イエスさまが地上に来られ、十字架で死なれ、よみがえられた時から新しい時代が始まりました。それはユダヤ人と外国人の区別がなくなって、イエスさまを信じる人はみな神の子とされる恵みの時代です。 7月3日(日)使徒一〇1?8  外国人コルネリオはユダヤ教の洗礼は受けていませんでしたが、神さまを熱心に信じていました。すると神さまはコルネリオに御使いを通して声をかけられたのです。「あなたの信じる思いを神さまはちゃんと覚えておられます」と。天の神さまに向けられた祈りは誰のものでも届いています。 7月4日(月)使徒一〇9?23a  ペテロは幻を通して神さまから語られました。それまで食べてはいけない汚れた動物も食べなさい、神が清めたものを清くないと言ってはいけない、という思いがけない言葉でした。これは、外国人と交わることも汚れるとされていたのが、気にしないで交わりなさいというこということだったのです。 7月5日(火)使徒一〇23b?33  ペテロはコルネリオの家の客となりました。ペテロはどんな人間も清いとか汚れているとか言ってはならない、という言葉に従いました。そしてコルネリオはペテロから神の言葉を聞きなさいという御声に従いました。どちらも神さまの導きによって出会ったのです。 7月6日(水)使徒一〇34?43  ペテロはあらためて神さまが人を偏り見ないお方であることがよくわかりました。そこでペテロは、イエスさまの働きと、十字架の死、そして復活について語りました。ペテロはそれらの場面を見てきた目撃者なのです。そしてさらに語ります。「イエスを信じる者はことごとく、その名によって罪のゆるしが受けられる」。私は入っていないとか、あの人は無理だとか、そういうことはないのです。 7月7日(木)使徒一〇44?48  ペテロの話を聞いているうちに、コルネリオたちの上に聖霊がくだりました。そして異言を語って神さまを賛美しました。ペテロの仲間たちは、外国人も聖霊を受けることを見てとても驚きました。ますますイエスさまの救いに偏りや区別がないことがわかりました。コルネリオたちはこうしてイエスさまの名による洗礼を受けました。 7月8日(金)使徒一一1?3  ペテロが外国人にイエスさまの救いを伝えたことをとがめる人がいました。ペテロはきっと、とがめる人が出てくるだろうと想像していたでしょう。理解してもらうための時間が必要だったのです。 7月9日(土)使徒一一4?18  ペテロの説明を聞いた人々は、このことは神さまの働きによることを理解し受け入れました。人々は、表面的なことに囚われず、神さまが背後で働いておられたと聞いて信じる柔らかい心を持っていました。    もうすぐ夏休みですね。どこかに旅行に行けたらいいですね。最初の教会の弟子たちは、伝道のために旅行しました。危険な時も、勇気が必要な時もありましたが、聖霊がいつも助けてくれました。 7月10日(日)使徒一三1?3  「バルナバとサウロを伝道旅行に行かせなさい」。と聖霊の語りかけが教会にありました。教会の仲間たちは、二人がこの働きを進めていけるように、二人の上に手をおいてお祈りをし、神さまのことを伝える旅行に送り出しました。手をおいて祈られた二人には、聖霊がいつも共におられ、彼らの働きを支えてくださるのです。 7月11日(月)使徒一三4?5  バルナバとサウロは「聖霊に送り出され」ました。自分たちも外国へ出て行って伝道したいと望んでいたでしょうし、神さまがそのような使命を与えておられると知っていました。でもいつ行こうか、そう考えていたかもしれません。時が来て、聖霊が彼らを押し出したのです。 7月12日(火)使徒一三6?8  彼らは、まずバルナバの故郷に来ました。そこで魔術師エルマと地方総督セルギオ・パウロに出会いました。総督がパウロたちから話を聞こうとすると、魔術師が総督にキリストを信じさせまいと、しきりに邪魔をしました。エルマは総督に自分を信じさせて、言いなりにさせたかったのかもしれません。 7月13日(水)使徒一三9?10  サウロまたの名をパウロは、聖霊に満たされて、魔術師の思いを打ち砕きました。「悪魔の子、正しい者の敵」と彼に厳しく語ります。魔術師は自分に総督の心を向けようとしましたが、それは神さまの道を曲げることであり、イエスさま以外を指し示すことは、悪魔の働きと同じだと言われてしまいました。 7月14日(木)使徒一三11   主の御手が魔術師におよび、しばらくの間彼は目がみえなくなりました。突然の暗闇に落ち、彼は人の助けがなければ動けなくなりました。彼がこれまで人をだまし、人を利用して生きてきた、自分の嘘で固められた本当の姿を、目が見えなくなって心で見させられたのでした。 7月15日(金)使徒一三12  総督はこの出来事を見てとても驚きました。パウロたちが伝えているイエスさまが人の罪をあばき、人は悔い改めなければ生きていけないことを知ったのです。生きて働く神の力を見たからです。だから彼はイエスさまを信じました。 7月16日(土)使徒一三13?14  助手として一緒に旅を始めたマルコが、途中で帰ってしまいました。伝道旅行は楽な旅ではなく、マルコは耐えられなかったのでしょう。一人抜けてしまったことは、バルナバとパウロにとってもショックであったでしょう。けれども、彼らは旅を続けました。  パウロとバルナバの伝道の道には、イエスさまを受け入れる人々と反対する人々の両方がいつも現れました。二人はどんな時も有頂天になることもなければ、あきらめることもしないで、伝道し続けました。 7月17日(日)使徒一四8?10  生まれつき歩くことのできなかった人は、パウロが話すイエスさまのことを聞いているうちに、希望がわいてきました。パウロもこの人の様子から、この人はイエスさまが自分を救ってくださると信じていることを感じました。そこでパウロが呼びかけると、その人は歩き始めました。体だけでなく、心もイエスさまと歩き始めたのです。 7月18日(月)使徒一四11?13  これを見た人々は、彼らが信じているギリシャの神々が、バルナバとパウロになって来られたと思いました。そして神さまに失礼のないよう、後で機嫌を損ねた神さまからわざわいにあわされないよう、二人にささげものをささげようとしたのです。 7月19日(火)使徒一四14?18  バルナバとパウロは、自分たちが神ではないからやめるようにと叫びました。「私たちはあなたがたと同じ人間です。私たちは天地を造られた神を信じ伝える者です。この神さまは、誰にでも同じように、雨や実り、生きていく喜びをくださっているお方です。」二人の言葉でやっと人々はささげるのをやめました。 7月20日(水)使徒一四19?20  ところがもっと大変なことが起りました。パウロたちを妬む他の町のユダヤ人たちによって、パウロが石で打たれて、死んだようになったのです。しかしパウロは生きていました。パウロはあんな恐ろしい目にあったのに、次の日には、バルナバとまた別の町へ向かいました。 7月21日(木)使徒一四21?22   デルベでも大勢の人がイエスさまを信じました。そして伝道した町町を戻り、弟子たちを励ましました。二人は、信仰の道には多くの苦難があると教えました。そんなことを聞いたら、私たちは恐くなります。でもイエスさまが苦難を乗り越えさせてくださいます。そして信じ続けてよかったと喜ばせてくださるのです。 7月22日(金)使徒一四23  バルナバとパウロは、それぞれの教会にリーダーをたてました。信じたばかりの人たちが、自分たちがいなくてちゃんと信じ続けられるか、成長していけるか心配もしたでしょう。でも祈って、神さまが守ってくださると全ておまかせしました。 7月23日(土)使徒一四24?28  二人は伝道旅行を終えてアンテオケの教会で報告をしました。あなたは伝道旅行の報告を聞いたことはありますか。きっと報告を通していろいろなことを知り、感じるでしょう。機会があればぜひ聞いてみてください。   私たちは時々、自分は聖書がちゃんと読めてないから、お祈りしてないから、いい人でないから救われていない、と思ってしまう時があるかもしれません。でも自分が何かができたから救われるのではありません。ただイエスさまの十字架と復活を信じるだけでいいのです。 7月24日(日)使徒一五1?2  最初の教会でも、割礼を受けないと救われないと言い出す人が現れて、アンテオケ教会の中が混乱してしまいました。アンテオケの教会にはユダヤ人でない人もいて、彼らはユダヤ人なら受けている割礼を受けていなかったからです。 7月25日(月)使徒一五3?5  パウロとバルナバたちは、正しい救いの道を確認するためにエルサレムへ向かいました。彼らは、旅の途中でも、エルサレム教会でも、外国人がイエスさまを信じたことを報告しました。すると「外国人でも割礼を受けないといけない」と言い出す人たちが立ち上がりました。 7月26日(火)使徒一五6?11  そこで教会のリーダーたちが話し合いをしました。いろいろな意見がでました。最後にペテロが立ち上がって話しました。「神さまは、人がイエスさまを信じる時、外国人とユダヤ人の間に何の分け隔てもなく、救いを与え、聖霊を与えてくださるのを私は見ました。誰もがイエスさまの恵みのよって救われるのです。」 7月27日(水)使徒一五12?18  さらにエルサレム教会のリーダーのヤコブは、ペテロが体験した外国人が救われた出来事は、預言者たちによって預言されてきたことと一致していると語りました。だから外国人の救いは神さまのことばの実現なのだと。 7月28日(木)使徒一五19?21   ヤコブの提案は、外国人に割礼を受けさせることはしないで、でもこれからユダヤ人も外国人も同じように四つの大事なことを守ろうと語りました。もちろんそれも救われるためにではなく、救われた者として神さまに喜ばれる生活をしていくためにするのです。またユダヤ人と外国人が共に歩むために守るのです。 7月29日(金)使徒一五22  こうして会議で決まったことをアンテオケ教会に伝えるために、パウロとバルナバ、そしてエルサレム教会のバルサバとシラスも一緒にでかけました。両方の教会の人たちがいることで、偏った意見でないのだと、アンテオケ教会の人たちが安心して受け入れることができたでしょう。 7月30日(土)使徒一五23?29  また会議で決まったことは文書に書かれて、四人に託されました。文書には割礼を受けることやユダヤ人の習慣を同じように守ることは必要ないこと、しかし偶像に備えたもの、血、絞め殺したもの、不品行、という四つのものを避けて生活するようにということが記されていました。  パウロとバルナバは神さまのために一つになって伝道しました。でも大激論をして別れ別れになるのです。クリスチャンでも意見がわかれることがあります。進む道が別になることもあるのです。 7月31日(日)使徒一五30?31  こうしてエルサレム教会の人々に見送られて、パウロ、バルナバ、ユダ、シラスの一行は、アンテオケ教会に報告に行きました。会議で決まったことを聞いて、割礼を受けなくてもよいこと、イエスさまの十字架と復活を信じれば救われることがわかり、アンテオケ教会の人々は、ほっとして喜びました。 8月1日(月)使徒一五32?34  エルサレム教会から送り出されたユダとシラスは預言者でした。預言者は神さまの言葉を伝える人です。彼らは聖書の言葉を通して、アンテオケ教会の人々を教え、励まし、しばらくの間交わりを持ちました。エルサレムに帰ることになったユダのため、教会では神さまによる旅の守りが祈られました。 8月2日(火)使徒一五35  パウロとバルナバはアンテオケでも、他の多くの人たちと共に、神さまの言葉を伝え続けました。一人で伝道するのは勇気がいりますし、くじけそうになります。でも仲間と伝道できたらいいですね。神さま、私たちにも伝道する仲間を与えてください。 8月3日(水)使徒一五36  パウロは、この間の旅で伝道して救われた人々を励ましに行こうとバルナバに提案しました。私たちは、信じていてもわからないことや悩みはなくなりません。救われたばかりであれば、信仰について聞きたいこともたくさん出てきます。私たちはみなお互いに、教え励まし合っていくことが大事です。 8月4日(木)使徒一五37   前回の旅の途中で、先に帰ってしまったマルコを覚えていますか。バルナバはもう一度そのマルコを連れて行きたいと思いました。今度は逃げ出さないよう、しっかりと支えながら育てていこうと思ったのです。一度駄目でもバルナバはマルコをあきらめませんでした。 8月5日(金)使徒一五38?40  けれどもパウロはもうマルコを連れて行くのは無理だと考えました。パウロはマルコに期待できなかったのです。パウロとバルナバは激しく言い合い、話し合いましたが、どちらもゆずらなかったので、別々に行動することに決めました。 8月6日(土)使徒一五40?41  パウロとバルナバが別々になるなんて、思いもかけないことです。この時はもしかしたら多くの人は、パウロのようにマルコに期待しなかったかもしれません。主の恵みにゆだねられて送り出されたのは、パウロとシラスでした。でも後になってマルコはちゃんと良い働き人として成長するのです。  今週はいよいよユースジャムです。中学生以上の人たちが参加するので、小学生はまだ参加できません。でもジャムの話をいっぱい聞いて、ぜひ自分が中学生になったら参加するぞと、楽しみにしてくださいね。 8月7日(日)使徒一六1?3  パウロはルステラで出会ったテモテに割礼を受けさせました。教会会議で割礼は受けなくても良いことが決まったのになぜでしょう。テモテをぜひ伝道旅行に連れて行きたいと思いました。そこで伝道する時に、ユダヤ人がテモテのことを受け入れやすくするために、そしてテモテにとっても、伝道しやすくするためでした。 8月8日(月)使徒一六4?5  エルサレム教会の会議で決まったことは、アンテオケだけではなく、他の教会にも伝えられて行きました。そしてパウロができたばかりの教会を尋ねて、それぞれの教会の信仰を励まし、強め、さらに救われる人が与えられました。私たちは、お互い声をかけあい、祈り合い、支え合っていくことによって、確かに強められるのです。 8月9日(火)使徒一六6?8  旅を先へ進めようとすると、パウロたちは、行こうとする所全てを、神さまから止められてしまいました。自分たちが計画したことが時に止められることがあります。でもそれはもっと別に神さまの道が用意されているからです。 8月10日(水)使徒一六9?10  この旅には「わたしたち」も加わるようになりました。「わたしたち」の一人は、この使徒行伝を書いたルカです。ある夜マケドニヤの人が助けてくださいと願う幻をパウロは見ました。それで、神さまがマケドニヤに行くように言われているとわかりました。だから他の道は止められたのですね。 8月11日(木)使徒一六11?15  パウロたちはマケドニアの中心的な町ピリピにやってきました。まずはユダヤ人に伝えるため、川のほとりにある祈り場に行きました。そこに集まった女の人たちの中に、外国人ルデヤがいました。彼女は神さまに心を開かれて、パウロの話をよく聞きました。すると彼女はイエスさまを信じたのです。 8月12日(金)使徒一六15  ルデヤは家族みんなで洗礼を受けました。そしてパウロたちを自分の家に招待しました。そして彼女の家はピリピでの伝道するための集まり場所、集会場所となったのです。神さまはパウロたちに強力な協力者を与えてくださいました。 8月13日(土)ピリピ一3?6  パウロがピリピの教会をいつもどんなに思い、祈っていたか、この箇所を読むとよくわかります。私たちは教会の人々によって祈られています。その祈りと交わりによって支えられています。だから今度は私たちもまた教会の誰かのために祈ってみましょう。  パウロたちの伝道は思いがけない場所へと導かれます。思わぬ方向に巻き込まれてしまったと感じても、ちゃんと神さまの御手があるのです。 8月14日(日)使徒一六16?18  パウロたちはある時、占いの霊にとりつかれた女奴隷に出会いました。彼女は、パウロたちがどのような人でどんな働きをしているのかを所かまわず叫び出しました。それはパウロたちにとって、ありがたい宣伝ではなく、むしろ迷惑でした。困り果てたパウロは、イエスさまの名によって、その霊を追い出しました。女奴隷は自由にされました。 8月15日(月)使徒一六19?24  ところが彼女を利用してお金儲けをしてきた人々にとっては、もうお金儲けができないので大損です。彼らはパウロとシラスに仕返しとして、彼らを悪者にし訴えて、牢に入れられるようにしてしまいました。イエスさまを伝える道は思いがけず、牢獄へと続いていたのです。 8月16日(火)使徒一六25  パウロとシラスは、むちで何度も打たれ、体に大変な痛みを抱えていました。しかし二人は真夜中に、祈りと賛美をささげました。痛みによるうめきではなく、神さまへの賛美が聞こえてきて、他の囚人たちは、嫌がることなく耳をすまして聞き入りました。祈りと賛美はパウロとシラスを支えました。 8月17日(水)使徒一六26?29  すると大地震が起って、牢獄の扉が全て開いてしまいました。牢獄を見張っていた人は、囚人たちがみんな逃げてしまったと思い、責任をとって自殺しようとしました。ところがパウロが叫びました。「われわれは皆ひとり残らず、ここにいる」。獄吏は奇跡を見たのです。囚人が逃げ出すチャンスだったのに誰も逃げていない。その秘密はきっとパウロとシラスの神さまへ祈りとの賛美にあると思いました。 8月18日(木)使徒一六30?31  獄吏は二人を外へ連れ出し、尋ねました。「わたしは救われるために何をすべきでしょうか」。「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」。二人が信じているイエスさまが、囚人が逃げ出さなかった奇跡の秘密でした。 8月19日(金)使徒一六32?34   獄吏は、自分も家族もみんなでイエスさまを信じて洗礼を受けました。牢獄からも救われる人が起こり、パウロたちにとっても、むち打ちの痛みを越える大きな喜びとなりました。 8月20日(土)使徒一六35?40  パウロとシラスがローマ市民でもあることがわかると、彼を牢に入れた役人たちは手のひらを返した様に態度を変えました。ローマ市民であることは特権があったのです。イエスさまを信じる人はみな、天国の市民として特権をいただいています。  パウロたちの伝道が進めば進むほど、信じる人が起されるほど、パウロたちをねたみ、邪魔をしようとする人も起こりました。私たちもねたみます。ねたみは、とことん人を悪者にしようとします。ねたみは、本当にやっかいです。どうぞ私たちのねたみが神さまの働きを邪魔しませんように。 8月21日(日)使徒一七1?4  パウロたちがいつも伝えたことは、今の私たちも信じていることです。イエスさまが十字架で苦しみを受けること、死人の中からよみがえること、そしてイエスさまこそキリスト、救い主であるということです。テサロニケでも信じた人がいました。その中の多くはギリシヤ人で、身分の高い人もいました。 8月22日(月)使徒一七5?9  ところがパウロたちの伝道の成功をねたんだユダヤ人たちがいました。彼らはパウロとシラスを悪者にして牢獄に入れられるようにと、人々をけしかけて町に騒ぎを起こしたのです。ローマ皇帝を脅かすイエスという王を宣伝していると言う言葉で人々を不安にさせました。 8月23日(火)使徒一七10?15  パウロとシラスたちは夜のうちに、教会の仲間によってベレヤへ送り出されました。ベレヤでも多くの人が信じました。しかしベレヤにも反対者たちが大勢でやってきたのです。伝道を邪魔しようとする悪の力との闘いはいつもあります。それでもイエスさまの救いが止まってしまうことはないのです。 8月24日(水)使徒一七16?21  パウロはアテネに着いて、ユダヤ人の会堂や、町の広場でイエスさまを伝えました。今まで聞いたことのない新しい話や教えに興味を持つアテネの人々は、パウロの話に飛びつきました。そこでパウロは大勢の人々の前でイエスさまを伝えるチャンスが与えられました。 8月25日(木)使徒一七22?31  パウロはアテネで地位のある人や学者たちが集まって会議をする場所で語りました。「アテネの人たちが知らないで拝んでいる神、それは天地と人を造られた神さまです。だから人が造った神を拝むことを悔い改めなければいけません。神さまは私たちの罪のため、神の子イエスさまを十字架で苦しませ、死からよみがえらせました。」 8月26日(金)使徒一七32?34   「死んだイエスさまがよみがえられた」という言葉を聞くと、アテネの多くの人々が、ばかばかしいと興味をなくしてとパウロをあざ笑いました。パウロの伝道は失敗したようにみえました。でも信じた人もちゃんといたのです。 8月27日(土)使徒一八1?4  パウロはさらにコリントへ進みました。そこでアクラとプリスキラというユダヤ人夫婦の新しい仲間を与えられました。二人は、パウロにとって、大きな励ましとなりました。  大伝道者パウロもアテネでの伝道の不成功に気持が大いに落ち込みました。あのパウロでさえもそういうことがあったのか。そう思うと、励まされますね。そしてコリントでは伝道の道が豊かに開かれていきました。 8月28日(日)使徒一八5?7  パウロはユダヤ人たちに、十字架で死なれたイエスさまが救い主なのだと力強く伝え続けました。しかしユダヤ人にはそれがどうしても受け入れられず、ののしるばかりでした。そこでパウロは外国人伝道に力を入れることに決めました。 8月29日(月)使徒一八7?8  パウロはユダヤ人会堂を去り、なんとその隣りのローマ人の家で教会を始めたのです。すると、これまたなんとユダヤ人の会堂司をしていたクリスポとその家族がイエスさまを信じたのです。また、コリントの人々も続々と信じて洗礼を受けました。 8月30日(火)使徒一八9?11  ある晩、パウロに神さまのすばらしい励ましの言葉が与えられました。「恐れるな、語り続けよ、黙っているな。この町には、わたしの民が大勢いる」どんなにかパウロは勇気づけられたことでしょう。行く所、行く所で、いつも反対を受け、とどまることができなかったパウロは大いに勇気をいただいて、そこに一年八ヶ月とどまりました。 8月31日(水)使徒一八12?17  そのようなパウロにがまんできず、ユダヤ人たちは彼を捕まえて、裁判所に連れて行きました。すると裁判をする総督ガリオは、ユダヤ人の信仰の問題は犯罪とは違うから、私の裁判することではない」と取り合いませんでした。パウロはこうして守られました。 9月1日(木)使徒一八18?23  パウロはプリスキラとアクラと共にコリントを出て、エペソヘ向かいました。エペソで伝道をすると、プリスキラとアクラを残してエペソを後にしました。エルサレムに行ったり、アンテオケに行ったり、それからまた各地の教会を尋ねては、信じる人々を励ましました。 9月2日(金)使徒一八24?26   一方エペソに残ったプリスキラとアクラは、アポロに出会いました。 アポロは会堂でイエスさまのことを語りました。彼は聖霊に導かれていて、力ある人でしたが、まだイエスさまのことで知らないことがあったのです。そこでプリスキラとアクラは、彼を家に招いてイエスさまの救いの道について彼の知らないことを教えました。 9月3日(土)使徒一八27?28  もともと神さまから人に伝える賜物を与えられていたアポロは、プリスキラとアクラによってさらにイエスさまの救いの道を正しく知り、大いに活躍していきました。プリスキラとアクラは、イエスさまを伝える人を支える大きな役割を果たしていました。  2学期が始まりました。夏休みに転校していった友だちがいますか?仲良しだと別れはつらいですね。でもまたいつか会えるといいですね。パウロはエペソの人々に別れの言葉を語りました。それはもう二度と会えないと死を覚悟した言葉でした。 9月4日(日)使徒二〇17?21  パウロはエペソの教会と自分との関係の歴史を振り返りました。パウロはユダヤ人によって殺されそうになったことがありました。でも身を低くして、涙をもって、人々に悔い改めを勧め、イエスさまの救いを信じるようにと、どこでも誰にでも分け隔てなく語りました。それはパウロが神さまを愛し、エペソ教会の人々を愛してきたからでした。 9月5日(月)使徒二〇22?23  しかしこれからはエペソを離れて、エルサレムへ行かなければいけないのです。それは聖霊が強くパウロに行くようにと迫ってくるのがわかるからでした。それもエルサレムで待っているのは、獄に入れられることと、苦しみに会うということなのです。なんと厳しい道でしょう。 9月6日(火)使徒二〇24  「神さまから与えられたなすべきことをなし終えたら、もう命は惜しくない」、そんな風に言えるとは、なんとすごいことでしょうか。パウロはこれまでに死ぬかもしれないようなところを通り、守られ生かされてきました。だからもう神さまだけを頼りにし、生きることも死ぬことも全て神さまに任せていたのでした。 9月7日(水)使徒二〇25?27  パウロが、もう二度と自分の顔を見ることはないというのを聞いて、人々はどんなに悲しんだことでしょうか。けれども、パウロにとっては、教えるべきことは十分伝えので、あとは、もう教会のリーダーたちが神さまの助けの中でやっていけると信じていたのです。 9月8日(木)使徒二〇28?32  これから先、エペソの教会には次々と問題や試練が起り、教会の中が大きく揺れうごくことをパウロは予告します。だから目を覚ましていなさい、心配や不安になるだろうけれども、神さまと神さまの恵みの言葉にあなたがたを委ねたから、神さまの力ある言葉が確かに支えてくれると力づけました。 9月9日(金)使徒二〇33?35  パウロはさらに、教会は、弱い人たちを支え、助け合うようにと語りました。私たちはみんな弱い時があります。助けられたり、励まされたり、支えられたりしながら乗り越えていきます。そして今度は私たちも誰かを支える人にされるのです。 9月10日(土)使徒二〇36?38  パウロとみんなは祈るのですが、涙がとまりません。パウロとの別れの挨拶を何度もし合いました。二度と会えないと思うと別れがたく悲しくて辛くてしかたなかったことでしょう。  パウロはエルサレムの神殿でしてはいけないことをしたと誤解され、大勢のユダヤ人たちに捕らえられてしまいます。それが、町中を巻き込んだ大騒ぎとなり、ローマの兵隊が静めるために現われるほどでした。 9月11日(日)使徒二三1?5  ユダヤ人の議会でパウロは裁判にかけられました。パウロの言葉をさえぎった大祭司に対して、パウロが厳しい批判を語ると、とがめられてしまいます。するとパウロは自分のあやまちを素直に認めました。 9月12日(月)使徒二三6?10  パウロは、議会に集まっている人々が、復活することを信じているパリサイ人と、復活を信じていないサドカイ人がいるのを見ました。そこで自分のことを説明するのに、自分がパリサイ人であり、死人の復活に希望を抱いていることで裁判にかけられていると言いました。それを聞くと、パリサイ人たちはパウロを悪くないと言い出し、サドカイ派とパリサイ派の激しいやりあいになりました。 9月13日(火)使徒二三11  パウロは、激しい意見のやり合いの中を身の安全を気遣った千卒長によって救い出されました。その夜、パウロがローマで証をするという神さまの言葉がパウロに語られ、パウロは大いに勇気を与えられました。命の危険や牢に入れられるという預言から、多くの仲間たちにエルサレム行きを止められましたが、捕らえられることから、ローマ行きが、神さまの導きの中で開かれていきました。 9月14日(水)使徒二三12?15  パウロを殺すまでは何も食べないと固く誓い合ったユダヤ人たちがいました。彼らはパウロをうまい具合に連れ出して殺す手はずをたてました。パウロは、ユダヤ人が危機を感じて殺そうと思うほどに、イエスさまの影響を与える人だったのです。 9月15日(木)使徒二三16?17  しかしパウロの甥が、パウロを殺そうとする人々の計画を耳にしたのです。彼はローマの兵隊の千卒長にこの計画を報告しました。神さまは約束の言葉通り、パウロをローマへ導くため、彼の命を守られました。 9月16日(金)使徒二三18?22  百卒長は夜のうちに、歩兵、騎兵、槍兵を合計四七〇名用意し、パウロを総督のもとに護送することにしました。また手紙には、パウロがユダヤ人に訴えられている問題は、牢に入れられたり、死刑にされたりするような罪ではないと書きました。百卒長にとっては、ローマ市民であるパウロを守ることが何よりの使命だったのです。 9月17日(土)使徒二三23?35  パウロは無事に総督のもとに護送されました。ローマの市民権を持っている人は、ローマ帝国から特権を受けていたので守られたのです。神さまは様々なことを用いてパウロを守られました。  パウロは数回の裁判で、犯罪者として裁かれたり、獄に入れられたりするような罪を犯していないと認められます。しかしユダヤ人たちはパウロを死刑にすべきだと訴え続けたので、パウロはついにローマで裁判を受けることになりました。 9月18日(日)使徒二七1?8  パウロは他の囚人たちと共に、百卒長に連れられてローマへ向かうために、船で出発しました。船旅は風に阻まれ、思うように先へ進めませんでした。私は島に住んでいますので、月に1回は船に乗ります。しかし台風や天候不良などで、時々船が欠航し、予定していた事に行けなくなることがあります。予定通りも、そうでないことも、神の御手にあります。 9月19日(月)使徒二七9?12  パウロは神さまの導きによって、これからの船旅の危険を予告しますが、つい人は海をよく知っているプロの船長の意見の方が本当だと思います。冬は別の港で過ごす方がいいということもありました。私たちもきっとパウロの意見より船長さんの言うことを信じてしまうかもしれませんね。 9月20日(火)使徒二七13?20  「今だ!」と風の良い時に出発したのに、まもなく暴風に巻き込まれて、船は流されるままとなりました。嵐はずっと続き、積み荷や船具も海に捨てなければなりませんでした。いつまでも続く嵐の海に、ついにはもう助からないというところまでみんなは追いつめられました。 9月21日(水)使徒二七21?26  しかしパウロには希望が与えられていました。天使が彼に現れて、「恐れるな。あなたは必ず皇帝の前に立って裁判を受けなければならない。一緒に乗っている人もみんな神さまが助けてくださる」と告げられたと言うのです。パウロの言葉はみんなの希望となりました。 9月22日(木)使徒二七27?32  船は十四日間漂流しました。そして陸地に近づいているように感じられました。水夫たちが小舟で逃げ出そうとするのをパウロは止めさせました。水夫たちがいなくてはみんなが助からないからです。パウロが船にいることで、みんな助けられていきました。 9月23日(金)使徒二七33?38  さらに、十四日間誰も何も食べていなかったので、パウロは「さあ、生き延びるために食事をしよう。大丈夫、私たちは守られて、髪の毛一本さえなくならないから。」と励ましました。みんなは元気づいて食事をしました。 9月24日(土)使徒二七39?44  ついに船は陸に乗り上げてうごかなくました。囚人が逃げないよう殺そうとする兵隊がいましたが、ローマ市民のパウロを守るため、百卒長はやめさせました。そして全員が陸にあがり助かりました。パウロに神さまが告げられた通りになりました。  パウロたちが打ち上げられたのは、マルタという島でした。みんなはここで島の人々から大変親切にしてもらい、冬を過ごすことができました。 9月25日(日)使徒二八1?6  パウロはまむしに腕をかまれてしまいます。マルタの人々は、パウロが人殺しで神の罰を受けていると思いました。しかしパウロはいつまでたってもなんともなくぴんぴんしていました。そこで今度は、パウロを「神さまだ」と言い出しました。もちろん、パウロは神さまではなく、神さまに守られていたからでした。 9月26日(月)使徒二八7?10  パウロたちはさらに、島の首長のもてなしを受けました。その時に病気だった首長の父親を祈っていやすと、島の病気の人々が続々とやってきて、祈りによっていやされました。こうしてパウロたちは非常に尊敬されました。パウロたちの島の上陸は島の人々にとっても、恵みとなりました。 9月27日(火)使徒二八11?15  3ヶ月後、また船に乗ってパウロたちは出発しました。そしてついにローマに到着しました。パウロを出迎えに来たのは、ユダヤ人仲間たちでした。彼らに会えたことで、パウロは大変勇気をもらいました。パウロをやっつけようとするユダヤ人たちと闘ってきただけに、どんなにパウロにとっては、そうでない仲間との出会いはうれしかったことでしょう。 9月28日(水)使徒二八16?20  パウロは囚人でしたが、番兵の見張り付きで、一人で住めるほど自由にされました。ローマのユダヤ人仲間たちの前でパウロは今までのことを話しました。パウロがローマでの裁判を願ったのは、決してユダヤ人を訴えようと思ってではなかったのです。ただイエスさまこそキリストだと伝えるためでした。 9月29日(木)使徒二八21?22  ローマのユダヤ人には、パウロを悪く言う文書は届いておらず、またパウロに対する悪口も彼らは聞いていませんでした。ただ彼らは、イエスさまをキリストだと信じる教えに対して反対が起っていることを聞いていたのです。それでそのことを直接パウロから聞いて、何が正しいのかを知りたかったのです。 9月30日(金)使徒二八23?29  パウロのところには、毎日大勢の人がやってきました。パウロは、長い間待ち望まれていた救い主は、イエスさまのことで、十字架の死と復活で救いが実現したことを語り続けました。イエスさまを信じる人もいれば、信じない人もいました。そしてこの教えは外国人の私たちの救いへと広がりました。 10月1日(土)使徒二八30?31  パウロは囚人でしたが、ローマでの2年間、ユダヤ人たちのねたみに邪魔されることなく、自由にイエスさまのことを伝えることができました。