エリヤはすぐに神さまに言われた通りにしました。やもめですから、お金がないかもしれません。食べるものも分けてもらえるかわかりません。でもエリヤは神さまの言葉を信じました。
9月13日(金)列王上十七11〜15
やめもは、貧しいどころではありません。最後のパン菓子を焼いたら、もう何もありませんでした。到底エリヤを養うことなどできないのです。でも神さまの言葉を聞いて彼女はエリヤに水とパン菓子を用意しました。すると神様の言葉の通り、食べ続けることができました。
9月14日(土)列王上十七16
神さまの言葉の通り、かめの小麦粉も、油もなくなりませんでした。やもめにエリヤを養わせると言われた神さまが、エリヤもやもめの家族も養ってくださいました。
バアルの神は雨を降らせて、畑の野菜や果物をたくさん実らせる神さまとして拝まれていました。けれども雨を降らせることも降らせないこともできる神さまは天地を造られた神さまだけです。
9月15日(日)列王上十八1〜6
北イスラエルに雨が降らなくなって三年目になりました。地面が枯れてしまい、畑の野菜はできないし、水も足りないので、生きるのが大変でした。すると神さまは、また雨を降らせると言われました。神さまは、ご自分が天気も支配していることをアハブやイスラエルの人々に知らせて、本当に頼るべき神さまを信じるように導いておられました。
9月16日(月)列王上十八7〜15
エリヤと会ったオバドヤはアハブの家来でしたが、神さまを信じることをやめませんでした。そして主の預言者たちを、アハブの妻イゼベルに殺されそうなところから助け出してかくまっていたのです。神さまから離れない人が残されてい他のです。エリヤは、神さまの言葉を伝えるためにアハブ王に会いたいとオバドヤに伝えました。
9月17日(火)列王上十八16〜19
アハブは自分のせいで雨が降らないのに、神さまから離れて偶像を拝み、自分勝手に生きていることを反省していませんでした。私たちも、自分が悪かったと認めることはとても難しい時があります。神さま、私たちが、自分の罪を本当に認めることができますように助けてください。
9月18日(水)列王上十八20〜24
カルメル山で本当の神さまはだれなのか対決をすることになりました。それぞれ信じている神さまにお祈りし、そのお祈りに答えて天から火を降し、祭壇の牛を焼き尽くすことができるのが本物です。これならだれが見てもはっきりします。でも大事なことは、本当の神さまに従うことです。
9月19日(木)列王上十八25〜29
バアルの預言者たちは朝からずっとバアルにお祈りしました。どんなに叫んでも、体に傷をつけて熱心に呼んでも答えはなく、午後になっても天から火は降りませんでした。人が造った神さまは生きていないからです。
9月20日(金)列王上十八30〜40
エリヤの番になると、彼は祭壇にたっぷり水をかけて牛も薪も水浸しにしました。そしてお祈りしました。「どうぞ本当の神さまがみんなにわかりますように。」すると天から火が降ってきて、水浸しの祭壇の牛も薪も何もかも焼き尽くしました。エリヤの神様こそ本当に生きておられると信じました。
9月21日(土)列王上十八41〜46
エリヤが7度お祈りをすると、海の向こうに小さな雲が現れ、ついに三年降らなかった雨が降り出しました。本当の神さまは、私たちの祈りに答えてくださいます。
エリヤはどんな時にも神さまを信頼し、力があって偉大な働きをしていたので、私たちには、彼が挫けるような人には見えません。でもそれほどのエリヤでも心が弱くなってしまうことがありました。
9月22日(日)列王上十九1〜2
エリヤは大勝利しました。バアルの預言者たちは滅ぼされました。こうなればもうイゼベルも降参し、全ての人が神さまに従うだろうと私たちは思います。ところが徹底的に負けたはずのイゼベルは負けを認めませんでした。どんなに大きな奇跡が起こっても、信じない頑固な心が私たちにはあるのです。
9月23日(月)列王上十九3〜4
イゼベルの強さに、エリヤの方が打ちのめされてしまいました。「あれだけのことがあったのに、それでもダメなのか、それどころか自分は殺されそうだ。」エリヤはがっかりし、怖くなって遠くへ逃げました。もうとても疲れてしまい、死んで楽になりたいと思うほどでした。
9月24日(火)列王上十九5〜8
私たちは疲れたら休むことが大切です。がっかりして力が出ない時もそうです。神さまは、もう何もしたくもないと、ひたすら逃げるエリヤに、食べ物と眠る時間を与えて守られました。なぜ信じないのか、しっかりしなさいと言われませんでした。神さまの言葉を聞けるようになるために、まず休んで元気になる時間をくださいました。
9月25日(水)列王上十九9〜12
エリヤはホレブ山に神さまの言葉を聞きにやってきました。エリヤの前に激しい風が吹き、地震が起こり、火が燃え上がりました。それから神さまのささやく声が聞こえてきました。エリヤの心が、目の前に見える恐ろしい出来事でいっぱいになるのではなく、神さまの言葉に注目するようにされました。
9月26日(木)列王上十九13〜14
「あなたはここで何をしているのか」と聞かれ、エリヤは答えました。「私はイゼベルにはお手上げです。彼女が怖くて逃げてきました。私は神さまに従ってきましたが、ひとりぼっちでもう戦えません。」エリヤは無力で弱い自分を神さまに差し出しました。
9月27日(金)列王上十九15〜18
神さまは、もう一度エリヤに大切な仕事を任されました。3人の人に油を注いで、神さまの働きに立たせることでした。神さまは後になって彼らを用いて、アハブやイゼベルの悪を裁かれるのです。そしてエリヤには仲間が7千人もいました。
9月28日(土)列王上十九19〜21
エリヤの弟子に選ばれたのはエリシャでした。畑を耕しているエリシャにエリヤが自分のコートをかけたのは、エリヤの働きを受け継ぐ人にエリシャが選ばれたという印でした。エリシャはエリヤに従いました。
エリヤは力のある偉大な預言者でした。みんなが頼りにしていました。でもエリヤはいなくなってしまうのです。みんな心細く感じます。でも一番心細く、離れたくないと思っていたのはエリシャでした。
9月29日(日)列王下二1〜3
エリヤの人生最後の日がやってきました。エリヤは神さまに遣わされて、ベテルへ向かいました。預言者の仲間たちにお別れを言うためです。エリシャは最後まで学べるものを受け取りたいとエリヤから離れませんでした。自分の先生がいなくなってしまうことをエリシャも受け止める時間が必要でした。
9月30日(月)列王下二4〜5
エリヤがベテルに遣わされると、エリシャはやはりついていきました。エリシャにとっては、先生の後を継ぐものとして、最後の最後まで一緒にいたかったのです。そして、エリヤのように神さまの力をいただきたかったのです。
10月1日(火)列王下二6〜8
ヨルダン川を二人が渡るために、エリヤは自分のコートを丸めて、川の水を打ちました。水が左右に分かれてかわいた道ができました。昔、イスラエルがモーセによって海を渡った時、またヨシュアに導かれてヨルダン川を渡った時、神様が同じようにして水を左右に分かれさせて渡ることができました。エリヤもモーセやヨシュアのように、イスラエルを導くリーダーでした。そしてこれからはエリシャがそれを引き継いでいくのです。
10月2日(水)列王下二9〜10
エリシャがお願いした「2倍の霊」は、確かにエリヤの後継ぎとしての力を受け取りたいというお願いでした。でもこれは神さまから与えていただくものです。「あなたが私の取り去られるのを見るならそのようになる。」とエリヤはエリシャを励ましました。エリシャがエリヤを離れなければ見ることのできる恵みでした。
10月3日(木)列王下二11〜12
火の戦車と火の馬が二人の間をさき、あっという間にエリヤはつむじ風の中を天にのぼっていきました。エリヤが連れ去られることは神さまが決めたことだとわかっていましたが、イスラエルの最強のリーダーがいなくなってしまいエリシャは悲しみました。しかし確かにエリシャはエリヤの最後を見届けました。
10月4日(金)列王下二13〜14
偉大なエリヤの後を継ぐことは大変なことです。でもエリヤの残したコートでエリシャも川の水を分けて渡りました。確かにエリヤの力を受け継いでいました。
10月5日(土)列王下二19〜21
エリヤがいなくなっても、今度はエリシャがしっかりと神さまの言葉を伝えます。彼がイスラエルを導くための偉大な力を受け継いでいることが、見る人みんなにわかりました。