神さまを信じると、私たちの生活にも変化を起こります。ガラッと変わるとは限らないので、見えにくいかもしれません。でも確かに神さまが私たちの心に働いてくださり、私たちは変えられていくのです。 10月2日(日)ヤコブ一1〜4  こんなつらいことはない方がいいと、私たちは試練なんてとても喜べないものです。でも不思議なことに、辛いことを乗り越えると、私たちの心はちょっと変わるのです。少し我慢強くなっていたり、優しくなっていたりするのです。そしてますます神さまを信じたくなるのです。神さま、どうぞつらいことを乗り越える力を与えてください。 10月3日(月)ヤコブ一5  私たちにはどうしていいかわからないことがたくさんあり、とても悩みます。こんな時どうしたらいい?あの時なんて言ったらよかった?と。でもだからこそ、神さまに知恵を求めるなら、それを乗り越えるのに必要な知恵が惜しみなく与えられると約束されています。神さま、どうしたらいいのか知恵を与えて教えてください。 10月4日(火)ヤコブ一6〜8  お祈りしたって、求めたって、本当に神さまはくださるのかな?と疑ったり信じられなかったりする時があるかもしれません。そういう時は、信じることも神さまに助けていただけばいいのです。神さま、疑う私をゆるしてください。信じることのできない私を助けてください。 10月5日(水)ヤコブ一9〜11  お金があるから大丈夫と、お金に頼ったり神さま以外のものに頼ったりすると、それらはあっという間に無くなったり、私たちを助けることができなかったりします。だから持っているものの大小で喜んだり悲しんだりするのではなく、神さまが満たしてくださることを信じることが大切なのです。 10月6日(木)ヤコブ一12〜18  私たちは欲しいものがたくさんあります。物だけでなく、誉められたいとか、一番でありたいなども欲しいものです。でも全てを手に入れることはできないし、そうでなくても満足できます。ところがなんとかして手に入れたくなる時、誘惑となって私たちが罪を犯してしまうことがあるのです。神さま、欲しいものを無理やり手に入れようとする誘惑から守ってください。 10月7日(金)ヤコブ一19〜21  人の話を聞くのは難しいですね。つい自分の言いたいことばかり言ってしまうし、怒るのを我慢するのも簡単ではありません。神さま、どうぞまずは神さまと人の話をよく聞く心を与えてください。 10月8日(土)ヤコブ一22〜25  聞いたみ言葉を行うと、聞いたことが本当だとわかり、私たちはうれしくなります。神さま、み言葉を行う者としてください。  神さまは私たちのことを誰でも分け隔てなく見てくださり、愛してくださいます。それは本当にありがたいですね。 10月9日(日)ヤコブ二1〜4  だれかがだれかをえこひいきをしているのを見ると、イヤな気持ちになりますね。でも自分でもそうしている時があるかもしれません。神さま、人のことを見下したり、差別したりしない柔らかい心を与えてください。もし自分がそうしているなら、気づいてやめることができますように。 10月10日(月)ヤコブ二5〜7  必要な物が買えなかったり、力が足りないと悩んだりしたら、神さまに与えてくださいとお祈りするでしょう。そして与えられたら、神さまをもっと信じるようになります。お金があることが悪いのではなく、持っていてもいなくても、神さまに頼ることが大事なのです。 10月11日(火)ヤコブ二8〜11  私たちに与えられた大事な戒めは「隣人を自分のように愛しなさい」です。それはどんな人のことも神さまに愛されている人だから大切にしなさいということです。それは気が合う合わないや、好き嫌いはあっても差別や分け隔てをしないということです。神さま、自分の力ではできません。人を分け隔てしないで接する力を与えてください。 10月12日(水)ヤコブ二12〜13  私たちはただ厳しく教えられたり、懲らしめられたりするだけでは変われないものです。こんな自分でも愛されていることを知るような、優しさや憐れみが私たちには必要です。神さまは、イエスさまの十字架を通して、愛と憐れみを示してくださいました。 10月13日(木)ヤコブ二14〜17  困っている人を助けたいと思っていても、思っているだけでは何も起こりません。神さまを信じる生活も、聖書の言葉を行なうことによって信じる思いが強くされ、成長していきます。神さまを信じていることは、神さまの言葉を生活の中で行っていくことなのです。 10月14日(金)ヤコブ二18〜20  「行いのない信仰は役に立たない」という言葉にどきりとします。自分は何にもやっていないと心配になるかもしれません。何をすればいいのかわからないかもしれません。まずは自分で聖書を読み、お祈りをしていくなら、神さまが教えてくださいます。神さま、信じていることが生活の中で行動となりますように。今日、私にできることを教えてください。 10月15日(土)ヤコブ二21〜26  アブラハムが大事な息子を神さまにささげなさいと言われた時、心の中はとても闘っていたでしょう。でも神さまに信頼して従いました。神さまに従うことが簡単ではない時もありますが、信じる生活は行うこと、つまり従うことも必要なのです。  ヤコブの手紙は、自分のことをとても考えさせられる言葉です。 10月16日(日)ヤコブ三13〜16  だれでもだれかのことをねたんだことがあるでしょう。イエスさまは、ユダヤ人リーダーたちにねたまれて十字架で殺されました。でもイエスさまは十字架の上で彼らのために、そしてねたむ私たちのために祈ってくださいました。「父よ、彼らをお赦しください。」と。もしだれかをねたんでしまう時、私たちも  お祈りしたいと思います。ねたむ私をおゆるしください。ねたまない心を与えてください。 10月17日(月)ヤコブ三17〜18  ねたみは、相手のことを敵と思いがちです。敵とは平和になれません。でも神さまから知恵をいただくなら、相手に対する見方が変えられます。敵ではなく助け合う仲間として大事にし、一緒にいても平和でいられるのです。この知恵を求めるなら、神さまは惜しみなく与えてくださいます(ヤコブ一・5)。 10月18日(火)ヤコブ四1〜3  創世記に出てくるヤコブは、お兄さんのエサウに与えられる長子の特権をもらうために、お父さんを騙し、横取りしました。ほしいものを無理矢理手に入れましたが、お兄さんには殺そうと思われるほど恨まれ、家から逃げ出さなければならなくなりました。良いものを手に入れても、争いが残ったのです。何かがほしい時、お祈りできますように。また答えを待つことができますように。 10月19日(水)ヤコブ四4〜6  「世の友となる」とは、神さまより他のものをまるで神さまのように信じて頼ることです。お金があることや、人よりも優れたものを持っていることは、自信になったり自分を強くしたりするでしょう。でもそれによって神さまに頼ることから離れてしまうなら、神さまはそれを妬まれるのです。 10月20日(木)ヤコブ四7〜10  悪魔は私たちを神さまから引き離そうといろいろな手を使ってきます。だから私たちは神さまにいつでも近づきたいと思います。お祈りし聖書を読み、礼拝をささげることは、神さまに近づくことです。そして悪魔から私たちを助ける力をいただけます。 10月21日(金)ヤコブ四11〜12  私たちは人の悪いところはとても気になります。教えて直したいと思います。でも自分の悪いところは言われても素直には認められないものです。神さまの目にはあの人も私も変わりはありません。神さま、まず自分が悔い改めなければいけないところを気づかせてください。 10月22日(土)ヤコブ四13〜17  「明日やろうはばかやろう」と言う言葉がありますが、明日のことはだれにもわかりません。今日やるべきことがあるなら、それをする力をいただけますように。  うれしい手紙、大事な手紙は何度も読み返しますよね。パウロの手紙も昔から今まで何度も読まれてきた大切な手紙です。 10月23日(日)Ⅰテサ一1〜4  テサロニケ教会は、パウロとシラスが伝道して生まれました。けれどもユダヤ人たちに妬まれて、パウロたちは長く町にいられませんでした。生まれたばかりの教会のお世話ができなかったので、パウロたちはテサロニケ教会のことをいつもお祈りして、神さまにお任せしてきました。神さまは祈りにこたえてくださり、テサロニケの教会を成長させてくださいました。 10月24日(月)Ⅰテサ一5〜6  テサロニケの人々は、パウロから聖書の言葉を聞きました。そしてそれを信じて生活しているパウロの姿を見ました。パウロがユダヤ人たちから嫌がらせを受け、また悪者にされているのを見ました。でも彼らはイエスさまを信じました。そして苦しくてもつらくても、不思議に心の喜びがなくならないことを知ったのです。 10月25日(火)Ⅰテサ一7〜10  テサロニケの教会の人々が信じて喜んで生活をしているニュースは、パウロたちがイエスさまを伝えに出かけていく町々で、すでにうわさになっていました。だから、テサロニケの人々が伝えるだけでなく、それを見た人たちによっても、イエスさまのことが伝えられていったのです。神さまを信じる喜びを私たちももっと知ることができますように。 10月26日(水)Ⅰテサ二1〜6  パウロたちは、苦しい時でも、十字架で死なれたイエスさまがよみがえられた救い主だと、ただイエスさまのことを伝えました。そしてテサロニケ教会が誕生し、信じた人々はイエスさまにつながり続けていました。伝道したことは無駄になりませんでした。 10月27日(木)Ⅰテサ二7〜12  パウロたちにとってテサロニケ教会は愛するこどもたちでした。だから「私たちが伝えたからあなたたちは信じることができたんだよ」と偉そうにすることはありませんでした。優しいお母さんや、子どもを思って教えるお父さんのように、教会の人たちを大事にしました。信じる心を育てるのも、愛が必要です。パウロはイエスさまの愛で教会を愛しました。 10月28日(金)Ⅰテサ二13〜16  聖書の言葉は、私たちを教えたり、助けたり、力づけたり、ストップさせたりします。神さまの力がみ言葉を通して働いているからです。 10月29日(土)Ⅰテサ二17〜20  パウロにとっては、テサロニケの人々になかなか会えなくても、イエスさまがもう一度来て、自分にも彼らに会ってくださることが何よりの希望でした。イエスさまが悲しみも苦しみもない新しい世界へ信じる私たちを入れてくださるからです。  イエスさまはもう一度この世界に来られます。それを再臨といいます。その時には、今の世界が終わり、新しい世界がくるのです。 10月30日(日)Ⅰテサ四13〜14 私たちは死んだらどうなるのでしょう。死を考えると悲しくなり怖くなります。でもイエスさまは十字架の死からよみがえられました。だからイエスさまを信じる私たちは、死んでも終わりではありません。たとえ死んでいたとしても、再臨の時には私たちも新しい体をいただいてよみがえります。 10月31日(月)Ⅰテサ四15〜18 イエスさまがもう一度来られる時、新しい世界に私たちを入れてくださいます。その順番は、先に死んだクリスチャンがよみがえり、次にその時生きているクリスチャンは空中に引き上げられて、イエスさまとお会いするのです。その後はずっとイエスさまと一緒に新しい世界で生きるのです。 11月1日(火)Ⅰテサ五1〜2 ではイエスさまはいつ来られるのでしょうか。それは分かりません。神さまだけの秘密です。だから私たちにできる準備は、私たちがイエスさまから離れないことです。イエスさまが来られる時まで、イエスさまをずっと信じて歩めますように。 11月2日(水)Ⅰテサ五3〜4  世界の終わりと聞くと怖いですね。それは神さまの裁きの日でもあって、なおさらドキドキしますね。私たちは神さまの前にはだれも堂々と立てない罪を持っています。でもイエスさまの十字架の死によって私たちはゆるされました。だから信じる人はもう闇の中にはいません。怖がらなくて大丈夫です。 11月3日(木)Ⅰテサ五5〜6 イエスさまを信じる人は光の子です。だから終わりの日はイエスさまに会える喜びの日です。だからイエスさを知らない人にもこの日を希望の日として伝えていきたいですね。神さま、まだあなたを信じていない人々も終わりの日を喜んで迎えられるようにお救いください。 11月4日(金)Ⅰテサ五7〜9  光の子にはいつも悪魔と罪との戦いがあります。イエスさまを信じることをやめるように働きかけてくるからです。信仰と希望と愛が、戦いの武装です。それはイエスさまの愛を信じて救いの希望を持つことです。神さま、悪魔と戦う時私を助けてください。戦いを乗り越えてますます信じる者にしてください。 11月5日(土)Ⅰテサ五10〜11 私たちは生きていても、死んでいてもイエスさまと一緒に生きるのです。死んでいても生きるとは不思議です。でもそれが再臨の時に復活の体をいただいて生きることです。これはみんなの希望です。だから私たちは再臨までお互いに、「信じ続けよう」と励まし合いながら歩んで行きたいですね  イエスさまを信じる人の生活は、イエスさまがまた来られるのを楽しみに待つ生活です。でもそれはどんなふうに生きていくことなのでしょうか。パウロの手紙の締めくくりの言葉を聞いてみましょう。 11月6日(日)Ⅰテサ五12〜13 私たちには、イエスさまを信じるように教え導いてくれた人がいます。きっといろいろな人が、言葉や生き方で教えてくれたことでしょう。家族や牧師先生、教会学校の先生、教会に来ている人などです。時にはうるさく感じ、反発することもあるかもしれません。でも自分をいつも覚えて祈り導いてくれていることを忘れないでいたいものです。尊敬と感謝の思いでいっぱいになるからです。 11月7日(月)Ⅰテサ五14〜15  私たちは教会の中で励まされ、助けられ、受け入れられて、時には注意もされ、ゆるされて成長していきます。そうしていつか自分もだれかを、イエスさまを信じていくために励まし支えていく人にされるのです。神さま、私もだれかの信仰を支え励ますことができますように。 11月8日(火)Ⅰテサ五16〜18 このみ言葉を大好きな人がたくさんいます。でも「いつも、絶えず、どんなことも」という言葉に難しいなあとも思っています。でも喜べないし感謝できない大変な時はきっと祈るでしょう。そしてそれを乗り越えた時、感謝と喜びに変わるでしょう。そういうことを繰り返して成長してくのが信じる生活だということなのです。 11月9日(水)Ⅰテサ五19〜22  パウロが勧める言葉を、私たちが生きていくのは、聖霊の助けによってです。何が良いのかを選んで悪から離れるのも聖霊の助けが必要です。どんな時にも聖霊に祈り求めるなら、力のない私たちをみ言葉に生きるよう助けてくださいます。 11月10日(木)Ⅰテサ五23〜24 イエスさまは私たちを全く聖なる者としてくださいます。それは私たちがみ言葉を信じて生きていく生活を、再臨の時まで聖霊によって続けさせてくださるということです。そして再臨の時、私たちの信仰を完成してくださるのです。イエスさま、私がみ言葉を生活の中で思い出して、信じて行えるように助けてください。 11月11日(金)Ⅰテサ五25  私たちはみんな、周りの人のお祈りによって支えられています。時には自分の知らない遠くの人がずっと祈ってくれていることもあります。祈られているからこそ、私たちも祈る人にされていくのです。 11月12日(土)Ⅰテサ五26〜28 この手紙はパウロの時代のテサロニケ教会に宛てて書かれました。それを教会の人たちみんなで読んで、その言葉に聞いて生きたのです。これは今の私たちにも届けられたみ言葉なのです。  私たちには時々どうしたらいいかわからないことがあります。でも神さまにお祈りできることは本当に恵みです。 11月13日(日)箴言三1〜4  覚えているみ言葉や、好きなみ言葉はありますか?み言葉は私たちの生活の中で、力や助けになります。また誘惑から守り、罪をやめるように教えてくれます。み言葉は私たちにとってなくてはならない心のごはんです。覚えたみ言葉をいつも思い出して、従うことができますように。 11月14日(月)箴言三5〜10  わかっているからと人の話を聞かないで失敗したことはありませんか?自信を持つことは大事なことです。でもどんなに自信があっても、私たちは失敗することがあります。だからどんな時も神さまにお祈りをし、神さまに聞きながら進みたいですね。いつも神さまの言葉を聞きながら歩めますように。 11月15日(火)箴言三11〜12  何かを前よりもっとできるようになるためには、訓練が必要です。成長するために厳しい訓練を乗り越えなければならない時があります。神さまも、私たちが神さまの子供として成長していくために、いろいろな経験をさせて訓練されるのです。 11月16日(水)箴言三13〜18  どんな人が幸せなのでしょう。知恵を見つけた人だと書かれています。頭がよかったら幸せだろうなあと思いますが、勉強ができる知恵というわけではありません。知恵とは神さまのことです。神さまを信じること、神さまに頼ることが自分には必要だと知っている人が幸せな人だというのです。それは良い時も大変な時も神さまに教えてもらいながら進んでいけるからです。 11月17日(木)箴言三19〜20  この世界は神さまの知恵によって造られました。世界の仕組みはとてもうまくできています。動物も植物も人間も、空や海、空気、風、雨、太陽の光もみんなそれぞれがうまく働いて支えあっています。そういう仕組みの全てを私たちはまだわかりきっていません。すばらしい知恵を持っておられる神さま、私も神さまの知恵をいただいて、みんなと支えあって生きることができますように。 11月18日(金)箴言三21〜26  神さまから与えられられた知恵は、私たちの命のようなものです。命ということは、生きていくためになくてはならないものです。それは神さまがいつも共にいてくださるということです。だから困ったり、恐れたりすることがあっても、お祈りをして安心をいただけるのです。 11月19日(土)箴言三27〜35  神さまからの知恵は、自分のことだけではなく、だれかのためにできることをする力になります。人を愛し、支えるために自分に何ができるかを考えてやっていく知恵なのです。  前は内容が全然頭に入らなかった本が、別の時に読んだらすごくよくわかったということがあります。その本を読むにも時があったんだなと思いました。 11月20日(日)コヘレト三1〜8  「すべての出来事には時がある。」とあります。これは、神さまが一番良い時を知っておられるということです。私たちは、あの時にすればよかったとか、今じゃなきゃダメなのにと思うことがあります。でも神さまは私たちが思うよりも良い時を知っておられます。だから私の思う時でなかったとしても、もっと良い時なのです。神さまの良い時を信じることができますように。 11月21日(月)コヘレト三9〜11  いっしょうけんめいにがんばっても、なんだかムダとかむなしいなあと思うことはありますか?だれでもそう感じることがあります。それにいつも楽なことばかりではありません。苦労することはたくさんあります。でも不思議なことに、苦労を乗り越えると、ムダに思えたことがムダでなくなります。神さまが、私たちの一番良い時に、一番良いことをしてくださり、ムダにされないからです。 11月22日(火)コヘレト三12〜12  幸せは何もしないで待っていてもやってきません。またうまくいっているから幸せで、うまくいっていないと不幸せでもありません。生活の中でいろいろ苦労したり、失敗したりしても、幸せは発見できるのです。神さま、毎日の生活の中で、幸せを発見できるように助けてください。 11月23日(水)コヘレト三13〜15  私たちの世界に変わらないものは何もありません。人も変わっていきます。変わらないのは神さまだけです。だから一番信頼できるのです。神さまをこれからも一番信頼していけますように。 11月24日(木)コヘレト三16〜17  私たちはだれかのことを「あんなことしていけないんだ」とか「あの人はこんなだから悪い」と思うことがあります。それは自分が正しいと思っているからです。でも実は自分も間違っていたり、悪かったりすることがあります。だれもが神さま の前には正しくない、裁かれる者たちです。人のことばかり気になる時、まず自分のことも気づくことができますように。 11月25日(金)コヘレト三18〜21  全ての生き物はみんないつか死にます。そして土のチリで造られたので、チリに帰るのです。私たちははかないものなのです。だからどうぞ心を低くして生きていけますように。 11月26日(土)コヘレト三22  未来に何が起こるかを知ることのできない限界のある私たちですが、神さまは私たちに、自分の人生に仕事や勉強など、生きるためのやりがいを見つけて楽しむことを与えてくださっています。  いよいよクリスマスを待ち望むアドベントです。イエスさまのお誕生に関係することを、外国人で医者のルカが詳しく書いています。 11月27日(日)ルカ一1〜4  テオフィロがどんな人なのかよくわかっていません。ただ彼は外国人で、イエスさまの救いのことを聞いていたのですが、どうやらまだ信じることができないでいたようです。だからこの福音書を読んで、信じてもらいたかったのです。私たちも聖書を読むたびに、イエスさまのことをさらに信じることができますように。 11月28日(月)ルカ一5〜7  祭司ザカリヤとエリサベト夫婦は、心から神さまを信じ従っていました。周りの人たちは二人のことを模範にしていたでしょう。でも二人には、ユダヤ人にとって神さまの祝福のしるしである子どもがいないので、「子どもがいないんじゃ、立派な振りをしているだけだ」と悪く思う人もいたのです。 11月29日(火)ルカ一8〜14  長い間二人は子どもが与えられるよう祈りましたが、もう年をとり、子どものことは祈らなくなっていました。ところが天使は男の子が生まれるとすばらしい知らせを語りました。「あなたの祈りは聞き入れられた。」私たちの祈りを神様は忘れないのです。どうぞ私たちがあきらめないで祈ることができますように。 11月30日(水)ルカ一15〜17  生まれてくる子どもには神さまからの特別なお仕事を与えられていました。神さまから心の離れた人々を、神さまのところに帰ろうと伝える人になるのです。さらにみんなが救い主を心に迎え入れるために準備をするのです。この子どもの誕生は預言されていた神さまの約束の実現でした。 12月1日(木)ルカ一18〜20  神さまの時は不思議です。ザカリヤとエリサベトに子どもが与えられたのは、普通なら生まれるはずのない年齢でした。ザカリアは信じることができませんでした。だからそれが本当に起こる証拠に、ザカリアは話ができなくなってしまったのです。私たちにとってはあり得ないことを神さまはすることができるお方です。どうぞ私たちが、どんなこともできる神さまの言葉を信じることができますように。 12月2日(金)ルカ一21〜23  ザカリアは神殿の大事な仕事の最中でした。神殿の外でザカリアを待っていた人々を祝福することもできませんでした。ザカリアはもう何も余計なことを言わないで静かに待つことになりました。 12月3日(土)ルカ一24〜25  本当に妻のエリサベトのお腹に赤ちゃんが与えられました。二人にとって「子どもがいないんじゃ」と言われていた悲しみが喜びに変えられました。ザカリアは話せないことで恵みを深く感じました。  アドベントの第二週目です。マリアにとってのクリスマスはどんなものだったのでしょう。 12月4日(日)ルカ一26〜29  天使はマリアに「おめでとう。恵まれた方。主があなたと共におられる」と言いました。私たちは賞をもらったり、合格したり、優勝したりした時に「おめでとう」と言われます。でも何よりもめでたいことは神さまが共にいてくださることなのです。神さま、あなたが私と共にいてくださりありがとうございます。 12月5日(月)ルカ一30〜34  天使のおめでとうは、さらに続きます。「あなたは神の子救い主のお母さんになりますよ。」と言われました。マリアは神の子のお母さんに選ばれたのです。その子どもはだれよりもすばらしい王さまとして世界をおさめるのです。この王さまがおさめる世界はどんな人も愛と平和の中で喜ぶ生活ができるのです。 12月6日(火)ルカ一35〜38  まだ結婚していないマリアの体には、神さまの力によって赤ちゃんが与えられると言われました。果たして婚約者のヨセフはわかってくれるでしょうか?近所の人たちはなんて思うでしょうか?いろいろ考えると、どうしようと不安になりそうです。でもマリアはただ神さまの言葉を信じて自分を差し出しました。私は小さな者にすぎませんから、神さまのいいと思うことにお任せしますと。 12月7日(水)ルカ一39〜42  親戚のエリサベトは、マリアのことをだれよりもわかってくれる人です。もう子どもの産める年ではないエリサベトも、神さまの恵みによって子どもが与えられたからです。まだ結婚前のマリアが赤ちゃんを妊娠したことは、事情を知らない人みんなが喜ぶわけではありません。でもエリサベトは心から喜びました。神さまの祝福だと知っていたからです。 12月8日(木)ルカ一43〜45  「神さまの言葉が必ずなると信じたあなたは、本当に幸せね。私もうれしいし、私のお腹の赤ちゃんもあなたの声を聞いて喜んで踊ったのよ。」エリサベトがそう言ってくれたので、マリアは安心し励まされました。神さま、私たちも教会の友だちと信仰を励まし合っていけますように。 12月9日(金)ルカ一46〜50  マリアはうれしくなって。神さまを賛美しました。神さまはマリアをみていてくださり、祈りを聞いておられ、マリアが神さまに従うことも助けてくださったのです。マリアは全部神さまの恵みだと崇めました。 12月10日(土)ルカ一24〜25  世の中は、力のある人、強い人、地位のある人が力を発揮しやすく見えます。でも神さまは弱い人、見落とされている人、抑えつけられている人を忘れないで引き出して、光を照らしてくださるのです。  アドベントの第三週目です。ルカの書いたクリスマスに関係する出来事には、神さまへの賛美がよく歌われていますね。 12月11日(日)ルカ一57〜58  ザカリヤとエリサベトに、ついに男の子が生まれました。二人とももちろんとっても喜んだのですが、近所の人や親戚の人たちも「本当に良かったね。「」神さまはすばらしいね。」「お祈りを聞いてくださるね。」とみんなが喜びました。神さま、私たちにも喜んでいる人と心から一緒に喜ぶ心を与えてください。 12月12日(月)ルカ一59〜60  だれの名前にも、お父さんとお母さんの思いがこもっています。でも二人の赤ちゃんの名前は神さまによってもう決められていました。「ヨハネ」です。ザカリアは、話はできなくても、ちゃんとエリサベトに天使から告げられたことを伝えていました。だからエリサベトはその通りにしました。神さまが与えてくださった恵みに、ザカリアとエリサベトも応えて従ったのです。 12月13日(火)ルカ一61〜64  ザカリアの閉ざされていた口がついに開きました。長い間話したくても話ができませんでした。耳も聞こえなかったようです。話せるようになったら、あれもこれも話したいと考えていたでしょう。でも自由にお話ができるようになった時、ザカリアはまず神さまを賛美したのです。私たちも今日どこかで神さまを賛美することができますように。 12月14日(水)ルカ一65〜66  この出来事はその場にいた人たちをとてもびっくりさせました。そしてその地域の山里全体に知れ渡ったのです。「あの子はきっと何かをしてくれるようなすごい人になるのだろうね。」と期待したのです。神さまが赤ちゃんと共におられました。 12月15日(木)ルカ一67〜75  ザカリアは心から神さまへの賛美を歌い、約束された救い主がついに来られることを感謝しました。神さまは、ずっと前から約束していたことをちゃんと忘れないでその通りにしてくださるお方です。聖書の約束は今の私たちにもまた実現していきます。どうぞ神さまの約束の言葉が実現すること期待して待つことができるように助けてください。 12月16日(金)ルカ一76〜79  ヨハネは救い主の働きのために、準備をする人です。人々に罪をゆるす救い主を受け入れるよう心を整えるのです。神さまは私たちを心から愛し大切に思ってくださっているので、信じる私たちが罪をゆるされて救われるようにしてくださいました。 12月17日(土)ルカ一80  ヨハネは神さまの御手に守られて成長していきます。神さまから与えられた使命を行う時まで荒野で時を過ごしました。私たちも神さまの御手に守られています。  アドベントの第四週目です。いよいよクリスマスですね。クリスマスの喜びが豊かにありますように! 12月18日(日)ルカ二1〜7  イエスさまが生まれたのは、動物の匂いがする家畜小屋でした。ベッドはエサを入れる飼い葉桶です。普通なら赤ちゃんを産む場所ではありませんが、クリスマスはそこから始まりました。イエスさまは私たちの世界のどんなところにも来て救ってくださるお方です。イエスさま、私たちの心にもいつもいてください。 12月19日(月)ルカ二8〜14  救い主が生まれたのに、だれも知りませんでした。天使によってその知らせを聞いたのは、野宿をしていた羊飼いたちでした。すべての人に与えられる大きな喜びの知らせは、有名でもなんでもない貧しい羊飼いが代表して知らされたのです。 12月20日(火)ルカ二15〜21  最初のクリスマスは、キラキラの飾り付けも、ご馳走もない家畜小屋で起こりました。そこには貧しい夫婦の子として生まれた、飼い葉桶に寝かされた赤ちゃんがいただけです。でもその赤ちゃんが天使の言ったとおりの救い主なのです。羊飼いたちはうれしくて、帰り道はずっと神さまへの賛美を歌っていました。私たちも神さまにたくさん賛美をささげるクリスマスになりますように。 12月21日(水)ルカ二22〜24  ヨセフとマリアの、赤ちゃんをささげる気持ちをあらわした神さまへささげものは、貧しい人ができる精一杯のものでした。神さまはお金のあるお家ではなく、まだ若く、貧しい二人にイエスさまをお任せになりました。 12月22日(木)ルカ二25〜33  シメオンはイエスさまを抱いて、「私はこの目で救いをみた。」と言いました。イエスさまはまだ何もできない赤ちゃんでしたが、でもシメオンの目には、大人になったイエスさまが、私たちすべての人のための救いの働きをするのが見えていたのです。だから神さまを賛美しないではいられませんでした。私たちも神さまが働いてくださっていることを発見できますように。 12月23日(金)ルカ二34〜35  シメオンが語る赤ちゃんの将来は、ドキッとさせられます。シメオンはイエスさまが苦しみを受けられることと、それを見てマリアが心を深くいためることになると言いました。救い主はかっこいい姿で人を救うのではなく、苦しみを通って、私たちを救ってくださるのです。 12月24日(土)ルカ二36〜38  ユダヤ人はみんな自分たちを救ってくださるお方を待っていました。でも救い主のお誕生を知ったのは羊飼いたち、シメオン、アンナなどわずかな人たちでした。私たちももう一度来られるイエスさまに、喜んでお会いし、お迎えできますように。  クリスマスおめでとうございます。神さまの祝福が豊かにありますように。 12月25日(日)マタイ二11  メリークリスマス!サンタさんはプレゼントを届けてくれましたか?イエスさまのお誕生をお祝いしに、遠い国からやってきた博士たちも、とても高価な贈り物をプレゼントしました。彼らは外国人でしたが、イエスさまのことを自分たちの王さま、神の子救い主としてお迎えしていたからです。私たちも今日お祈りと賛美のささげものをイエスさまにプレゼントしたいですね。 12月26日(月)マタイ二1〜3  ヘロデ王はイエスさまのお誕生を喜びませんでした。ヘロデにとっては王座をねらうライバルだからです。王さまはみんなより偉いから命令して威張ることができます。自分の思い通りにできるので、いつまでも王さまでいたいのです。でもイエスさまは威張って、自分の好き勝手をする王さまではありません。私たちの心をきよめ、神の子として輝いて生きるように導く王さまなのです。 12月27日(火)マタイ二4〜6  救い主がベツレヘムでお生まれになることは、ずっと昔から神さまが決めておられました。そしてそのとおりになったのです。けれども、残念なことに、長い間待っていたはずの人々は救い主の誕生に興味を持ちませんでした。神さま、あなたの約束のみ言葉が行われている時、それに気づき喜ぶことができますように。 12月28日(水)マタイ二7〜10  博士たちは、遠い国から星に導かれてやってきました。その星が本当はどういうものだったのかわかっていません。でも家の上に星が止まったのですから、確かに神さまが星を動かしたのです。どの国の人も救われるためにイエスさまはこられたからです。 12月29日(木)マタイ二12  ヘロデは、邪魔なイエスさまを殺すために、博士たちを利用しようとしました。しかし夢で神さまの言葉を聞き、博士たちはヘロデに会うことなく別の道から帰りました。私たちも神さまに従う道をいつも選ぶことができますように。 12月30日(金)マタイ二13〜15  ヨセフは夢のお告げを聞くと、救い主イエスさまと自分たちの命を守るために、すぐに起きて神さまの言葉に従いました。救い主イエスさまは両親の信仰と、お世話と守りの中で育てられたのです。 12月31日(土)マタイ二16〜18  救い主と会って喜んで帰っていった博士たちとは反対に、ヘロデはなんとしても救い主を殺して安心したいと思いましたが、どんなに邪魔者を殺しても安心できませんでした。ヘロデこそ、救い主が必要だったのです。神さま、だれでもあなたが必要です。みんなイエスさまに出会うことができますように。