イエスさまの御言葉を聞くとどんなことが起こるでしょう。心が良い地に耕されてやがて実を結ぶようになるのです。 10月4日(日)ルカ八4〜8  イエスさまは、周りに大勢の人が集まるほど人気者でした。イエスさまの話すお話をみんな聞きたかったのです。イエスさまのお話を聞くのは好きですか。イエスさまのどんなお話が好きですか。 10月5日(月)ルカ八4〜8  イエスさまのお話を聞いていると、まかれた種が鳥に食べられたり、芽が出ても枯れたりする姿が頭に浮かんできます。イエスさまはそうやって聞く人が身近に感じられるお話をされました。また謎解きのように、この話がどういう意味なのかを考えるのも楽しかったでしょう。 10月6日(火)ルカ八4〜8  私たちには耳があります。でもイエスさまは言われます。「聞く耳のある者は聞きなさい」と。私たちは聞こえていても、聞いていないことがあります。興味がないことや自分に関係ないことは聞いていないのです。イエスさまが言われたのは、イエスさまの言葉を自分に関係あることとして考えてみなさいということなのです。 10月7日(水)ルカ八11〜12  道に落ちた種は踏みつけられたり、鳥に食べられたりして、種が育つことは難しいでしょう。私たちの心が道のようにかたいと、悪魔が御言葉を取り去ってしまうのです。それは御言葉を必要ないと感じてすぐに忘れる私たちの心のことなのです 10月8日(木)ルカ八11〜12  聖書の言葉は力があるので、困った時や辛い時に思い出すと、励まされたり力づけられたりして大変な時を耐えて、乗り越えさせてくださいます。でもその前に耐えられなくて御言葉から離れてしまうことも私たちにはよくあることです。 10月9日(金)ルカ八11〜12   この世の中には、イエスさまの言葉よりも自分に得になりそうなことや、楽しそうに見えることがたくさんあります。簡単に自分が幸せになれそうだと思えることで私たちの心がいっぱいになり、御言葉よりもそっちに心がいってしまうこともあります。 10月10日(土)ルカ八11〜12  私たちの心の中で御言葉が実を結ぶにはどうしたらいいのでしょうか。イエスさまが言われることをしてみるのです。できないことも多いでしょう。でもあきらめないで取り組んでいくなら、神さまが御言葉の実を結ばせてくださいます。それは私も周りの人にもうれしい実なのです。神さま、私の心を良い地にして、御言葉の実を結ばせてください。  永遠の命は、何かをしていただくのではなく、イエスさま信じたらいただけるのです。永遠の命は、神さまと人を愛する命です。 10月11日(日)ルカ十25  律法の専門家は、神さまの律法を熱心に勉強してよく知っている人です。そんな人がイエスさまに質問したのは、本当に知りたいからではありません。イエスさまが、人を教える知識や力があるのか、先生としてふさわしいか確かめようとしたからなのです。 10月12日(月)ルカ十26〜28  「あなたはどう思いますか?」と聞き返されて、その人は「神を愛し、人を愛することです」と答えました。イエスさまはあなたの言うとおりだと言われました。「神を愛し、人を愛する」、これが私たちにとって一番大切なことなのです。 10月13日(火)ルカ十29  わかっているのに質問して、イエスさまを試そうとしていることが見え見えでした。だからその人はなんだかバツが悪くなり、言い訳をしたのです。「私には自分の隣人がだれなのかわからないのです。だから教えてください。」と。私たちにとって隣人とはだれのことだと思いますか。 10月14日(水)ルカ十30〜32  泥棒に襲われて、死にそうになっている人を見て見ぬふりをしたのは、祭司やレビ人でした。彼らは神殿で神さまのために働く立派な人たちです。律法の専門家にとっては、身近で仲間のような人たちです。でも彼らは苦しんでいる人を自分の隣人とは思いませんでした。 10月15日(木)ルカ十33〜35  苦しんでいる人を見て「大変だ。なんてひどい!辛かったでしょう。」と近寄って助けたのは、ユダヤ人と仲の悪いサマリア人でした。彼にとっては目の前の人は仲の悪い人ではなく、助けの必要な一人の人でした。だから苦しんでいる人のことを心から思いやり、その人を救うためにできることを惜しまないでしたのです。 10月16日(金)ルカ十36〜37  襲われた人の隣人になったのは、「その人に憐れみをかけた人」でした。憐れみをかけたサマリア人はイエスさまの姿です。イエスさまは私たちの救うために、私たちの隣人になってくださいました。 10月17日(土)ルカ十36〜37  あの人は私の隣人、でもこの人はそうじゃない、という区別はありません。隣人になるのは、ただ目の前の必要のある人に近寄って私のできることをするのです。イエスさま、私はだれにでも優しくはできません。でも私がどうぞ分け隔てなく隣人になって、だれかを支えることができるように助けてください。  私たちは神さまなしでは生きられません。でもそのことに気づいていないと、神さまから離れたら自由に思い通りに生きられると思っているのです。 10月18日(日)ルカ十五11〜13  弟はお父さんの財産を分けてもらって、自分の力を試したかったのかもしれません。家ではお兄さんが立派に働いていました。だから家を出て、自分もお兄さんのようにできることを見せたいと思ったのかもしれません。でもうまくいきませんでした。 10月19日(月)ルカ十五11〜13  与えられたものを上手に使うことは簡単ではありません。たくさんあればうまくやれそうですが、たくさんあるとつい使い過ぎてしまうこともあります。神さま、自分に与えられたものを上手に使っていけるように助けてください。 10月20日(火)ルカ十五14〜17  弟息子は悪いことが重なって生きることが大変になりました。お金もないし、どこの畑の作物も育たないのです。多くの人が食べることに困ってしまいました。お金持ちの人の豚のお世話をしても、食べ物を手に入れることはできませんでした。 10月21日(水)ルカ十五14〜17  だれよりも貧乏で、どん底のみじめな自分を見た時に、弟息子はハッとしました。今までお父さんの家ではなんでもあることが当たり前でした。でも当たり前ではないのです。全部お父さんのおかげだったのです。お父さんがいつも守ってくれていたと知りました。 10月22日(木)ルカ十五17〜19  「このままここにいても自分は飢え死にするだけだ。お父さんのところに帰ろう。そして神さまとお父さんに心から謝ろう。もう息子ではく、召使いとしてやり直したいとお願いしよう。」弟息子は何もかもなくして、自分の本当の姿を知り、悔い改めました。 10月23日(金)ルカ十五20 お父さんはボロボロになって帰ってきた息子を遠くから見つけて走り寄りました。そして彼を抱きしめて、何度もキスをしました。「よく帰ってきた。よく帰ってきた。」お父さんはずっと息子の帰りを待っていたのです。 10月24日(土)ルカ十五21〜24  お父さんは息子を叱ったり、教えたりしませんでした。ただ召使いたちにパーティーの準備をさせました。「死んでいた息子が生き返ったのだ。いなくった息子が見つかったのだ。」そう言って喜んだのです。神さまはお父さんのように、離れて行こうとする私たちを待っていてくださるのです。そして戻ってくる私たちを心から喜んで受け入れてくださるのです。  あきらめてしまったお祈りはありますか。もう一度祈り始めてみませんか。 10月25日(日)ルカ十八1  お祈りをしたことが、すぐにきかれたらとてもうれしいですね。でもなかなかきかれないこともあります。そうすると、祈らなくなってしまうこともあります。でもイエスさまはなかなかきかれなからとがっかりしないで、あきらめないでお祈りしなさいと言われました。 10月26日(月)ルカ十八2〜3  イエスさまのたとえに出てくる裁判官は、心から困っている人のことを思って、悪いことを悪いと言ってくれるような人ではないのです。思いやりも優しさもないのです。でもやもめは、訴え続けました。それはその人の優しさに期待したのではありません。「助けてください」と言い続けることで、ついには裁判官が動いてくれることを期待したのです。 10月27日(火)ルカ十八4〜5  何度やもめがお願いしても裁判官は聞こうとはしませんでした。裁判官にとってやもめの困り事など興味がありませんでした。でも毎日、毎日やってこられることが、とても面倒くさくて仕方がなくなりました。このまま放っておいてもあきらめる様子はありません。このやもめを黙らせるには裁判を行うしかなくなったのです。無視するのをあきらめたのは裁判官の方でした。 10月28日(水)ルカ十八6〜7  優しさも思いやりもない裁判官は、自分にとってやっかいなやもめがもう訴えにこなくなるために、自分のために裁判をしました。まして私たちのことをいつも思い、愛してくださっている天の父なる神さまは、絶対に私たちの叫びを放っておいたり無視したりはしないのです。 10月29日(木)ルカ十八6〜7  神さまはいつまでもきかれないのではなく、最も良いタイミングでちゃんと私たちのお祈りに答えてくださいます。だから私たちは祈り続けることをあきらめないでいたいですね。 10月30日(金)ルカ十八8  私たちはネットで買い物をすればすぐに届くし、メールやラインを送ればすぐに返事が来るのが当たり前になっています。だから神さまの返事も待ちきれなくなりそうです。でもあきらめないで待つことはとても大事なのです。 10月31日(土)ルカ十八8  神さま、あなたが必ず私たちのお祈りに答えをくださることを信じて、祈り続けることができますように。自分の思ったすぐでないとあきらめてしまいそうですが、神さまの「すぐ」を信じて祈りをやめないでいられますように助けてください。  イエスさまを信じる人は、心の中に住んでおられる聖霊によって、実を結ぶようになります。どんな実を結ぶのでしょう。 11月1日(日)ガラテヤ五22  イエスさまを信じて生活していると、私たちの心に与えられていく良いものがあります。それが聖霊によって与えられる実です。愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制という9つの実が与えられます。 11月2日(月)ガラテヤ五22  愛は他の8つの実とも必ず関係しています。なぜならどの実にも愛が必要だからです。愛は神さまからいつも出ています。そして信じる私たちの心にも与えられます。何をするにもこの愛が大切です。愛は、自分のことばかりでなく、他の人のことも考えて生きるあたたかい実です。 11月3日(火)ガラテヤ五22  イエスさまとつながっていると喜びが与えられます。うれしいと思えないところでも、聖霊が喜びを発見させてくださるのです。またイエスさまのように平和のために私たちを用いていただけます。だれかのために、世界の平和のためにお祈りすることもそうなのです。 11月4日(水)ガラテヤ五22  寛容はゆるす心です。そしてだれかに思いやりを持って自分のできることをするのは親切な心です。また相手にとって良いことを選ぶ心が善意です。イエスさまはお返しできないほどの愛で私たちをゆるし、親切と善意を行なってくださいました。今度は私たちがそれをするようにと力をくださるのです。 11月5日(木)ガラテヤ五22〜23  誠実は、神さまにも人にも正直である心です。そういう人は周りから、この人は約束を守るってくれる安心できる人だと信頼されます。柔和はやわらかい心のことです。たとえば人から注意されたり教えられたりした時に、それを受け入れる心です。節制は自分の思いを何もかも押し出さないでいられる心です。 11月6日(金)ガラテヤ五22〜24  神さま、私の心には聖霊の実がないように思えます。私にはできないことがたくさんです。でもどうぞ神さまの愛で私の心を一杯にしてください。私にできなくても、神さまが共にいてさせてくださることを信じます。 11月7日(土)ガラテヤ五24〜26  イエスさまの十字架に、私たちの罪も一緒につけられたので、私たちは自分の悪い思いや自分勝手さの言いなりにならないようにされています。イエスさまは私たちから離れません。だから私たちもイエスさまにつながっていることで、やがて聖霊の実を結んでいるのです。  私たちは、聖書の言葉を大事すると、神さまのための良い働き人に成長させていただけます。 11月8日(日)二テモテ三10〜12  イエスさまを信じたらもう何も問題はない、というわけではありません。この手紙を書いたパウロはイエスさまを伝えていく時に大変なことだらけでした。イエスさまに反対する人たちからいじめられたり、苦しめられたりしました。でも信じるのをやめようとは思いませんでした。どんな苦しみを受けても、イエスさまからは離れたくないすばらしいお方だからです。 11月9日(月)二テモテ三10〜12  この手紙を受け取ったテモテは、パウロがイエスさまについていく姿をじっと見ていました。パウロがどんなことがあってもイエスさまから離れないで従う姿は、辛いことや苦しいことがあっても、なくしたくない尊いものだと知りました。だからテモテもパウロにならってイエスさまに従い続けました。 11月10日(火)二テモテ三10〜12  イエスさまを信じることは、苦しいことがないのではなく、良い時も悪い時も共にいるイエスさまに助けられて、その時を乗り越えていく生活です。 11月11日(水)二テモテ三13〜15  私たちは自分に都合が悪くなると、人のせいにし、自分は悪くないようにしたくなります。また真面目にしている人がなんだか気に入らなくてバカにしてしまうこともあるかもしれません。悪人や詐欺師とまで言われるようなことはしていないと思っていても、ねたんだり人を下に見たりする、そういう心が私たちの中にないとは言えません。 11月12日(木)二テモテ三13〜15  罪の思いは出てきます。でも罪の思いの言いなりにならないでいられる方法は、イエスさまの十字架による救いの力とゆるしが強いことを忘れないでいて、信じ続けることです。 11月13日(金)二テモテ三13〜15  私たちにはイエスさまのことを教えてくれた人たちがいます。その人たちは、イエスさまを信じてよかったと言うでしょう。そして聖書に書いてあることを大事にしているでしょう。聖書の言葉を大事にする人はみんな変えられていくからです。 11月14日(土)二テモテ三16〜17  聖書は聖霊に導かれて書かれました。だから読む人を、また聖書のお話を聞く人を、どうしたらいいか教えたり、悪いことに気づかせて悔い改めに導いたり、良いと思うことを気づかせてやってみようと力を与えたりします。何よりもイエスさまを信じる思いにいつも帰らせてくれるのです。  神さまは何を喜んでくださるのでしょう。私たちがいつも神さまを信じて離れないことです。 11月15日(日)ヘブライ十一1  信仰は神さまが本当に私と一緒にいてくださると信じることです。また神さまは約束したことを必ずしてくださると信じることです。今はまだ起こっていないし、目に見えていなくても、神さまは言われたことをその通りにしてくださるし、「なる」と言われたらその通りになると信じることです。 11月16日(月)ヘブライ十一2〜3  だれもこの世界の始まりを見た人はいません。でも神さまが言葉によってこの世界を造られたことを私たちは信じています。私たちは見たら本当だと思います。でも見ていないのに、聖書の言葉を信じることを神さまは喜んでくださいます。 11月17日(火)ヘブライ十一4  神さまがアベルのささげものを受け入れたのは、アベルの信じる思いを喜ばれたからです。アベルは兄に殺されてしまいますが、死んだ後も神さまへ叫ぶことをやめませんでした。神さま、あなたは私たちの信仰を喜んでくださいます。どうぞアベルのように、神さまは私たちを暗闇に放っておかれないと信じてあなたに叫び続けることができますように。 11月18日(水)ヘブライ十一5〜7  神さまはエノクの信仰をとても喜んで、彼を生きたまま天に迎えました。ノアはこれから起こることを聞いた時、まだ見ていないけれども信じて、神さまの言われた通りに箱舟を造りました。神さまは私たちが神さまの言葉を信じることを喜んでくださり、信じたことにちゃんとこたえてくださるのです。 11月19日(木)ヘブライ十一8〜10  アブラハムはどこにいくのか知らないまま、ただ神さまの言葉を信じ、言われる通りについて行きました。神さまが導いた地では自分の土地を持たないまま移動しながら生活しました。でもアブラハムは、神さまが本当のふるさとを用意してくださることを信じていたので、がっかりしませんでした。 11月20日(金)ヘブライ十一7  サラはもうおばあさんでしたが、神さまの約束通りに子どもを産みました。子どもをくださると約束された神さまを信じたので、多くの子孫のお母さんになりました。 11月21日(土)ヘブライ十一16〜17 彼らは、約束されたものの全部は手にしないまま死にました。でも必ず神さまが将来、天のふるさとに信じるものたちを住まわせてくださることを信じたのです。やがて復活して自分たちもそこにいることを信じました。  普通の競争は速く走れるとか、高く飛べるとか、遠くへ投げられるなどで結果が決まります。でも天国へのレースはイエスさまから離れないことです。 11月22日(日)ヘブライ十二1〜4  イエスさまを信じる生活は、まるで信仰のレースを走っているようなものです。目標はイエスさまです。第11章に出てきた多くの人たちをはじめ、長い歴史の中でたくさんの人たちがこのレースを走り抜きました。その人たちに私たちは囲まれて支えられています。 11月23日(月)ヘブライ十二1〜4  このレースは順位を争うものではありません。イエスさまを信じる一人一人が、イエスさまを目指して走り続けるのです。イエスさまが私たちの信仰を初めてくださり、完成させてくださいます。私たちはただイエスさまを見つめて走るのです。 11月24日(火)ヘブライ十二1〜4  このレースの邪魔をするのが神さまに逆らおうとする私たちの罪です。罪が私たちに絡みついて、遅くさせたり、重くて走りにくくさせたりします。あまりに重いので、イエスさまについていくのはもうやめようと気力を吸い取られたりもするのです。だから私たちはいつもイエスさまのことを考えるのです。イエスさまが罪のために戦ってくださったから、私たちは走り抜けるようにされたことを思い出すのです。 11月25日(水)ヘブライ十二5〜9  このレースを走り抜くために、神さまは私たちを訓練なさいます。それは私たちにとって苦しいことや辛いこと、悲しいことに思えることもあります。でも神さまが私たちを愛する子どもと思っておられるので、苦労や大変なことを経験させて成長させてくださるのです。 11月26日(木)ヘブライ十二5〜9  大変な時や苦しい時、これは何か私が悪いことをした罰かもしれない、とか、もう神さまから見放されてしまったのでは、と思うことはありません。むしろ神さまを信頼するための訓練なのです。 11月27日(金)ヘブライ十二10  神さまの訓練は私たちを罪から離れてきよく生きる訓練です。私たちはイエスさまの十字架できよくされました。でも罪が私たちを捕まえようとしてきます。だから神さまのきよさによって罪から離れる訓練です。 11月28日(土)ヘブライ十二11  神さまの訓練は辛いと感じることが多いものです。でも苦しかったから知ることや、辛かったから学ぶことがあります。そしてそこを乗り越えるためにもっと神さまに頼るようになります。そこに心の平和があります。  今日からクリスマスを待ち望むアドベントです。イエスさまがきてくださった喜びが私たちのうちにあふれますように。 11月29日(日)エゼキエル三四1〜6  イスラエルの国は、滅んでしまいました。上に立つ王さまや、王さまと一緒に国のことを考えるリーダーたちは自分たちの幸せしか考えませんでした。神さまの言葉を聞こうとしないし、困っている人たち、苦しんでいる人たちを助けようとしませんでした。そのため外国に攻められて滅んだのです。 11月30日(月)エゼキエル三四7〜8  イスラエルの国の上に立つ人たちは、自分たちの与えられている地位や力で、できることがありました。しなければならないことがありました。でもそれをしなかったのです。彼らは自分たちのことしか見ていませんでした。神さまに心を向けたなら、自分の過ちに気づいて、人々の方に目を向けることができたでしょう。 12月1日(火)エゼキエル三四9〜10  神さまは言われました。「だから私はあなたがたに立ち向かう。私が彼らを助ける。彼らを連れ戻す。もうあなたたちには任せない。私が彼らを救い出し、守り、世話をする。」もし力を与えられている人がすべきことをしないなら、神さまが立ち上がられるのです。 12月2日(水)エゼキエル三四11〜16  イスラエルの人々は大勢バビロンに連れて行かれていました。でも神さまはその人々を連れ戻してくださるのです。そして彼らが生きる良い場所を与えてくださるのです。神さまは私たちが散らされても、遠くに追いやられても、神さまのもとへ連れ戻してくださいます。 12月3日(木)エゼキエル三四17〜22  王やリーダーたちのように上に立つ人ではなく、同じ仲間の間でも、強いものが弱いものを苦しめていました。弱いものを思いやることも分け合うこともしませんでした。神さま、私たちが自分のことばかりにならないで、人を思いやることができますように。 12月4日(金)エゼキエル三四23〜29  神さまはだれよりも良い牧者を立てると言われました。そのお方についていけば、平和に生きられるのです。生きるのに必要なものも豊かに与えられます。奪われたり、苦しめられたりしないで安心して暮らせるようにしてくれる牧者です。それはイエスさまです。 12月5日(土)エゼキエル三四30〜31  良い牧者としてイエスさまがクリスマスにお生まれになりました。そして神さまが私たちとともにいてくださることを示してくださいました。  イエスさまの誕生もヨセフの誕生も長い間の祈りのこたえです。クリスマスは多くの人の祈りの答えなのです。 12月6日(日)ルカ一5〜7  イスラエルでは子どもが生まれることは、神さまがその家を祝福しているしるしだと考えられていました。ザカリアとエリサベトは神さまを心から信じて従う夫婦でしたが、子どもがいないので、なんだか肩身が狭い思いをしていました。でも子どもがいないから祝福されていないのではありません。 12月7日(月)ルカ一8〜10  ザカリアにとってとてもうれしいことが起こりました。それは一生に一度できるかできないかわからない尊い働きをすることになったのです。神殿の中の聖所で、お祈りの間神さまにささげる香をたく当番にくじ引きで当たったのです。でもこれは神さまがザカリアに大事なことを伝えるための導きでした。 12月8日(火)ルカ一11〜13  突然現れた天使にザカリアはとても驚きました。また一体何が起こったのかわからず恐れを感じました。でも天使の言葉はうれしい知らせでした。「恐れるな、ザカリア。あなたの祈りは聞き入れられた。あなたに子どもが与えられる。その子にヨハネという名前をつけなさい。」祈りが聞かれることほどうれしいことはありません。 12月9日(水)ルカ一14〜17  生まれてくる子どもは、ザカリアとエリサベツの心をどんなにか喜ばせ楽しませてくれることでしょう。でもただ子どもが与えられて良かったという喜びだけではありません。聖霊に満たされた、特別な子どもなのです。両親だけでなく、多くの人を喜びへと導く人になるのです。 12月10日(木)ルカ一14〜17  生まれてくるヨハネには大切な働きが任されていました。それは神さまから離れている人たちが、もう一度神さまに従う生き方に変わるよう導く働きをするのです。それは、救い主が来られるときに、救い主を信じるようになるために、人々の心の準備をする働きなのです。 12月11日(金)ルカ一18〜22  天使はザカリアが信じることができるように、そして子どもが必ず生まれるしるしとして、ザカリアの口をきけなくさせました。ザカリアは話ができなくなりましたが、神さまが本当にそのことをしてくださると信じました。 12月12日(土)ルカ一23〜25  天使の言葉のとおりに、エリサベトのお腹に赤ちゃんが与えられました。なんとなく肩身の狭かったエリサベとはとても慰められました。神さまは、優しいお方だと感謝しました。  イエスさまのお母さんに選ばれたマリアは小さな町に住む普通の人でした。有名でも特別な人でもありませんでした。 12月13日(日)ルカ一26〜29  「おめでとう。恵まれた方。神さまがあなたと共におられます。」マリアのことを天使は祝福しました。マリアに神さまの特別な恵みが与えられるのです。驚いたマリアは頭の中でぐるぐると考え込んでいました。これからどんなすばらしいことが起こるのかを理解するには時間が必要でした。 12月14日(月)ルカ一30〜33  天使の言葉はさらにマリアをびっくりさせました。マリアのお腹に男の赤ちゃんが与えられると言われたからです。それが神さまからの恵みでした。赤ちゃんは名前も決まっています。赤ちゃんは神の子で、将来王になるのです。長い間イスラエルの人々が待っていた王さまがとうとう来られるのです。マリアは神の子のお母さんになるのです。 12月15日(火)ルカ一34〜35  マリアはヨセフと婚約していましたが、赤ちゃんはヨセフとの子どもではありません。神の子だからです。聖霊によって与えられるのです。 12月16日(水)ルカ一36〜37  マリアの親戚のエリサベトも、子どもを身ごもるにはもう年をとりすぎて、できない体でした。でも神さまによって赤ちゃんを身ごもりました。年をとっている人でも、まだ結婚していないマリアでも、神さまは子どもを与えることができるのです。神さまにできないことは何もないからです。 12月17日(木)ルカ一38  マリアは神さまにできないことはないこと信じました。そして自分は神さまのしもべなので、神さまの思うまま、言われる通りにしてくださいと、神さまの言葉に従いました。神さま、私もお言葉通りにしてくださいと、従うことができますように。 12月18日(金)ルカ一38  ところでマリアの妊娠を知ったら、ヨセフはどう思うでしょうか。神さまから授かったと信じてもらえるでしょうか。そんなことを考えたら、マリアは不安になったかもしれません。でも神さまはヨセフにも天使を遣わして、二人が安心して結婚できるようにしてくださいました。 12月19日(土)ルカ一38  神の子のお母さんになることは、本当に特別ですばらしい恵みです。でもマリアの受けた何よりの恵みは、従うことで神さまの計画を引き受けた人の一人になったことです。イエスさまが十字架の死から復活され、本当の王さまとして私たちおさめてくださる、その計画が実現するために働いたのです。  イエスさまのお誕生は世界の片隅で起こりました。神さまは私たちの注目しないところでも確かに働いておられるのです。 12月20日(日)ルカニ1〜4  ローマには何人の人が住んでいるのか、人々はどんな仕事をしているのか、お金持ちなのか、貧しいのか、ローマ皇帝は知りたいと思いました。だから国中にふるさとで住民登録をしなさいと命令したのです。ナザレに住んでいたヨセフとお腹の大きなマリアも登録のためにベツレヘムに帰りました。 12月21日(月)ルカニ5〜7  ベツレヘムは小さな町です。大勢の人が帰ってきて町は人でいっぱいになりました。登録にも時間がかかったのでしょう。すぐにナザレに戻れませんでした。二人がベツレヘムにいる間にイエスさまはお生まれになりました。こうしてイエスさまは神さまの計画の通り、ベツレヘムでお生まれになりました。 12月22日(火)ルカニ5〜7  イエスさまが生まれたのは家畜小屋でした。宿屋には泊まれる部屋がなかったからです。イエスさまのベッドは動物の餌を入れる飼い葉桶です。神の子イエスさまは、きれいで何もかも整った場所ではなく、私たちの貧しく整っていないところに来てくださったのです。 12月23日(水)ルカニ8〜12  天使がイエスさまの誕生を知らせたのは、有名な人や偉い人にではなく、夜も寝ないで羊を守る貧しい羊飼いたちでした。光に照らされてびっくりする羊飼いたちに天使は言いました。「すべての人に与えられる大きな喜びを知らせましょう。今日あなたがたのために救い主がお生まれになりました。」 12月24日(木)ルカニ8〜12  羊飼いたちは驚いたでしょう。救い主は飼い葉桶に寝かされているというのです。そんな赤ちゃんは普通いないでしょう。でも彼らが探すのに迷わないですね。家畜小屋を探せばいいのです。なんて不思議な赤ちゃんでしょう。 12月25日(金)ルカニ13〜14  メリークリスマス!羊飼いたちは天使の大軍のすばらしい賛美を聞きました。イエスさまはひっそり生まれ、飼い葉桶に寝かされた赤ちゃんですが、天使たちに賛美される確かな救い主です。 12月26日(土)ルカニ15〜21  羊飼いたちはイエスさまを見つけることができました。もし宮殿や立派なお家のベッドに寝かされていたら、彼らは会いに行けませんでした。でも家畜小屋なら、羊飼いたちでも会いに行けるのです。すべての人のために生まれてくださったお方は、だれでも会いに行ける場所に生まれました。  今年ももうすぐ一年が終わろうとしています。どんな一年でしたか。神さまに感謝したいことはありますか。 12月27日(日)詩一〇三1〜2  山に登ったり、海に行ったりすると、自然の力強さや美しさ空気のおいしさに、神さまはすごいと思うことがあります。転んで怪我をしても、しばらくすると自然に治っています。神さまが造られた私たちの体は本当によくできています。神さま、あなたは本当にすごいお方です。あなたの聖なるお名前をたたえます。 12月28日(月)詩一〇三1〜2  神さまがしてくださった「計らい」は、私たちに良くしてくださったことです。私が思う良いことではないこともあります。でも神さまがしてくださったことは私が思うことよりももっと良かったと思わせてくださいます。忘れてはならない良い計らいはありましたか。 12月29日(火)詩一〇三3  神さまは私たちの罪、過ちをすべて赦してくださいました。そして今も悔い改める私たちのどんな罪も赦してくださいます。神さま、赦してくださりありがとうございます。 12月30日(水)詩一〇三3〜4  神さまは私たちの病気を癒してくださいます。でも神さまが癒せない病気はないのに、癒されないでいる人もいます。癒されないで死を迎える人もいれば、難しい病気が癒やされて生かされる人もいます。それでも私たちは「すべての病を癒す方」と神さまをたたえるのです。それは癒やされなかったら神さまをたたえないのではなく、どのような中にあっても神さまを信頼しますという祈りなのです。 12月31日(木)詩一〇三3〜4  神さまは、私たちを愛や慰め、思いやりで覆ってくださり、私たちが落ち込んだり、悩んだり、苦しんだりしている時、共にいて支えてくださるのです。神さま、あなたの慈しみと憐れみによって支えられています。ありがとうございます。 1月1日(金)詩一〇三5  神さま、あけましておめでとうございます。あなたはいつも良いもので私を満たしてくださいます。本当にそれはありがたく、すばらしい恵みです。新しい年も、あなたの良いものをどうぞ疑うことなく信じることができますように助けてください。 1月2日(土)詩一〇三5  神さま、私たちは、体はやがて年をとっていきます。けれどもあなたの恵みによって私の心をいつも新しくしてください。神さまに感謝を忘れないでいられますように。不満や文句ばかりが出てくる時、神さまのすばらしさを思い出させてください。