「読書の秋」です。あなたは本が好きですか? どんな本が好きですか? 聖書!! それはすばらしいですね。毎日聖書をコツコツと読み続けてください。ただ読むだけでなく、お祈りしながら、また神さまがあなたに何をお話ししたいのか、知ってほしいのかを考えながら読んでください。心に神さまの御言をたくわえていきましょうね。    ◇  ◆  ◇ 10月7日(日)マルコ一1~11 バプテスマのヨハネは荒野で人々に語りました。もうすぐ救い主が来られるから、救い主をお迎えする準備をしなさい。自分の罪を神さまにおわびしてバプテスマを受けなさい。そこにイエスさまも出てこられました。イエスさまには罪はありませんでした。でもイエスさまはそのことによって、罪人の一人のようになってくださったのです。 10月8日(月)マルコ一12~15 イエスさまはバプテスマを受けられたあと、一人で悪魔の誘惑にあわれました。そして悪魔に勝って、北の田舎のガリラヤ地方で、すばらしいニュースを伝えることを始められたのです。    ◇  ◆  ◇ 10月9日(火)マルコ一16~20 イエスさまはガリラヤ湖の岸辺を歩きながら、ペテロとアンデレの兄弟に声をかけられます。彼らは魚をとる漁師でした。でもイエスさまは彼らに、人をとる漁師にしてあげようとおっしゃったのです。    ◇  ◆  ◇ 10月10日(水)マルコ一21~28 イエスさまがカペナウムで会堂に入られたとき、そこに汚れた霊にとりつかれた人がいました。けれども、イエスさまはこの汚れた霊をおしかりになって、この人の中から追い出してくださいました。イエスさまには力があります。イエスさまが語られると、その通りになるのです。 10月11日(木)マルコ一29~39 シモン・ペテロの奥さんのお母さんが熱を出して寝ていました。でもイエスさまはお母さんをいやしてくださいました。イエスさまはとたんに注目の人です。でもイエスさまはまた次の町に向かわれます。そこにも神さまの教えを待っている人がいるからです。    ◇  ◆  ◇ 10月12日(金)マルコ一40~45 重い皮膚病の人がイエスさまに近づいてきます。この人は汚れているとされて誰も近づきません。でもイエスさまは手を伸ばして、彼にさわり、きよくしてくださいました。    ◇  ◆  ◇ 10月13日(土)マルコ二1~12 四人の人が病気のお友だちをイエスさまのところに連れてきました。家がいっぱいだったけれど、屋根に穴を開けてイエスさまのところに届けました。イエスさまはこの人に罪をゆるし、病気をいやしてくださいました。 読書の秋・・・伝記を読んでみませんか? 特にクリスチャンの人の伝記を読んでみませんか。外国の人、日本の人がどんな風に神さまを信じて、どんなことをしてきたかが書いてある本です。どんな人にも子どもの時代がありました。そしてみんなもやがて大人になります。どんな大人になりたいですか。こんな大人になりたいなあという目標ができるといいなあ。    ◇  ◆  ◇ 10月14日(日)マルコ二13~17 アルパヨの子レビはみんなからローマに納める税金を取っていました。それは他の人たちからは嫌われる仕事でした。確かに悪いこともしていたかもしれません。でもイエスさまはこのレビに声をかけてお弟子さんにしてくださいました。イエスさまは罪人と言われる人たちとも一緒にご飯を食べました。イエスさまはみんなが好くwらえてほしいと思っていたのです。 10月15日(月)マルコ二18~28 イエスさまの生き方はその頃の宗教家たちとは違っていました。不思議そうに尋ねる人々に、イエスさまは、イエスさまの福音は、新しいスタイル、生き方をもたらすことをおっしゃいました。    ◇  ◆  ◇ 10月16日(火)マルコ三1~6 片手が不自由な人がいました。その日は安息日で仕事をしてはいけない日でした。でもイエスさまはこの人をその日に直してあげたかったのです。助けてあげたかったのです。イエスさまはその人の手を伸ばしてくださいました。    ◇  ◆  ◇ 10月17日(水)マルコ三7~19 イエスさまところにたくさんの人たちが集まって来ました。イエスさまは十二人を選んでお弟子さんにされました。この十二人を教えて、特別なお仕事をさせようとしておられたのです。とてもユニークな十二人です。今、教会に集まってくる人たちも同じですね。 10月18日(木)マルコ三19~30 イエスさまが一生懸命神さまのお話をしていると、イエスさまの悪口を言う人たちも出て来ました。神さまからきたイエスさまを悪魔の仲間という人たちもいたほどです。信じないって悲しいことですね。    ◇  ◆  ◇ 10月19日(金)マルコ三31~35 イエスさまのことを心配して、イエスさまのお母さんや弟たちが、イエスさまのところに来ました。でもイエスさまはそこから帰ろうとはされませんでした。イエスさまの周りにたくさんの家族がいたからですね。    ◇  ◆  ◇ 10月20日(土)マルコ四1~20 イエスさまは四つの種のお話をされました。道ばた、石地、いばらの中、そして良い地、私たちは神さまの御言をどのように聞いているでしょうか。良い地のような心で神さまの御言を聞いて、たくさんの実を結ぶ人になりましょう。 「食欲の秋」・・・お米がとれたり、いろいろな野菜や果物、お魚などがおいしい季節です。みんなは秋が旬の食べ物をどれだけ知っていますか? お料理を作ってくれたおうちの人や給食のおじさんやおばさんたち、一つ一つの食べ物を作ってくれた・育ててくれた・とってくれた人たちがいます。またとれたものを運んで売ってくれた人、料理してくれる人、私たちはみんなに感謝していただきたいと思います。そして、一番に食べるものを与えて喜ばせてくださる神さまにね。    ◇  ◆  ◇ 10月21日(日)マルコ四21~29 どう聞くかも大事なことですが、何をどのくらい聞くかもとても大切です。神さまの御言をちゃんと聞いていると、御言は必ず育って豊かな実を結んでいきます。だから神さまの御言である聖書を毎日読むのはとても大切なんだよね。 10月22日(月)マルコ四30~34 からし種は小さな小さな種です。でもまかれると大きく大きく育ちます。神の国も小さく始まります。小さく見えるかもしれません。でもそこには命があって、どんどん育っていくのです。    ◇  ◆  ◇ 10月23日(火)マルコ四35~41 イエスさまは御弟子さんたちと一緒に向こう岸に向かわれました。ところが急に風が強くなって来て大嵐です。でもイエスさまは寝ておられました。弟子たちはイエスさまを起こします。怖くてたまらなかったのです。イエスさまはちゃんと海を静めてくださいました。    ◇  ◆  ◇ 10月24日(水)マルコ五1~20 海の向こう側には、汚れた霊にとりつかれた男の人がいました。この人のことを周りの人たちも助けることはできませんでしたし、この人も自分でそうすることもできませんでした。でもイエスさまはこの人を助けて下さいました。 10月25日(木)詩篇一〇三1~6 私たちは神さまにいろいろお願いをする時には一生懸命なのですが、感謝することが少ないかもしれません。神さまが私たちにどんなにすばらしいことをして下さったかをいつも忘れないでいたいですね。神さまはすばらしい恵みをたくさん下さっているのですから。    ◇  ◆  ◇ 10月26日(金)詩篇一〇三7~12 神さまが私たちにしてくださったことの中で何よりもすばらしいのは、罪を犯し、自分勝手に生きていた私をゆるし、救って下さったということです。そのためにイエスさまが来て下さったのです。    ◇  ◆  ◇ 10月27日(土)詩篇一〇三13~22 私たちはどんなに強がっていても実は弱いのです。けれども神さまはそんな弱い私たちのことを知っていてくださいます。そして、私たちが強く立派だからではなく、弱く小さな私たちを知っていて、なお愛していてくださるのです。 「スポーツの秋」・・・みなさんは体育の授業が好きですか?ちょっと苦手という人もいることでしょうね。でもね、皆さんが子どもの時に体をたくさん動かすことはとても大切なことです。神さまはみなさんの心が救われるだけでなく、みんなが心も体も健康でいてほしいと願っておられるからです。聖書の中にもスポーツの話がいろいろ出てくるんだよ。    ◇  ◆  ◇ 10月28日(日)マルコ五21~24 ヤイロは会堂司でした。会堂を管理していました。みんなから尊敬もされていたでしょう。でもその娘さんが病気で死にそうになっていました。ヤイロはイエスさまを探して、イエスさまの足もとにひれ伏してお願いしました。イエスさまにどうしても直してもらいたかったし、イエスさまは自分の娘を助けることができると信じていたからです。 10月29日(月)マルコ五25~34 イエスさまがヤイロの家に向かっていたとき、十二年間も病気で苦しんでいる女の人がイエスさまに近づいてきて、こっそりイエスさまにさわりました。イエスさまの衣にでも触ればいやしていただけると信じていたからです。    ◇  ◆  ◇ 10月30日(火)イザヤ三〇15~17 私たちは苦しいこと・困ったことがあったら大変だとパニックになったり、自分でいろいろ解決策を考えます。でも一番大切なことは、バタバタしたり、あわてたりしないで、神さまに信頼することです。    ◇  ◆  ◇ 10月31日(水)イザヤ三〇18~19 神さまは私たちが神さまに信頼し、神さまの助けを待ち望んで生きることを願っておられます。そして、私たちが神さまに助けを求める時に、それを聞いて必ず助けてくださいます。神さまは私たちを愛しておられますし、また神さまは私たちを救う力があるからです。 11月1日(木)イザヤ三〇20~22 神さまは私たちがどうしたらいいか分からないときにも、ちゃんと私たちと一緒にいて、私たちがどうしたらいいか、私たちが分かるように御言を通して、教えて下さいます。神さまのお声をちゃんと聞きましょうね。    ◇  ◆  ◇ 11月2日(金)イザヤ五五1~5 神さまは私たちが助けを必要とする時に、神さまのところに来るようにとおっしゃいます。神さまはその御言の通りに必ず私たちを助け、私たちを救って下さいます。神さまの助けは、私たちにただで、恵みとして与えられるのです。    ◇  ◆  ◇ 11月3日(土)イザヤ五五6~13 神さまの考えておられることが、わからないこともあるでしょう。でも、神さまは私たちのためにすばらしいご計画を持っていて下さいます。だからいつでも神さまのところに帰って、神さまを呼び求めることです。 「芸術の秋」・・・すてきな音楽や美術品は、私たちの心をとてもなごませてくれます。自分で絵を描いたり、楽器を弾く人もいることでしょうね。いっぱい楽しんでくださいね。それから知ってください。世界は神さまの傑作品でいっぱいです。山も海も空も川も、いろいろな動物たちも。それからみんなの周りにいるおともだちも、そして今これを読んでいる君自身も神さまのすてきな傑作品だ!    ◇  ◆  ◇ 11月4日(日)マルコ五35~43 ヤイロの家から人が来て言いました。娘さんはなくなりました。もうイエスさまに来ていただいても無駄です。けれどもイエスさまはヤイロに「恐れることはない。ただ信じなさい」とおっしゃいました。イエスさまはヤイロの娘を助けて下さいました。不安になったり、恐れる必要はありません。信じて大丈夫です。 11月5日(月)マルコ六1~6 イエスさまは自分が育った町ナザレに行かれました。ナザレの人たちにも神さまのすばらしいお話をしたいと思ったのです。ナザレの人たちもイエスさまをすごいと思いました。でもイエスさまを救い主として信じることはできませんでした。    ◇  ◆  ◇ 11月6日(火)マルコ六6~13 イエスさまは十二弟子を二人ずつ一組にして村々に送られます。持ち物は少しだけ。なぜならちゃんと神さまが必要なものは備えていてくださるからだね。    ◇  ◆  ◇ 11月7日(水)マルコ六14~29 ヘロデは自分の悪いことを指摘したバプテスマのヨハネを捕まえます。でもヘロデはヨハネが何も悪いことはしていないし、間違ったことは言っていないことも知っていました。でも私が間違っていた、ということができないままに、ヨハネの首を切ってしまいます。 11月8日(木)ヘブル十一1 信仰って、まだ見ていない事実を確認することです。私たちは、見ないと信じられないといったりします。でも案外、私たちの目もあてにならないものです。見ていないから信じないではなく、神さまが語られたことはなると信じることです。    ◇  ◆  ◇ 11月9日(金)Ⅰペテロ一8~9 私たちは、今、イエスさまをこの目で見てはいません。けれども、目には見えなくても、信じて、救われて、イエスさまを愛しています、そして心から、イエスさまを喜んでいます。    ◇  ◆  ◇ 11月10日(土)Ⅰヨハネ五1~5 イエスさまが神の子、救い主と信じる信仰は、私たちを悪魔の力から守ります。私たちがイエスさまを信じ、神さまを愛し、従って行くときに、私たちは666666悪魔に勝つ力を与えるのです。 日本では七五三の季節です。子どもたちの成長を喜び、みんなが元気に育つようにお祈りをします。多くの教会でもみんなの上に神さまの祝福がいっぱい注がれるようにお祈りをします。みんなの家族だけではありません。教会の人たちみんながお友だちのためにお祈りしてくれています。みんなも教会の人たちのために、みんなの家族のために、お友だちのためにお祈りしてくださいね。    ◇  ◆  ◇ 11月11日(日)マルコ六30~44 イエスさまはみんなに食べるものをあげたいと思われました。でもそこは何もない寂しい所です。しかもパンはたったの五つ、魚も二匹だけです。しかし、イエスさまはそのパンと魚を祝福してくださいました。そしてパンと魚を分けるとみんなが食べてお腹いっぱいになりました。神さまの祝福ってすばらしいですね。 11月12日(月)マルコ六45~56 イエスさまは弟子たちを先に向こう岸にやられます。ところがガリラヤ湖の上で大嵐になります。困り切っているときに、イエスさまが海の上を歩いて近付いてこられました。「しっかりするのだ、わたしである」と言って嵐を静めてくださいました。    ◇  ◆  ◇ 11月13日(火)マルコ七1~23 パリサイ人たちは、イエスさまの弟子たちが手を洗っていないと責めました。でもイエスさまは外側の汚れではなく、心の中の汚れが問題だとおっしゃいました。私たちの心はどうでしょうね。    ◇  ◆  ◇ 11月14日(水)マルコ七24~30 イエスさまがスロ・フェニキヤに来られたときに、一人の女の人が、子どもを助けて下さいとやって来ました。このお母さんはイエスさまにしがみつくように求めます。イエスさまはこの女を助けてくださいました。 11月15日(木)マルコ七31~37 耳が聞こえないとしゃべるのはむずかしいものです。イエスさまはこの人の耳を開き、耳が聞こえるように、また神さまを賛美できるようにしてくださいました。    ◇  ◆  ◇ 11月16日(金)マルコ八1~10 たくさんの人たちがイエスさまのお話を聞きにきました。三日間もイエスさまと一緒にいても誰も帰ろうとしません。ご飯を食べるのも忘れていました。イエスさまはこの人たちのことを心配して、七つのパンと魚で満腹させて下さいました。    ◇  ◆  ◇ 11月17日(土)マルコ八11~26 目があっても大事なことが見えていないことがあります。耳がついていても聞こえていないことがあります。イエスさまは私たちの心の目も開いてくださるお方です。あなたは心の目で神さまが見えていますか。はっきり見えていますか。 今週の木曜日はアメリカでは感謝祭のお休みです。昔、イギリスからメイフラワー号に乗ってアメリカに渡って人たちは、そこに神さまを信じる自由な国を作ろうとしました。でも最初はとても大変でした。食べる物を作るのも一苦労です。でもその人たちが次の年の秋を迎えたとき、その人たちは畑でできた物を持ち寄って、一年守られたことを、神さまがこのように食べる物をくださったことを感謝したのです。あなたは何を感謝しますか?    ◇  ◆  ◇ 11月18日(日)マルコ十三1~2 エルサレムの神殿はそれは見事なものでした。大きな大きな石も使われていました。いったいどれだけの人たちが仕事をしたことでしょうか。それはまさに世界に誇る神殿でした。けれどもイエスさまは、その目に見える神殿が壊される時が来るとおっしゃいました。 11月19日(月)マルコ十三3~8 弟子たちはイエスさまの話を聞いて心配になりました。イエスさまは神殿が壊される時、また世の終わりの前にはいろいろなことが起こることを語られました。この世の終わりの時は確実に近づいています。    ◇  ◆  ◇ 11月20日(火)マルコ十三9~13 終わりの時が来る前に、イエスさまの福音はすべての民に宣べ伝えられます。誰が伝えるのでしょう。私たち一人一人です。そして、聖霊は私たちが何をどのように話したらいいのか教えて下さいます。    ◇  ◆  ◇ 11月21日(水)マルコ十三14~23 偽預言者や偽キリストが現れます。そして不思議な事をして、みんなをだまそうとするでしょう。けれどもだまされてはいけません。苦しいことがあっても信仰を守り、きちんと本物と偽物を見分けることができるように神さまに助けていただきましょう。 11月22日(木)マルコ十三24~27 太陽も月も光を失い、星が天から落ちてきます。こわいですか? そうですね。でもその時は、信じる私たちにとっては、イエスさまがみ使いを従えて、王として帰ってこられる喜びの時なのです。    ◇  ◆  ◇ 11月23日(金)マルコ十三28~36 いろいろなものが変わっていきます。でも何が変わっても変わることのないもの、それがイエスさまの言葉は変わることがありません。いつイエスさまが来られてもよいように今のうちにちゃんと準備をしましょうね。    ◇  ◆  ◇ 11月24日(土)Ⅰペテロ一3~7 イエスさまを信じていて、いろいろな苦しみや悩みの中を通ることもあるでしょう。けれどもイエスさまが栄光のうちにもう一度帰ってこられることを思うと、私たちはどんな時にも喜ぶことができます。輝きにあふれて生きることができるのです。 いろいろな大変なことがたくさんあると、神さまに感謝するのが難しいかもしれません。何でこんなに大変なの?神さまはどこにいるの?と聞きたくなることもあるかもしれません。でも知ってください。なぜ、苦しいつらいことがあるのか、私たちには分からないことがあります。でも確かなことは、それでも神さまはあなたを愛しておられること、そんな時もあなたを助けてくださるということです。    ◇  ◆  ◇ 11月25日(日)マタイ二五1~13 イスラエルの国では結婚するときには花婿さんが花嫁さんの家に、花嫁とお友だちを迎えに行きました。でも花嫁と友だちは待っています。賢い人は油を用意していましたが、そうでない人たちは用意していませんでした。どうにかなると思ったのでしょう。でもちゃんと用意をしていないと間に合わないのです。 11月26日(月)Ⅰペテロ一13~21 ペテロはイエスさまがおいでになる時を待ち望む者として、神さまが聖なる方であられるように、聖なる者となるようにと教えられました。神さまがそのイエスさまの尊い血をもって、私たちを救ってくださったからです。    ◇  ◆  ◇ 11月27日(火)Ⅰペテロ一22~25 どんなに豊かで、どんなに栄えているように見えたとしても、やがては草花のように枯れてしまうことでしょう。いつまでも変わらないのはただ神さまの言葉です。この神さまの言葉が私たちに命を与えるのです。    ◇  ◆  ◇ 11月28日(水)Ⅰペテロ四7~11 イエスさまを待ち望む人は、互いに愛し合い、また自分に与えられている賜物・力・才能・能力を、お互いのために使っていきます。自分が時をするためではありません。神さまがあがめられるためなのです。 11月29日(木)Ⅰペテロ四12~19 神さまを信じて真面目に生きていこうとするといろいろな反対にあったり、馬鹿にされたりすることがあるかもしれません。不思議に思ったり、びっくりする必要はありません。昔もそうでした。その中で神さまはあなたを一緒にいてあなたを輝かせて下さいます。    ◇  ◆  ◇ 11月30日(金)Ⅰペテロ五1~5 謙遜とは、いばらないで、相手に仕えて生きることです。神さまはいばっている人ではなく、自分の弱さや罪深さを知って神さまにすがって生きる人に恵みをくださるのです。    ◇  ◆  ◇ 12月1日(土)Ⅰペテロ五6~11 悪魔は私たちをやっつけようとうろうろしているかもしれません。でも心配する必要はありません。神さまが心配していて下さるからです。神さまは私たちを救って下さっただけでなく、私たちを強め、支えて、守ってくださるからです。 今日はクリスマスを前にしたアドベント(待降節)の第一主日です。私たちはクリスマスが近づいていることを覚えて、感謝をもってこの季節を過ごしたいと思います。今週の土曜日はどんな日が知っていますか。一九四一年十二月八日、日本はアメリカと戦争を始めたのです。たくさんの人たちがその戦争でなくなりました。たくさんの人たちの体や心が傷つきました。今、神さまが与えて下さっている平和を心から感謝しましょう。    ◇  ◆  ◇ 12月2日(日)マタイ二五14~30 一タラントとは、一人の人が約二十年間働いた給料と同じくらいのお金です。この主人は僕たちを信頼してこのお金を預けました。五タラントと二タラントをあずけられた僕はそれで一生懸命商売をしてお金を増やしました。主人はそのことを聞いた時に、その忠実さをほめたのでした。 12月3日(月)ルカ一5~25 ザカリヤとエリサベツには子どもがいませんでした。二人はお祈りしていたのですがすっかり歳をとってしまいました。でも神さまはちゃんとそのお祈りを聞いておられました。けれどもザカリヤさんはその知らせを信じられませんでした。    ◇  ◆  ◇ 12月4日(火)ルカ一26~38 ガブリエルは次にマリヤの所に行きます。マリヤもびっくりするような神さまのお告げを受けました。マリヤは、わたしは主のはしためです、と神さまの御言葉をそのまま受け入れたのでした。    ◇  ◆  ◇ 12月5日(水)ルカ一39~45 マリヤはエリサベツのところに遊びに行きます。エリサベツのお腹の赤ちゃんがうれしくて踊りました。エリサベツもお腹の赤ちゃんもマリヤのお腹にいるのが特別な赤ちゃんであることを知っていたのです。 12月6日(木)ルカ一46~56 マリヤは心から神さまをあがめて賛美します。神さまがこんなに小さな私に目を止めて、本当にすばらしいことをしてくださった、マリヤは神さまのことをたたえないではいられませんでした。    ◇  ◆  ◇ 12月7日(金)ルカ一57~66 エリサベツにとうとう赤ちゃんが生まれました。ザカリヤは神さまから言われていた通りに、その赤ちゃんにヨハネという名前をつけました。今までしゃべれなくなっていたザカリヤが神さまを賛美できるようになりました。    ◇  ◆  ◇ 12月8日(土)ルカ一67~80 ザカリヤは心から神さまを讃えました。ザカリヤは神さまがもうすぐ救い主を送って下さること、自分たちに今、与えられた赤ちゃんのヨハネが、救い主が来られる前に、みんなにそのことを知らせる大切なお仕事をすることを知っていたからです。 アドベントの第二主日です。二千年前イエスさまはこの世に赤ちゃんとして来て下さいました。私たちはこのアドベントの期間、イエスさまのお誕生をお祝いする準備をすると共に、やがて王さまとしてきて下さるイエスさまを待ち望みます。イエスさまが来られる日・・・それはイエスさまを信じている人にとっては心からの喜びの日なのです。    ◇  ◆  ◇ 12月9日(日)マタイ二五31~46 イエスさまがもう一度おいでになる時、私たちは永遠の命に入るか、永遠の滅びに入るかどちらかに分けられます。神さまからほめていただけるのは、地上で本当に弱く、貧しく、困っている人たちを愛し、仕え、助けた人です。イエスさまは、小さい者のひとりにしたのはわたしにしたんだよ、とおっしゃいます。イエスさまを信じる人はそのように生きるのです。 12月10日(月)マタイ一18~25 マリヤのお腹が大きくなってきた時、婚約者のヨセフはとても心配しました。けれども、天使がヨセフに現れて、安心してマリヤと結婚しなさい、と言いました。マリヤのお腹にいたのは救い主だったらです。    ◇  ◆  ◇ 12月11日(火)ルカ二1~7 ヨセフやマリヤはガリラヤ地方のナザレに住んでいました。でも皇帝の命令で、二人はベツレヘムに旅をします。もう宿屋はいっぱいで、客室には泊まるところがありませんでした。しかし、そのベツレヘムでイエスさまはお生まれになりました。    ◇  ◆  ◇ 12月12日(水)ルカ二8~14 羊飼いたちは夜、野原で羊の群れの番をしていました。突然み使いが現れて、救い主誕生の知らせを伝えました。救い主は布にくるまって飼葉おけの中に寝かされている、それがしるしでした。 12月13日(木)ルカ二15~20 救い主がお生まれになったという知らせを受けた時に、羊飼いたちはすぐにその救い主を見に行かないくちゃと思いました。そして、み使いが教えたとおり、飼葉おけにねている赤ちゃんを見つけたのでした。    ◇  ◆  ◇ 12月14日(金)ルカ二21~35 一月後に両親は赤ちゃんのイエスさまを連れて神殿に感謝のささげものをしにきました。イエスさまを見たシメオンはイエスさまが救い主であることを知って、心から感謝したのでした。    ◇  ◆  ◇ 12月15日(土)ルカ二36~38 アンナという八四歳のおばあちゃんもイエスさまのところに来ました。そして神さまが救い主を送って下さったことを感謝し、みんなにその赤ちゃんのことを知らせました。 アドベントの第三聖日です。クリスマスがいよいよ近づいてきます。準備はOKですか。いろいろな準備があるでしょうね。でもその一つの準備は他のお友だちを教会に誘うということです。クリスマスはいつもあまり教会に来ないお友だちやおうちの人でもきっと来てくれることでしょう。クリスマスの本当の意味を知らないお友だちに、イエスさまのことを知ってもらうためにも、勇気を出してみんなを教会に誘いましょう。    ◇  ◆  ◇ 12月16日(日)イザヤ七1~9 イザヤはイエスさまが生まれる七百年前に活躍し、神さまの言葉を伝えました。たくさんの敵の兵隊がエルサレムに向かって来る中で、人々は不安になり、王さまは大国アッスリヤに助けを求めました。でも神さまが願っておられたのは王さまが神さまを信じて、頼って生きるということでした。 12月17日(月)イザヤ七10~17 神さまよりも他の国にすがるようなイスラエルはやがて滅んでしまうでしょう。でも神さまはやがて、その国に特別な救い主を送ろうとしておられました。そこのお方を通してインマヌエル、神が共におられる、ということが実現する、そんな救い主です。    ◇  ◆  ◇ 12月18日(火)イザヤ九1~9 この救い主は私たちのための救い主です。戦いはやみ、私たちのために光が照らします。このお方はすばらしいお方です。神さまは本気で私たちを愛しておられるから、このすばらしい救い主を送って下さったのです。    ◇  ◆  ◇ 12月19日(水)イザヤ十一1~5 この救い主なるお方は、神さまの霊に満たされていました。このお方はダビデの王座をつぐお方で、神を恐れ、知恵に満ち、ひいきをしたりすることもなく、正義をもって国を治めて下さるのです。 12月20日(木)マタイ二1~6 東の国の博士たちがエルサレムにやってきました。彼らは救い主の星を見て、遠くから、世界を救うユダヤ人の王を拝むためにやってきたのです。聖書によれば救い主が生まれるのはベツレヘムでした。でもエルサレムの学者たちは誰もイエスさまを拝みに行こうとはしませんでした。    ◇  ◆  ◇ 12月21日(金)マタイ二7~12 博士たちはベツレヘムに向かいます。東の方で見た星が博士たちを導きました。彼はイエスさまとお母さんのマリヤと会って、赤ちゃんのイエスさまを拝み、宝物をささげました。    ◇  ◆  ◇ 12月22日(土)マタイ二13~15 神さまは夢の中に現れて博士たちを導き、またヨセフを導かれました。ヘロデはイエスさまを探し出して殺そうとしていました。けれども、神さまは赤ちゃんのイエスさまを守ってくださいました。 今日はアドベントの第四主日です。今日は多くの教会でクリスマス礼拝をすることでしょう。そしていよいよ、火曜日はクリスマスです。クリスマ、何が楽しみですか? やっぱりプレゼントかなあ。でもどんなプレゼントよりもすばらしい最高のプレゼントはイエスさまご自身です。神さま、ありがとう!と心から感謝しましょうね。    ◇  ◆  ◇ 12月23日(日)ヨハネ一1~5 ここで「言」「光」と言われているのはイエスさまのことです。イエスさまはもともと神さまと一緒におられました。イエスさまは神のひとり子です。世界はイエスさまによって造られました。そして真っ暗な世を照らすためにこの世に来て下さいました。どんなに真っ暗でも小さな光があるとそこは明るくなります。イエスさまをお迎えするとその人の心は明るくなるのです。 12月24日(月)ヨハネ一6~8 ヨハネは救い主ではありませんでした。でも救い主について証しをするという大事な務めをまかされていました。私たちも同じですね。私たちもイエスさまのことをみんなに紹介したいと思います。    ◇  ◆  ◇ 12月25日(火)ヨハネ一9~13 イエスさまがこの世に来られた時、人々はイエスさまを受け入れませんでした。でももし、私たちがイエスさまを受け入れるなら、イエスさまは私たちを神の子として下さいます。私たちの努力や真面目さで神の子になるのではありません。神さまがそのことをしてくださるのです。    ◇  ◆  ◇ 12月26日(水)ヨハネ一14~18 神のひとり子のイエスさまは私たちと同じ人間になってこの世に来て下さいました。そして、人間になって来て下さったイエスさまを通して、私たちは神さまがどんなお方であるかを知るのです。 12月27日(木)ヨハネ八12 イエスさまはご自分でこうおっしゃいました。「わたしは世の光である」。イエスさまと一緒にいたら、決して暗闇の中で迷うことはありません。それだけではありません。命の光を与えられて、神さまの豊かさの中に生きる者とされるのです。    ◇  ◆  ◇ 12月28日(金)ヨハネ十二35~36 私たちが光であるイエスさまを信じる時に、私たちは光の子にしていただくことができます。イエスさまに背を向け、イエスさまを拒んで生きていったら私たちはやみの中に迷ってしまうでしょう。あなたはイエスさまを信じましたか。    ◇  ◆  ◇ 12月29日(土)エペソ五8~14 私たちがイエスさまを信じる前は、私たちはやみでした。罪を犯し、やみの中を歩んでいました。でもイエスさまを信じて私たちは光にしていただきました。光の子らしく歩きましょう。 今日は今年最後の日曜日です。この一年も教会学校に続けてきたみんなことを、また今年も聖書を一緒に読み続けてくれたみんなを心からうれしくおもいます。そしてみんな知ってください。日本中に、世界中にみんなのようなお友だちがたくさんいます。みんなと同じように教会に通い、賛美する、イエスさまが大好きなお友だちです。うれしいですね    ◇  ◆  ◇ 12月30日(日)ヨハネ一19~23 バプテスマのヨハネのところにはたくさんの人たちが集まっていました。ひょっとしたらこの人が救い主かもと思う人がいたのでしょう。でもヨハネは自分はキリスト、救い主ではない、とはっきり言います。ヨハネは自分はイザヤが言っていた「荒野で呼ばわる者の声」だと言います。声は消えていきます。でも人は声が指し召す救い主に注目するのです。 12月31日(月)ヨハネ一24~28 バプテスマのヨハネは、自分は救い主なるお方のくつのひもを解く値うちもないと言いました。ヨハネは人々が集まってきても、自分が人気があるように見えても決して決していばりませんでした。    ◇  ◆  ◇ 1月1日(火)ヨハネ一29~34 ヨハネはイエスさまのことを「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と言いました。確かに昔は罪を犯した人間の代わりに小羊を殺して神さまにささげました。その小羊はイエスさまを指し示していました。イエスさまは十字架の上で私たちの罪を負って死んでくださったのです。    ◇  ◆  ◇ 1月2日(水)ヨハネ一35~42 ヨハネの弟子たちの中にはイエスさまについていく人たちがいました。その中の一人のアンデレはイエスさまが救い主ということが分かった時、すぐにお兄さんのペテロを連れてきました。 1月3日(木)ヨハネ一43~51 イエスさまはまた今度はピリポに声をかけられました。ピリポもイエスさまが救い主であることが分かったので、今度は自分の知り合いのナタナエルにそのことを伝えました。ナタナエルもイエスさまを信じました。    ◇  ◆  ◇ 1月4日(金)イザヤ五三1~6 イザヤは救い主が生まれると言うことだけでなく、救い主がどのように私たちを救ってくださるのかについても預言をしました。救い主は私たちの罪を負って苦しんでくださることによって私たちの救いの道を開いてくださったのです。    ◇  ◆  ◇ 1月5日(土)黙示録五11~14 「ほふられた小羊」とはイエスさまのことです。イエスさまは今は神の右の座に座っておられます。天ではイエスさまの御名が賛美されています。そして私たちもまたほふられた小羊、イエスさまに感謝し、その御名をたたえるのです。