みなさんのためにお祈りしてくれている人がいます。みなさんのことをいつも心配して心にかけてくれている人がいます。みんなのお父さん?お母さん?教会の先生?教会のおじいちゃんたちやおばあちゃんたち?お兄さんたちやお姉さんたちがいます。時々きびしいこともいうけれど、時々うるさいなあと思うこともあるけれど、おをみんなことを本当に心配してくれている人です。テモテにとってパウロはそんな人でした。 10月6日(日)Uテモテ一1〜5 パウロはテモテのお父さんではありません。でもお父さんのようにテモテのことを愛していてテモテのことを「愛する子」と呼びます。自分はお祈りする時に、いつでも、テモテ、あなたのことを思い出すんだと言うのです。知っていてください。あなたのためにもお祈りしてくれている人がいます。 10月7日(月)Uテモテ一6〜8 パウロはテモテのことを心配しています。テモテが少し臆病になっているのではないか、福音のために苦しむことを恥ずかしいと思っているのではないか。だからパウロは言うのです。神様はあなたに力と愛と慎みをくださるのだ。 10月8日(火)Uテモテ一9〜14 パウロは牢屋に入れられて苦しい時を過ごしていました。でもパウロは、だいじょうぶ!と言います。パウロは自分が信じているイエスさまを知っていたからです。イエスさまがどんなに力があるかを知っていたからです。 10月9日(水)Uテモテ一15〜18 パウロが捕まえられてピンチの時、パウロのことを見捨てて離れていく人たちがたくさんいました。けれども同時に、そんな中でもずっとパウロの友だちでいてくれる人たちもいました。あなたはどちらでしょうか。 10月10日(木)Uテモテ二1〜7 兵隊は司令官のいうことだけを聞いています。スポーツをする人たちは決められたように一生懸命がんばって練習します。農家の人も一生懸命働きます。たくさんの農作物を収穫するためです。私たちも苦しくてもイエスさまの見つめていきます。やがて栄冠が待っているからです。 10月11日(金)Uテモテ二8〜13 パウロはテモテに言います。イエスさまのことをいつも思っていなさい。イエスさまは私のために死んでよみがえってくださった方、いつも真実な方だからです。 10月12日(土)Uテモテ二14〜21 私たちは神様の器です。神様の器には汚いものは似合いません。汚いものは捨てて、神様のためだけに使っていただきたいと思います。神様がここで使いたいなあと思われる時に、いつでも用意ができているようにしましょう。 パウロはピレモンに手紙を書いています。これもパウロが牢屋の中で書いた手紙だと言われています。もうパウロはおじいさんでした。でもおじいさんになっても、牢屋の中にいても、パウロはいつでも誰かにイエスさまのことを伝えることばかり考えていました。だからパウロの見張りをしていた兵隊の中にもイエスさまを信じた人がいましたし、一緒に牢屋に入っている人たちの中にもパウロを通してイエスさまを信じる人たちがいました。うれしいですね。オネシモもそんなひとりだったのです。 10月13日(日)ピレモン1〜7 パウロはコロサイ教会にいたピレモンに手紙を書いています。パウロはピレモンのことをとても信頼しています。ピレモンのことを思うと神様に対する感謝があふれてきます。ピレモンが愛と信仰に生きていたからです。 10月14日(月)ピレモン8〜11 パウロはピレモンよりも先輩ですから、ピレモンにああしろこうしろと命令してもいいのですが、パウロはあえて、「愛のゆえにお願い」します。それはオネシモのことでした。オネシモはピレモンの家の奴隷でしたが、そこから逃げしまったのです。 10月15日(火)ピレモン12〜16 けれども、そのオネシモが牢屋の中でパウロに出会ってクリスチャンになったのです。パウロはオネシモのことを「わたしの心」と言い、またピレモンに対して、オネシモはあなたの「愛する兄弟」だと言うのです。 10月16日(水)ピレモン17〜20 パウロはピレモンにオネシモを受け入れてほしいと言います。そしてもし、オネシモがピレモンに迷惑をかけていたり、返さなければならないものがあったら自分が返すから、と言うのです。 10月17日(木)ピレモン21〜25 パウロはピレモンを信頼してこの手紙を書いています。きっとピレモンが自分の思っている以上のことをしてくれると信じているのです。ピレモンもそして他のエパフラスやマルコたちもみんな同労者たちなのです。 10月18日(金)使徒九26〜30 パウロがイエスさまを信じた時、パウロのことを怖がってみんな近づいてきませんでした。でもそんな時、バルナバがパウロのことをみんなにとりなしてくれたのでした。そして今度はオネシモのためにパウロが口添えをしたのでした。 10月19日(土)詩篇一三三1〜3 奴隷であろうと、自由人であろうと、イエスさまを信じた人たちはみんな兄弟姉妹です。私たちは年齢も性別も仕事も住んでいるところも違いますが、同じ主につながるものとして愛し合う交わりの中に生きるのです。 教会には、たくさんおじいさんやおばあさんたちがいる。そして、その人たちは、みんなのためにお祈りしてくれている。この人たちは目が悪いかもしれない。耳が遠いかもしれない。速く走れないかもしれない。すぐいろいろなことを忘れてしまうこともあるかもしれない。でもこの人たちは今までいろいろなことを経験して、たくさんのことを知っている。みんなの方から声をかけていろいろなことを聞いてみるといい。きっと喜んで教えてくれるよ。 10月20日(日)Uテモテ二22〜26 若い頃には、いろいろな誘惑がある。悪魔は若いみんなが、神さまの言うことを聞くのではなく、自分の手下になってほしいと思っている。だまされてはいけない。悪魔は嘘つきだ。神さまを信じているみんなで心を合わせて、神さまに従って行こう 10月21日(月)Uテモテ三1〜9 パウロの時代にも勉強は好きだけれど、そして神さまを知っていたはずなのに、罪を犯し続けている人たちがいた。でもパウロはこれからもっとそういう人が増えてくることを知っていた。私たちの心は大丈夫だろうか。 10月22日(火)Uテモテ三10〜17 テモテは小さい頃から、お母さんのお腹にいる時から、聖書に親しんでいた。パウロは言う。そうだ、聖書だ。聖書はあなたを救いに導き、あなたが神さまのために生きるためにあなたを整えてくれる。 10月23日(水)Uテモテ四1〜5 パウロはこの手紙の最後のところで、テモテにどうしても伝えたいことを語る。テモテ、時が良くても悪くてもどんな時でも御言を宣べ伝えなさい。人に気に入られても、嫌われても、まっすぐに御言を語る人であってほしい、そうパウロはテモテに願っていた。 10月24日(木)Uテモテ四6〜8 パウロは自分の死が近づいていることを知っていた。でもパウロは何も後悔はない。自分はイエスさまのために精一杯、生きてきた。そしてパウロは知っていた。イエスさまが自分のために冠を用意して待っていて下さっていることを。 10月25日(金)Uテモテ四9〜18 パウロはもう一度テモテに合いたいと思っている。パウロの周りにはパウロを見捨てていってしまう人や、パウロに反対し、パウロを苦しめようとする人たちもいた。でも神さまはそんなパウロを助け、救ってくださったんだ。 10月26日(土)Uテモテ四19〜22 パウロはこの手紙の最後にまたなつかしい人たちの名前を上げている。パウロやテモテの信仰の友、同じ主を信じる兄弟姉妹たちだ。知ってほしい。みんなにも世界中に、みんなと同じように主を信じるお友だちがいる。 聖書の最初で神さまが「天と地とを創造された」と書かれている。そして聖書の最後は、神さまがやがて造って下さる「新しい天と新しい地」で終わっていく。ヨハネが神さまから、この黙示録を書くように言われた時、今日はまだ大きな迫害の中にあった。クリスチャンたちは苦しみ、また殉教していった人たちもたくさんいた。でもヨハネは知っていた。やがて神さまが世界を裁かれる日が来る。イエスさまを信じている人たちの救いを完成して下さる日がくる。 10月27日(日)ヨハネ黙二一1〜4 古い天と地は消え去って、神さまが創造してくださった新しい天と新しい地がおとずれます。そこには苦しいことも、痛いことも、悲しいことも全くありません。そこではいつも神さまが私たちと一緒にいてくださいます。大きな喜びの日が来るのです。 10月28日(月)ヨハネ黙二一5〜8 神さまはすべてのものを新しくして下さいます。私たちはいのちの泉からいくらでも飲むことができます。でもそこに入れない人もいます。どんな人が入れないのですか。私たちはどうでしょうか。 10月29日(火)ヨハネ黙二一9〜21 神さまがやがて造って下さる新しいエルサレムは天から、神のみもとから下って来ます。その都全体が高価な宝石のように輝いています。城壁も土台も、その門も輝いています。その都には何のいびつさもありません。 10月30日(水)ヨハネ黙二一22〜27 その都には夜がありません。神さまの栄光に照らされていつも輝いているのです。世界中から人々が底に集まってきます。いのちの書に名前が入っている人だけがそこに入ることができます。その中にはイエスさまを信じた人たちの名前が書いてあるのです。 10月31日(木)ヨハネ黙二二1〜5 都にはいのちの水の川が流れていて、その川の両側にはいのちの木が生えています。その都ではその実をいつでも食べることができます。そこには神さまの御座があって、神さまが礼拝されているのです。 11月1日(金)ヨハネ黙二二6〜15 この黙示録に書かれていることは全部実現します。その時が近づいています。だから汚れたことを離れて、きよい生き方をすることが大切です。私たちが神さまにお会いするためにイエスさまはこの世に来てくださったのです。 11月2日(土)ヨハネ黙二二16〜21 イエスさまは「わたしはすぐに来る」とおっしゃいました。ですから、私たちは「主イエスよ、きたりませ」と主のおいでを待ち望みます。神さまの御言に付け加えたり、差し引いたりしてはいけません。 今年ももうふた月です。今年の初めのことを覚えていますか。そして、新しい年度が始まった四月の始めのことを覚えていますか。みなさんも希望と期待に胸をふくらませて、いろいろな目標をもって一年を始めたはずです。どんな目標や期待をもっていたでしょうか。今年、皆さんはどんな祈りをもって歩み始めたでしょうか。その祈りは、夢は、目標は、実現したでしょうか。もう一度振り返ってみましょう。今から間に合いそうなことがありますか。 11月3日(日)ルカ九57〜62 イエスさまについていってもお金持ちや有名人にはなれないかもしれません。他のものはみんなあきらめたり、後回しにしなければいけないかもしれません。イエスさまについていくには、イエスさまのお弟子さんとして生きるためにはそれなりの覚悟がいるのです。 11月4日(月)ルカ十1〜9 イエスさまはいっしょにいた七二人の人たちを二人ずつおつかわしになりました。収穫は多いのです。そのために働く人がもっともっと必要です。私たちも神さまのことを伝えましょう。人々に平安を届けましょう。 11月5日(火)ルカ十10〜16 神さまからの救いのメッセージを聞きながらそれを拒むことはとても悲しいことです。この救いのメッセージを受け入れなかったら、他にはどこにも救いはないからです。 11月6日(水)ルカ十17〜20 七二人の人たちは出かけていって、また喜んで帰ってきました。イエスさまに特別な力をいただいて、悪霊も言うことを聞いたからです。でもどんな不思議や力ある業をすることができるよりも、天国に名前が記されていると言うことの方がずっとすばらしいことです。 11月7日(木)ルカ十21〜24 勉強をたくさんしたら神さまのことが分かるようになるかと言ったらそうとは限りません。大人になったら分かるようになるかというともそれも分かりません。神さまは大人にもわからないことを、子どもに教えてくださいます。 11月8日(金)ルカ十25〜28 律法学者がイエスさまを困らせようとして尋ねます。何をしたら永遠の生命が受けられますか。イエスさまは誰でも知っている聖書の言葉を引いてお答えになりました。神さまを愛すること、あなたの隣り人を愛することだ。 11月9日(土)ルカ十29〜37 私の隣り人って誰でしょう。あなたのそばにいてあなたの助けを必要としている人です。そして、誰がわたしの隣り人かというよりも、あなたが誰であっても、その人の隣り人なって生きることが大切なのです。 さてどんな目標よりも、何ができるよりもすばらしいことは、神さまの御言を聞き続けることです。皆さんはこの一年、どれだけ聖書を読むことができたでしょうか。コツコツでいいのです。読み続けることができたでしょうか。時には、さっぱり意味が分からないこともあるでしょう。でも、読み続けていく時に、御言は必ず、あなたのことを造り変えていくからです。 11月10日(日)ルカ十38〜42 イエスさまをお迎えしたマルタさんは一生懸命働いています。でも妹のマリヤがサボっています。いいえ、サボっていたのではなく、一生懸命イエスさまのお話を聞いていたのです。マルタはイライラしています。でもイエスさまは、なくてならぬものは多くはない。いや一つだけだ、とおっしゃいました。 11月11日(月)ルカ十一1〜13 イエスさまのお祈りを見ていたお弟子さんたちは、自分たちにも祈ることを教えてください、とお願いしました。イエスさまは、天のお父さんはちゃんと与えて下さるから求め続けるようにと教えられたのでした。 11月12日(火)ルカ十二1〜12 イエスさまのことを伝えるためには勇気がいるかもしれません。心の中に恐れが出てくることもあるかもしれません。でも、大丈夫。私たちのことを守って下さるお方がいるし、そのお方はちゃんと何を言ったらいいか教えてくださるからです。 11月13日(水)ルカ十二13〜21 「貪欲」とは欲張りということです。もっとほしい、もっとほしと思い、そしてものが多ければ安心だ、という心です。いくら宝をたくさん蓄えても、それは天国には持って行けません。 11月14日(木)ルカ十二22〜34 私たちはいろいろなことが心配になります。でも大丈夫です。神さまは空の鳥を養い、また野の花をすばらしく美しく咲かせて下さる方です。そして神さまは鳥よりも花よりもあなたのことをずっと心配していてくださるからです。 11月15日(金)ルカ十三6〜9 いちじくの木が実を結ばなかった時に主人は切ってしまえと言います。でもその木の世話をしていた園丁はもう一年待って下さい、とお願いしたのでした。イエスさまは今も、私たちが実を結ぶのを待っておられるのです。 11月16日(土)ルカ十四15〜24 神さまの国の晩餐会、行きたいですねえ。その晩餐会を断ってしまうなんて、悲しいことです。知って下さい。今、誰でもいい、大通りにも小道にも出て行って、どんな人でも連れてきなさい、と主は招いておられます。 みんなは今年、教会学校に誰かを誘えただろうか。クリスマスはとてもよいチャンスだ。誰かを教会のクリスマス会に誘ってみよう。誰を誘ったらいいだろう。誰を誘うか決めたら、まず名前を上げてお祈りしよう。今から一ヶ月、お友だちの名前を上げて、毎日お祈りし続けよう。そして勇気を出して誘うんだ。なんだかワクワクしてくるね。 11月17日(日)ルカ十五1〜7 イエスさまのところに取税人や罪人たちがたくさん集まって来た。みんなイエスさまのお話を聞きたかったんだね。イエスさまと一緒にいるのがみんな大好きだった。イエスさまは一緒にご飯も食べてくれた。でもそのことをいろいろ言う人たちもいたんだね。でもイエスさまはどんな罪人でも、その人が神さまのところに帰ってきたらそれが一番嬉しかったんだね。 11月18日(月)ルカ十五8〜10 銀貨が一枚なくなった。大事な大事な銀貨。女の人は一生懸命捜した。そしてとうとう見つけた。うれしくてたまらなくて大喜びだ。銀貨はどこかに行ってしまったら何の役にも立たない。あなたも神さまのところにいるのが一番。 11月19日(火)ルカ十五11〜19 弟息子はお金だけ持って、お父さんを捨てて行ってしまった。お金があったら何でもできるはずだった。でもお金を全部使ってしまって、大きなききんになった時、大事なことに気がついた。自分が悪かったってね。 11月20日(水)ルカ十五20〜24 ボロボロになって帰ってきた弟息子をお父さんは走って迎えてくれた。お父さんはずっと待ってたんだね。そしてもう一度息子として迎えてくれた。大パーティーだ。お父さんはうれしくてたまらなかったんだね。 11月21日(木)ルカ十五25〜32 でもお兄さんは面白くない。怒って家にも入らない。でもお父さんが出て来て言う。あなたはいつもわたしと一緒じゃないか。わたしのものは全部あなたのものじゃないか。お兄さんはお父さんの側にいたのにお父さんの気持ちが全然わかっていなかったんだね。 11月22日(金)ルカ十六19〜31 お金持ちは地獄へ、貧しいラザロは天国に行った。天国に行けなかったら、どんなにおいしいごちそうをそれまで食べていても何の価値もない。お金持ちは自分の家族に教えてあげたかったんだね。 11月23日(土)ルカ十七11〜19 十人の人たちがイエスさまに病気を治していただいた。でも神さまを賛美し、感謝に帰ってきたのはたったひとり。イエスさまはちょっとがっかりしたみたいだ。みんなは神さまの恵みにちゃんと感謝しているだろうか。 先週の作戦、みんなは実行しているだろうか。でも教会は遠いしなあという人は、ぜひ教会の先生に相談してみよう。みんながお父さんやお母さんと教会に行っているのだったら、みんなのお父さんやお母さんにも協力してもらおう。クリスマスはサンタクロースの誕生日じゃない。この日はイエスさまの誕生をお祝いする日だ。神さまがどんなに私たちを愛してくださっているかが明らかになった日だ。クリスマスは教会だなってみんなが思っている。だからお友だちを誘ってみよう。 11月24日(日)ルカ十八9〜14 自分は正しいと思っていたパリサイ人は、胸を張って自信満々のお祈りをしました。取税人は自分の罪が悲しくて、「罪人の私をおゆるし下さい」とお祈りした。神さまが救ってくださったのはどちらの人だったかな。 11月25日(月)ルカ十八15〜17 御弟子さんたちは小さな子どもたちは邪魔だと思っていました。でもイエスさまは小さな子どもたちを呼び寄せられました。「神の国はこのような者の国だ」とおっしゃいました。 11月26日(火)ルカ十八18〜30 お金持ちの真面目な役人がイエスさまのところに来ました。何をしたら永遠の生命が受けられますか。イエスさまはこの人に持ち物を全部貧しい人たちにあげて、私に従って来なさいとおっしゃったね。でもこの人にはお金を捨てることはできなかった。お金の方が大事だった。 11月27日(水)ルカ十八31〜43 物ごいをしている盲人がいた。わたしをあわれんでください、と叫び続けて、イエスさまに見えるようにしてもらった。それだけではない。神さまをあがめながらイエスさまについていったんだね。 11月28日(木)ルカ十九1〜10 ザアカイはものすごくお金持ちでした。取税人はもうかったのです。不正もしていたでしょう。エリコの人たちはみんなザアカイのことが大きらいでした。でもイエスさまがそんなザアカイの家に泊まってからザアカイは別人のように変わってしまいました。 11月29日(金)ルカ十九11〜27 みんな同じ一ミナをあずけられました。大事なことは預けられたものをちゃんと有効に使ったかどうかということでした。小さなことに忠実だったかどうかということでした。 11月30日(土)ルカ十九28〜40 イエスさまがエルサレムに上られる時に、かっこいい馬ではなく、まだ誰も乗せたことのないろばの子を使われました。みんなが歓声を上げます。ろばがかっこ良かったからではありません。ろばに乗ったイエスさまをたたえたのです。 さあ、いよいよクリスマスへのカウントダウンが始まります。今日はクリスマスを待ち望むアドベント(待降節)の第一主日です。アドベントクランツのろうそくに一本ひがともります。このろうそくが四本になったらクリスマスです。クリスマスの準備はできていますか。はーい!と言う人、どんな準備をしていますか。クリスマス会の劇の準備ですか。歌の準備ですか。お菓子の準備ですか。さあ、どんな準備をしたらいいか、みんなで考えてみましょう。 12月1日(日)ルカ一5〜7 神のみまえに正しい人であったザカリヤとエリサベツでしたが、二人は子どもが欲しかったのに子どもがいませんでした。そして二人はすっかり歳をとっていました。でも神さまはそんな二人のことをちゃんと覚えていてくださいました。 12月2日(月)ルカ一8〜17 ザカリヤは大事な仕事をするくじにあたり一人で聖所で仕事をしていました。そしてそこで御使ガブリエルの御告げを聞いたのでした。それはうれしい知らせ、救い主の道備えをする男の子が与えられるという知らせでした。 12月3日(火)ルカ一18〜25 ザカリヤは神さまの言葉を信じることができませんでした。でも神さまの言葉は時が来ると必ず成就します。ザカリヤはそのことを知らなければなりませんでした。ザカリヤは赤ちゃんが生まれるまで話せなくなりました。 12月4日(水)ルカ一57〜66 神さまがおしゃったように、エリサベツに男の子が生まれました。ザカリヤとエリサベツは神さまに言われていたように、その子に「ヨハネ」という名前をつけました。ザカリヤはまた話せるようになり、神さまを賛美しました。 12月5日(木)ルカ一67〜71 ザカリヤは聖霊に満たされて、神さまを賛美します。神さまがそのお約束の通りに自分たちを救ってくださる、そのためにダビデの家に救い主が生まれる、という喜びの歌でした。 12月6日(金)ルカ一72〜75 神さまの救いはただ敵に勝利していくというだけではありません。私たちが、神さまのみまえに、きよく正しく、恐れなく仕えることができるようにさせてくださるのです。 12月7日(土)ルカ一76〜80 ザカリヤは生まれたばかりの幼な子にも呼びかけます。この子は救い主が現れる、その道を備えるのです。そしてこの来られる救い主は、私たちにどんな目に見える祝福以上に、罪のゆるしによる救いを与えてくださる。それは旧約聖書に約束されている通りのことでした。 さて今日はアドベントの第二聖日です。アドベントクランツの二本のろうそくに灯がともります。アドベントクランツは緑の土台は変わることのない命を、またろうそくは光として来てくださった主イエスをあらわしています。  さてクリスマスの準備の話をしていましたね。私たちはいつから準備していたでしょうか。実はマリヤさんはイエスさまのお生まれになる一年前から、イエスさまをお腹に宿して準備していました。またイスラエルの人たちは何百年も前から、神さまのお約束を信じて、その実現を待ち望んでいたのです。 12月8日(日)ルカ一26〜33 ガリラヤのナザレにいたマリヤのところに御使ガブリエルがやって来ます。ガブリエルはマリヤにおめでとう。あなたに赤ちゃんが生まれますと告げました。 12月9日(月)ルカ一34〜38 ガブリエルの言葉にマリヤは戸惑います。どうして結婚していないのに赤ちゃんが生まれるの、と思います。しかし、ガブリエルは、神には何でもできないことはありません、と伝えました。マリヤはそのことを信じました。 12月10日(火)ルカ一39〜45 マリヤは親戚のエリサベツさんのところに行きます。誰も信じられないような話も、エリサベツは信じて、とても喜んでくれました。エリサベツのお腹にいた赤ちゃんもお腹の中で喜んで踊りました。 12月11日(水)ルカ一46〜56 マリヤは心から神さまを賛美します。旧約聖書の時代から約束してくださったすばらしいことを神さまは本当に実現してくださったからです。マリヤは自分に神さまがしてくださったことを心から感謝しています。神さまには本当に力があるからです。 12月12日(木)マタイ一18〜21 さてマリヤさんには婚約者がいました。でも結婚する前にマリヤのお腹に赤ちゃんができたのでびっくりです。マリヤとは別れようとしていました。しかし、主の使いがヨセフにも現れて、それが神さまの救いの計画の中で起こっていることを伝えたのでした。 12月13日(金)マタイ一22〜25 マリヤが結婚する前に赤ちゃんができて、救い主が生まれるということは旧約聖書に約束されていたことでした。インマヌエルの約束がその赤ちゃんを通して実現しようとしていました。 12月14日(土)イザヤ九1〜2 イエスさまが育ち、またたくさんの働きをなさったガリラヤ地方の人たちは、大いなる光として来てくださった主イエスさまの恵みに触れました。暗やみ、暗黒の地の人たちがイエスさまによって喜びに満たされたのです。 さて今日はアドベントの第三主日。ろうそくは三本ですね。イエスさまをお迎えする準備のためにマリヤは一年、イスラエルの人たちは何百年。でももっと前から準備していたのは、神さまでした。神さまはアダムとエバが罪を犯したそもそもの最初から、ずっとこの時のために準備し、この時を待っておえられたのです。イエスさまはたまたま偶然にお生まれになったのではありません。神さまの愛とご計画の中で、神のひとり子のイエスさまが人になってこの世に来てくださったのです。 12月15日(日)ルカ二1〜7 全世界の人口調査をするようにという命令が皇帝から出ました。ヨセフとマリヤは遠い南のベツレヘムまで旅をします。そこで赤ちゃんが生まれます。でもその赤ちゃんのためのお部屋は空いていませんでした。 12月16日(月)イザヤ九6〜7 ひとりの赤ちゃんが生まれます。それは私たちのためです。この赤ちゃんは特別な赤ちゃんで、この方を通して、平和と公平と正義がやってきます。神さまは本当に本気で私たちを愛していてくださったのです。 12月17日(火)イザヤ十一1〜5 エッサイとはダビデのお父さんです。ダビデの子孫として救い主が来ようとしていました。この方は主の霊にあふれていて、主を恐れ、悪い人たちを滅ぼし、立場の弱い人たちを救ってくださるのです。 12月18日(水)ミカ五2 ミカもイザヤと同じようにイエスさまが生まれる七百年ほど前に、救い主がベツレヘムという小さな小さな町で生まれることを予告していました。そしてミカが神さまから聞いて語っていたように、イエスさまはベツレヘムの村でお生まれになったのです。 12月19日(木)ヨハネ一1〜5 ヨハネはイエスさまのことを「言」と言いました。このイエスさまは光でした。そして真っ暗なこの世に来てくださった時に、やみはこのイエスさまをおおいかくすことはできませんでした。 12月20日(金)ヨハネ一9〜13 イエスさまがこの世に来てくださった時、人々はイエスさまのことをお迎えしようとしませんでした。イエスさまがすばらしいお話をして、不思議な事をいっぱいなさっても、それでも信じようとしませんでした。でも信じた人は神の子になることができるのです。 12月21日(土)ヨハネ一14〜18 神の子イエスさまは人になってこの世に来てくださいました。このお方にはめぐみとまことが満ちていました。イエスさまは見えない神さまを見えるようにあらわしてくださったのです。この方を通して私たちは神さまを見るのです。 さてついにアドベントクランツのろうそくが四本になりました。今週の水曜日は待ちに待ったクリスマスです。私たちは、プレゼントをもらうのが楽しみかもしれません。でも、一番のプレゼントは神さまがくださった御子イエスさまです。イエスさま以外のものばかり欲しがっていると、喜んでいると、神さまはとても寂しく思われるでしょうね。神さま、イエスさまをありがとう!と心から感謝しましょう。 12月22日(日)ルカ二8〜11 羊飼たちが野宿しながら羊の群れの番をしていました。そんな羊飼たちのところに天使が現れ、彼らを照らし、すべての民に与えられる大きな喜びを伝えます。それはずっとみんなが待ち望んでいた救い主が、今日お生まれになったというとてもうれしいニュースでした。 12月23日(月)ルカ二12 救い主にはしるしがありました。他の赤ちゃんと区別する特別なしるし、御使が語ったことが本当のことだというしるしです。それは布にくるまって飼葉おけ(石で作った動物のえさ箱)の中に寝ているというしるしでした。 12月24日(火)ルカ二13〜14 ものすごい数の天使たちが空いっぱいに現れて神さまを賛美しました。大コーラスです。いと高きところでは神に栄光、地の上では人々に平和、まさにイエスさまはそのために来てくださったのです。 12月25日(水)ルカ二15〜20 羊飼たちは、さあベツレヘムに行って、この出来事を見てこようと出かけて、赤ちゃんのイエスさまを見つけました。布にくるまって飼葉おけに寝ている赤ちゃん・・・御使が伝えてくれた通りです。羊飼たちは神さまを賛美しながら帰っていきました。 12月26日(木)マタイ二1〜8 東の方で星を見ていた博士たちが不思議な星を見つけます。これはきっとユダヤに世界を救う、救い主の王さまがお生まれになったしるしに違いない、と遠い国からエルサレムにやって来たのです。でも救い主はベツレヘムでした。 12月27日(金)マタイ二9〜12 東の方で見た星がまた博士たちを導きます。そして博士たちは赤ちゃんのイエスさまとお母さんのマリヤを見つけます。博士たちはイエスさまに高価な宝ものをささげてイエスさまを礼拝しました。 12月28日(土)マタイ二13〜15 ヘロデは赤ちゃんイエスさまの命を狙っていました。でもそのことを主の使はヨセフに伝え、夜のうちにヨセフとマリヤとイエスさまはエジプトに向かって出発しました。神さまはちゃんと赤ちゃんイエスさまを悪い人の手から守ってくださったのです。 さて二〇一三年最後の日曜日です。この一年も神さまは私たちのことを守ってくださいました。みんなも一年がんばって教会に通いましたね。誰よりも神さまがみんなのことを喜んでくださっています。新しい年が来ます。この一年の感謝をすると共に、新しい年もたくさんの恵みを準備して私たちのことを待っていてくださっている神さま期待して、元気に新しい年を迎えたいと思います。 12月29日(日)ルカ二21〜35 シメオンという人がいました。この人はずっと救い主のことを待っていました。神さまはこのシメオンの心に今、神殿に入ってきた赤ちゃんこそが旧約聖書の時代からずっと約束され、待ち望まれていた救い主だということを教えてくれました。シメオンは赤ちゃんイエスさまを抱いて心から神さまに感謝しました。 12月30日(月)ルカ二36〜40 今度はもうひとり、八四歳のおばあちゃんが入ってきました。アンナという人です。この人も近づいて来て、赤ちゃんイエスさまのことを心から神さまに感謝しました。 12月31日(火)詩篇一〇三1〜5 さて今日は二〇一三年の大晦日です。この一年神さまがどんなにすばらしいことをあなたにしてくださったか、神さまがよくしてくださったことを一つ一つふりかえって見ましょう。そして心から神さまに感謝しましょうね。 1月1日(水)申命記十一8〜12 あけましておめでとうございます。皆さんは新しい年を迎え、新しい世界に踏み込んでいこうとしています。分からないことがたくさんあります。でも確かなことがあります。それはこの新しい一年も今日から大晦日までずっと神さまがみんなのことを見守っていてくださっているということです。 1月2日(木)ヨシュア一9 ヨシュアも全く新しい世界に入って行こうとしていました。でも神さまは、強く、また雄々しくあれ、と励ましてくださいました。ヨシュアは何を恐れる必要はありませんでした。「わたし」と言われる神さまがいつも一緒にいてくださるからです。 1月3日(金)詩篇一1〜6 この一年も神さまの豊かな恵みの中に生き続ける秘訣があります。それは神さまの御言を喜び、昼も夜もそれを思い、口に出して味わい、御言に従って生きることです。そうしたらどんな難しい状況の中でも私たちは豊かに実を結びます。 1月4日(土)エレミヤ二九11 神さまは私たちのために特別な計画を用意してくださっています。神さまはてきとうではありません。私たちに平安を、そして将来と希望を与えようとしておられるのです。