…御言葉が与えられる喜び! … 「わたしは大いなる獲物を得た者のようにあなたのみ言葉を喜びます。」詩篇119:162  一日の働きを終えた夕べ、主の前に祈るときに言いようもない徒労感で、涙することがあります。今日一日いったい何ができたのか……。予定したことがうまくいかない。時間が足りない。予想外の問題が生まれてくる。何一つできないまま夜を迎えてしまった。エリヤのように、れだまの木の下に座するような経験です。しかし、口を開く力もなく伏して眠ってしまうような者に、主は触れてくださいます。御声を聞かせてくださいます。御業を拝させてくださるのです。この夏、一つの問題で頭を悩ませていました。教会の役員の方々と知恵を出し合い、各祈祷会で祈ってもらい、ああしたらこうしたらと頑張るのですが、物事はうまく進まない……。途方にくれているときでした。ある朝のディボーションで、「主も彼らと共に働き」という御言葉を与えていただいたのです。雷に打たれたかのような衝撃が心に走りました。あぁそうでした、主よ! 確信と平安が心に満ちていきました。その後、この問題は人間の知恵を遙かに越えた方法で解決されていきました。時も自然界をも支配され、人の心を探り知られる力をもった御方のみができる方法で。私たちがあれもこれも何とかと頑張っていた、あのときからすでに主の御手は動いていたのです。主も彼らと共に働き! なのです。なんと嬉しく感謝なことでしょう。「弟子たちは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主も彼らと共に働き、御言に伴うしるしをもって、その確かなことをお示しになった」(マルコ16:20)。この御言葉が、私を力づけ立ち上がらせてくれたのです。主は語ってくださいます。主の御前に立ちたいと思います。静かな御声を聞くために。各地での聖会が祝されたことを感謝しつつ、共に御言葉を喜びつつ……。 (中西 雅裕)