胎児から成人までの一貫した教案誌 個人的な学び・家庭集会にも最適

  ヤコブは神さまによってもものつがいを外され、杖をついて足を引きずって歩くようになりました。もし敵に襲われても、もう思うように戦うことはできません。できることはただ神さまに頼って進むことだけです。

9月24日(日)創世記33:1~3

 ヤコブは四百人の人々とエサウが迎えにくるのを見ました。川を渡る前はエサウの仕返しや怒りが怖くて一番後ろにいたヤコブでしたが、神さまとすもうをして祝福をいただいたヤコブは、みんなの前に進み出て行きました。7回エサウに向かって身を屈めて、自分はエサウよりも小さな者であると身を低くしました。

9月25日(月)創世記33:4~7

 ヤコブにとってあんなに不安と恐怖だったエサウの反応は、ヤコブを見ると「走ってきて迎え、彼を抱き、その首をかかえて口づけし、共に泣いた」のでした。エサウの態度に怒りや恨みはありませんでした。

9月26日(火)創世記33:8~9 

 エサウはアブラハムからイサクが受け継いだ祝福はいただけませんでしたが、彼の生活もちゃんと祝福されていました。ヤコブのたくさんの贈り物を前にして「私はじゅうぶん持っている。あなたの物はあなたのものにしなさい」と言えるほどだったのです。

9月27日(水)創世記33:10~11  

 ヤコブが贈り物を受け取って欲しいと何度も言うので、仲直りのしるしとしてエサウは受け取りました。ヤコブにとって喜んで迎えるエサウの顔が本当にうれしかったのです。神さまはヤコブの助けてくださいと言う祈りをきいてくださり、エサウと関係をつないでくださいました。

9月28日(木)創世記33:12~14 

 エサウはヤコブたちの先頭に立って導こうとしました。しかしヤコブは子どもたちの体調や羊たちの世話をしながら進むので、ゆっくり行って一緒になることを伝えました。勢いのあるエサウに対して、ヤコブはエサウの気持ちをたてながらも長旅で疲れている群れに合わせたいとお願いしました。

9月29日(金)創世記33:15~17

 昔のようにどこまでも出しぬこうとするヤコブの姿はなく、どこまでも兄エサウを敬いました。兄エサウにゆるされて兄と仲直りでき、ヤコブの長い間のしこりがやっと取れて心が軽くなったことでしょう。ヤコブは不自由な足となっていたので、セイルまで行かないで、スコテに家を建てました。

9月30日(土)創世記33:18~20

 ヤコブにとってはたくさんの不安と恐れを抱えながらやってきた長旅でしたが、神さまは約束通りヤコブたちを助け、兄との関係をよくしてくださいました。祝福を受けるにはふさわしくないずる賢さと何者も押しのけていくようなヤコブを、神さまは見捨てないで無事にカナンの地に戻してくださいました。そしてヤコブは神さまへの感謝の礼拝をささげることができました。

 子どもの頃、兄が親に怒られていると、なぜかニヤニヤしてしまいました。「人が怒られているのをみて喜んでいる」とたしなめられたものでした。子どもの頃の自分を思い出すと、そういうことばかりがなぜか思い出されます。

10月1日(日)創世記37:1~4

 ヤコブはたくさんいる子どもたちの中で、ヨセフばかりあからさまにかわいがりました。ヨセフは調子に乗って兄弟の悪いことを告げ口しました。兄たちはヨセフを、生意気でお父さんを独り占めにする嫌なやつと憎んでいました。ヨセフと兄たちの間には、深い溝がありました。

10月2日(月)創世記37:5~11

 兄たちにとってヨセフは、見る夢まで生意気でした。ヨセフの二つの夢はどちらも、両親や兄弟たちがヨセフにひれ伏すことを意味する夢でした。たとえ夢でも年下の弟にひれ伏すなど年上のものにとってはがまんならないことです。このことはさらに兄たちの妬みを深くしました。

10月3日(火)創世記37:12~20

 ある日、ヨセフは父のお使いで兄たちが羊の群れを連れて旅をしているところまで無事を確認しに出かけました。ところが兄たちは遠くからヨセフの姿を見るとヨセフを殺す相談をし始めたのです。兄たちの憎しみは殺したいほどまでになっていたのです。

10月4日(水)創世記37:21~24 

 一番上の兄ルベンは、ヨセフを守りたいと思いました。みんなと同じように憎んでいなかったわけではないでしょう。でも殺すことはいけないと兄弟たちを説得し穴に投げ入れる提案をしました。お父さんの気持ちを考え、あとでお父さんの元に返すつもりだったのです。

10月5日(木)創世記37:23~24 

 何も知らないヨセフは兄たちに出会うと服をはぎ取られ、空っぽの穴の中に投げ入れられてしまいました。思いがけない出来事にヨセフは驚き深いショックを受けたことでしょう。けれどもこれはこのあと続く思いがけないことだらけの出来事のまだ始まりだったのです。

10月6日(金)創世記37:25~28

 兄たちが食事をしていると、エジプトへ向かう奴隷を売り買いする商人たちが通りかかりました。兄たちはさすがに弟を殺すのは良くないと相談し、ヨセフを奴隷商人に売ってしまったのです。なんとルベンはその時、その場にいなかったのです。まさか兄弟に売られてしまうとは、なんということでしょう。

10月7日(土)創世記37:29~36

 こんなことがあっていいはずがありません。ヤコブが悪い。いやヨセフが悪い。いやいや兄たちが悪いんだ。私たちは誰かが悪かったからこうなったということばかり思います。しかしヨセフと、彼を買いとったエジプトの役人との出会いは、神さまの計画の中にありました。これは怒りや憎しみを抱え、関係がゆがんでいたヤコブ一家が新しくされるための長い道のりの始まりでした。

 奴隷となったヨセフでしたが、今度は濡れ衣を着せられて、牢屋に入れられてしまいました。そして囚人として牢屋の中で数年を過ごしました。そこにも神さまの計画がありました。

10月8日(日)創世記41:1~8

 ある日エジプトの王、パロが夢を見ました。その夢がとても奇妙なのです。7つのやせ細ったものが7つの肥え太ったものを食べてしまう夢です。パロは嫌な予感がしました。誰かにこの夢の意味を解いてもらいたいと思いました。でも誰にもわかりませんでした。

10月9日(月)創世記41:9~13

 その時パロの食事係をしていた人がヨセフのことを思い出したのです。この人は前にパロを怒らせてしまい、牢屋に入っていたことがあったのですが、その時に見た夢をヨセフが解き明かしてくれたのです。そしてヨセフが教えてくれた夢の意味の通り、王さまに許されて食事係に戻ることができたのでした。

10月10日(火)創世記41:14~24

 ヨセフは牢屋を出され、パロの前に立つことになりました。もちろんお風呂に入り、ヒゲをそり、きれいな服に着替えました。パロが「お前が夢の意味を教えてくれるのか」と言うので、「私でありません。神さまが教えてくれるのです」とヨセフは答えました。ヨセフはパロの前にたったからと見栄を張ったり、得意ぶったりせず、正直に答えました。

10月11日(水)創世記41:25~36 

 パロの夢を聞いたヨセフは、その意味を語りました。「この夢は神さまがこれからしょうとすることをパロに示されたのです。7つの太ったものは、これから7年間大豊作になるということです。しかしやせた7つのものは、その後の7年は全く食物が実らなくなってしまうということです。だから飢饉のために食べ物をたくさんためておかなければなりません」。

10月12日(木)創世記41:37~45 

 見事な夢の解き明かしにパロも家来も納得しました。ヨセフには神さまが共にいることがわかりました。そこでヨセフをパロの次にエジプトで偉い人にして、彼に食糧を蓄えることや、エジプトをおさめることを任せたのです。奴隷から囚人になったヨセフが今度はいっきにエジプトの大臣になったのです。

10月13日(金)創世記41:46~52

 ヨセフは30歳になっていました。お父さんと別れたのが17歳。ずいぶん経ちました。飢饉でみんなが困らないようたくさん食糧を集めました。また結婚し、子どもが与えられました。この13年の悩み苦しみをおおう神さまの恵みを子どもの名前にしました。

10月14日(土)創世記41:53~57

 ヨセフの言ったように飢饉がやってきて7年続いたので、エジプトだけでなく周りの国々の人々もヨセフのところに食糧を買いにきました。そして多くの人が蓄えられた食糧で救われました。

 ヨセフはエジプトで王の次に偉い大臣となりました。そして飢饉で食べ物がない人々に食糧を売っていました。外国からも食糧を買いに人々がやってきましたが、その中にヨセフの兄弟たちもいたのです。

10月15日(日)創世記42:6~12

 エジプトに食糧を買いにやってきたヨセフの兄弟たちは、ヨセフに向かって地にひれ伏して拝みました。ヨセフはすぐに兄弟たちだとわかりましたし、昔見た夢のことも思い出しました。けれども、ヨセフと気づかない兄弟たちに「お前たちはスパイだ」とわざと疑いをかけたのです。なぜそんなことをしたのでしょうか。

10月16日(月)創世記43:1~10

 兄たちはまた食糧を買いに行かなければならなくなりました。しかしヨセフは、今度は末っ子も連れて来るようにと言いました。父ヤコブは大反対です。けれどもこのままでは一族みんな死んでしまいます。ユダは末っ子に何かあったら、すべて自分が身代わりになりますと言いました。みんなを救うために自分を捨てる覚悟を決めたのでした。

10月17日(火)創世記43:11~15

 頑固に反対していたヤコブもついにあきらめました。たくさんのお土産と、銀を多めに持たせました。そして神さまにお祈りしました。「もし末っ子を失わなければならないなら、失ってもいい」。ヤコブは自分の思いを押し通すことをやめて神さまにお任せしました。

10月18日(水)創世記44:1~13 

 なんということでしょう。よりによってベニヤミンの持ち物から、ヨセフの銀の杯が出てきたのです。もちろんこれはヨセフがわざとしたことです。けれども何も知らない兄弟たちはただただショックと絶望でエジプトへ引き返さなければなりませんでした。

10月19日(木)創世記44:14~24  

 兄弟たちはヨセフの前で地にひれ伏しました。ユダは兄弟みんながこの罪の償いとして奴隷になると語りました。けれどもヨセフは「杯を持っていた者だけが奴隷になればいい」と言います。でもベニヤミンだけを残すことはできません。ヨセフは一体何を考えているのでしょう。ユダは弟を救うため立ち上がりました。

10月20日(金)創世記44:25~34

 お父さんのもとに何としてもベニヤミンは返さなければいけないのです。ユダは言いました。「どうか私を弟の代わりに奴隷にしてください。お父さんがこれ以上苦しむことをさせたくないのです」。ユダは覚悟した通りに自分を差し出しました。

10月21日(土)創世記45:1~15

 ヨセフは自分を売った兄たちを試していたのです。ついにヨセフは言いました。「私はあなたがたがエジプトに売ったヨセフです。でもこれは神さまが私を先に遣わして、家族みんなの命を救うための神さまの計画だったのです」。ヨセフは兄弟たちを心からゆるしていました。

 神さまは、私たちが通る苦しみや大変さがなかなかなくならない時、そこを乗り越えていけるようにちゃんと支えてくださいます。

10月22日(日)出エジプト1:8~10

 エジプトや周囲の国々の人々を救ったヨセフでしたが、長い年月が過ぎると忘れられてしまいました。ヨセフの時にエジプトに移り住んだヤコブやヨセフたちの子孫は、どんどん増え広がりました。エジプトがイスラエル人に乗っ取られそうな勢いがありました。そこでパロはイスラエルの人々を奴隷にして働かせるようになりました。

10月23日(月)出エジプト1:11~14

 不思議なもので、イスラエルの人々が苦しめられると弱くなったかといったらそうではありませんでした。むしろ苦しめられれば苦しめられるほど増え広がるので、エジプトの人々はさらにイスラエルに辛く当たり、厳しく働かせました。

10月24日(火)出エジプト1:15~17

 王はさらにイスラエル人助産婦の2人に恐ろしい命令をしました。「イスラエル人の母親が男の子を産んだ時は殺し、女の子なら生かしておけ」。王の命令に従わなければ、自分たちが怖い目にあうかもしれません。それなのに2人は、王の命令に従いませんでした。王よりも神さまを恐れ敬っていたからです。

10月25日(水)出エジプト1:18~22 

 このことを聞いた王は2人を呼んで怒りました。けれども2人は王に負けることはありませんでした。そこで神さまは2人の助産婦を祝福されました。イスラエルは増えるし強くなるばかりでしたので、ついに王はエジプト中の人々に、「イスラエルの男の赤ちゃんは、ナイル川に投げこめ」と命令しました。

10月26日(木)出エジプト2:1~3 

 この頃に男の子を産んだイスラエル人のお母さんたちはどんなに辛かったことでしょう。大事な男の赤ちゃんが、誰かに見つかったらナイル川に投げ込まれてしまうからです。3ヶ月隠していたお母さんがいました。でももう隠し切れなくなりました。そこで水が入らないように細工したカゴに赤ちゃんを入れてナイル川に流しました。

10月27日(金)出エジプト2:4~6

 ちゃんと赤ちゃんのお姉さんがカゴを見守っていました。するとそこへ水浴びをしにやってきたエジプト王女が、赤ちゃんの入っているカゴを拾い上げたのです。王女は赤ちゃんをかわいそうに思いました。王女はその子がイスラエル人だとわかっても、殺さなかったのです。

10月28日(土)出エジプト2:10

 なんとすごいことでしょうか。赤ちゃんは生かされました。それもおっぱいが必要な間、本当のお母さんが育てることができたのです。そして王女は自分の子としてその子に「モーセ」と名付けました。苦しめられても弱らなかったイスラエル。そして生かされた赤ちゃん。いつも神さまはイスラエルと共におられました。

 エジプト王家で育てられたモーセでしたが、自分の民族イエスラエル人を救うために立ち上がります。しかし人に理解されず、むしろ人殺しとして命を狙われてしまいました。そこでエジプトを脱出して40年、ミデアンに住んでいました。

10月29日(日)出エジプト3:1~6

 モーセはしばの木が燃えているのに、燃え尽きないという不思議な光景を見ました。でもそれはそこに神さまがおられるしるしでした。神さまがしばの中からモーセに言われました。「モーセ、足からくつを脱ぎなさい。私はあなたの先祖の神だ」。くつを脱ぐとは、私はあなたのためになんでもします、と自分をおささげすることなのです。

10月30日(月)出エジプト3:7~12

 今こそ苦しんでいるイスラエルの人々を救う時がきました。神さまは、彼らを救うためにモーセをリーダーとして選ばれたのです。けれどもモーセはその気になれませんでした。神さまは言われました。「わたしが必ずあなたと共にいる」。

10月31日(火)出エジプト3:13~22

 それにしてもモーセの言っていることを人は信じてくれるでしょうか。何という神さまに遣わされたのかと聞かれたら、何と言ったらいいのでしょう。神さまの名前は「あってあるもの」。永遠におられる神さまです。イスラエルの先祖たちも信じてきました。

11月1日(水)出エジプト4:1~9 

 モーセが神さまに遣わされたと信じてもらえるように、神さまはしるしを与えられました。杖を蛇にもできるし、杖にも戻せるしるし。また自分の手が皮膚病になったり治ったりするしるし。人にはできないしるしを見せることで、神さまがモーセと共におられることがわかるためです。

11月2日(木)出エジプト4:10~17 

 それでもまだ口下手だと言って自信のないモーセ。神さまが「わたしはあなたの口と共にある」と言われましたが、「やります」と言わないモーセ。ついに神さまは怒りました。けれども神さまはモーセをあきらめませんでした。人前で話すのがうまいモーセのお兄さんがモーセを助けてくれるからと言われました。

11月3日(金)出エジプト4:18~26

 ついにモーセは立ち上がりました。けれどもこの働きは簡単ではありません。神さまがエジプト王の心をかたくなにするので、王は簡単にイスラエルを自由にしないからです。つまりモーセはリーダーとして苦労することになるのです。だから主が共にいてくださることを忘れてはいけないのです。

11月4日(土)出エジプト4:27~31

 モーセの言葉を兄のアロンもイスラエルの人々も信じました。イスラエルの人々は、主が自分たちの苦しみや叫びを見て聞いておられたことを知りました。神さまは忘れておられなかった。その喜びは感謝の礼拝をささげることへと導かれました。

 エジプトの奴隷から救い出されるための神さまの救いには、子羊の血が大切な役割を果たします。このことは、後にイエスさまの流される十字架の血が、私たちを罪から救うことの先駆けとなりました。

11月5日(日)出エジプト11:1~3

 エジプトの王がついにイスラエルを追い出すようになる災いが、エジプトにくだろうとしていました。その頃には、エジプト中の人々のモーセを見る目が、モーセのことを立派な人だと見るようになりました。自分たちを苦しめている神の使いであるはずのモーセなのに、みんなに好かれました。

11月6日(月)出エジプト11:4~10

 真夜中にエジプトに起こる出来事は恐ろしい死の災いです。エジプト中の最初に生まれた男の子は人も動物も死んでしまうのです。そして大事な人が死んでしまうので、悲しみの叫びがエジプト12起こるというのです。けれどもイスラエルの人々は区別されて守られるのです。

11月7日(火)出エジプト12:1~13

 死から守られるための区別の方法は、家の入り口の2つの柱とかもいに子羊の血を塗っていることです。その血がしるしとなって、災いが過ぎ越して行くのです。

11月8日(水)出エジプト12:14~20

 この出来事を忘れないために、記念としてお祭りをするようになりました。それが過越の祭りです。この祭りの間はパン種の入っていないぺったんこのパンを食べます。パンをふくらませる種は、悪いものや悪い習慣が人の心に入って大きくふくらんでしまうことをイメージしています。そういう悪いものや、エジプトでの奴隷の生活、古い生活を捨て、新しい生活へと出発する意味を込めて、ぺったんこのパンを食べるのです。

11月9日(木)出エジプト12:21~28

 モーセは急いで家族ごとに子羊を殺して家の門の柱やかもいに塗るように言いました。そしてこの子羊の犠牲の儀式はこの先もずっと守ることによって、神さまがどうやってエジプトの奴隷生活から自分たちを救い出してくださったかを伝え続けるようにと言いました。イスラエルの人々は言われた通りにしました。

11月10日(金)出エジプト12:29~32

 夜中に神さまはパロの子も、またエジプト中の長男を撃たれました。家族がみんな夜中に起きて気づき、悲しみで叫んだのです。こうして夜中のうちにパロはモーセを呼び出し、エジプトから出ていくように命じました。神さまの言われていたようになったのです。

11月11日(土)出エジプト12:33~42

 エジプトの人々はこのままではもう自分たちがみんな滅んでしまうと思いました。だからイスラエルの人たちをせきたてて追い出したのです。イスラエル人はエジプト人から服でも金銀の飾り物でも、欲しいものはなんでも分けてもらい、エジプトを出発しました。

 エジプトを意気揚々と脱出したイスラエルでしたが、すぐに心がくじかれます。私たちにも、神さまを信じたのにどうしてと、心がくじかれることがあります。でもそういうことを積み重ねて神さまを信じる心が強くされて行くのです。

11月12日(日)出エジプト14:1~9

パロとエジプト人が本当にイスラエルをあきらめるには、もう少し時間がかかりました。神さまがまたパロの心を頑固にしたのです。労働力を惜しんだパロとエジプトの軍隊が、イスラエルを追いかけてきて、追いついてしまいました。でもこれはエジプトに、イスラエルの神が真の神であることを知らせるためなのです。

11月13日(月)出エジプト14:10~18

 さあ大変です。目の前は海、後ろにはエジプト軍。前にも後ろにも進めません。自分たちは滅ぼされてしまうに違いないと思い、みんながモーセに文句を言い出しました。絶体絶命としか思えない中でモーセは言います。「主の救いを見ていないさい。主があなた方のために戦われるから」。文句しか出てこない時こそ、黙って神さまがしてくださることを信じたいものです。

11月14日(火)出エジプト14:19~25 

 モーセが海に手を差しのべると、強い風によって海が両脇に別れました。すると海に道ができ、人々はそこを歩いて渡ることができたのです。追いかけてきたエジプト軍は、途中から進めなくなってきて気づきました。神さまが自分たちと戦っているので勝ち目はないということを。

11月15日(水)出エジプト14:26~31

 神さまに命じられるままにモーセが手を下ろすと、水が海に帰ったので、エジプト軍は逃げる間もなく滅びました。イスラエルは救われたのです。人々は、神さまを信じられなくて文句を言ってしまい、申し訳なく思ったことでしょう。

11月16日(木)出エジプト15:1~21

 モーセとイスラエルは、エジプト大脱出と、海を渡るすばらしい体験をしました。そして神さまの大勝利をみました。すると彼らの口から神さまへの賛美があふれ出ました。「主はわたしの力また歌、わたしの救いとなられた」。文句が感謝の歌に変えられました。

11月17日(金)出エジプト15:22~25a

 私たちは、お腹がすきすぎたり、のどが渇きすぎたりすると、イライラして機嫌が悪くなることがあります。荒野の旅に水は欠かせません。しかし見つけた水が飲めなかったのです。水が飲めないと死んでしまいます。また人々はモーセと神さまに文句を言ってしまいました。

11月18日(土)出エジプト15:25b~26

 つい目の前に困ったことがあると、不平や不満が出てきます。だから神さまはイスラエルの人々に言われました。神さまの言葉をよく聞いて信じて従って行くならば、ちゃんと神さまは守ってくださると。

 イスラエルの人々は奴隷から自由な人にされました。でも自由というのは、何をやってもいいわけではありません。それを知るために神さまから十戒が与えられました。

11月19日(日)出エジプト19:1~6

 神さまは、まるでイスラエルの人々をわしの翼に乗せて運び出すようにして、エジプトから脱出させてくださいました。それはイスラエルが神さまの宝の民とされたからです。宝の民というのは、まことの神さまだけを信じ、神さまの言葉に従う民です。

11月20日(月)出エジプト19:7~9a

 モーセが神さまの言葉を人々に伝えると、人々はみんな「わたしたちは、主が言われたことを、みんな行います」と言いました。宝の民として歩むことを決心したからです。

11月21日(火)出エジプト19:9b~15

 神さまの宝の民となるために、儀式を行うことになりました。3日目に神さまがシナイ山にくだられるので、身をきよめて備えるのです。身をきよめるとは、普段とは違う特別な日のために、体や服を洗って準備するのです。水道水のない荒野の旅の中、貴重な水で体や服を洗うことは、気持ちが引き締められ神さまと会うための特別な日へ向かう心にされました。

11月22日(水)出エジプト19:16~25

 3日目の朝、神さまは山にくだられました。山から火が出て、煙がいっぱいになって、山が激しく揺れ動きました。山のふもとに立ってその様子を見ていた人々はみんな怖くなってしまいました。それも神さまはモーセの語りかけに対して、雷で答えられたのです。音といい、目に見える様子といい、その激しさは、人々が神さまに簡単に近づくことのできない厳かさと恐れを感じさせました。目で見ることのできない神さまを見ようと近づいて死んでしまわないために、人と神さまとの間にははっきりと境がありました。

11月23日(木)出エジプト20:1~6

 宝の民としてイスラエルは神さまから10の約束事を与えられました。イスラエルが信じる神さまは、あのエジプトの苦しい生活から救い出してくださったお方です。だから、1そのお方だけを信じるのです。また2偶像を作ることも拝むこともしてはいけないのです。

11月24日(金)出エジプト20:7~8

 3神さまの名前をみだりに唱えていけません。4安息日を特別な日として休みなさい。最初の4つの戒めは神さまに対しての心構えです。これら4つは、私たちが神さまを心から信じ、愛するということです。

11月25日(土)出エジプト20:9~17

 後の6つの戒めは人に対する心構えです。人を愛するということです。私たちはどうしても自分中心に考えてしまいます。だから神さまよりも自分が偉くなったり、人を傷つけたり、仲良くできなかったりするのです。でも本当に心が楽しく生きられるのは、神さまと人を愛して生きることなのです。

 目の前の問題があまりに大きいと、あきらめたくなります。けれども神さまが共におられるなら、自分たちの小ささや力のなさは関係ないのです。イスラエルもまた、相手の強さや大きさではなく、何ものよりも大きなお方に信頼すればよかったのです。

11月26日(日)民数記13:1~20

 荒野の旅を終えていよいよ約束の地カナンが近づいてきました。モーセは神さまに命じられた通り、各部族の代表者12人を偵察に行かせることにします。偵察は、その町に住んでいる人が自分たちよりも強そうか、野菜や果物はおいしそうになっているか、どんな家に住んでいるのかなどを調べるためです。

11月27日(月)民数記13:21~24

 偵察隊が調べたところ、その地にはいろいろな人住んでいました。しかしすばらしいのはくだもののできばえです。ぶどうはふさが大きくて、2人で担ぐほどです。ざくろやいちじくも取りました。神さまが約束してくださった通り、作物がよく育つ豊かな土地でした。

11月28日(火)民数記13:25~33

 偵察隊は40日の間カナンを探って帰ってきました。そして「あの地は約束どおりすばらしい地です」と、くだものを見せながら報告しました。しかし12人中10人が「でも敵はとても強そうでとうてい勝てないから攻め上れない」と言い、わずか2人だけが「私たちは勝つことができる」と報告したのです。

11月29日(水)民数記14:1~9

 悪い方の報告を人々は信じてすっかりがっかりし、泣き明かしました。そしてついには、こんなことなら「エジプトへ帰ろう」とまで言い出したのです。すると偵察隊のヨシュアとカレブは言いました「あそこはとても良いところです。神さまがよしとされるなら、私たちに与えてくださいます。神さまが共におられるから大丈夫です」。

11月30日(木)民数記14:10~19

 神さまが強い力によって、イスラエルの人々をここまで助けてくださったのに、結局人々は信じませんでした。しかしすごいのはモーセです。もはや神さまが怒って彼らを見捨てても仕方ないのに、ゆるしてくださいとお願いするのです。投げ出さないのです。

12月1日(金)民数記14:20~38

 神さまはモーセの言葉の通りゆるしてくださいます。しかし神さまに背いた人々は40年荒野をさまよい、約束の地に入ることなく死ぬことになりました。40年後にその子どもたちと、ヨシュアとカレブが入ることになると言われたのです。

12月2日(土)民数記14:39~45

 約束の地へ入ることができないことを知った人々は、後悔しました。そしてモーセの言葉を聞かずに勝手に約束の地へ上り始めたのです。神さまはもう彼らとは共におられなかったので、彼らは先に住んでいた人々に倒されてしまいました。

 今日からアドベントです。イエスさまが生まれてくださったクリスマスを待ち望む期間です。プレゼントやパーティー、おいしいケーキ、楽しみがいっぱいです。でも何よりも、イエスさまが私たちのためにきてくださったことのすばらしさを喜ぶときでありますように。

12月3日(日)申命記18:15

 聖書の預言者は神さまから言葉を預かって、それを人に伝える働きをします。エジプトを脱出したイスラエルを導いたモーセは、いつも「神さまはこう言っている。だからそれに従おう」と伝えました。そのように、イスラエルの中にもう一度モーセのような預言者が与えられるのです。それはイエスさまのことです。

12月4日(月)申命記18:16

 エジプトを脱出したイスラエルの民は、ホレブの山に神さまが降られたとき、とても神さまは偉大なお方なので怖くなりました。そして直接お話することは自分たちにはできないと思いました。だからモーセを通して神さまの言葉を聞いたのです。モーセの後も、預言者が次々と現れ、神さまの言葉を語りました。

12月5日(火)申命記18:17~18

 預言者は長い間にたくさん現れましたが、神さまが言われた「モーセのようなひとりの預言者」というのは、イエスさまのことです。モーセがエジプトの奴隷からイスラエルの人々を導き出したように、イエスさまは、私たちを罪から救い出してくださるのです。だからこのお方の言葉を聞くことが大事なのです。

12月6日(水)申命記18:19

 しかしイエスさまは十字架で殺されてしまいました。「ひとりの預言者に聞き従わないなら罰する」と神さまは言われたのに、イエスさまを代わりに罰して、すべての人の罪をゆるしてくださったのです。

12月7日(木)申命記18:20~22

 モーセの後イエスさまが来られるまでの間には、うそを伝える預言者も現れました。預言者の言葉は時々、厳しくて聞きたくないこともあったので、人々は自分に都合の良い言葉を聞いたり、気に入らない言葉を語った預言者を殺したりしました。でもうその言葉は起こらなかったし、厳しい言葉でも正しい預言の言葉はその通りになったのです。

12月8日(金)マタイ11:28~30

 私たちが気づかないうちに、心が何かの奴隷になってしまうことがあります。イエスさまは、そのような私たちの心が、とらわれていることから離れてゆっくりと休めるように、「わたしのもとにきなさい」と呼んでくださっています。お祈りによって私たちはイエスさまのそばに行くことができます。

12月9日(土)マタイ16:13~16

 イエスさまは預言者よりももっと力ある神の子救い主です。私たちがイエスさまの言葉を、受入れやすすい言葉も、厳しくて受け入れにくい言葉もちゃんと聞いて、歩んで行けますように。

 言葉は不思議ですね。だれかに何かを言われたら、それは目に見えないのに、私たちの心を動かすからです。うれしくなったり、悲しくなったり、元気になったり、傷ついたり。

12月10日(日)ヨハネ1:1~5

 世界の初めって何があったのでしょう。世界の初めには神さまがおられました。ということは、「初めにあった言葉」とは神さまということです。神さまが言葉ってどういうことでしょう。神さまが言われることは何でもその通りになるということです。神さまと言葉はひとつだからです。そしてそれはイエスさまのことでもあります。イエスさまも神さまとひとつだからです。

12月11日(月)ヨハネ1:6~8

 言葉は命でもあり、光でもあります。つまりイエスさまは命であり、光なのです。このイエスさまのことを救い主として伝えるために神さまから遣わされた人がいます。バプテスマのヨハネです。そしてヨハネを通して確かにイエスさまを信じる人々が起こされました。

12月12日(火)ヨハネ1:9~11

 光であるイエスさまが人間になってきてくださいました。イエスさまの働きは人々の心を照らしました。心を照らされて罪や闇を知りましたが、イエスさまに希望があることも知りました。けれどもイエスさまのことを、受け入れられない人は、イエスさまを十字架につけてしまいました。

12月13日(水)ヨハネ1:12~13

 だれでもイエスさまを心に受け入れて信じたら、神の子になれます。それは、どこの国の人、どこの家の人かは関係ありません。また力があったから、がんばったからということも関係ありません。つまり私たちが神の子になるためにできることは何もないし、ふさわしいものも持っていないのに、ただ信じることで神さまによって神の子にしていただけるのです。

12月14日(木)ヨハネ1:14

 言葉が人間になるってどういうことでしょう。それはイエスさまのことです。言葉であるイエスさまは、私たちと同じ人間になられました。そして神さまが言われたことがどういうことかを、生活の中で見せてくださいました。愛すること、ゆるすこと、従うこと、そして十字架で私たちのために死んでよみがえることによってです。

12月15日(金)ヨハネ1:15

 ヨハネは自分の役目をしっかりとやり遂げた人です。人から期待されたり、すごい人だと言われたりすると、つい誇ったり偉そうになってしまいます。でもヨハネはイエスさまの前に自分が出ることはありませんでした。自分ではなくイエスさまを見なさいと言い続けました 。

12月16日(土)ヨハネ1:16~18

 イエスさまは、目では見ることのできない神さまの、見える形となってきてくださいました。神さまがどんなに私たちを愛してくださっているかを示してくださいました。

 今の私たちは、クリスマスを喜びの日として待ち望んでいますが、クリスマスの始まりは、ヨセフにとっては驚きやどうしたらいいんだろうという悩みから始まりました。

12月17日(日)マタイ1:18

 ヨセフは、結婚する前に婚約者マリヤのお腹に赤ちゃんがいることを知りました。その赤ちゃんは神さまの力によって与えられたのですが、まだヨセフはそのことを知りませんでした。まだ結婚していなかったので、ヨセフにとっては自分の子どもでありません。事情を知らなかったのでどんなにショックの大きかったことでしょう。

12月18日(月)マタイ1:19

 もしヨセフが、「マリヤが浮気をして赤ちゃんがお腹にできてしまった」と人々に言ったら、この時代マリヤはおそらく石で撃ち殺されてしまったでしょう。でもヨセフはだれにも知られないようにして別れようと決心しました。マリヤを守ろうとしたのです。

12月19日(火)マタイ1:20

 どうして天使はもっと早くに教えてくれなかったのでしょう。そうしたらヨセフは悩まなくてよかったのに。でも天使に、マリヤの赤ちゃんは神さまの力によって与えられたと教えられて、ヨセフはどんなにホッとしたことでしょう。そして悩んだからこそ、マリヤのことをさらに大事に思うようになったのかもしれません。

12月20日(水)マタイ1:21

 生まれてくる子どもは男の子で、名前も「イエス」と名づけるように、神さまによって決められていました。なぜならその子どもは、普通の子どもではないのです。私たちすべての人を罪から救う救い主、神の子なのです。

12月21日(木)マタイ1:22

 マリヤがまだ結婚する前に赤ちゃんを与えられえることは、預言者イザヤが預言していたことでした。約四百年前にイザヤを通して語られた神さまの言葉が、長い時間をかけてついにその通りになったのです。そして私たちの生活の中でも、神さまの言葉は今も実現しています。

12月22日(金)マタイ1:23

 1人では心細い時、だれかに一緒にいてほしいと思うことがあります。だれかが一緒にいてくれると、勉強が進んだり、やりたくないことをやり遂げたりできるものです。
 生まれてくる子どもは「インマヌエル」と呼ばれると預言されました。その意味は、神さまが私たちといつも一緒にいてくださるということです。神さまが共にいてくださるので、苦しい時も悲しい時も、私たちは前に進んでいけるのです。

12月23日(土)マタイ1:24~25

 夢から覚めたヨセフは安心してマリヤと結婚しました。そして生まれてきた赤ちゃんに「イエス」と名前をつけました。ヨセフが神さまの言われたことを信じて従ったので、マリヤも安心してイエスさまを産むことができたのです。

 今日はクリスマスイブですね。そして明日はクリスマス。今晩届くサンタさんからのプレゼント、楽しみですね。でも一番のクリスマスプレゼントはイエスさまです。イエスさまを信じたら、プレゼントを受けてとっています。イエスさまというプレゼントは決してなくなることのないすばらしいプレゼントです。

12月24日(日)ルカ2:1~2

 イスラエルはこの時代ローマ帝国に支配されていました。同じように、もともとは違う国だったのに戦争で負けてローマに支配されるようになった国がたくさんありました。そこでローマを支配していた皇帝は自分の国にいる人が何人なのか調べることにしたのです。クリスマスとは関係ないことのようですが、この人口調査はクリスマスに大事な働きをしたのです。

12月25日(月)ルカ2:3~5

 人口調査のためには、それぞれ故郷へ帰って、そこで名前を書かなければなりませんでした。ヨセフは実はダビデ王の子孫です。ダビデの町はベツレヘムです。だから、ナザレに住んでいましたが、マリヤと一緒にベツレヘムに行きました。救い主はダビデの子孫で、ベツレヘムに生まれると預言されていた通りになりました。

12月26日(火)ルカ2:6~7

 宿はお客でいっぱいだったのでしょう、赤ちゃんを産むのに良い場所がありませんでした。イエスさまは家畜小屋で生まれ、動物のえさを入れる飼い葉桶に寝かさされました。動物の匂いがするし、きれいなところではなかったでしょう。きっと私たちだったら「こんなところで」と思ってしまうかもしれません。でもイエスさまは、私たちのために「こんなところに」にきてくださったのです。

12月27日(水)ルカ2:8~11

 「すべての民に与えられる大きな喜び」を最初に知ったのは、王様や偉い人たちではなく、羊飼いたちでした。今だったらテレビで大ニュースなのに、そんな風には知らされなかったのです。だれも知らなくて、静かにイエスさまは来られて、羊飼いたちだけが教えてもらえました。

12月28日(木)ルカ2:12~14

 天使が教えてくれた救い主だとわかるしるしは、「布にくるまって飼い葉桶に寝かされた赤ちゃん」です。天の軍勢が神さまを賛美する大合唱が響きました。地上のお祝いの演奏ではなく、天の軍勢の賛美もまた、飼い葉桶の赤ちゃんが神の子救い主というしるしなのです。

12月29日(金)ルカ2:15~19

 きっとヨセフもマリヤも、羊飼いたちが会いに来てびっくりしたでしょう。「天使が教えてくれたんだよ。救い主が生まれたって」。羊飼いたちは、イエスさまのことを救い主と信じて伝えた最初の伝道者になりました。

12月30日(土)ルカ2:20

 羊飼いたちの帰り道は、神さまへの賛美であふれました。礼拝のあと、私たちの帰り道も賛美であふれますように。

 あなたはイエスさまに期待していますか。でもその期待は時々、自分の思い描いている形にイエスさまが導いてくださることを期待していることがありませんか。でもイエスさまは、私の思い通りにしてくださる便利屋さんではありません。

12月31日(日)ヨハネ6:1~2

 イエスさまが病気を治すことができるのを見たら、どうしますか。きっと私たちは、病気の人を連れて行って治してもらおうとするでしょう。そのためにイエスさまにどこまでもついて行くでしょう。そのように大勢の人が、イエスさまのところに行けば助けてもらえると期待しました。

1月1日(月)ヨハネ6:3~4

 イエスさまは、さらに山に登られました。そして座って弟子たちや大勢の人たちに神さまの言葉を教え始められました。町を離れて、山の中でイエスさまの言葉を聞くことは、他のことに気をとられないで心から聞くことのできる時だったのです。

1月2日(火)ヨハネ6:5~7

 ピリポのように私たちも「それは無理です」と言いたくなるようなことがあります。でもこれはイエスさまだったら大丈夫と信じるためのテストなのです。私たちも「無理です」とつい言ってしまうかもしれませんが、そのたびに、イエスさまにはお考えがあるということを思い出したいものです。 

1月3日(水)ヨハネ6:8~9

 アンデレが5つのパンと2匹の魚を子どもから受け取りました。けれどもそれだけでは「こんなに大勢の人では、それが何になりましょう」としか思えないですね。私たちならそうです。でもイエスさまにはそれで十分なのです。

1月4日(木)ヨハネ6:10~11

 イエスさまは5つのパンと2匹の魚を手に取られました。そして感謝のお祈りをして、座って待っている人々に順々に分けてくださいました。とても足りないはずです。それが「彼らの望むだけ分け与えられた」とあるように、みんなほしい分いただくことができました。イエスさまには、それでは無理だ、ということはないのです。

1月5日(金)ヨハネ6:12~14

 みんなおなかいっぱい食べました。それなのに12のカゴにあまりがいっぱいになりました。でもイエスさまは少しもムダにされませんでした。イエスさまは足りないところをあふれるほどに満たしてくださり、あふれたものをムダにされないお方なのです。

1月6日(土)ヨハネ6:15

 イエスさまが一緒だったら、もう困ることはありません。お腹が空いたら食べ物を出してくれるし、病気は治してくれるし、こんな便利な人はいないからです。そこで人々はイエスさまを王さましようとしました。でもイエスさまは、人の思い通りにはされませんでした。神さまの思いに生きるお方だからです。