…御霊に導かれる生涯、この喜び! … 中西 雅裕 兄弟たちよ、そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。(ローマ12:1)  ローマ書の12章では、主によって新しく生まれた者としての生き方が語られます。どのように生きていけばよいのか、どのような価値観で生きるのかを。そこには、神の御前での生き方、新しく生まれた私たちをはぐくんでくれる教会の中での生き方、他者との関わりの中での生き方が記されています。そして続く13章に入ると、キリスト者の社会での生き方が語られ始めます。新しく主によって生まれた者たちは、御霊に導かれるようになるのです。この生涯は喜びです。自分の考えや願いに固執するのではなく、何が神に喜ばれ、何が神の御旨なのかを求め始めるというのです。そして、恵みとして各々に与えられた賜物を「惜しみなく」「熱心に」「快く」用いていくのです。この「快く」という語には、「喜びに溢れて、愉快に」というニュアンスがあります。「惜しみなく」とは、「一つの方向を見て」とも言えます。人の顔や評価を気にして奉仕や捧げ物を献げるのではなく、喜んで慈善(愛のわざ)をするように変えられていくのです。今まではできなかった生き方です。しかし、今はそれができるようにされたのです。そこには、まず神さまの深い御愛があります。罪ある者が赦される! という、この大きな恵みを知り、心から喜んで受け入れて生きる者たちとされたゆえです。何という幸いでしょう。御霊に導かれる生き方を喜んで生きる私たち一人ひとりとさせていただきましょう。パウロの語る深い福音理解を学びながら、キリスト者とされている大きな恵みを覚えました。祈りつつ、頑固な自我を砕いていただいて進む者たちでありたいと願います。主に委ねることができなければ、御霊に導かれることはないのです。自分にしがみついて、自分のやり方に固執するなら、御霊に導かれることはないのです。「わが力なる主よ、わたしはあなたを愛します」(詩篇18:1) (2015年2月)