ある絵本で、主人公は、自分がしてあげた親切のお礼に「三つの願いを叶えてあげます」と言われます。何を願おうかと考えている時、思わず口にした言葉で自分の妻の鼻にソーセージがついてしまい、騒動の末、結局何も手にできなかった話があります。もし一つだけ何でも願い事を叶えてあげると言われたら、あなたは何をお願いしたいですか? 10月5日(日)列王上三1〜2  ソロモンはエジプトの王の娘を自分のお嫁さんにしました。そうすれば、エジプトと仲良くしやすく、平和でいやすいからです。しかし、人が考える知恵には思わぬ落とし穴があります。本当の平和が続くよう導けるのは神さまなのです。 10月6日(月)列王上三3〜4  ソロモンは一千頭ものささげものを神さまにました。たくさんの財産があったからしたのではありません。ただ神さまを信じ愛する心が、どんなに多くのささげものも惜しむことなく、ささげずにはいられなかったのです。 10月7日(火)列王上三5〜9  ソロモンの信仰を喜ばれた神さまは彼に「あなたに何でも与えよう」と言われます。ソロモンは賢く、何でも持っていました。それでもまだ自分に足りないものがあると思いました。それは王として、人々を正しく教え導く知恵でした。迷うことなく、それをお願いしました。 10月8日(水)列王上三10〜12  普通ならあれもこれもお願いしたいものです。願ったらもちろん与えられたでしょう。けれどもただ人を正しく導く知恵を求めたソロモンを、神さまは大変喜ばれました。そして誰もソロモンにはかなわないような賢さをいただけたのです。 10月9日(木)列王上三13〜14  神さまはさらに、ソロモンが求めなかった多くの宝やお金、良い評判、長く生きるチャンスをくださいました。神さまもソロモンに惜しみなく何でも与えたいと思うほどに、ソロモンのことを愛されました。ソロモンと神さまはそういうすてきな関係を持っていました。 10月10日(金)列王上三15  夢から覚めると、ソロモンは神さまの約束を思い出しました。そこで神さまに感謝のささげものをしました。そして神さまから与えられたものを、家来たちのためにもお祝いを開いて使いました。ソロモンは家来たちのことも大事にしたのです。 10月11日(土)列王上三16〜28  赤ちゃんの本当のお母さんは誰でしょう。今のように科学の力で調べられない時代です。でも本当のお母さんなら、きっと赤ちゃんのことを一番大事にするはず、とソロモンは考えました。その通り何よりも赤ちゃんの命を大事にしたのが本当のお母さんでした。与えられた知恵は、人を思いやる愛の知恵でした。  ソロモンは神さまのお住まいとして立派な神殿を建てました。神さまが住むと言っても、神さまがベッドで寝起きしたり、ごはんをそこで食べたりするわけではありません。神さまが住むとは、神さまが天にも神殿にも、そして人々の生活の真ん中にもいつも共にいてくださるということなのです。 10月12日(日)列王上八1〜13  神殿ができると、祭司たちが神の箱を神殿の中に納めました。すると、雲が神殿に満ちました。神さまが「ここにわたしはいるよ」とわかるように、雲で覆われたのです。祭司たちはそのすばらしさに圧倒されて立っていることができませんでした。私たちも、もっと神さまが共におられることを知ることができますように。 10月13日(月)列王上八14〜21  神殿を建てたいと思ったのはダビデでした。しかし神さまは、ソロモンにそれを任せました。信仰の先輩たちが神さまのためにこれをしたいと抱いた夢を、私たちが受け継いで実現することがあるのです。 10月14日(火)列王上八22〜30  ソロモンは、神殿を神さまにささげる長いお祈りを始めました。まずは、父ダビデとの約束を守ってくださいと祈りました。私たちも祈れます。私にあの時与えてくださった約束のみ言葉を守ってくださいと。 10月15日(水)列王上八31〜40  「悔い改めるならば、罪を赦してください」。神殿で、または神殿に向かって祈る祈りには、いつも神さまの前に悔い改めることが大事だとソロモンは思っていました。ソロモンとイスラエルの人々の生活には神さまの方へ向きなおすための悔い改めの祈りがありました。 10月16日(木)列王上八41〜53  「どうぞ私たちの祈りと願いをきいてください」とソロモンはくり返し祈りました。神殿は、ソロモンとイスラエルの人々の生活の真ん中に、いつもお祈りがあることを教えてくれました。お祈りすることで、心が神さまの方を向けるからです。 10月17日(金)列王上八54〜61  お祈りの後、ソロモンはイスラエルの人々に神さまの恵みの言葉を語りました。「昔の人々に語られた神さまの言葉はすべてその通りになった。そして彼らと共におられた神さまは、私たちのことも見捨てず離れず共にいていくださる。だから、私たちも神さまの言葉を信じ従おう」と語りました。 10月18日(土)列王上八62〜66  イスラエルの人々は、神殿をささげる礼拝に参加して、自分たちが神さまから多くのものをいただいてきたことを感謝しました。そして「神さまはすばらしい!」と喜びで心がいっぱいになって帰っていきました。家に帰っても心に感動がありました。  どんな難問も解ける知恵をもったソロモンは、持ち物においても、莫大な財産を持つようになりました。すべては神さまが惜しみなく、ソロモンに与えられたものでした。彼は、国を大きくし、発展させました。 10月19日(日)列王上十1  ソロモンの賢さはイスラエルを越えて外国にも有名になりました。それも、ただソロモンが賢いというだけの評判ではありません。「その頭の良さは、神さまが共にいるからだ。神さまからの知恵なんだ」。という評判だったのです。そこでシバの国の女王が、どれほど頭がいいのかと、試しにやってくるほどでした。 10月20日(月)列王上十2〜3  シバの女王は、難しい算数のようなものから、謎解きのような問題も、また自分の国の人々を幸せにする方法や、世界の国々とうまくやっていく方法など、実際に気になっていることを何でもソロモンに聞いてみました。ソロモンはどんな問題にも答えたので、シバの女王は神さまの知恵のすばらしさを楽しむことができました。 10月21日(火)列王上八十4〜5  シバの女王は、ソロモンのまわりにある物やまわりにいる人々すべてに、ソロモンの良いが考えが行き届いているのを見ました。また礼拝での神さまへの惜しみないささげ物に、神さまの恵み深さを見ました。何もかもが女王を圧倒しました。 10月22日(水)列王上十6〜8  シバの女王は、噂で聞いたこと以上にすばらしいものを見たと言いました。「奥さんや家来たちは、どんなに幸せでしょう」と思いました。それは神さまの知恵で守られていることが、どんなに強く、幸せなことかを感じたのです。 10月23日(木)列王上十9〜13  シバの女王は何よりもすばらしいのは、イスラエルを愛しておられる神さまだと、主をほめたたえました。神さまのソロモンへの愛が、王としての働きを十分できるように導いておられることを知りました。この訪問を心から満喫した女王は、惜しみないすばらしい贈物を残して、自分の国へ帰っていきました。 10月24日(金)列王上十14〜22  ソロモンの知恵がすばらしいように、彼のもとに集まる金の量も大変多く、金で作られた豪華な調度品はイスラエルにしかないすばらしいものばかりでした。奴隷の時代もあったイスラエルが、今やそれほどに豊かな国となったのです。 10月25日(土)列王上十23〜25  ソロモンの心にさずけられた知恵を聞こうと、絶えずお客がやってきました。そのお客からの贈物によって、さらに豊かになりました。彼の語る知恵が聞く人を生かす知恵であったので、さらにはイスラエルを生かすことになりました。  ソロモンの知恵とはどんな知恵だったのでしょう。箴言の中にソロモンの教えが残されています。箴言は、人が生きて行く上で、よく心に留めておくべき教えが書かれていて、私たちを助けてくれる言葉です。 10月26日(日)箴言三1〜2  不安なことがあると落ち着かない気持ちになります。悩みが大きいと生きているのも辛くなります。神さまの言葉は、私たちに不安や悩みがあっても、「大丈夫だ。なんとかなる」とほっとさせます。そして心が元気にされて、生きていてよかったという気持ちを与えてくれます。 10月27日(月)箴言三3〜4  自分のことばかり考えていると、なぜかけんかしちゃったり、怒られちゃったりします。人の気持ちを少し思いやると、素直に「ありがとう」や「ごめんなさい」と言えて、お互い気持ちがよくなります。神さま、人のことを思いやることができますように。うそでごまかさないでいられますように。 10月28日(火)箴言三5〜8  私たちには、いい方法やアイデアがあります。こうであったほうがいいはずだと強く思っていることがあります。でも箴言は「ちょっと待てよ。神さまはどう言うだろう」。と、どんな時にも聞いてみようとすすめます。そうすれば、いろいろなことを乗り越えられると約束しています。 10月29日(水)箴言9〜10  あれを買いたいしこれは必要だし。そう思っていたら、お小遣いがなくなって、献金はまた今度にしよう。そういうことってよくあるかもしれません。でも、もしもらったお小遣いを例えば、四百円でも四十円でも献金のために先にとっておいたら、毎週百円でも十円でもささげられます。神さまはそれを喜んでくださって、さらにあなたを祝福してくださいます。 10月30日(木)箴言三11〜12  失敗したくないし、辛いことも起こらない方がいいと思います。でも失敗や辛かったことを通して、いろいろなことを知ることができます。そこから気づいたことは、私たちの心を強くも優しくもします。だから神さまは、私たちを時々厳しく訓練されるのです。 10月31日(金)箴言三13〜18  頭が良くなりたいですね。何でもできたらいいですね。でも神さまの与える知恵はちょっと違います。自分も誰かも幸せになる知恵です。神さま、私も誰かと一緒に喜べる知恵をどうぞ今日も与えてください。 11月1日(土)箴言三19〜20  この世界はとてもよくできています。人の体も、動物、魚、虫、植物などのつながりも、地球と宇宙の関係も知れば知るほどすごいとわかります。だからすべてを造られた神さまの知恵が本当にすごいのだとわかるのです。  毎週の教会学校の礼拝で、「主の祈り」をささげていますよね。きっといつの間にか覚えてしまったでしょう。でもお祈りの言葉一つ一つを考えてみると、どう言う意味なのかわかるところとわからないところがあるような…。何をお祈りしているのか確認してみましょう。 11月2日(日)マタイ六9  お祈りって何を祈ったらいいかわからない時は、ぜひイエスさまの教えてくださった「主の祈り」をお祈りしてみましょう。私たちの必要なお祈りが全部入っているので、これで十分なんですよ。 11月3日(月)マタイ六9  はじめに「天にましますわれらの父よ」と祈ります。神さまは私たちの天のお父さんなのです。天のお父さんとして、私たちに必要な最も良いことをしてあげようと何でも聞いておられるのです。 11月4日(火)マタイ六9  「われらの父」と祈るのは、天のお父さんが、「私」の天のお父さんであり、「私たち」天のお父さんだからです。それは私たちがイエスさまを信じたら、神さまの家族になるからです。イエスさまも神さまのことを「お父さん」と呼んで祈られました。だから私たちは、イエスさまとイエスさまを信じる人々と同じお父さんに祈っているのです。 11月5日(水)マタイ六9  お祈りのはじめに、あなたはまず何を祈りますか。神さま助けてくださいとか、あれがうまくいきますようにとかでしょうか。主の祈りでは、私のことではなく、神さまのことからお祈りしています。お祈りは私たちのためにだけでなく、神さまのこともお祈りするのですね。「御名があがめられますように」とは、神さまのすばらしいことが、私たちにもみんなにもわかりますようにということです。 11月6日(木)マタイ六9  神さまのすばらしさがどうして私たちやみんなにわかったらいいのでしょうか。みんなが神さまを信じるようになるからです。神さまを信じたら、神さまのすばらしさがもっとわかっていって、私たちの心に喜びが与えられるからです。 11月7日(金)マタイ六9  私たちは花や星をみてきれいだなと思い、虫や動物をみて、かわいいとかおもしろいな、と思い、地球の不思議をみてすごいなと思います。そしてそれを造られた神さまってすごいなと思います。するとますます神さまを信じてついていきたくなります。 11月8日(土)マタイ六9  私たちがイエスさまを信じてよかったと思うことは、神さまの御名をあがめていることです。そしてその私たちを誰かがみて、「イエスさまを信じるっていいね、私も信じてみたい」と思ってもらえたらこんなうれしいことはありません。これも御名があがめられることなのです。  私たちは日本という国に住んでいます。そして世界にはたくさんの国があります。でも地図にのっていないもう一つの国があります。それは「御国」です。神さまが御国をおさめる王様です。そしてイエスさまを信じる私たちは御国の国民です。 11月9日(日)マタイ六10  「御国」は別の名前では「天国」とか「神の国」とも呼ばれます。御国は地図に書かれているような、ここにあって、ここからここまでが御国ですということはないのです。イエスさまを信じる人々がいるところには御国ができていくからです。 11月10日(月)マタイ六10  イエスさまがこの世界に来られた時から、私たちの世界に御国は始まっています。そして今も広がり続けています。御国では、争いや妬んだり憎んだりするのではなく、愛し合うこと赦し合うことを大事にします。神さまの「みこころ」を大事にします。 11月11日(火)マタイ六10  しかし御国はまだ完成していません。それはイエスさまが再び来られる時に完成します。それまでは私たちはイエスさまの言葉に従いながら、イエスさまを知らない人々に、イエスさまを伝えていくのです。だから祈ります。みんながイエスさまを信じて、御国がきますように。 11月12日(水)マタイ六10  「みこころが…地にも行われますように」。というのは、私のお願いより、神さまがよいと思われることがなりますように、ということです。 だから世界中の人が、これだけはかなえてくださいと祈っても、すべて祈りの通りにはならないのです。神さまの「いいよ」もあれば「だめよ」もあります。「これではなくこちらで」とか「今は待ちなさい」と、その時に一番よい答えでこたえてくださいます。 11月13日(木)マタイ六10  「神さま、今すぐなんとかしてください」という気持ちになって祈ったことが何度もあります。でもすぐに助けられた時もあれば、「今」ではなく、後になって想像もしない形でなんとかなったこともあります。お祈りはすべてがわたしの思い通りではないのですね。 11月14日(金)マタイ二六39  十字架にかけられる前の夜、イエスさまはゲツセマネの園で祈られました。十字架で苦しめられ、死ななければならないことを避けたいと願われたのです。けれども「わたしの思いのままにではなく、みこころのままに」と祈られました。 11月15日(土)ピリピ二13  神さまのみこころは私たちの思いをいつも反対するわけではありません。むしろ私たちに願いや目標、夢や、やりたいことなどを与えてくださるのも神さまです。そしてそれを後押しして導いてくださるのです。  食べ物がなくてもう何日も何も食べていない、ということはありますか?それとも食べ切れなくて残して、残りものは捨てている方ですか?多分、私たちは、食べ切れないほど、食べものを食べることができる方でしょう。そんな私たちが「日ごとの糧を今日も与えたまえ」と祈る必要はあるのでしょうか。 11月16日(日)マタイ六11  「日ごとの食物」は、毎日の食事のことだけではなく、私たちが生きていくために必要なものすべてのことです。これが今必要ですが、お金がなくて買えません。神さま助けてください、という必要を求める祈りが「日ごとの食物をきょうもお与えください」の祈りには入っているのです。 11月17日(月)マタイ六11  これは私だけの祈りではありません。「わたしたちの日ごとの食物を」と祈るように、私も家族も、友だちも、世界の人みんながいつも食べることができ、必要なものが与えられますようにという祈りなのです。 11月18日(火)マタイ六11  世界では、戦争や災害が起こったり、雨が降らなくて作物が実らなかったりして、十分に食べることができないところがあります。またお金のある人だけしか食べたり勉強したりできないところもあります。だから私たちは、「私たちの日ごとの食物をきょうもお与えください」と世界の人のことを思って祈りたいと思います。 11月19日(水)マタイ六11  今日本では、お父さんやお母さんが子どもを育てることができず、死んでいく子どもがいます。子どもに食べ物を与えないでほったらかしにしているうちに死んでしまうのです。だからそういう子どもたちのことも思って祈りたいと思います。 11月20日(木)マタイ四1〜4  私たちが生きていくためには、きれいで安全な水、安心して休むことのできるお家や体を守る服、そして体を元気にする食べ物が必要です。でもイエスさまはそれだけではなくて、神さまの言葉も必要だと言われました。神さまの言葉は、私たちの心のごはんだからです。  11月21日(金)マタイ六25〜34  私たちは心配することがいろいろあります。友だちに変に思われないか。自分だけあれをもっていないとばかにされないか。失敗したらどうしよう。でも神さまは、私たちのその時その時の必要を全部知っていて助けてくださるので、「なんであんなに心配したんだろう?」と思うほど十分よくしてくださいます。 11月22日(土)ヨハネ六35  イエスさまを信じることがイエスさまという「命のパン」をいただくことです。イエスさまは、私たちの「日ごとの食物」として十分にめんどうをみてくださいます。  「ぜったいにゆるせない」と思ったことはありますか?反対に、「もうぜったいにゆるさないから」と言われたことはありますか?ゆるすってできない時がありますね。でもゆるされないと気持ちが落ち込んでまるで心の中になにかがつかえている感じがします。ゆるしたいしゆるされたいですね。 11月23日(日)マタイ六12  この言葉は、私たちがゆるされるためには、人をゆるさないと決してゆるされないかのようです。でもそうではなくて、神さまがわたしたちの罪をゆるしてくださるから、私たちも人のことをゆるせるようなるのです。だからゆるす人にしてくださいという祈りです。 11月24日(月)マタイ六12  誰かのことをゆるすってむずかしいですね。傷つけられたり、裏切られたりしたら、あんな人のことぜったいゆるせないと思うでしょう。でも不思議なことにゆるさないでいたら、心はすっきりしないのです。心の奥でいつも怒っているからです。 11月25日(火)マタイ六12  私たちが人をゆるすための道は、イエスさまの十字架による罪のゆるしがわたしのためだったということが、よくわかることです。また十字架のゆるしがなんと大きなことなのかがわかることです。ゆるされている喜びを知ったら、私たちはゆるす力もいただけます。 11月26日(水)マタイ六12  私は時々、自分の小学生時代や中高生時代を思い出します。生意気で知ったかぶり、余計なことを言ってしまうところがありました。だから私と関わるのが面倒だと思った人もいたでしょう。そういう私が今あるのは、イエスさまと多くの人にゆるされてきたからです。 11月27日(木)マタイ一八21〜22  「もうこれっきりだからね。次はないと思いなさい」。というのが私たちの社会です。何度も「もうしません、ごめんなさい」とあやまるのに、またくり返し悪いことをしたら、ついには人に見放されてしまいます。しかし神さまは悔い改めるのを待っていて、見放さずゆるしてくださいます。 11月28日(金)マタイ一八23〜35  多くの借金をゆるされた僕は、自分が借りたお金に比べたら少ない額を貸している人の借金をゆるしませんでした。自分のあの大きな借金がゆるされたことのすごさを忘れて、自分が貸したお金の方がはるかに多いかのようふるまいました。神さま、どうぞゆるされたことの大きさを忘れない者にしてください。 11月29日(土)ルカ七36〜50  自分の多くの罪がゆるされた感動を、女は涙と香油を惜しみなくイエスさまにささげて表しました。多くをゆるされた喜びは、イエスさまへの深い愛に変わります。  今週から教会の暦でクリスマスを待ち望むアドベントに入ります。もう四週間もするとクリスマスですね。クリスマスと聞くだけでわくわくすることでしょうね。  ところで「だめ」と言われるとやりたくなりませんか?だめだとわかっているのに、したくなる誘惑がありますね。 11月30日(日)マタイ六13  「試みに会わせないで」と祈りますが、私たちは死ぬまで誘惑や試練がなくなることはありません。だったら、このお祈りはきかれないのにお祈りするの?と思えますよね。これは誘惑にあっても、その誘惑にのってしまって罪を犯さないようにしてくださいという祈りなのです。 12月1日(月)マタイ六12  あなたにとって誘惑はどんなことですか?宿題をしないで、いつまでも好きなことをしていたいですよね。また人のものが欲しくなったり、悪口をいいたくなったり、怒られないために人のせいにしたり。でも自分のやりたい放題だったら、結局後で後悔するのも自分ですね。 12月2日(火)マタイ四1〜4  イエスさまも誘惑にあわれました。悪魔は「あなたは神の子なんだから、石をパンに変えられるだろ」。と言いました。四十日間何も食べていないイエスさまにとって、悪魔の言葉は誘惑でした。それにできなかったら神の子のくせにそんなこともできないのかと恥をかきそうです。でもイエスさまはしませんでした。 12月3日(水)マタイ四5〜7  悪魔は「あなたは神の子なんだから、この神殿のてっぺんからとびおりて天使が助けるのを見せてくれよ」と言いました。確かに神殿から降りた瞬間、天使が地面に落ちないように支えたら、神殿にきた人々はこの奇跡に感動して、イエスさまを神の子と信じたかもしれません。でもイエスさまはしませんでした。 12月4日(木)マタイ四8〜10  悪魔は最後に「わたしを拝んだら、簡単に世界はあなたのものになるよ」と言いました。けれどもイエスさまは悪魔を拝みませんでした。人からすごいと思われたい誘惑は誰にでもあります。でも誘惑に負けないでいることができたら、それが本当にすごいことです。 12月5日(金)マタイ四11  イエスさまは三回とも聖書の言葉で、悪魔と悪魔の誘惑を退けました。聖書の言葉には誘惑から私たちを救う強い力があります。 12月6日(土)マタイ二七32〜44  「神の子なら十字架からおりて、自分を救ってみろ」。これを聞いたらきっと「くやしいー。今に見てろー」と言いたくなるのが私たちです。けれどもイエスさまは、神の子の力を見せることなく弱い人となって、苦しみを受けられました。すべては私たちを救うためでした。  新約聖書を最初から読み始めると、イエスさまの系図が登場します。途中でわけがわからなくなるかもしれません。でも登場する人々の中に知っている人がいたら、きっとおもしろくなりますよ。ある人は小学生の時にこれを読んで「つながってるんだ」と言いました。そう、アブラハムからイエスさまはずっとつながっているんですね。 12月7日(日)マタイ一1〜6  この中で誰か知っている人はいましたか。最初に登場するアブラハムは神さまに声をかけられて、ふるさとを離れ、新しい土地カナンで神さまに従って歩みました。アブラハムは百才になって九十才の妻との間に一人息子イサクを与えられました。 12月8日(月)マタイ一1〜6  イサクには双子の息子が与えられました。年を取ったイサクは、息子のヤコブにだまされるという悲しい経験をしました。ヤコブは外国で結婚し、たくさんの家族と財産を持つようになりましたが、彼もまた息子たちにだまされ、長い間最愛の息子ヨセフを失いました。この家族がイスラエル民族の始まりとなりました。 12月9日(火)マタイ一1〜6  ダビデは、羊飼でしたが、イスラエルの二番目の王さまになります。神さまを心から信じ、愛し、仕えた人で、イスラエルのために大活躍しました。神さまとダビデは深い交わりを持ちました。 12月10日(水)マタイ一1〜6  この中にタマル、ラハブ、ルツ、ウリヤの妻と、女の人が四人だけ登場します。それぞれ子どもを産みますが、それぞれが訳ありでした。当時のイスラエルではゆるされない方法で子どもを宿した人、あまり良いと思われなかった外国人との結婚、問題ある仕事をしていた人などです。でもみんなイエスさまにたどり着くために必要な人々として名前が残されました。 12月11日(木)マタイ一7〜17  ダビデの息子ソロモンは十月に学びましたので、覚えている人も多いでしょう。神さまを愛し神さまに愛され、すばらしい知恵をいただいた王でした。 12月12日(金)マタイ一16  もう一人女の人の名前が記されています。それがイエスさまのお母さんになったマリヤです。マリヤは結婚する前に聖霊によってみごもるという、神さまの不思議な力によってイエスさまを産みました。 12月13日(土)マタイ一7〜17   系図をよくよく見てみると、イエスさまの先祖になった人々は、みんな立派だったわけではありません。どんなに立派な人にも「しかし」という出来事があったのです。それぞれの生き方に問題や失敗や罪がありました。しかしイエスさまはまさにそういう先祖を持つ家系の中に生まれてくださいました。  クリスマスが近づいてきました。今年はどんなプレゼントがもらえるのかなと楽しみにしている人もいるでしょう。教会のクリスマス会も楽しみですね。でも最初のクリスマスは悩みから始まりました。イエスさまのお父さんとなったヨセフは、マリヤのお腹に赤ちゃんがいると知った時、とっても悩んだのです。 12月14日(日)マタイ一18  ヨセフは、まだ結婚生活を始めていない婚約者のマリヤのおなかに自分の子ではない赤ちゃんがいることを知って、とてもショックを受けました。その赤ちゃんが聖霊の力によってマリヤのおなかに与えられたことをまだ知らなかったからです。 12月15日(月)マタイ一19  ヨセフはこれからどうしようかと大変悩みました。このままでは、マリヤは人々からうわさされ、辛い思いをし、ついには石で打たれて死刑になるかもしれません。マリヤのことが大好きなヨセフは、マリヤの幸せを思い、人に知られないように別れようと決心しました。 12月16日(火)マタイ一20  夢の中の天使の言葉で、このことは神さまによって起こったことだとヨセフは知りました。もっと早くに教えてくれれば、こんなに悩まなくてすんだのに…。でも、神さまは悩んで決心したヨセフに語られました。それはこれから赤ちゃんに起こる危険を一つ一つ乗り越えるために、マリヤとの絆を深めるためだったのかもしれません。 12月17日(水)マタイ一21  それは生まれてくる赤ちゃんが、イスラエルの人々が長い間待ち望んできた救い主だからです。そしてヨセフには救い主となる赤ちゃんをしっかり守り育てる使命が与えられました。 12月18日(木)マタイ一22〜23  昔イザヤが「おとめがみごもって」と預言したことは、マリヤがイエスさまをみごもって実現しました。イエスさまのまたの名は「インマヌエル(神われらと共にいます)」です。神さまが私たちと一緒にいてくださることがよくわかるために、イエスさまはきてくださいました。 12月19日(金)マタイ一24〜25  夢からさめるとヨセフは天使から伝えられた神様の言葉に従ってマリヤと一緒にくらし始めました。また生まれた赤ちゃんにも神さまの言われた「イエス」と名づけました。すべては神さまから起こったこと。だからヨセフは神さまを信じて迷わず従いました。 12月20日(土)イザヤ七14  預言者イザヤが救い主の誕生を預言してから約七百年後にイエスさまは生まれました。イエスさまを通して、聖書の言葉は次々と実現していきました。だから私たちも聖書の言葉を信じていくなら、私たちにも聖書の言葉は本当になっていきます。  いよいよ今週はクリスマスです。教会のクリスマス集会がいろいろあることでしょう。25日の朝には待ちに待ったプレゼントが…。でも忘れないでください。一番のプレゼントはイエスさまが私たちと同じ人になってこの世界に生まれてくださったことです。このプレゼントがなかったら、私たちにクリスマスの本当の喜びはなかったのですから。 12月21日(日)マタイ二1〜3  新しい王が誕生したと、東の国の博士たちの言葉を聞いたヘロデ王とエルサレムの人々は不安になりました。ヘロデは王の座を奪う者として恐れます。でも待ち望んでいたはずのエルサレムの人々まで、喜ぶことができませんでした。自分たちの今の都合ばかり考え、約束がいよいよ果たされる時に、信じることができなかったのです。 12月22日(月)マタイ二4〜8  ヘロデはこの博士たちの情報を無視しませんでした。自分の地位を脅かされないために手を回すことをすぐに考えたのです。しかし救い主の誕生場所をベツレヘムと知っていた学者たちは一番興味をもつはずなのに、救い主誕生の情報に興味を持つことはありませんでした。 12月23日(火)マタイ二9〜11  再び星があらわれて、博士たちを幼子イエスさまのいる家まで導いてくれました。幼子イエスさまは、何か奇跡をみせたでしょうか。救い主らしいことをしたでしょうか?そういうことは何もなかったのです。けれども博士たちはこの幼子を救い主と信じてひれ伏し拝みました。また贈物をささげ、自分たちの気持ちをあらわしました。 12月24日(水)マタイ二12  夢のみつげによって、博士たちの帰り道は別の道を行くことになりました。救い主を信じる道は、もう今までの生き方とは違う道なのです。神さまの導きで進む道です。 12月25日(木)マタイ二13〜15  夢で天使のみつげを受けたヨセフは、幼子イエスさまの命を守るために夜中のうちに立ち上がって一家でエジプトに逃げたのです。神さまの言葉を聞いたらすばやく動き出せる心のやわらかさを持てますように。 12月26日(金)マタイ二16〜18  ヘロデ王は救い主を殺すために、ベツレヘムの二才以下の子どもたちを殺させました。自分の立場を守るためには、他の人々を苦しめてでも何でもしたのです。何が何でも私が損をしないために、自分のことだけを考えてすることは、自分を幸せにはしてくれません。 12月27日(土)マタイ二19〜23  ヘロデが死ぬと、ヨセフ一家は天使のみつげによってイスラエルに帰りました。さらにみつげによって、ナザレに住みました。一つ一つ彼らを導くのは神さまの言葉でした。  今年ももうあとわずかですね。そしてまた新しい年がやってきます。この一年はどんな一年でしたか?来年はどんな一年にしたいですか?この一年間を導いてくださった神さまは、新しい年も共にいて、さらにさらに私たちに、神さまの恵みの深さを発見させてくださるでしょう。 12月28日(日)マタイ三1〜3  ユダヤの荒野に人々がぞくぞくと集まり始めます。そこにはバプテスマのヨハネがいて、悔い改めよと教えはじめたからです。その言葉はとても厳しいのですが、自分はこのままではいけないと人々は思い受け入れました。ヨハネもまた、預言者イザヤに「荒野で呼ばわる者の声」と預言された人でした。 12月29日(月)マタイ三4〜6  ヨハネがいなごを食べるのを、びっくりする人もいるかもしれませんが、いなごは健康によい食べ物なんですよ。着ているものも、すぎちゃんよりかなりワイルド。でもイスラエルの人々はこの姿を見たら、みんな昔の偉大な預言者エリヤを思い出したのです。ヨハネはまさに預言者として人々の心を神さまに向き直させて洗礼を授けていました。 12月30日(火)マタイ三7〜10  ヨハネのもとには、ユダヤ教のリーダーたちもやってきました。ヨハネは彼らにも容赦なく厳しい言葉を語ります。「自分はいつもまじめに神さまに従っているから大丈夫だと思うな。外側ばかりつくろって、みせかけだけだけでからっぽだ」。誰もが神さまの前には真実に心からの悔い改めが必要なのです。 12月31(水)マタイ三11〜12  ヨハネは偉大な預言者でますます人気と尊敬を受けます。けれども決して救い主の前にでしゃばりませんでした。自分より後から来る救い主を受け入れるよう教えました。  いよいよ今年最後の日。この一年守られたことを感謝したいですね。 1月1日(木)マタイ二13〜15  あけましておめでとうございます。神さま、今年も私たちをよろしくお願いします。  イエスさまは、罪のないお方でしたが、ヨハネに洗礼をさずけてもらいました。私たちを救うために、とことん私たちと同じようになって、歩んでくださいました。 1月2日(金)マタイ二16〜17  イエスさまが洗礼を受けると、聖霊が鳩のようにくだり、天からは神さまの声が聞こえました。父なる神と聖霊とイエスさまが一つのお方だからです。 1月3日(土))マタイ二16〜17  天からの神さまの声は、イエスさまが救い主だということをはっきりと語られました。そしこのイエスさまを信じ従う者たちも同じように神さまに言っていただけるのです。「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」と。