いよいよ新学期です。よみがえられたイエスさまの祝福が豊かにありますように。 4月1日(日)ヨハネ二十1?2  十字架に架けられ死なれたイエスさまは、お墓に葬られました。ところが事件が起こったのです。三日目にマリヤがお墓へ行くと、お墓の入り口をふさぐ石が動かされていて、中が空っぽでした。マリヤは「大変だ」と急いでペテロたちに知らせに走りました。まだ実はそれが喜びの出来事だとはわかりませんでした。 4月2日(月)ヨハネ二十3?10  ペテロともう一人の弟子は確かめに行きました。すると確かにお墓は空っぽで、イエスさまの体に巻いていた布だけが残されていました。盗んだ人がわざわざ布を外したのでしょうか。ペテロたちにはみ言葉も思い出されなかったし、死んだイエスさまがよみがえることもまったく思いつかなかったのです。 4月3日(火)ヨハネ二十11?13  泣きながらお墓をのぞくマリヤに、「なぜ泣いているのですか」と天使は質問しました。泣き続ける必要などないのに、なんで泣き続けているの?と聞いているのです。マリヤはイエスさまが盗まれたと思っているけれども、盗まれたのではないのです。喜びの出来事が起こったのです。 4月4日(水)ヨハネ二十14  マリヤの後ろには、盗まれたと思っていた主が、よみがえられて立っておられました。けれどもマリヤは悲しみが深すぎて、気づきませんでした。体の目も心の目も、イエスさまは死んでしまったということが心を覆って、生きておられるイエスさまがわかりませんでした。 4月5日(木)ヨハネ二十15?18  イエスさまが「マリヤ」と呼ばれて、マリヤはハッと気づきました。それまでお墓の庭の世話をしている人だと思っていたその人がイエスさまだったのです。「なぜ泣いているのか」という意味がわかりました。もう泣く必要はありません。主は本当に死からよみがえられたからです。マリヤはもう一度弟子たちのところへ行き、「主に会いました」と報告しました。 4月6日(金)ヨハネ二十19?25  ついに弟子たちもイエスさまに会うことができました。けれどもトマスだけがその場にいなかったのです。「ちゃんと釘のあとに指を差し入れてみたのか?脇腹の傷を触ってみたか?そうして確かめなければ信じない」とトマスは意地を張りました。 4月7日(土)ヨハネ二十26?29  トマスが実際にイエスさまに会うと、もう手で触る必要は無くなっていました。見たとたんに信じたからです。「見ないで信じるものは幸いだ」とイエスさまは言われました。私たちはイエスさまの復活は見ていません。けれどもそれを信じるなら、救われて、生きる希望をいただけます。  立派な指導者の後を継ぐ人は、同じように立派であることを期待されます。それはとても心に重いものです。ヨシュアもモーセの後でやりにくいこともあったでしょう。でも神さまはヨシュアがリーダーとしてやっていけるよう言葉を語られました。 4月8日(日)ヨシュア一1?5  神さまのヨシュアへの言葉は勇気を与える約束でした。「これから約束された地に入って、足の裏で踏むところはみんなあなたがたのものだよ。わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいて、見捨てないよ」。モーセが神さまに支えられてきたことをずっと見ていたヨシュアには、心強い約束でした。 4月9日(月)ヨシュア一6?11  ヨシュアに必要なことは、神さまが共におられることを信じて、強く雄々しくあることでした。約束された地に入るには戦いが避けられません。そして戦いに勝つためには、神さまの言葉に従って行くことと、主が共におられることを忘れないことなのです。 4月10日(火)ヨシュア一12?18  イスラエルの中にはすでに自分たちの住める場所をもらえた人々がいました。けれどもヨシュアはまだ住む場所を手に入れていない人々のために、彼らも共に戦うように求めました。すると彼らは、モーセに従ったようにヨシュアに従うことを約束しました。それはヨシュアを勇気づけました。 4月11日(水)ヨシュア二1?7  エリコの町を偵察しにやってきた二人は遊女の家に入りました。ところがエリコの王がそれを知ってラハブの家に使いを送ったのです。ラハブは上手にごまかし、王の使いを去らせました。二人の偵察隊は危ないところを助けられました。なぜ彼女は助けてくれたのでしょう。 4月12日(木)ヨシュア二8?14  実はラハブには考えがあったのです。エリコの町は、イスラエルには神さまがついているので勝ち目はないとこわがり、勇気を無くしていました。ラハブはイスラエルのうわさを聞いて、イスラエルの神さまこそ本当のお方だと思い、この神さまを信じて家族と共に身をよせたいと思いました。そこでかくまった二人を助けたように、自分と家族を救ってほしいと願いました。 4月13日(金)ヨシュア二15?21  この話を聞いた二人は自分たちを守ってくれたラハブを救うことを約束しました。そしてラハブと家族を救う目印として窓に赤い紐を結ぶように言いました。それから家族をみんな家の中に集めておくこともです。 4月14日(土)ヨシュア二22?24  追っ手を逃れて無事にヨシュアの元へ戻った二人の報告は、さらにヨシュアに勇気を与え、雄々しくさせました。「神さまは確かにエリコを私たちに与えてくださっています」。  毎日の生活の中で、自分にはとても無理だなあということはありますか。そういうのはまるで乗り越えられない高い壁のように感じるものです。でも神さまが与えてくださる、壁を乗り越えるアイデアは、そんな方法で!?と思うような時があるのです。 4月15日(日)ヨシュア五10?12  四十年という長い荒野生活がいよいよ終わろうとしていました。イスラエルの人々は、ついに約束の地に入るのです。過越の祭で始まったエジプト脱出の旅は、過越の祭で完全に終わります。そして天から降ってきたマナを食べる生活も終わりました。これからは約束の地でとれたものを食べるのです。 4月16日(月)ヨシュア五13?15  ヨシュアは抜き身のつるぎを持った人が敵か味方かが気になりました。けれどもその人が主の軍勢の将軍だと知ったとき、誰が敵か味方かと見るより、自分が神さまの側につくんだと気づきました。そしてその人の言われるように靴をぬいで、わたしはあなたのものですと、自分を神さまにおささげしました。 4月17日(火)ヨシュア六1?7  エリコの町は高くて固い城壁に囲まれています。門は閉ざされていて、誰も出入りしていません。でも神さまはヨシュアに「エリコと王と大勇士をあなたの手にわたしている」と言われました。どんなに丈夫で高い壁も閉ざされた門も心配はいらないということです。それにしても町の周りを毎日一周しなさいという神さまの作戦はなんとユニークなことでしょう。 4月18日(水)ヨシュア六8?14  六日間毎朝早く、イスラエルの民は町の周りを一周しました。先頭には武装した兵隊が、その後ろにラッパを吹き鳴らして進む祭司七人が、そしてかつがれた神の箱が続き、その後ろをまた兵隊が進みました。人々は無言で進み、ラッパの音だけが鳴り響きます。様子を伺っていたエリコにとっては、不思議で不気味な行進だったでしょう。 4月19日(木)ヨシュア六15?21  七日目の朝早くイスラエルは七回町の周りをまわりました。そしてみんなが一斉に叫び出しました。ラッパも鳴り響きました。するとあの高くて固い城壁が崩れ落ちたのです。城壁を壊すために使われた道具は一つもありません。ただ神さまに言われた通りにしただけでした。こうしてイスラエルはエリコを攻め落としました。 4月20日(金)ヨシュア六22?25  偵察隊をかくまったラハブは約束どおり、家族や親族たちと共に助け出されました。ラハブが神さまに身を寄せたので、神さまは彼女を神の民として生かされました。 4月21日(土)ヨシュア六26?27  この出来事によって、イスラエルのリーダーヨシュアには神さまがついていてすごいんだと、周囲の国々でも有名になりました。  ある人は「過去を知ることなしに自分を知ることはできない」と書いています。聖書に書かれたイスラエルの歴史を知ることは、私たちにとって、どんな私たちを知ることができるのでしょう。 4月22日(日)ヨシュア二四1?7  ヨシュアは年をとり、若い人たちにリーダーのバトンを渡す時がきました。そこでみんなを集めて神さまを礼拝し、神さまの言葉を伝えました。それはイスラエルの歴史でした。イスラエルはアブラハムから始まり、エジプトで奴隷にされ、エジプトを脱出します。その方法は神さまのすばらしい奇跡と不思議な業によりました。 4月23日(月)ヨシュア二四8?10  イスラエルは、荒野を四十年間さまよいました。神さまに背いたためです。そして四十年後、約束の地に向かいます。イスラエルに立ちはだかるアモリ人を倒し、預言者バラムにイスラエルを呪わせて彼らを滅ぼそうとしたモアブの王に対しても勝利を与えられました。神さまはどんな時もイスラエルを救い出されたのです。 4月24日(火)ヨシュア二四11?13  そして約束の地へ入るために、エリコの城壁が神さまの方法で崩され、全て神さまの助けの中でカナンの地を攻め落として行きました。イスラエルは、自分たちの力で勝利したのでなく、また自分たちの力で住むところや食べ物を手にできたのでもなく、何もかも神さまが与えてくださったのでした。 4月25日(水)ヨシュア二四14?15  イスラエルの歴史には、いつも神さまの豊かな助けと導きがありました。ここまで来られたのは神さまが共におられたからでした。「だからこそ他の神々に頼ることをやめて、ただただ主を信じ従おうではないか。もしみんながそうしなくても、私と私の家の者たちは、主を信じ従います」とヨシュアは語りました。 4月26日(木)ヨシュア二四16?18  イスラエルの人々も「私たちも主を信じ従います。主が私たちの神さまです」と告白しました。みんなも自分たちがここまで来られたのは神さまのおかげだと心から思い、受け止めていました。 4月27日(金)ヨシュア二四19?28  「あなたがたが神さまだけを信じ従うことは無理だ」。せっかく決心した人々にヨシュアはなんということを言うのでしょう。でもそれは、自分たちの固い決意だけでは無理だからです。信じ従い続けることもまた、神さまによってさせていただけることです。先祖たちの歴史を思い出したのはそのことを心に刻むためでした。 4月28日(土)ヨシュア二四29?33  イスラエルが神さまを信じ従い続けられたのは、主のしもべとして生きたヨシュアや、神さまのしてくださったことを忘れない人々がいた間でした。神さまのしてくださったことをいつも思い出すことがわたしたちの心を神さまとつなぐ秘訣です。  いつも神さまのことを疑うことなく素直に信じられたらいいですね。でもなかなか不安で臆病になってしまい、信じられないこともあるのです。だから神さまに信じられるよう、いろいろお願いした人がいました。 4月29日(日)士師六11?18  イスラエルがミデアン人に苦しめられていた頃、ギデオンに神さまが「大勇士よ、あなたがイスラエルを救いなさい」と声をかけました。けれどもこのギデオン、とっても臆病だったのです。主が共におられると聞いても、なかなか信じることができませんでした。 4月30日(月)士師六19?24  ギデオンは、自分をイスラエルのために遣わそうと言うその言葉が、本当に神さまの言葉なのか証拠がほしいと言いました。そこで主の使いが、ギデオンの持ってきた食べ物を、杖の先でチョンとさわると、火が出て全部燃えました。確かに主の言葉でした。主の使いを見てしまったと不安になったギデオンに「大丈夫だから」と主の平安が与えられました。 5月1日(火)士師六33?40  ギデオンはまだ不安でした。主が本当に自分の手によってイスラエルを救うのかどうか、また証拠がほしいと言ったのです。それも2回です。神さまは、そんなギデオンの不安に付き合って、彼が安心できるように証拠を見せてくださいました。 5月2日(水)士師七1?3  ギデオンと仲間たちが集まって、敵と戦うために陣を敷きました。ところが神さまは集まった2万2千人を多すぎると言われました。大勢いれば勝った時に、神さまの助けを忘れて、自分たちの力で自分たちを救ったと誇るようになるからです。そこでギデオンは「戦争がこわいなら、遠慮しないで帰っていい」と言いました。すると1万の人が残りました。 5月3日(木)士師七4?8  神さまは「まだまだ多い」と言われました。そこでみんなで川に行き、水の飲み方テストをしたのです。手を口にあてて水をなめた人が合格でした。合格者はなんと三百人。神さまはこの三百人でイスラエルを救うと約束されました。 5月4日(金)士師七9?18  いよいよ「敵を攻めろ」と言う神さまのゴーサインが出ます。けれども神さまは「その前に」と言って臆病なギデオンが確信と勇気を持てるようにされました。それは敵の兵士が見た夢とその解き明かし「神はミデアンと全ての軍勢をギデオンの手に渡されるのだ」を聞くことでした。 5月5日(土)士師七19?23  ギデオンたちは三組に分かれて持ち場につきました。そしてギデオンたちはラッパを吹き、つぼを割り、たいまつを持ちながら叫びました。敵はみんなびっくりし慌てたので、仲間同士で戦いあったり、逃げ出したり。こうして神さまの作戦でいなごのような大軍に勝利しました。  サムソンはナジル人という神さまの特別な働きをする人として生まれました。神さまから与えられた怪力でイスラエルをどんな敵の手からも救うことができました。けれどもサムソンは、ナジル人らしくなく、自由で思いのままに暮らしていました。 5月6日(日)士師十六4?5  サムソンの恋人デリラはペリシテ人からたくさんのお金をもらうため、サムソンを裏切って、彼をペリシテ人に引き渡すことにしました。そのために怪力の秘密を聞き出すのです。サムソンの怪力に勝てないペリシテ人は、恋人を使えばサムソンを苦しめられると考えました。 5月7日(月)士師十六6?12 「あなたの力の秘密を私にだけ教えて。だれにも言わなから」。サムソンは2回、うそを教えました。デリラは言われた通りにしてみましたが、サムソンは強いままでした。奥の部屋には毎回ペリシテ人が潜んでいて、サムソンが弱くなったら捕まえようと待ちかまえていました。 5月8日(火)士師十六13?14  サムソンにも、デリラがペリシテ人に自分を引き渡そうとしているとわかったでしょう。それでも、自分の力にはかなわないと、心がおごり高ぶっていたのでしょうか。3回目は、デリラに彼の力の秘密に近いものを語りました。それでも彼は強いままでした。 5月9日(水)士師十六15?17  デリラは「私を愛しているなら、どうしてうそばかり言うの。本当の秘密を教えて」と毎日毎日言いよりました。サムソンは好きなデリラのお願いには弱いのです。そしてついに「髪の毛をそり落とされたら弱くなるんだ」と打ち明けてしまいました。サムソンの心の弱さがペリシテ人の予想通りになってしまいました。 5月10日(木)士師十六18?22  サムソンの寝ている間に髪の毛は剃られていました。主はサムソンを離れ、並外れた強い力もありませんでした。ついにペリシテ人に捕らえられ、囚人として獄屋で臼を引いていたサムソンの両目はえぐられていました。しかし剃り落とされた髪の毛はまた伸び始めていました。そこに希望がありました。 5月11日(金)士師十六23?27  大勢のペリシテ人たちが自分たちの神に犠牲をささげてお祝いをするために集まりました。サムソンは見世物としてみんなの前に引き出されました。サムソンを捕まえたと喜んでいましたが、彼の力の秘密である髪の毛が伸びていることにはだれも気づきませんでした。 5月12日(土)士師十六28?31  サムソンは主に祈りました。「もう一度私を強くしてください」。主はサムソンにもう一度力を与えてくださいました。彼が建物の柱を引きよせると、建物は崩れ落ち、サムソンと大勢の人が下敷きになりました。これまでで一番多くの敵をサムソンは倒しました。 サムエルはまだほんとに小さな時に、家を離れて神殿に預けられました。お母さんが子どもを与えてくださいとお祈りした時に、与えられた子どもは神さまにおささげしますと約束したからです。 5月13日(日)サム上三1?5  幼い時からエリの言葉をよく聞いて従う生活をしてきたサムエルには、呼ばれたらいつでもエリ先生のところへ行くのは、きっとなんでもないことだったのでしょう。寝ていても何をしていてもどんな時でも呼ばれたらすぐに行って言われたことをする。そうして神さまの言葉に従うことを学んでいたのです。 5月14日(月)サム上三6?9  呼んでいたのは神さまだったのですが、サムエルには初めての体験でわかりませんでした。サムエルが呼ばれていると思ってエリのところへ行った三度目に、エリは神さまがサムエルを呼んでおられると気づきました。そこでエリは「もし今度呼ばれたら、それは主の声だから、『しもべは聞きます。主よ、お話しください』と言いなさい」とサムエルに教えました。 5月15日(火)サム上三10  神さまはサムエルのそばに立って呼ばれました。サムエルは「しもべは聞きます。主よ、お話しください」と教えられた通りに神さまに答えました。私たちも同じように祈るなら、自分に語られる神さまの言葉を私たちも聞くことができます。 5月16日(水)サム上三11?14  エリ先生の息子たちは、祭司なのに神さまの言葉を無視して好き勝手な罪の生活をし続けました。そのため息子たちと、そして父のエリも一族みんなが罰せられてゆるされることがないと神さまはサムエルに言われました。サムエルが初めて直接聞いた神さまの言葉は、とても厳しい言葉だったのです。 5月17日(木)サム上三15  サムエルにとってはお父さんのようなエリ先生に、とても恐ろしく悲しい神さまの裁きの言葉を伝えなければならないとは、どんなに辛かったことでしょう。ゆるされないということは恐ろしいことです。けれども今は、イエスさまが私たちの罪のために十字架死んでよみがえられたので、罪をゆるしていただけます。 5月18日(金)サム上三16?18  エリは神さまからの言葉を隠さず話さなければいけないとサムエルに教えました。サムエルが全てを話すと、エリは神さまの言葉を受け入れました。良い言葉は受け入れやすいですが、厳しい言葉はさけたくなります。神さま、私たちも都合のいい言葉だけに耳を傾けることがないように助けてください。 5月19日(土)サム上三19?21  サムエルは預言者として成長しました。サムエルが語る神さまの言葉は全てその通りになったのでみんなから信頼されました。神さまがサムエルと共におられたからです。  風は見えないけれども吹いていたらわかります。音は見えないのに、いろいろな音が聞こえます。匂いも見えないのに、なんの匂いかわかります。聖霊は見えないけれども、私たちが神さまのことを信じて歩めるように働いています。 5月20日(日)使徒二1?4  聖霊が初めて使徒たちや弟子仲間にくだった時は、激しい風が吹くような音が聞こえたし、舌のような炎のようなものが一人一人にとどまるのが見えました。そして外国語まで話し出したのです。でも今は聖霊がきてくださる時、音もないし、炎も見えません。でも私たちが信じる時心に住んでくださいます。 5月21日(月)使徒二5?13  激しい音を聞いて建物に集まった人々は、弟子たちの語る言葉が自分たちの生まれた地域の外国語だったので驚きました。それも弟子たちが語っているのは、神さまのすばらしい働きでした。でも今は聖霊を受けたみんなが外国を話し出すわけではありません。でも聖霊は確かに私たちに力をくださっています。 5月22日(火)使徒二14?21  預言者ヨエルは、救い主が来られたら、若者も老人も、男も女も、みんなに聖霊が与えられて、夢と希望を持ち、預言するようになると預言しました。つまり信じたら、私にもあなたにも聖霊は来てくださり、周りの人に神さまの希望の言葉を伝える力をくださるのです。 5月23日(水)使徒二22?28  ペテロはイエスさまのことを伝えました。あなたがたが十字架につけて殺したイエスさまは、神様によって死からよみがえらされ、今も生きておられますと。聖霊によって臆病だったペテロたちは力を受け、大胆にはっきりと伝える人に変えられました。 5月24日(木)使徒二29?36  「死んだ人がよみがえると聞けば、何を言っているんだとあなたがたは思うかもしれない。でもダビデだって信じていたんだ。だから詩篇でこう言ったんだ。救い主は黄泉に捨てられたままにはならないし、肉体もなくなって終わるんじゃないと。そしてその通りになったのをわたしたちは見ました。よみがえられたイエスさまにわたしたちは会ったからです」。 5月25日(金)使徒二37?41  ペテロの言葉を聞いて、心を刺された人たちがいました。聞く人にも聖霊が働いています。「わたしたちは罪を犯ました。どうしたらいいのでしょうか」。ペテロは「悔い改めて洗礼を受けるなら、罪がゆるされます。そして聖霊を受けます」と勧めました。そこで三千人の人々が洗礼を受けました。 5月26日(土)使徒二42  こうして神さまを礼拝し、交わりを持つ教会が誕生しました。ところで聖霊は神さまのみ言葉や神さまの愛を教えて私たちが変わるよう助けてくださいますが、私たちを偉大にするのではありません。  神さまは、私たちの心を何もかも知っておられるのに、私たちを嫌にならず愛してくださいます。 5月27日(日)サム上十六1?5  イスラエルの最初の王サウルは、残念ながら神さまの言葉に従うことができませんでした。サムエルにはそのことが残念でなりませんでした。けれども神さまはサウルに代わる新しい王を選ばれました。神様はサムエルに、新しい王に、王となるしるしの油をそそぐようにと命じられました。神さまの言葉にどんな時にも従う王でなければ、国を守ることはできないからです。 5月28日(月)サム上十六6?7  神さまが選んだのはエッサイ家の息子です。たくさんいる中で誰なのかは、会った時に神さまから教えてもらうのです。サムエルは一番上の兄エリアブをみて「この人だ」と思いました。背が高くてハンサムでかっこよくて、王になるにはぴったりに見えたのです。けれども神様は「主は心をみる」と言われ、エリアブではないと言われました。 5月29日(火)サム上十六8?10  エッサイがすべての息子たちをサムエルに紹介しましたが、誰も神さまの選んだ王ではありませんでした。神さまが見られる「心」とはどんな心なのでしょう。人には隠している心の奥も神さまには隠せません。だとしたら選ばれる人なんているのでしょうか。 5月30日(水)サム上十六11?12  エッサイにはもう一人末っ子のダビデがいました。エッサイにとってはまだ子どもで関係ないと思ったのか、ダビデは呼ばれなかったのです。けれどもサムエルがダビデに会った瞬間神さまは言われました。「これがその人である」。ダビデに罪がなかったとか、心が誰より立派だったということではありません。神さまをどこまでも信じるダビデの心を、神さまも信頼されたのです。 5月31日(木)サム上十六13  将来王となるしるしの油を注がれたダビデには、神さまの霊が強く働いて、彼がさらに強く神さまを信頼するよう助けました。周りの人はみんな、神さまがダビデと一緒にいるんだなとわかりました。 6月1日(金)サム上十六14?18  サウル王はイライラしたり、落ち込んだり、怒りっぽくなったりして、気持ちが落ち着かず、王の仕事をするのも苦しいほどでした。心が穏やかになって安心するには、竪琴の音楽がいいに違いないという人がいました。すると竪琴が上手で主が共におられるダビデがふさわしいと王のもとに呼ばれました。 6月2日(土)サム上十六19?23  ダビデが竪琴をひくと、サウル王の心は穏やかになり安心するようなりました。サウル王はダビデを大変気に入りました。そこでダビデはサウル王のそばで働くようになりました。こうして羊飼いであったダビデは、主の霊に導かれて用いられていくのです。  ダビデは勇気のある人でした。でもその勇気は神さまが共おられるから持てたのです。羊飼いをしていて、神さまに助けてもらってきたから、神さまが救ってくださるという確信がダビデに勇気を与えていたのです。 6月3日(日)サム上十七1?11  イスラエルはペリシテ人と戦争をしていました。ペリシテ人は戦いの武器がイスラエル人より優れたものを持っていて強いのですが、さらに強い敵が現れました。それは3メートル近くもある大男ゴリアテです。ゴリアテは、自分と一対一で戦って、負けた方は勝った方の家来になれと言いました。 6月4日(月)サム上十七12?23  その頃ダビデは軍隊に入っているお兄さんや隊長さんたちに差し入れを届けるために、軍隊の陣営にやってきました。するとまたゴリアテが「おれと一体一で戦うものはいないか。負けた方が勝った方の家来になれ」と言うのを聞きました。 6月5日(火)サム上十七24?27  イスラエル軍はゴリアテが怖くてたまりませんでした。もしこの男を倒したら、王様からたくさんの褒美がもらえ、王様の娘をお嫁さんにできるのです。でもだれもゴリアテの挑戦に立つ人はいません。ところがダビデは怖がるどころかゴリアテの言葉に、「神さまの軍隊に戦いを挑むなど、何様のつもりだ」と怒りました。 6月6日(水)サム上十七28?30  ダビデの姿を見たお兄さんは、戦いも知らない子どものくせに何を生意気なことを言っているのだとでも思ったのでしょうか。ダビデを「おもしろ半分に戦いを見にきたのか」と決めつけて叱りました。私たちも普段の生活から人を決めつけて間違って見てしまうことがあるものです。 6月7日(木)サム上十七31?40   ダビデはゴリアテと戦うことにしました。サウル王は反対しました。とても無理だと思ったのです。けれどもダビデは神さまが勝たせてくださると信じていました。羊を守るために、ライオンや熊にも勝たせてくださった神さまがイスラエルを救ってくださると。ダビデの武器は羊飼いの杖と石投げと石だけです。でも神さまが共におられるのでそれで十分でした。 6月8日(金)サム上十七41?49  ゴリアテは驚きました。兵隊ではなく、羊飼いの若者が自分と戦おうとしているからです。それも武器は杖と石投げと石。そして主が戦ってくださるという信仰です。ダビデが石投げで石を投げるとゴリアテの額に命中し、ゴリアテは何もしないまま倒されてしまいました。 6月9日(土)サム上十七50?58  ダビデが勝ったのを見ると、ペリシテ軍は逃げ出しました。こうしてイスラエルは戦いに勝利しました。私たちも共におられる主が勇気を与え、悪に勝たせてくださいます。  友だちって大事ですね。教会学校に行くのも、やっぱり友だちがいると行きやすいし、楽しいですよね。いくつになっても友だちは助け合えるし、大事な存在です。 6月10日(日)サム上二十1?4  サウルには自分よりも認められたダビデがねたましくてたまりませんでした。だからサウルはダビデを何度も殺そうとしました。ついにダビデは、サウルの息子で親友のヨナタンに、このままでは自分は殺されると相談しました。ヨナタンはどこまでもダビデの味方で、彼のために何でもしようと思いました。 6月11日(月)サム上二十5?11  ダビデはヨナタンに、サウルがダビデを殺そうとしているのか、そうでないのか探ってほしいとお願いします。王と一緒の食事の席に出ないで、家族のお祝いに行っていると言ったら、王が許してくれるか、くれないか、それでわかるはずだと。ヨナタンはこころよく引き受けました。 6月12日(火)サム上二十12?17  ヨナタンはダビデに約束しました。サウル王がダビデを良しとしていても、殺そうと思っていても知らせると。もしダビデが危険なのに知らせなかったら、神さまに罰せられてもいいとまで言いました。ヨナタンは自分のことのようにダビデを大事に思っていました。 6月13日(水)サム上二十18?23  ヨナタンはダビデに秘密の合図を教えました。ダビデが隠れている野原に、ヨナタンはお使いをする子どもとやって来て矢を放ちます。その時、矢が手前あると言って取りに行かせれば、ダビデは安全です。しかし向こうにあると言うならば、危険が迫っているので逃げなさい、という合図です。誰かに見られてもわからないようにそうしたのです。 6月14日(木)サム上二十24?34   王との食事の席にやってこないダビデをサウルは許しませんでした。ダビデをかばうヨナタンのことも気に入りませんでした。ヨナタンは、父が怒りのあまり自分にまでやりを振り上げたのを見て、ダビデを本気で殺そうとしているんだと思いました。それはヨナタンにとって本当に悲しく辛いことでした。 6月15日(金)サム上二十35?40  ヨナタンがダビデに知らせた合図は、「矢は向こうにある」という悲しみの合図でした。早くすぐに遠くへ逃げなさいと危険を知らせました。神さまはダビデが逃げなくてもいいようにはされませんでした。そうしてくれたらよかったのにと私たちは思うのですが。 6月16日(土)サム上二十41?42  二人は別れのあいさつを固く交わしました。そして自分たちの友情は自分たちの子供たちの間にも受け継がれて、支え合うと誓ったことを確認してしあいました。二人の友情の間にはいつも神さまがおられました。  サウルはダビデをねたみ、命を狙い続けました。ダビデは仲間たちと隠れ、逃げ続けました。ダビデにとってはいつまで続くのだろうと、辛く厳しいときだったことでしょう。 6月17日(日)サム上二六1?5  ダビデの隠れ場所をこっそりとサウルに知らせた人がいました。さっそくサウルは、ダビデを捜すために三千人の軍隊でダビデのすぐ近くまでやって来ました。ダビデさえいなくなればいいと、なんとしてでもダビデを殺したかったのです。私たちはねたみで心がいっぱいになると、相手を邪魔者、悪者にしてしまいます。 6月18日(月)サム上二六6?9  ダビデとアビシャイが陣営を偵察に行くと、みんなぐっすり眠っていて、誰も二人に気づきませんでした。アビシャイは「これは神さまが与えてくださったチャンスです」とサウルを殺させてほしいと言いました。けれどもダビデは許しませんでした。主が王として選び、油注いだサウルを殺すことは誰もしてはいけないと。 6月19日(火)サム上二六10?12  サウルの死は神さまの手の中にあることだとダビデは信じていました。主が油注いだ特別な人を自分たちが殺すことは許されていないと確信していました。ダビデはサウルを王として立てた神さまを第一に考えていたのです。そこで自分たちがサウルを殺せたのに、殺さなかった証拠にサウルの枕元のやりと水のびんをとりました。神さまもダビデたちを守るため、サウルと軍隊みんなをぐっすり眠らせておられました。 6月20日(水)サム上二六13?16  ダビデは攻撃を受けない安全な場所に立つと、サウルの軍の隊長アブネルに呼びかけました。「私はあなた方の陣営に忍び込みました。その証拠に王のやりと水のびんが無くなっています。」そしてアブネルを、主に油注がれた王を守らなかったと責めました。 6月21日(木)サム上二六17?20   サウルはダビデの声だと気づいて出て来ました。そこでダビデは、サウルに命を狙われるような悪いことをしていないこと、自分などサウルが気に留める必要のないとるに足らないものだと訴えました。 6月22日(金)サム上二六21  ダビデにとってはチャンスだったのに「ダビデが自分の命を大事にしてくれた」と知ってサウルは心が揺るがされました。そして自分が愚かで大きな間違いをしていたと認めたのです。敵と思う相手が自分たちに対して「参りました」と思うのは、相手を倒すことばかりではないのです。 6月23日(土)サム上二六22?25  ダビデはサウルの命を重んじました。けれども「だから今日わたしがサウルの命を重んじたように、わたしの命を重んじてください」とお任せしたのは、サウルにではなく、神さまにでした。  ダビデはとうとうイスラエルの王になりました。かつて自分に主が油を注がれ、王として立てられたことが実現したのです。 6月24日(日)サム下六1?5  ダビデは自分の町に神の箱を置きたいと思いました。神の箱というのは、神さまがいつもイスラエルと共におられるしるしの箱でした。ダビデは神の箱を運び出すのを盛大にしました。三万の軍隊が行進し、だれもがダビデを力ある王とわかるほどでした。車に乗せられた神の箱が進むと、ダビデたちは主への賛美と力いっぱいの踊りをささげました。 6月25日(月)サム下六6?8  ウザが神の箱を手で押さえたら、死んでしまいました。喜びの行進がいっぺんに悲しみと恐怖に変わりました。神さまのきよさと厳しさをだれもが知らされました。ダビデは神さまを敬って盛大に神の箱を入場させようとしましたが、ただ自分の力やえらさを自慢していたに過ぎなかったのかもしれません。 6月26日(火)サム下六9?11  ダビデは神の箱を自分の町に入れるのがこわくなりました。また取り扱い方を間違えて誰かが命を落とすかもしれません。そこで神の箱はオベデエドムの家に置かれました。自分がこわいから人の家に置くなんてずるいような気がします。でも今度はオベデエドムの家は祝福されました。家の人々は恐れではなく、喜びであふれました。 6月27日(水)サム上下六12?15  そこでダビデは、もう一度オベドエドムの家から運び出しました。今度は神さまから決められた通りに神の箱を人が肩に担ぎました。そして神の箱の行進に合わせて、いけにえをささげ、ダビデは箱の前で力の限り踊りました。前回のような盛大さを見せつけることはなく、ただただ神さまをみんなで喜んだのです。 6月28日(木)サム下六16   ダビデの奥さんミカルは、町に神の箱が入ってくるのを窓から見ていました。ダビデは人目を気にすることなく、神さまの前で踊り続けていました。ところがミカルは、ダビデたちと一緒に喜ぶことはできませんでした。むしろダビデの姿が恥ずかしくて、王らしさや立派さが台無しだと思ったのです。 6月29日(金)サム下六17?19  神の箱は無事用意された天幕の中に置かれました。ダビデは、自分たちは神さまのものですという思いのささげ物と、感謝の気持ちをあらわすささげ物をもって礼拝し、人々を祝福しました。こうしてダビデとイスラエルの人々は、自分たちの生活の中心には神さまがおられることを大事にしました。 6月30日(土)サム下六20?23  ミカルはこの喜びと祝福に預かることはできませんでした。ダビデが神さまに対してどういう思いでいるかよりも、王らしくないダビデを見下したからです。