東京聖書学院

Tokyo Biblical Seminary

 東京聖書学院事務所事務所/火~土8:40~16:40(12~13時除く)
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東京聖書学院 特集
Tokyo Biblical Seminary

東京聖書学院の働きは大切な、みんなの働き

東京聖書学院院長 錦織 寛
 

 東京聖書学院も今年70周年を迎えました。20世紀初頭に、中田重治、笹尾鐵三郎、カウマン夫妻、キルボルンを中心に、日本で東洋宣教会の働きが始められた時から、伝道者養成の働きは彼らのミニストリーの核の一つでした。中田重治にしてもカウマン夫妻にしても、伝道者を育てる聖書学院の働きの重要性をよくよく認識していたと思います。神の言葉である聖書をそのまま信じること、聖霊の働きに信頼することなどがどれほど大切なことかを彼らは痛感していたからです。また、バックストンの薫陶を受けた笹尾鐵三郎も、御言の豊かさと共に、御言に生きる聖なる歩みを教師自らが見せるということが何よりの教育であることも知っていた人でした。そして、これらの若い30代の教師たちがビジョンと使命感をもって、伝道者養成にあたったのです。このことは戦後スタートした東京聖書学院においても、失ってはならないDNAであろうと思います。
 

 ただ学院の働きが、「東京・東村山に東京聖書学院があって、そこでは今も熱心に伝道者養成の働きが続けられている……らしい」という何か、遠い世界の出来事としてだけ受け止められているとしたらとても残念なことです。東京聖書学院の働きはみんなの働きです。私たちはその働きを遠くから、第三者として応援しているというのではありません。あなたも東京聖書学院の働きを担っているひとりです。あなたなしに、東京聖書学院は神さまに与えられている使命を果たしていくことはできないのです。それでは、私たちはどのように東京聖書学院の働きに参加するのでしょうか。

  
1 祈りによって

 祈りは時間と空間を超えて、神様の御前に昇っていきます。聖書学院の働きは、皆さんの祈りなしには成立しません。修養生・訓練生たちのために、教師・スタッフたちのためにどうぞお祈りください。主イエスご自身も祈り、また弟子たちの祈りを求められました。
 
 東京聖書学院は祈りを必要としています。そこで学びと訓練を受けている者たちは日々、いろいろなところを通ります。喜びに満たされることも多くありますが、悩んだり、落ち込んだりすることもたくさんあります。皆さんは、修養生たちに今何が起こっているか、また彼らが具体的にどんな必要を覚えているかご存じないかもしれません。しかし、主はそのことをご存じですし、彼らを支え、ご自身の御旨の中で、御心にかなう器へと作り上げることがおできになります。ですからどうぞ、主の御前に一人ひとりの名前をあげてお祈りいただきたいと思います。主は今も祈りの器を求めておられるからです。

2 献身者を送り出すことによって

 自分の家族から、自分の教会から、または自分の教会が属している教区から献身者が起こされると、東京聖書学院がぐっと身近なものになります。「収獲は多いが、働き人が少ない」と主はおっしゃり、「収獲の主に願って、働き人を送り出していただきなさい」とおっしゃいます。
 
 もちろん、あなたが召しの御声を聞いたら、立ち上がって、主に従ってください。けれども、そうでなかったら、あなたの教会から献身者が起こされるように祈り、また励ましをもって、献身者を送り出していただきたいと思います。
 
 主イエスはガリラヤ湖の周辺の小さな村の漁師たちを新しい時代の福音の担い手とされました。確かに、パウロのように学問を積んだ人物もいましたけれど、使徒たちの多くは、ある意味、地方出身者であり、地味な人たちでした。東京聖書学院にあっても、今までも多くの献身者が地方の小さな教会から起こされ、学びと訓練を受けて日本各地に、また世界中に遣わされていきました。地方の一教会にとって、献身者を送り出すということ自体が痛みを伴う教会全体の献身です。もちろん、誰か一人ずつ出してくださいと申し上げるつもりはありません。全国各地の教会から、そしてあなたの教会から献身者が起こされるようにお祈りしていただきたいのです。

3 ささげものによって

 東京聖書学院は、多くの愛のささげものによって支えられています。

①後援会への入会・献金 東京聖書学院には後援会があり、毎年多くのものを
聖書学院の働きのためにささげていてくださっています。ぜひ、あなたも後援
会に入会し、献金していただきたいと思います。東京聖書学院は本人が負担する学費や食費・寮費だけではなく、日本ホーリネス教団、学院後援会からの多くのささげものによって運営されているのです。後援会へは一年に一回でも献金してくださる方は入会できます。そして、後援会の方々には、「学院だより」「祈りのカード」「放光」(修養生の証し集)などが届くことになっています。

②奉仕 後援会は聖書学院の庭の整備などを中心としたボランティア活動を続けています。特に近隣の教会の皆さんは、ぜひ一年に一回でも二回でもボランティア作業に参加していただけないでしょうか。

③贈り物 修養生にあなたの住んでいる地元の特産品などを送っていただけないでしょうか。おやつも大歓迎ですが、野菜・果物・米・肉・魚介類など修養生の人数を考えて送っていただけると、修養生たちはどんなに励まされることでしょうか(落ち込んでいる時でも何か特別なごちそうを食べると元気になりますよね)。

4 励ましによって

 修養生たちが週末のミッションや夏期伝道などであなたの教会にお世話になったり、いろいろな聖会などで修養生の姿を見かけたら、「修養生ですよね」「祈っていますよ」「何かお祈りの課題がありますか」「りばいばるであなたの証しを読みましたよ」など、遠慮しないで、どうぞ声をかけてください。献身者であっても声をかけていただけることは本当にうれしものです。

 また、どうぞ東京聖書学院に、そして修養生たちに宛てて手紙を送ってください。「東京聖書学院気付 ○○様」という形で個人宛の手紙でもかまいません。祈っていますよ、いうひと言を添えて送られた1枚の葉書が、どれだけ修養生たちを励ますことになるか分かりません。修養生の名前を知らないですって? でしたらまず後援会に入会することからお願いします。そして「学院だより」や修養生の名前の入った「祈りのカード」を取り寄せていただきたいと思います。

5 自らも学ぶことによって

 修養生の学びと訓練を支えると共に、あなたもぜひ、学び続けてください。信徒コースには、教室に通学しての学びと共に、DVDでの通信講座も用意されています。通信講座には、今までの信徒コースの豊かな授業がそろっています。もちろん、レポートの添削は一人分ですが、DVDの視聴は皆さんでしていただいてかまいませんし、自分は見たので、他の人に見せてあげるというのもOKです。ぜひ有効活用してください。そのようにして修養生が学ぶのを応援するだけでなく、あなたも学んでくださることが、聖書学院への大きな励ましになるのです。
 
 東京聖書学院の働きは、みんなの働きです。ぜひこれからも祈りを通し、献身者を送り出すことを通し、ささげものを通し、励ましを通し、自らも学ぶことを通して、積極的にあなたもこの働きに加わってください。
 

東京聖書学院後援会活動報告

広報 若杉直俊

 
「支えます。献げます。祈ります。」をモットーに活動している東京聖書学院後援会です。会の主体は全国の会員の方々ですが、その運営を担っているのがこれからご紹介する後援会役員です。役員会は2名の教職 大澤克哉師(東京フリー・メソジスト 川越国際)小林重昭師(川崎名誉)と東京近隣の教会に属する7名の信徒の遠藤兄・間室兄・高松兄・菅野兄・竹内兄・影山姉・若杉です。錦織寛学院長も交えて、年4回の役員会を開いて会の運営を話し合っています。また、毎年2月には評議員の方々にお集まりいただき、さまざまな意見を伺い、会の運営を図っています。
 

 会の一番の働きは、皆様の尊い献金を学院のために献げること。その他に有志による年6~7回の学院園庭の整備です。さらに献金を用いて学院デーへの協賛、入学式・卒業式後のレセプションの準備、修養生のお証しを編集した『放光』発行の援助などもしています。お手もとに届いている「学院だより」の編集にも参加しています。


 最近の専らの話題は、新規に入会する方々の減少で当初の予算達成が危ぶまれる状況についてです。金額的にみて、東京聖書学院の運営の三分の一が後援会の援助で成り立っています。会員の高齢化とあわせて、より多くの方々からのご協力が必要なのです。もしこの現状に心をよせて頂く新規入会希望の方がいれば、ご連絡いただけないでしょうか。あるいは、ご所属の牧師先生にひとことお伝えいただければ助かります。また、後援会はホームページ(アドレスtbssupport.org)を開いています。その連絡シートをご利用ください。そして後援会のためにぜひ、お祈りください。
 

2020年 1月 1日 りばいばる

『献身しようか、迷っているあなたへ』

東京聖書学院長 錦織 寛

 あなたは、献身しようかどうしようか迷っているかもしれません。もし、そうであるなら、迷うことなくあなたに言いましょう。あなたは献身すべきです。献身しなければなりません。献身しなければ絶対に後悔します。
 もっと言いましょう。すべてのキリスト者は献身すべきです。「献身」とは何でしょうか。それは神に自らをささげることです。神さまのものとして自分をささげ、「神さま、あなたのおっしゃることなら何でもいたします。どうぞおっしゃってください」と耳を開き、心を開いて、主の御前に出ることです。それは牧師であろうと、信徒であろうと同じです。私たちは神に与えられる召しや賜物は違っても、みんな「私は、神さま、あなたのものです」と自らを神に明け渡すのです。牧師・伝道者になることを「直接献身」と言ったりします。でも、厳密にはこの言葉の使い方は間違っています。そもそも直接献身でない献身などないのです。私たちは、牧師であろうと信徒であろうと、直接宣教地に向かう宣教師であろうと、背後で祈ったり献げたりして支える者であったとしても、みな献身者です。
 私たちは自分の献身を誇ることはできません。そもそも献身とは、「兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。」(ロマ12:1)とあるように、神の憐れみがその土台にあるものだからです。そして、私たちが献身する以前に、神さまがまずご自身を、そしてご自身の尊いひとり子を私たちにささげてくださいました。そこには、私たちを愛してくださった神の献身があったのです。
 献身に悲壮感は必要ありません。なぜなら、それは私たちを愛してくださった神さまを心から愛することだからです。
 ただ、すべてのキリスト者に求められている献身とともに、御言を語り、教会を牧するために、召されている人がいます。口が達者か口べたかは、あまり問題ではありません。モーセも自分は口が重いと言いましたし、非常に用いられた主の器の中にも、私は口べたで……と言う人たちが何人もいます。かえって口が上手くない方がいいかもしれません。口達者だと、案外、自分の雄弁さに酔ってしまうことがあるからです。ただ神の語りかけを真剣に聞き、神の御言に感動して、喜びをもって語る人が必要です。そこで求められているのは、神と人の前における愚直なまでの真実さです。
 自分にできるだろうかと心配ですか。それでいいと思います。心配がなかったら、その方が心配です。召してくださった真実な主は、必ず神さまの用いられやすい器へと、あなたのことを造り上げてくださいます。そもそも聖書の時代から、神さまの召される器は非常にユニークです。今でも、聖書学院で学ぶ修養生たちはとてもバラエティに富んでいます。いわゆる曲者揃いです。神さまの発想は実にユニークですし、ユーモアに富んでいます。神さまのなさることは何て愉快なんだろう、と自分を見ていても思います。
 ただあなたがもし、「神さまは自分のことをきっと召してくださっているから、聖書学院に入学したらがんばろう」と考えておられるとしたら、あなたはまだ準備ができていないかもしれません。本当に神の言を語るために、献身しようと考えられるなら、実際の聖書学院入学が何年先であっても、今あなたがいるその場所で、伝道者としての歩みを始めてください。聖書を読み、祈り、教会で奉仕し、牧師の指導に従って準備を進めてください。献身者としての生涯はもうすでに始まっているのです。そして、どうぞ聖書学院にご連絡ください。
 あなたのために祈りたいと思いますから。



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