イースターおめでとうございます。イエスさまが死からよみがえられました。私たちはだれもそれを見ていません。でもそれは起こりました。そして信じるなら、私たちは救われます。 4月4日(日)ヨハネ二十19  弟子たちは、イエスさまのように捕まえられて殺されるかもしれないと怖がっていました。そこへ彼らの真ん中に、よみがえられたイエスさまが来られたのです。そして「あなたがたに平和があるように」と言われました。イエスさまの言葉はその通りになります。今日何か怖くてもイエスさまは私たちの心の真ん中に来て、平和を与えてくださいます。 4月5日(月)ヨハネ二十20  弟子たちはイエスさまの手にある釘の跡や、脇腹にある刺された槍の跡を見ました。それは痛々しく、十字架の辛さや苦しみが伝わってきました。でも十字架で死なれたイエスさまは、よみがえられて、目の前に生きておられるのです。弟子たちの怖がっていた心がいっぺんに平和と喜びに変えられました。 4月6日(火) ヨハネ二十21~23  イエスさまは弟子たちを「遣わす」と言われました。「イエスさまはあなたのために十字架で死なれました。イエスさまを信じるなら罪がゆるされます」と、伝えに出かけていくのです。とても勇気がいります。弟子たちにできるでしょうか。でも弟子たちの力でするのではありません。吹きかけられたイエスさまの息、聖霊が助けてくださいます。 4月7日(水) ヨハネ二十24~25 トマスだけイエスさまに会えませんでした。だからイエスさまに会ったというみんなの言葉を信じられませんでした。「ちゃんと釘跡や脇腹を触ってみたのか?なんで確認しなかったんだ。本当にイエスさまかわからないじゃないか。自分は触って確認するよ。そうしなければぜったい信じない」と言い張りました。確かに死んだ人がよみがえったことを信じるのは難しいことです。 4月8日(木)ヨハネ二十26~27  イエスさまはまた弟子たちの真ん中に立たれました。イエスさまは、傷跡に触らなければ信じないと言ったトマスの言葉をご存じのようでした。だからトマスに触ってごらんと差し出されたのです。トマスが信じるためにです。 4月9日(金)ヨハネ二十28~29 トマスはイエスさまに会ったらもうそれで十分でした。でもイエスさまは「見ないで信じなさい」と言われました。信じるというのは、見ていないことを本当だと信じることです。                              4月10日(土) ヨハネ二十30~31  ヨハネは、イエスさまに会ったことのない人でも信じることができるように、この福音書を書き残しました。聖書の言葉は私たちを救いに導いてくださいます。  イエスさまはガリラヤで弟子たちと3度目の再会をされました。 4月11日(日)ヨハネ二一1~2  ペトロと他6人の弟子が一緒にガリラヤにやってきていました。イエスさまがガリラヤで会おうと言われていたためです。イエスさまがいない今、それでも彼らはイエスさまの弟子をやめませんでした。 4月12日(月)ヨハネ二一3  ペトロとヤコブとヨハネは、もともと漁師でした。しかし網も舟も捨ててイエスさまに従い、人間をとる漁師になりました。それなのに、ペトロは人間ではなく魚をとりに行くと言い出したのです。まさかペトロは弟子をやめる気なのでしょうか?でも他の弟子たちもついていきました。そして夜通しがんばった漁の結果はゼロでした。 4月13日(火) ヨハネ二一4  岸からその様子をイエスさまが見つめておられました。いつからそこにおられたのでしょう?でもだれもイエスさまだとはわかりませんでした。そんなところにイエスさまがいるとは思ってもいなかったのでしょう。期待して出かけたのにうまく行かない時、でもイエスさまはそれを見て知っていてくださるのです。 4月14日(水) ヨハネ二一5~6 イエスさまはただ見ているだけではありませんでした。声をかけて、どうすればいいかを弟子たちに教えられました。本当はペトロの方が漁のことは知っているのです。でもペトロたちは、まだイエスさまだとは知らないで、岸の人が言う言葉のままに舟の右側に網をおろしました。すると驚いたことに、舟に引き上げられないほどの魚がとれたのです。 4月15日(木)ヨハネ二一7~8 岸の人をイエスさまだと気づいたのは「イエスの愛しておられた弟子」のヨハネでした。彼は「主だ」と言いました。「こんなことができるのはイエスさまだけだ」と気づいたのです。するとペトロは上着を着て湖へ飛び込み、イエスさまのもとへ泳ぎだしました。きっとみんな思ったでしょう。「これはイエスさまのおかげだったのか」と。 4月16日(金)ヨハネ二一9~11 陸には火が焚かれ、魚が焼かれ、パンがありました。疲れているし、お腹もすいて、うれしい朝ごはんでした。ペトロが今とった魚もイエスさまのもとへ持っていき、焼きました。今日はたくさん魚をとりました。でも弟子たちはやがて、多くの人をイエスさまのもとへ導くのです。                             4月17日(土) ヨハネ二一12~14  弟子たちはパンと魚をイエスさまから受け取り食べました。彼らはイエスさまによって心も体も元気にされました。イエスさまは私たちにも心を元気にする食べ物をくださいました。イエスさまそのものです。それはイエスさまを信じることです。 ペトロはきっと、イエスさまに対して申し訳ない思いを抱えていたでしょう。イエスさまを知らないと言ってしまったからです。 4月18日(日)ルカ二二54~62  ペトロがイエスさまのことを3回知らないと言った時、鶏が鳴きました。するとイエスさまと目があったのです。はっとして、イエスさまの言葉が思い出されました。ペトロはイエスさまを裏切ってしまったのです。でもイエスさまはペトロを責める目で見ていたのではありません。全部知っていて、この先ペトロが立ち直る姿をもう見ておられました。 4月19日(月)ヨハネ二一15  イエスさまの「この人たち以上に」という質問に、以前のペトロだったら、他のだれよりも自分が一番イエスさまを愛していますと言い切ったでしょう。でも今ペトロは、自分の心はすべてイエスさまがご存じのとおりですと、答えました。自分が誰よりもできていると、愛を比べるのではなく、足りない愛だけれど、イエスさまを何よりも一番にしますという気持ちだったのです。 4月20日(火) ヨハネ二一16~17  イエスさまに3回「私を愛しているか」と聞かれ、ペトロの心はズキッと痛みました。3回「イエスさまを知らない」と言ってしまったことが思い出されます。でもイエスさまはそうやって、ペトロにやり直すチャンスを与えてくださいました。 4月21日(水) ヨハネ二一18~19 イエスさまの予告されたペトロの将来は、うきうきするようなものではありませんでした。イエスさまのために死ぬという厳しい将来があると言われたのです。でもペトロはイエスさまから離れませんでした。 4月22日(木)ヨハネ二一18~19 これからイエスさまの働きをしようとするのに、どんな素晴らしい働きをするかではなく、どのように死ぬかを予告されるなんて驚きです。でもペトロは生きている時だけでなく死ぬ時も、イエスさまのすばらしさを表すのです。イエスさまは言われます。将来どんなことがあっても、私に従いなさいと。 4月23日(金)ヨハネ二一20~23  ペトロは「イエスの愛しておられた弟子」のことが気になりました。ヨハネはどうなるのだろうと。でもイエスさまは「そのことはあなたには関係ない。あなたは私に従いなさい。」と言われました。私たちも人のことが気になりますが、大事なことはイエスさまから離れないで従い続けることです。                             4月24日(土) ヨハネ二一20~23  ヨハネが死なないという噂が弟子たちの間に広まりました。弟子たちですら、イエスさまの言葉を違うように聞いていたのです。イエスさまの言葉をよく聞いて理解することは、イエスさまに従うために大切なことです。  サムエルは小さい時から神殿で育ちました。サムエルは、子どものいなかったお母さんが、「もし神さまが子どもを与えてくださるなら、その子を神さまにおささげします。」とお祈りして与えられた子どもでした。 4月25日(日)サム上三1~5  サムエルの時代、人々は神さまの言葉を聞くことができなくなっていました。神さまから心が離れていたからです。そんな時、サムエルは自分を呼ぶ声を聞きました。寝ていたサムエルでしたが、すぐにエリ先生のもとへ行きました。あなたはだれかに呼ばれたらすぐに行けますか。 4月26日(月)サム上三6~7  サムエルはまた呼ばれる声を聞きました。でもエリ先生は呼んでいないというのです。一体だれがサムエルを呼んでいたのでしょう。サムエルにとっては神さまに呼ばれるのは初めてでした。だから、神さまから呼ばれたとはわからなかったのです。神さまは、聖書を通して私たちにも呼びかけておられます。でも神さまが自分に言っておられると気づくのに、時間がかかることがあるものです。 4月27日(火) サム上三8~9  3回目にエリはハッとしました。「そうか、神さまがサムエルを呼んでおられる。サムエルに大事な話をされるのだ」と。そこでエリは、サムエルに神さまの呼びかけに対してどう応えるかを教えました。私たちも神さまの言葉をよく聞けるように、「主よ、お話ください。しもべは聞いております。」と祈ることができます。 4月28日(水) サム上三10~14 ついにサムエルは神さまの言葉を聞きました。けれどもそれはとても厳しいお言葉でした。エリの息子たちが悪いことばかりするのに、エリがそれを止めることができませんでした。それでエリも家族みんなも罰すると言われたのです。厳しいみ言葉は聞きたくないものです。でもどんなみ言葉も聞くことが大事です。 4月29日(木) サム上三15~17 サムエルにとってずっとお世話になってきたエリ先生に、神さまの厳しい言葉を伝えることは辛かったでしょう。言いたくなかったでしょう。でもエリは神さまの言葉を何も隠さず言うようにと教えました。エリは自分の都合の悪い言葉でも聞く人でした。 4月30日(金)サム上三18  自分にとって辛い言葉を受け入れるのは難しいことです。でもエリは、サムエルから聞いた神さまの言葉をそのまま受け止めました。                             5月1日(土) サム上三19~21  サムエルは成長し、預言者となりました。彼の語る神さまの言葉はみんなその通りになりました。人々も神さまの言葉を聞くようになりました。どうぞ私たちがみ言葉を聞くことが、周りの人の祝福として用いられますように。 先のことを心配して、そうならないようにと、自分勝手に動いて失敗したことはありますか。待てなかったり、信じられなかったりすると、余計なことをして後悔したりするものです。 5月2日(日)サム上十三1~4  サウルはイエスラエルの最初の王になりました。イスラエルは隣の国ペリシテといつも戦っていました。サウルは、3千人の兵隊と戦いに出ました。すると息子ヨナタンの軍隊が、ペリシテ人の守備隊と戦って勝ったのです。ところがこれがペリシテ軍の憎しみを買ってしまいました。強いペリシテ軍と戦うにはもっと兵隊が必要でした。 5月3日(月)サム上十三5~7  ペリシテ軍には戦車が3万もあり、馬に乗って戦う兵隊が6千もいます。他にもまだまだ兵隊がたくさんいました。そんな大軍と戦うにはイスラエル軍はあまりに小さく弱く見えました。どうやっても勝ち目はありません。兵隊たちは怖くなって身を隠しました。サウルのそばにいる兵隊たちも怖がっていつでも逃げ出しそうでした。 5月4日(火) サム上十三8  サウル王は祭司サムエルを待っていました。戦いに出る前にお祈りして神さまの言葉を聞くためです。このとても勝てると思えない戦いであっても、イスラエルには神さまがついています。だから大丈夫なはずです。でもサムエルがなかなか来ないのです。サウルの心は焦りました。兵隊たちがどんどんサウルから離れていきました。 5月5日(水) サム上十三9 私たちは思います。サムエルはどうして遅れたのでしょうか。もう一歩早くきてくれたら良かったのに。いやいや、サウルがもう少しだけ待てば良かったのにと。サウルにとっては迫る敵も問題でしたが、何よりも国民から信用を失うことが、王として怖かったのです。兵隊たちの心をつなぎとめておきたくて、サムエルを待てませんでした。 5月6日(木) サム上十三10~12 サムエルは言いました。「あなたは何をしたのか。」サウルがしたことは間違っていました。しかしサウルは悔い改めることはできませんでした。「あなたは遅れてくるし、兵隊は離れるし、敵は迫るし、仕方がなかった」と言いました。 5月7日(金)サム上十三13~14  サウルが愚かだと言われたのは、神さまの言葉に従わなかったことでした。サムエルを待って神さまの言葉を聞くならば、彼が心配したすべてのことは、きっと乗り越えられたのです。                             5月8日(土) サム上十三14~15  サウルが自分で守ろうとした王の立場は長くは続きません。み言葉に従う人が新しくイスラエルの王になるからです。心配なことがどんなに大きくても神さまに信頼することが、私たちを守り救う道です。 神さまは、私たちを用いようとされる時、たとえ力が足りない私たちでも、私たちの持っているもので、用いてくださいます。 5月9日(日)サム上十七1~11  一対一で戦おうと言ってきた大男のゴリアトは3メートル近い身長がありました。ゴリアトほど大きくて力の強い兵隊はどこにもいません。「一対一で戦うなんてだれも勝てっこない。」ペリシテ人もイスラエル人もみんなそう思っていました。だからだれもゴリアトとの戦いに名乗りをあげませんでした。 5月10日(月)サム上十七12~16  ダビデは神さまから選ばれた、サウルの次に王になる人でした。まだだれもそれを知りません。ダビデは家の羊の世話をしたり、サウル王の心が休まるよう、楽器を弾いたりしてサウルに仕えていました。一方ゴリアトは毎日間同じように一対一の戦いを挑みましたが、四十日たってもだれも手をあげませんでした。 5月11日(火) サム上十七17~25  ダビデは戦場のお兄さんたちが無事かどうかを見に行きました。そこでダビデは初めてゴリアトの言葉を聞きました。もしゴリアトを倒せたら、その人には王様から特別な褒美がもらえるのです。でもどんなすばらしい褒美であっても兵隊たちはゴリアトと戦う気持ちにはなれませんでした。 5月12日(水) サム上十七26~30 ゴリアトの言葉を聞いたダビデは悔しくてたまりませんでした。ダビデにとっては、ゴリアトがイスラエルをあざ笑うことは、神さまをあざ笑うことと同じでした。兵隊たちと話しているダビデを見て、お兄さんが勘違いして怒っても、ダビデにはゴリアトの言葉は無視できませんでした。 5月13日(木) サム上十七31~40 ダビデはこの戦いに名乗りをあげました。どうしてダビデはゴリアトが怖くなかったのでしょう。ライオンや熊を倒して羊を守ってきたからでしょうか。どんなに強い危険な相手でも、神さまが救い出してくださることを信じていたからです。ダビデはまだ戦争で戦ったことはありません。それにダビデの武器は杖と石投げだけです。でもそれで十分なのです。 5月14日(金)サム上十七41~47  ゴリアトの目には、武具をつけず、剣も槍ももたず、羊飼いの格好で向かってくる少年のダビデがとても愚かに見えたでしょう。でもダビデはこの戦いに剣や槍はいらないと信じていました。神さまが戦ってくださるからです。                             5月15日(土) サム上十七48~58  ダビデが石投げひもで投げた石がゴリアトの額にあたると、ゴリアトはうつぶせに倒れました。ゴリアトはダビデに何もできませんでした。ダビデはいつもの使い慣れた道具を神さまに用いていただいて、勝利したのです。 だれでも感謝の気持ちがいっぱいで溢れ出てくると、その気持をあらわしたくなるものです。最近、神さまやだれかにどんなふうにありがとうの気持ちを表しましたか。 5月16日(日)サム上十六1~5  イスラエルの王は、神さまの言葉に従わなければ、国をまとめていけません。そこでサムエルは、サウルの代わりに新しく王となる人に王のしるしの油を注ぐために、ベツレヘムに行きました。サムエルは神さまがエッサイの息子の中のだれを選んだのかまだ知りませんでした。 5月17日(月)サム上十六6~13  神さまが王に選んだ人は、その場に呼ばれなかった末っ子で、大人から相手にされなかったダビデでした。けれども彼は神さまから王に選ばれ、油を注がれたのです。 5月18日(火) サム下五1~5 ダビデは三十歳で、イスラエルの王となりました。サムエルに油を注がれてからもう何年も経っていました。その間サウル王にねたまれ、何度も命を狙われましたが、それを乗り越えて、時がきて王となったのです。 5月19日(水) サム下六1~11 ダビデは国の中心エルサレムに、十戒が書かれた板の入っている神の箱を置くことにしました。神さまが自分たちの中心におられることをみんなが忘れないためです。ところが華々しく運び入れる儀式の途中で、よろめいた車から箱が落ちないようにと手で抑えた人が死んでしまったのです。儀式は中止となりました。ダビデはとてもショックでした。そして何が間違っていたのかを考えるようになりました。 5月20日(木) サム下六12~16 もう一度エルサレムに神の箱を運ぶことにしました。今度は聖書のとおりに神の箱を人が担ぎ、歩くたびに神さまに感謝をささげながら進みました。ダビデは自分が王に選ばれたのは、神さまの恵みであることを実感しました。感謝して全身で力の限り喜んで踊りました。イスラエルのみんなも共に喜びました。けれども妻のミカルだけは喜ぶことができませんでした。 5月21日(金)サム下六17~19  無事に神の箱がエルサレムに置かれました。ダビデは神さまに礼拝をささげ、イスラエルの人々を祝福しました。こうして人々は喜びの中で家に帰っていきました。神さまが自分たちの中心であることが、何よりの祝福であることをみんなが心に刻みました。                             5月22日(土) サム下六20~23  ミカルのように、だれかが心から神さまを賛美したり、証ししたりしても、同じ気持ちになれないことがあるかもしれません。恥ずかしいと思い、共感できない時もあるかもしれません。でも神さまら離れないでいましょう。神さまの恵みがわかる時がきっとくるからです。 イエスさまが天に帰られて、弟子たちのそばからいなくなってしまったら、弟子たちは大丈夫でしょうか。聖霊が来て助けてくださるから大丈夫なのです。 5月23日(日)使徒二1~4  ペンテコステのお祭りの日、弟子たちはともに集まってお祈りをし、聖霊が来るのを待っていました。すると突然激しい風のような音とともに、聖霊が一人ひとりにくだりました。するとみんなが、外国語で神さまの恵みの働きを話しはじめたのです。イエスさまの約束どおり聖霊がきてくださったのです。 5月24日(月)使徒二5~13  大きな物音を聞いて、大勢の人が何事かと見に来ました。すると何やら自分が生まれ育った町の言葉が聞こえてきます。驚いたことに、弟子たちがいろいろな外国語で、イエスさまこそ救い主だと話していたのです。聖霊が、イエスさまの救いを伝えるために弟子たちに力を与えたのです。 5月25日(火) 使徒二14~21 弟子たちは酔っ払っていたのではありません。預言者のヨエルの言葉が実現したのです。だれにでも聖霊が与えられる日が来ると約束されたことが起こったのです。終わりの時が始まりました。だからイエスさまを救い主と信じるなら、私たちはみんな救われます。 5月26日(水) 使徒二22~24  ここに集まった人たちは、イエスさまが病気を治し、悪霊を追い出すのを見ました。またイエスさまが神の国について話すのを聞きました。けれども、イエスさまを十字架につけて殺してしまったのです。「あなたがたは……はりつけにして殺した。」と言う言葉は、みんなの心に突き刺さります。なんと取り返しのつかないことをしてしまったのでしょう。でもペテロは希望の言葉を語ります。「神はこのイエスを……復活させられました。」 5月27日(木) 使徒二25~36 ダビデが救い主は死んだままではいないと予告したように、イエスさまは死んで終わりませんでした。そして弟子たちは確かに復活されたイエスさまを見ました。イエスさまの時代の人々だけでなく、私たちの罪がイエスさまを十字架につけたのですが、イエスさまこそ神さまが立てた救い主として私たちを救ってくださるのです。 5月28日(金)使徒二37~39 取り返しのつかない罪をおかしてしまった時、私たちはどうしたらいいのでしょうか。神さまに悔い改めるのです。そしてイエスさまを信じ洗礼をうけるなら、罪がゆるされ、聖霊が心に与えられます。                         5月29日(土)使徒二40~47 大勢の人がイエスさまを信じて教会が誕生しました。みんな自分の持ち物を差し出して、お互いを助け合い、支え合いました。聖霊がみんなの心を一つにしていました。 ダビデは誘惑に負けてとても恐ろしい罪を犯してしまいました。どんな人にも誘惑はあります。もし誘惑に負けてしまったなら、心から神さまにごめんなさいと言うことが大事です。 5月30日(日)サム下十一1~5  ダビデが王になって何年も経ち、イスラエルは強い国になりました。ダビデは王としてみんなから敬われ、何でも欲しいものは手に入れることができました。だから心が傲慢になったのでしょうか。神さまの恵みを忘れたのでしょうか。人の奥さんであるバト・シェバとしてはいけない関係になったのです。バト・シェバは、自分の夫ではなく、ダビデの子どもを妊娠しました。 5月31日(月)サム十一下6~17  ダビデは自分のした罪を隠そうとしましたがうまくいきませんでした。そこでバト・シェバの夫ウリヤを戦争でわざと死なせたのです。ダビデはなんと恐ろしく悲しいことをしてしまったのでしょう。 6月1日(火) サム下十一18~27 ダビデはウリヤが死んだことを聞いて、すべてをうまく隠せるとほっとしたでしょう。一人の人の大事な命が、ダビデの罪を隠すために犠牲にされてしまいました。やがてバト・シェバと結婚をし、男の子が生まれました。私たちは思います。こんなことがゆるされていいはずがないと。神さまの目にももちろん、ダビデは悪かったのです。 6月2日(水) サム下十二1~12 ダビデは預言者ナタンのたとえを聞いて心から怒りました。「そのような男は死刑だ!」ナタンがすぐに言いました。「それはあなたです。あなたは神さまの言葉と思いに背いたのです。」ダビデは強く頭を殴られた気持ちになりました。こうしてダビデのこの後の生涯は、自分の家族の中での罪や争いで、心を痛めることが続くことになりました。 6月3日(木) サム下十二13~23 「私は主に罪を犯しました。」ダビデはすぐに悔い改めました。何でもできる王となって、次第に心が高ぶっていたのかもしれません。ナタンに言われるまで自分の罪に気づかなかったのです。悔い改めたビデの罪は取り除かれました。しかし生まれてくる子どもは生きることをゆるされませんでした。 6月4日(金)サム下十二24~25 神さまは二人に男の子のソロモンを与えてくださいました。ソロモンの誕生はダビデとバト・シェバの心を慰めたでしょう。ソロモンは神さまから愛されて成長していきました。                          6月5日(土) 詩編五一1~21 私たちも罪をしてしまったなら、それを認めて心から悔い改める事が大事です。イエスさまの十字架で流された血は、私たちのどんな罪も清めてくださいます。悔いる砕かれた私たちの心をゆるしてくださいます。 今欲しいものはなんですか。神さまが欲しいものを何でも与えると言われたら、何をお願いしますか。 6月6日(日)列王上三1~3  ダビデは神さまを心から信じ、従って歩んだ王でしたが、その息子のソロモンも神さまを心から愛し、み言葉に従う人でした。彼は神さまを礼拝することを大事にしていました。ソロモンはエジプトのお姫さまと結婚してエジプトと助け合う関係を作り、イスラエルの安全を守りました。 6月7日(月)列王上三 4~5  ソロモンは1千頭もの動物を神さまに焼き尽くしてささげました。神さまへのありがとうの気持ち、信頼する心を、たくさんのささげものであらわしたかったのです。すると夢で神さまは言われました。「願いごとをかなえてあげよう。」ソロモンを喜ばれた神さまからの恵みでした。 6月8日(火) 列王上三6~9 何でもあげるよと言われた時、本当に欲しいものをお願いできるでしょうか。あれもこれもと欲張ってしまいそうだし、本当に欲しいものがわからなくて迷ってしまいそうです。でもソロモンがお願いしたのは、人々の言うことを正しく聞き分ける心、知恵でした。国をおさめる自分に一番必要なものを知っていたのです。 6月9日(水) 列王上三10~15 神さまはソロモンが欲張ることなく知恵を求めたことを喜ばれました。そしてだれよりも賢い知恵を与えると約束されました。さらにソロモンが求めなかったものまで与えられました。「ソロモンはいいな。」そう思うかもしれません。私たちも神さまにいつでも「知恵を与えてください」と祈っていいのです。どうしたらいいかわからない私たちに、み言葉を通して、必ず良い知恵を与えてくださいます。 6月10日(木) 列王上三16~23 だれも見ていない二人だけの生活だと、どちらが本当のことを言っているのかわからないものです。今だったら、科学の力で本当のお母さんを知ることができますが。こんな時どうしたらいいのでしょうか。 6月11日(金)列王上三24~27  ソロモンの「赤ちゃんを剣で半分に分けよう」と言う言葉に、みんな驚いたでしょう。そんなことをしたら、赤ちゃんは死んでしまいます。本当のお母さんには耐えられないことでした。赤ちゃんの命を守るためなら、お母さんでなくてもいいとゆずったのです。でもその愛が本当のお母さんであることを証明しました。この難しい問題をソロモンは神さまの知恵で収めました。 6月12日(土) 列王上三28 イスラエルの人はみんな、ソロモン王には神の知恵があることを知り、ソロモンを敬いました。神さまの知恵によって、イスラエルは祝福されました。 ソロモンは、神さまを礼拝する立派な神殿を七年かけて建てました。そこでイスラエルの人たちを集めて、神殿を神さまにささげるお祈りをし、お祝いをする時を持ちました。 6月13日(日)列王上八1~9  神殿には神の箱が収められました。神の箱には十戒が書かれた板が入っています。この箱は、神さまがいつもともにいてくださることを示しています。神殿は神さまがそこにおられ、イスラエル人の生活の中心が神さまであることをいつも思うところなのです。 6月14日(月)列王上八10~13 目に見えない神さまが神殿におられることをどうやって知ることができるのでしょうか。神さまは雲でご自分がおられることを現されることがあります。この時も神殿が雲で覆われました。祭司たちは雲で何もできなくなるほどでした。目に見えない神さまが、雲で神殿をいっぱいにすることで、神さまが今神殿におられることを教えてくださいました。 6月15日(火) 列王上八14~21 イスラエルは、エジプトの奴隷生活から神さまによって救い出されました。そこからずっと神さまがイスラエルの神として導き、人々もこのお方を信じ従ってきました。ソロモンが神殿を建てたのは、この神さまがいつもイスラエルの中心におられることを心に刻むためでした。 6月16日(水) 列王上八22~26  神さまは約束された言葉を実現されるお方です。だからソロモンは自分の子孫もずっとイスラエルの王であることを祈り求めました。でも神さまがその約束を果たしてくださるためには、ソロモンと子孫たちもまた、神さまに従うことが必要でした。 6月17日(木) 列王上八27~53 天におられる神さまを本当に神殿の中に入れることはできません。でも神殿や神殿に向かって祈る祈りが聞かれるなら、だれでも神さまがともにいてくださることがわかります。ソロモンの祈りに私たちも心を合わせましょう。神さま、私たちが人や神さまに対して罪を犯した時、悔い改めてあなたにゆるしていただけますように。飢饉や病気がみんなを襲う時、どうぞ助けてください。あなたをまだ信じていなくてもあなたに助けてくださいと祈る人のお祈りを聞いてください。 6月18日(金)列王上八54~61  「神さま、昔からずっとイスラエルとともにおられたように、私たちを見捨てないでください。私たちも主の言葉に従って歩むことができますように。」ソロモンの祈りは終わりました。 6月19日(土) 列王上八62~66 ソロモンと一緒に神殿を神さまにささげた人々は、心から喜んで家に帰りました。神さまがしてくださったいろいろな出来事のすばらしさで心が満たされていました。 ソロモンの後、イスラエルは北イスラエルと南ユダ王国の二つに分かれてしまいます。アハブ王の時代、北イスラエルは、偶像であるバアルを拝むようになってしまいました。 6月20日(日)列王上十八1~6  イスラエルには、3年も雨が降っていません。雨が降らないとどうなるでしょうか。食べ物ができなくて生活が苦しくなります。バアルの神は雨を降らせて、畑を豊かに実らせる神のはずなのに。バアルではなく、本当の神さまは雨を降らすことも降らさないこともできるお方です。 6月21日(月)列王上十八7~15 預言者エリヤは、アハブ王の家来オバドヤに会いました。オバドヤは神さまを信じていたので、アハブ王の妻イゼベルに殺されないよう、大勢の神さまの預言者をかくまっていました。エリヤはそれまで、神さまを信じているのは自分しかいないと思っていたので、仲間がいるのを知って励まされました。 6月22日(火) 列王上十八16~19 エリヤはアハブ王に対決を挑みました。カルメル山でどちらの信じる神さまが本当の神さまなのか決着をつけようとしたのです。エリヤ対バアルとアシェラを信じる預言者との対決でした。 6月23日(水) 列王上十八20~24  カルメル山に国中の人が集まりました。どうやって本当の神さまを知ることができるのでしょうか。エリヤは言いました。「祭壇を作って、その上に薪とささげる牛をのせなさい。でも火をつけてはいけない。自分の神さまにお祈りをして火をおこしてくだる方が本当の神さまだ。」どちらが本当の神なのかと迷っていた人も、だれもがそれはいいと賛成しました。 6月24日(木) 列王上十八25~29 はじめにバアルの預言者たちがお祈りをしました。「バアルよ、私たちに答えてください。」朝から昼まで祈り続けても答えはありません。体に傷をつけて血を流して、神さまに答えてもらおうと一生懸命声を張り上げましたが、何も起こりませんでした。人が作った神は神ではないので、命も力もないのです。 6月25日(金)列王上十八30~40  エリヤの祭壇は、薪も牛もたっぷり水をかけ、祭壇の周りの溝まで水でいっぱいでした。こんなに濡れてしまって大丈夫なのでしょうか。しかしエリヤがお祈りすると、天から火がくだって、全てを焼き尽くしたのです。すべての人が「本当の神さまは主だ。」とひれ伏しました。 6月26日(土) 列王上十八41~46  ついにイスラエルに雨が降り出しました。エリヤが祈り求めたからです。人も畑も動物たちも喜んだでしょう。本当の神さまは、自然を造り支配しておられます。雨を降らせ、天気を与え、私たちを生かしてくださっています。 大勝利をおさめたエリヤでしたが、イゼベルの一言で、エリヤの心が大きくくじかれました。あのエリヤがすっかり元気をなくしてしまったのです。 6月27日(日)列王上十九1~2  アハブに偶像を拝ませた妻イゼベルは敗北したのです。それなのに、イゼベルは自分が負けたとは思いませんでした。そしてエリヤに「復讐してやる」と宣言しました。本当の敵はイゼベルでした。 6月28日(月)列王上十九3~4 これを聞いたエリヤは怖くなって遠くへ逃げました。懲らしめたのに、相手の心に少しも痛手を与えていなかったのです。エリヤの心がくじかれてしまいました。「もう疲れた。神さま、もう死にたいです。」私たちも生きる気持ちが折れてしまうほどの出来事が起こるかもしれません。そんな時「神さま生きるのがつらいです。」と私たちも訴えていいのです。 6月29日(火) 列王上十九5~8 疲れ切って、もう何もやりたくないと思う時、あなたはどうしますか。食べて寝るとひとまず元気になります。エリヤは眠りました。天使が食べ物と飲み物をくれました。神さまはエリヤに休みを与えてくださいました。おかげで遠くまで行く元気が湧いてきたのです。 6月30日(水) 列王上十九9~10  四十日間かけて、エリヤはホレブの山にやってきました。神さまは問いかけます。「エリヤよ、あなたはここで何をしているのか。」「自分は一人でがんばってきたけれど、もうどうしようもない気持ちになってしまいました。」だからエリヤは神さまのみ言葉を聞きにきたのです。 7月1日(木) 列王上十九11~14 「私の前に立ちなさい。」と神さまが言われました。神さまが洞穴の前を通り過ぎられたので、岩が割れ、地震が起こり、どきどきするようなことが起こりました。それから神さまのかすかな声が聞こえてきたのです。エリヤに「あなたはここで何をしているのか。」とまた神さまは言われました。ここはエリヤのいるべき場所ではないのです。 7月2日(金)列王上十九15~18  エリヤは3つの仕事を命じられました。アラムの王とイスラエルの王として神さまが選んだ人に油を注いで新しい王を任命すること、そしてエリシャをエリヤの次の預言者として育てることでした。さらにたった一人になったと嘆くエリヤには7千人の仲間がいると励まされました。 7月3日(土) 列王上十九19~21  エリヤはエリシャに会いに行き、彼のマントをエリシャに投げかけました。それは「あなたは神さまから預言者に選ばれた」ことを意味していました。エリシャはそれに従いました。エリヤはエリシャを育てることに新たに自分をささげました。