新しい学年のスタートです。どんな1年になるか楽しみですね。それぞれの歩みのうえに神さまの祝福が豊かにありますように! 4月3日(日)マルコ十四53〜54 ペトロはなんとかイエスさまの後をついていきました。けれども近くからついていくと、仲間の自分も逮捕されてしまうかもしれません。だから遠くからそっと行ったのです。裁判をする建物の中庭に入ると、人々に紛れ込んで座りました。焚き火にあたりながら裁判の様子を見ていました。 4月4日(月)マルコ十四55〜59 イスラエルのリーダーたちはイエスさまをなんとかして死刑にしたいと思っていました。だからいろいろな人がうその話を作って、イエスさまの悪いことを証明しようとしました。だれかを憎む思いは、間違った方法でも相手をわなにかけて苦しめようとするのです。 4月5日(火) マルコ十四60〜64 イエスさまは何を言われても、黙っておられました。しかし「お前はメシアなのか」という質問だけに「そうだ。」答えられました。すると「これは死刑だ。自分をメシアで神と同じだと言った。こんな罪深いことはない。」と大祭司が言いました。メシアとは救い主のことです。イエスさまは本当に救い主です。でもイエスさまを信じない人々は、イエスさまを死刑にすることを決めました。 4月6日(水)マルコ十四65 イエスさまが本当に神の子だと知っていたら、イエスさまに唾をはきかたり、目隠しをして拳で殴ったりはしなかったでしょう。自分よりずっと高く尊いお方として大切にしたでしょう。しかし彼らはイエスさまを自分よりも低い人と見て、ばかにしました。 4月7日(木)マルコ十四66〜68  ペトロはイエスさまの裁判が正しく行なわれていないのを見ていました。イエスさまの死刑が決まり、とてもショックでした。さらにどきっとすることが起こったのです。自分のことをイエスさまの仲間だと言われてしまったからです。でもとっさに知らないふりをしてしまいました。 4月8日(金) マルコ十四69〜71 ペトロはさらにもう2回「あなたはイエスの仲間だ」と言われてしまいました。自分も捕まってしまうかもしれないと思うと、怖くなって心臓がドキドキしました。だから一生懸命に知らないふりをして、「私は知らないし関係ない。」と言ってしまったのです。 4月9日(土)マルコ十四72 鶏が2回鳴きました。するとペトロはイエスさまの言われた言葉を思い出したのです。ペトロは「絶対にイエスさまを裏切ることはしない」と言ったのに、イエスさまを裏切ってしまったのです。自分が情けなくて悲しくて悔しくて大声で泣きました。  イエスさまが十字架で死なれたのは私たちが生まれるずっと前、二千年以上前のことです。どうして今の私たちと関係があるのでしょう。 4月10日(日)マルコ十五16〜20  兵隊たちはイエスさまをとことん見下してばかにしました。兵隊はふだん自分より偉い人たちの言うことに従わなくてはいけませんも死刑になったイエスさまより自分たちは偉いと思ったので、イエスさまをひどくいじめました。イエスさまはとことん低くされて十字架へ向かわれました。 4月11日(月)マルコ十五21〜22  イエスさまは、ムチで打たれた背中が痛む中、十字架の木を担いでいくのは大変なことでした。だから通りがかりのシモンが引っ張り出され、イエスさまの十字架をむりやり担がされたのです。それなのに、後になってシモンはイエスさまを信じました。苦しまれるイエスさまの姿に本当の救い主を見たからです。 4月12日(火) マルコ十五23〜27  罪状書とは、「人殺し」や「盗み」のように、死刑になった理由が書かれたものです。でもイエスさまは「ユダヤ人の王」でした。ユダヤ人たちは、「ユダヤ人の王とウソをついた」としたかったのです。しかし裁判をしたピラトはそれをゆるしませんでした。この罪状書は読む人々に、「あなたがたはまことのユダヤ人の王、救い主を十字架につけてしまった」と、自分たちの罪を示していました。 4月13日(水)マルコ十五28〜32  イエスさまが十字架で苦しまれる間、人々はイエスさまをののしり続けました。「自分を救ってみろ。そうしたら信じてやる。」十字架から降りたら、きっとみんな信じたのに、と私たちは思います。でも神さまはそれとは反対の、救い主が死なれることで私たちを罪と死から救ってくださいました。 4月14日(木)マルコ十五33〜37  まだ昼の3時なのにあたり一面真っ暗になりました。そしてイエスさまが息を引き取られました。神の子が私たちのみにくい心の罪や心の暗闇を引き受けて死んだのです。神の子が死んでしまうことは、まさに世界が真っ暗になることです。でもこれで終わりではありません。 4月15日(金) マルコ十五38〜39  神殿の中にあった大きな垂れ幕が上から下に裂けました。きよい神さまと人間の間にあった壁がなくなったのです。私たちの罪がゆるされたからです。百人隊長は、十字架から降りないで死なれたイエスさまを見て、本当に神の子だったと信じました。 4月16日(土)マルコ十五40〜41  兵隊、ののしるユダヤ人、百人隊長、そして女性たち、それぞれが今の私たちの姿です。イエスさまの十字架による罪のゆるしが必要な、同じ罪人なのです。  イエスさまは十字架の死で終わりではありません。私たちの罪と死からの救いは、復活まで続いているからです。 4月17日(日)マルコ十五42〜43  アリマタヤのヨセフにとってイエスさまの遺体を引き取ることは勇気のいることでした。ヨセフもイエスさまの仲間か親しい関係であることがわかってしまうからです。ユダヤ社会のリーダーの一人でしたが、イエスの仲間ならやめさせられるかもしれないのです。でも「思い切って」覚悟して引き取りました。 4月18日(月)マルコ十五44〜47 十字架から降ろされたイエスさまの体には布が巻かれました。日が暮れると仕事をしてはいけない安息日になってしまうので、イエスさまの体を急いでお墓に収める必要がありました。十字架のときと同じように、ここでも女性たちに見届けられながら、イエスさまはお墓に収められました。 4月19日(火) マルコ十六1〜4  イエスさまを信じていた人々は、安息日の間、きっと十字架を思い出し悲しくて涙を流していたかもしれません。そして女たちは安息日が終わったら、イエスさまの遺体に香油を塗るつもりでした。死んだ体が腐っていくので、その匂いを抑えるために塗るのです。けれども用意した香油が塗られることはありませんでした。 4月20日(水)マルコ十六1〜3  お墓に行ったのは、一人はマグダラのマリアです。彼女はイエスさまから7つの悪霊を追い出していただきました。もう一人ヤコブの母マリヤは十二弟子のヤコブとヨハネのお母さんです。そしてサロメ。みんなイエスさまを信じ従っていました。死んでしまった今もその思いは変わりませんでした。 4月21日(木)マルコ十六4〜5  3人はお墓の入り口が開いていて不思議に思いました。さらには、お墓の中にイエスさまの遺体ではなく、白い衣の若者が座っていてとてもびっくりしました。天使が希望のメッセージを持ってそこに座っていたのです。 4月22日(金) マルコ十六6 天使は「イエスさまは復活なさってもうここにはおられない。」と言いました。イエスさまは復活されて生きておられるのです。そして「見てご覧なさい。イエスさまの体はありませんよ。」と見せてくれました。だからもう女性たちはイエスさまの死を悲しみながら体に香油を塗る必要はないのです。 4月23日(土)マルコ十五7〜8  女たちはペトロと弟子たちへ、イエスさまが復活されたことと、ガリラヤで会えることを伝えなければなりません。ところが彼女たちは簡単にイエスさまの復活を信じることができませんでした。死の力がとても強く感じられて、死より強い神さまの力がわからなかったのです。  あなたは「自分の心はみにくいなあ、はずかしいなあ。」と思ったことはありますか。だれかのとてもおおらかな心や、澄んでいて、きれいな心にふれた時、そう思うことがあるかもしれません。 4月24日(日)イザヤ六1〜4  イザヤは神さまの言葉を預かって人々に伝える預言者です。ある日神さまが幻でイザヤに天の世界を見させてくださいました。天の玉座に座っておられる神さまの衣のすそが、地上の神殿いっぱいに広がっていたのです。すそだけで神殿がいっぱいになってしまうほど、神さまは人の世界におさめきることのできない偉大なお方なのです。 4月25日(月)イザヤ六1〜4  セラフィムは天使のことです。私たちが知っている天使のイメージは2つの翼を背中に持っていますが、セラフィムは6つも翼があるのです。2つの翼で顔を覆い、2つの翼で足を覆い、2つの翼で飛んでいました。セラフィムは、きよい神さまが今神殿におられることをあらわす天使なのです。 4月26日(火) イザヤ六1〜4  「聖なるかな。」とは、神さまは「なんとういう聖なるお方」ということです。きよい神さまのすばらしさが世界中にあふれているとセラフィムは賛美しました。神さまが造られたこの世界は、天も地も生き物たちも神さまのすばらしさをあらわしています。そして神殿中をいっぱいにした煙もまた、神さまが神殿におられるしるしでした。 4月27日(水)イザヤ六5  イザヤは、きよい神さまが、今すぐそばにおられることを見ました。すると神さまのきよさとは反対に、自分の心がどんなに醜く汚れているか、神さまに滅ぼされてもしかたのない罪深い自分に気づかされたのです。自分は人々に神さまの言葉を伝えるのにはふさわしくない人間だと思いました。 4月28日(木)イザヤ六6〜7  セラフィムの一人が飛んできて、祭壇からとった炭火をイザヤの唇につけました。そして「これであなたの罪は取り去られ、ゆるされました。」と言ったのです。自分ではどうしようもなかったイザヤの罪を神さまはゆるし救ってくださったのです。 4月29日(金) イザヤ六6〜7 神さまは「ああ、私は災いだ。」と自分の罪深さに絶望したイザヤを、炭火でふれてゆるしを与えられました。私たちはイエスさまが十字架で死なれたことによって罪がゆるされました。 4月30日(土)イザヤ六8  「誰を遣わそうか。誰が私たちのために行ってくれるだろうか。」と神さまは今の私たちにも語っておられます。「神さま、私をお遣わしください。だれかに親切にしたり、言葉をかけたりして、神さまの愛とゆるしを伝えていくことができますように。」  私たちは大ピンチの時、まず祈りたいと思います。祈っている場合じゃないと思うかもしれません。でもそうではないのです。どんな時でもまず祈ることが私たちの一番の助けです。 5月1日(日)イザヤ三七1〜4  南ユダ王国に攻めてきたアッシリア帝国の将軍は、エルサレムの人々にこう言いました。「われわれアッシリアは強い。お前たちの王の言うことを信じるな。お前たちの神を信じるな。どうせ国を守れないのだから。」ヒゼキヤ王は悔しくてたまりませんでした。とにかく神殿にお祈り行きました。そして預言者イザヤにも祈ってほしいとお願いしたのです。何よりもまず神さまに祈ったのです。 5月2日(月)イザヤ三七5〜7  イザヤがヒゼキヤ王に伝えた神さまの言葉は「何を聞いても恐れるな」でした。神さまも確かに神さまをばかにし、ヒゼキヤ王とエルサレムの人々の心をくじこうとした言葉を聞いておられました。そして「見ているがよい。私がアッシリアを倒す。」と約束されました。 5月3日(火) イザヤ三七8〜13  アッシリアの将軍はもっとヒゼキヤの心をくじこうと手紙を送ってきました。「お前の信じている神にだまされるな。アッシリアに滅ぼされた国々の信じていた神々は、救えなかったじゃないか。」確かに他の国々の信じていた神々には救う力はありませんでした。人が造った神々で、まことの神としての力を持っていなかったからです。 5月4日(水)イザヤ三七14〜20  ヒゼキヤは神殿で神さまに見せるように手紙を広げて祈りました。 「天地を造られた神さま、あなただけが、まことの神さまです。それなのに、アッシリアの将軍は、あなたのことを人が造った神々と同じだと思ってののしってきます。どうぞ今、私たちを彼の手から救ってください。本当の神はあなただけだと世界に知らせてください。」 5月5日(木)イザヤ三七21〜30  神さまはヒゼキヤ王の祈りに答えてくださいました。神さまをののしったアッシリアを、神さまが倒すとアッシリアに向かって言われました。 5月6日(金) イザヤ三七31〜35  神さまはヒゼキヤにも希望の言葉を語られました「エルサレムの人々にはちゃんと未来が待っている。なぜならアッシリアがエルサレムに来ることはないし、戦いをしかけてくることもない。私はあなた方を守り救う。」 5月7日(土)イザヤ三七36〜38  不思議なことが起こったのです。アッシリア軍は、天使によって一晩で滅ぼされてしまいました。神さまの約束どおり、アッシリアがエルサレムに来ることはありませんでした。敵の攻撃を受けたり、戦ったりすることなく、守られ救われました。  最近泣いたことはありますか。涙が出て止まらないことがありましたか。エレミヤは涙の預言者と呼ばれています。涙を流すようなことがいろいろあったからです。 5月8日(日)エレミヤ一1〜5  祭司の子として生まれたエレミヤに神さまは声をかけられました。神さまは、エレミヤが生まれる前から、エレミヤを預言者として選んだたと言われました。神さまはエレミヤに、預言者として人々に神さまの言葉を伝えなさいと言われました。神さまは私たちのことも生まれる前から知っていて、お母さんのお腹の中に形づくってくださいました。 5月9日(月)エレミヤ一6〜10  エレミヤはびっくりました。まだ若い自分にそんな大事な仕事がちゃんとできるのか自信がありませんでした。聞く人もこんなに若い自分の言葉を聞いてもらえると思えなかったのです。でも神さまにとってエレミヤが若いことは問題ではありませんでした。大事なことはどんな人にも正しく神さまの言葉を伝えることだからです。 5月10日(火) エレミヤ一6〜10  神さまは共におられるしるしに、エレミヤの口に触られました。エレミヤは王さまや大臣など偉い人でも、また普通の人々やどんな人にも神さまが言われたことを伝えに行くのです。うれしい知らせならいくらでも伝えたいものです。でもその知らせは、私たちはこのままでは滅んでしまうという辛いメッセージでした。 5月11日(水)エレミヤ二11〜13  エレミヤの時代、人々は天地を造られた神さまから離れて、人間が手で造った目に見える偶像を神さまとして拝みました。穴のあいた入れ物に水を貯めようとしても漏れてしまって貯めることはできません。人々は神さまを取り替えてそれと同じことをしているのです。だから神さまは人々にこのままでは滅んでしまうのだと言われました。 5月12日(木)エレミヤ八20〜23  エレミヤが神さまの言葉をどんなに伝えても、みんなは聞こうとしませんでした。このままでは本当に国がなくなってしまうのです。心を入れかえることのない人々を思い、エルサレムの未来がないことを思い、エレミヤは昼も夜も涙を流しました。 5月13日(金)エレミヤ十五16  エレミヤは厳しい言葉ばかり語るので、人々からいじめられたり苦しめられたりしました。エレミヤは悲しく寂しく感じていました。でも神さまの言葉がエレミヤの寂しい心を慰め元気にしてくれたのです。 5月14日(土)エレミヤ二九11  神さまは国が滅んでしまってもそれで終わりにしませんでした。また回復する希望を約束されました。神さまは背いた人々が悔い改めてやり直す将来を用意しておられました。  バビロンにユダ王国は滅ぼされてしましました。そしてイスラエルの人々はバビロンの国に連れて行かれてしまいます。けれどもバビロンの地で天地を造られた神さまを信じ続けた若者たちがいました。 5月15日(日)ダニエル二1〜11  バビロンの王ネブカドネツァルが、頭のいい人たちを集めて、とても難しい問題を出しました。自分が見た夢を言い当てて、その意味も説明しさないと言ったのです。どんな夢かもわからないのに、それを言い当てて、意味を説明することなんて神さま以外だれにもできません。バビロンの国の頭のいい人たちはお手上げでした。 5月16日(月)ダニエル二12〜16  だれも問題を溶けなかったので、怒った王はバビロン中の頭のいい人たちを殺すことにしました。ユダから連れて来られた神さまを信じるダニエルとその仲間3人も殺されることになりました。彼らは神さまから知恵と力を与えられていたので、王のために働いていたのです。ダニエルは殺されるかもしれないピンチの中でだれにもできない王の問題を解くことを挑戦することにしました。 5月17日(火) ダニエル二17〜23  ダニエルは自分にできると思っていた訳ではありません。家に帰って仲間3人と神さまにお祈りをして、王さまの夢の内容と意味を教えてくださいとお願いしたのです。すると神さまは祈りに答えて教えてくださいました。ダニエルは本当にうれしくて、神さまを心から賛美しました。 5月18日(水)ダニエル二24〜30  夢には秘密が隠されていました。王はその秘密を、夢の意味を知りたかったのです。でも夢の説明が本当かも知りたいと思いました。だからまず夢を言い当てることができたら信用できると思ったのです。ダニエルは言いました。「天の神さまが王さまに、これから将来どんなことが起こるのかを夢で教えられたのです。」 5月19日(木)ダニエル二31〜36  王の夢はどんなものだったのでしょうか。王は夢の中で光り輝く大きな像を見ました。それは頭から足まで体のそれぞれの部分が金、銀、銅、鉄、粘土など別々の物でできていました。突然一つの石が出てきて、足を打ち砕きました。そうしたら他のものも全部粉々に砕けてしまいました。これにはどういう意味が隠されているのでしょうか。 5月20日(金)ダニエル二37〜45  これはバビロンのあと次々と起こっては滅んでいく国の歴史を現していました。そして最後には神の国がこの世界を治める、そういう意味の夢だったのです。 5月21日(土)ダニエル二46〜49  王さまは参りましたとひれ伏しました。夢を言い当て意味を説明できた神さまこそ、本物だと認めたのでした。  ダニエルの信じる神さまこそ本物だと言った王でしたが、その思いは長くは続きませんでした。なぜなら自分がだれよりも、そして神よりも強く偉大でありたかったからです。 5月22日(日)ダニエル三1〜7  ネブカドネツァル王は、二七メートルにもなるとても大きな金の像を造りました。そしてとんでもない命令を出したのです。「バビロンに住むすべての者たちは、楽器の音を聞いたなら私の造った金の像を拝みなさい。しない者はだれでも死刑だ。燃える火の中に投げ込まれるだろう。」 5月23日(月)ダニエル三8〜12  金の像の完成お祝い会でみんなは命令どおりに金の像を拝みました。ところが、ある人々が王さまにこう告げ口したのです。「ユダヤ人のシャドラク、メシャク、アベド・ネゴはあなたの命令を守らず、金の像を拝みません。」三人はダニエルの友だちで神さまを信じるユダヤ人でした。 5月24日(火) ダニエル三13〜15  三人は王の前に連れて来られました。「今ならまだ間に合う。楽器の音が聞こえたら、金の像をひれ伏して拝め。そうすれば助かるのだ。しかしそうしないなら、すぐにでも燃える火の中に投げ込むぞ。」王は三人をおどして、自分の命令に従わせようとしました。自分から救い出せる神などいないと思っていました。 5月25日(水)ダニエル三16〜18  三人は言いました。「私たちはあなたの命令には従いません。私たちの信じている神さまは、燃える火の中であっても救い出してくださるお方です。でももしそうならなかったとしても、私たちは私たちの信じている神さま以外を拝むことはしません。」普通なら怖くてしかたないはずです。でも三人は神さまを信じることをやめませんでした。 5月26日(木)ダニエル三19〜25  王は自分の言うことをきかない三人に激しく怒りました。炉は普段よりもずっと熱く燃やされ、三人を投げこんだ人たちも焼かれてしまうほどでした。どう考えても王の手から救い出せるはずはありませんでした。ところが驚いたことに、火が激しく燃える炉の中で三人が生きているのが見えたのです。そして神の子も一緒にいました。 5月27日(金)ダニエル三26〜27  驚きながら王は三人を呼びました。「いと高き神の僕、出てきなさい。」王は三人が最も高いところにおられるまことの神さまの僕であることを知りました。彼らが信じたとおりに、神さまに救い出さました。 5月28日(土)ダニエル三28〜30 王は、彼らの信じる神さまのように力のある神は他にいないと、神さまをほめたたえました。三人の神さまをとことん信じる心に、神さまがこたえて救ってくださったと知りました。  私たちは今、イエスさまを信じる自由があります。でもそうできない時代がありました。それはとても辛く怖いことです。私たちの国がこれからも、信じることが自由な国であるよう祈りたいですね。 5月29日(日)ダニエル六2〜4  ダレイオス王の時代、3人の大臣のうちの一人がダニエルでした。「ダニエルはどの大臣や総督たちよりも優れていた」ので、他の大臣たちはダニエルにはかなわないと思っていました。ダニエルに神さまが共におられ、彼は用いられました。王が国全体をダニエルにまかせたいと思うほどでした。 5月30日(月)ダニエル六5〜6  ダニエルを妬む人たちは、なんとかダニエルの悪いところを見つけ出して、大臣をやめさせたいと思っていました。でもダニエルの悪いところは一つも見つけられませんでした。ダニエルは神さまにも王にも心からお仕えしていたからです。 5月31日(火) ダニエル六7〜11  大臣と総督たちが新しく作った法律は、ダニエルを陥れるための罠でした。ダニエルはお祈りをしたら捕らえられてしまうことがわかっていましたが、家に帰っていつものように、三回ひざまずいてお祈りをしました。こんな時、私たちならどんなお祈りをするでしょうか?ダニエルは神さまに感謝をささげたのです。 6月1日(水)ダニエル六12〜18  「王さまでないものにお祈りをした。ダニエルを捕らえろ!」。ダニエルを妬んでいた人々の思い通りにダニエルはライオンの穴に投げ込まれることになったのです。王にとっては、とてもショックなことでした。なんとかしてダニエルを助けたいと思いましたが、王ですら助けることはできませんでした。 6月2日(木)ダニエル六19〜23  ダニエルのことを思って王は眠れませんでした。きっと自分だけを拝む法律に賛成したことを後悔したでしょう。これがダニエルを苦しめるために作られたのだと気がついたでしょう。自分が王であるのに、力がないことを感じたでしょう。しかしダニエルは生きていました。神さまに送られた天使がライオンの口を塞いでダニエルを守りました。 6月3日(金)ダニエル六24〜25  王さまは本当にうれしくてたまりませんでした。ライオンの穴から引き出されたダニエルには傷一つありませんでした。ダニエルの信じる思いに神さまがこたえてくださったからです。 6月4日(土)ダニエル六26〜29 王は、ダニエルが信じている神がまことの神だと知りました。そして国中に、ダニエルの神こそ生きておられる神だから、おそれ敬いなさいと命令をだしました。神さま、私たちがどんな時も神さまだけを信じ祈り続けることができますように。  ペンテコステは聖霊が弟子たちに注がれ、多くの人が救われて教会が誕生した喜びの日です。 6月5日(日)使徒二1〜4  ペンテコステはもともとユダヤ教のお祭りの日です。この日弟子たちは集まって、イエスさまから約束された聖霊をお祈りをして待っていました。すると突然、激しい風が吹くような大きな音が聞こえ、炎のような舌のようなものが見え、一人ひとりにとどまったのです。神さまの約束された聖霊が一人ひとりに与えられました。 6月6日(月)使徒二5〜13  弟子たちは聖霊に満たされて、いろいろな外国語で話し出しました。それは本当にいろいろな国の言葉でした。エルサレムには、世界中のあちらこちらからやってきた人々がいっぱいいたのですが、それぞれが自分のふるさとの言葉で話しているのがわかったのです。弟子たちはみんな神さまのすばらしい救いについて話していました。 6月7日(火)使徒二14〜21  ペトロは何が起こったのかを見に来た人々に説明しました。「これは聖書でヨエルが預言していたことが実現したのです。神さまの霊をすべての人に注ぐと約束されていたあのことが今起こったのです。」旧約聖書の時代は、特別な人に聖霊が与えられていました。しかし今は信じる私たちに、信じる人だれにでも与えられる神さまの霊です。 6月8日(水)使徒二22〜24  集まった人々はペトロからびっくりするような話を聞きました。それはイエスさまが十字架で死んだのは、神さまの計画だったからです。それも、イエスさまは死んで終わらないで復活されたというではありませんか。死んだらおしまいを、イエスさまはおしまいではなくしてくださったのです。 6月9日(木)使徒二25〜32  イスラエルの二代目の王ダビデは、自分の死んだ後に来られる救い主は、死んで終わらないで、復活されると信じて、それを詩篇に書き残しました。まさにその通りにイエスさまは復活され、それをペトロや弟子たちみんなが見たのです。だから彼らは、本当にイエスさまがよみがえられたことを伝える証人でした。 6月10日(金)使徒二33〜  「あなたがたが十字架につけイエスさまは、神さまが与えてくださった私たちの救い主なのです。」ペトロは人々を懲らしめるために責めたのではなく、だれでも救われることを伝えようとしていました。 6月11日(土)使徒二37〜42  ペトロの言葉がみんなの心にグサッと突き刺さりました。どうしたらいいのかわからず後悔と悲しみでいっぱいでした。ペトロは言いました。「だれでも悔い改めてイエスさまを信じ洗礼を受けるなら、罪がゆるされ救われます。聖霊をいただけます。」  バビロンは滅び、ペルシャがその地域を治めていました。エステル記はペルシャの王妃となったユダヤ人エステルと育ての親モルデカイの物語です。 6月12日(日)エステル一10〜12  ペルシャの王クセルクセスが宴会を開いていた時でした。お酒に酔って気持ちがよくなり、自分の王妃ワシユティを自慢したくなりました。ところがそれを嫌がってワシュティは姿を見せませんでした。怒った王はワシユティ追い出し、新しい王妃を立てることにしました。 6月13日(月)エステル二15〜18  ユダヤ人のエステルにはお父さんもお母さんもいませんでした。親戚のモルデカイに引き取られて育てられました。ある日彼女は王のお妃候補に選ばれ1年間お妃になるための準備をしました。そしていよいよ王の前にでる順番がやってきたのです。彼女はみんなから愛される人でしたが、王も、どのお妃候補よりもエステルを気に入り、彼女を王妃に選びました。 6月14日(火)使徒三8〜15  大臣ハマンは、自分にひざまずこかないモルデカイが気に入りませんでした。そこで、モルデカイだけでなく、彼と同じユダヤ人をみんな殺す計画を立てたのです。ユダヤ人は王に逆らっていると嘘をついてユダヤ人を皆殺しにする命令を出すことをお願いしました。ユダヤ人は決められた日に全員殺されてしまうのです。大変なことになりました。 6月15日(水)エステル四1〜3  モデルカイも他のユダヤ人たちもみんな、粗布を着て、灰をかぶり、灰の中に座って深い悲しみと嘆きをあらわしました。なぜ自分たちは殺されなければならないのかと。食べないで嘆き悲しみました。モルデカイは王の門の前でそうしていました。 6月16日(木)エステル四4〜9  何も知らず心配するエステルに、モルデカイはハマンがモルデカイとユダヤ人を皆殺しにしようとしていることを伝えました。そしてエステルには、王に自分と、そして同じユダヤ人たちを救ってくれるようお願いしてほしいと言いました。 6月17日(金)エステル四10〜14  王のもとに勝手に行く人はだれでも殺されてしまいます。でも王が金の笏を差し伸べれば、助かります。呼ばれていないのに行くことはエステルにとっても危険なことでした。けれどもモルデカイは言いました。「このような時のためにこそ、あなたは王妃になったのだ。」モルデカイの言葉はエステルをはっとさせました。 6月18日(土)エステル四15〜17  エステルはモルデカイやユダヤ人たちと断食をしてお祈りをし、王にお願いしに行くことにしました。モルデカイとユダヤ人を救うため、たとえ死ぬことになってもいいと覚悟を決めました。  エステルが王妃になったのは、ユダヤ人がみんな殺されてしまうかもしれないという危機から救うためでした。それを自分の使命だと知ったエステルは、勇気を出して立ち上がりました。 6月19日(日)エステル五1〜8  エステルはドキドキしながら王の前に行きました。エステルの姿を見た王は、彼女に金の笏を差し伸べました。エステルは王の前に立つことをゆるされたのです。彼女はすぐにお願いをしないで、まずは自分の開く宴会に王とハマンを招待しました。こうしてみんなの祈りが聞かれエステルの命が守られました。そしてユダヤ人を救うチャンスの道が開かれました。 6月20日(月)エステル五9〜14  王妃の宴会に招待されて、ハマンはとてもいい気持ちでした。ところが王の門に座っているモルデカイが、自分にひざまずかないのを見て、一気に怒りを感じました。ハマンの心を落ち着かせるのは、目障りなモルデカイを殺してしまう計画だけでした。 6月21日(火)エステル六1〜10  ハマンはモルデカイを殺そうと王に相談するために王のもとへ行きました。しかし不思議なことに王はモルデカイが自分の命を守ってくれたことを思い出し、彼に褒美を与えたいと思っていたのです。そのためハマンは計画を相談することはできませんでした。 6月22日(水)エステル六11〜14  王にすすめた褒美が、まさかモルデカイのためだったと知るとハマンは悔しくてたまりませんでした。それは泣いて嘆くほどでした。ところがそれまでハマンを励ましてきた家族や仲間たちは、何かハマンの方がうまくいっていなことを感じました。ユダヤ人のモルデカイには神さまがついているから、とても勝つことはできないと思いました。 6月23日(木)エステル七1〜10  王妃の宴会で、エステルはついに自分の願いを王に話しました。「私の民族が皆殺しにされようとしています。どうぞ私と同じ民族の人々を救ってください。」そしてそれを企んでいるのがハマンだと王に伝えました。ハマンは自分が決してゆるされることはないと、終わったことを知りました。 6月24日(金)エステル八1〜8  今度エステルは、ユダヤ人を皆殺しにしてよいと決められた日をなんとかする必要がありました。王は自分の指輪をエステルに渡して、エステルがしたいようにして決めて、それを王の命令としてだすことをゆるしました。 6月25日(土)エステル四9〜11  エステルとモルデカイは、ユダヤ人たちを殺そうと襲って来る人々を、反対にユダヤ人が殺すことをゆるす命令がくだされ、ユダヤ人は助かりました。危機一髪のところを神さまが救ってくださったのです。  小学校低学年の頃に、この系図から読み始めると、読みにくいし、わけがわからないと思っていたように思います。でもだんだん知っている人の名前があるのがわかると、読みやすくなりました。 6月26日(日)マタイ一1〜5  系図というのは、自分のおとうさんのおじいさんのそのまたおとうさんのその先の…と、ずっと昔までのつながりを知ることができます。でもこのアブラハムからイエスさままで続く系図には神さまの愛と恵みが見えてきます。だからこの系図は私たちにとって大事なものなのです。 6月27日(月)マタイ一1〜5  イスラエルはアブラハムから始まりました。神さまに声をかけられて、従ったアブラハムは百歳で子どもが与えられました。百歳のおじいさんが子どもなど持てると思わなかったのに、与えられたのです。一人も子孫がいない人に子が与えられて、そこから増え広がっていきました。 6月28日(火)マタイ一1〜5  ユダヤ人の系図は本来男の人の名前だけが書かれます。ところが、この系図には女の人の名前も書かれています。その一人がタマルです。ユダの息子のお嫁さんでしたが、子どものいないうちに夫は死んでしまいました。一度だけ夫の父親であるユダをだまして子どもを宿したのです。それでもゆるされて、ユダにはもう一人息子がいたのに、系図にのったのは、タマルによって生まれた子どもでした。 6月29日(水)マタイ一1〜5  さらに系図にある女の人はラハブとルツです。ラハブは外国人で遊女でしたし、ルツもユダヤ人ではありません。本当は外国人はユダヤ人には受け入れてもらえないはずでしたが、ふたりとも天地を造られた神さまを信じ、この系図に名が残されました。 6月30日(木)マタイ一7〜11  ダビデはイスラエルの王たちの中でも一番愛された王さまです。神さまを心から信じ、王として立派に働きました。しかし人の奥さんを奪って自分の奥さんにしました。彼女はバト・シェバですが、名前ではなく「ウリヤの妻」と記され、その罪がはっきりわかる書き方です。でも罪ゆるされて、ソロモンが生まれました。 7月1日(金)マタイ一12〜17  神さまの言葉に背いて立ち返らなかったため、イスラエルは滅ぼされてしまいました。そして外国のバビロンへ連れて行かれました。でも系図は途切れませんでした。 7月2日(土)マタイ一12〜17  ヨセフの妻マリヤは、聖霊によってイエスさまのお母さんになりました。こうしてダビデの子孫から救い主が生まれるという神さまの約束が実現しました。この系図は新約聖書のはじめにあります。旧約の時代と新約の時代をつないでいるのです。