引越をして、転校したことはありますか?新しい場所は知らない人ばかりです。転校すると、新しい学校に行く始めの日は、心配になったり、緊張したりします。友だちはできるのかな?いじめられないかな?でもどんな場所に行ってもイエスさまが変わらず一緒にいてくださいます。だから新しい場所に早くなれて、お友だちがたくさんできるようお祈りしたらいいんだね。 7月6日(日)ルツ一1〜5  イスラエルで畑が全く実らなかった時、ベツレヘムに住んでいたナオミとその家族が、外国のモアブに引越をしました。そこなら食べ物がとれたからです。ところが、モアブにいる十年の間に夫も二人の息子も死んでしまいました。ナオミはどんなに寂しく悲しい思いをしたことでしょうか。 7月7日(月)ルツ一6〜14  イスラエルでも畑が豊かに実るようになったので、ナオミはイスラエルに帰ることにしました。しかし途中でナオミは一緒に来た二人の嫁に、家に帰るように言いました。新しい男性と結婚して、新たに幸せになってほしいと思ったからです。一人の嫁は泣きながら帰りましたが、もう一人の嫁ルツはナオミから離れませんでした。 7月8日(火)ルツ一15〜18  ルツは「あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神です」と語り、自分は絶対にナオミからも神さまからも離れないのだと堅く決心していました。ナオミについて行くことは、ナオミの信じる神さまについて行くことだったのです。 7月9日(水)ルツ一19〜22  「楽しみ」という意味のナオミの名前とは違い、ナオミは苦しみを多く味わいました。故郷に帰ってきた自分は全てを失ってしまったと悲しんでいました。しかし二人が帰ってきたのは大麦刈りの時で、ここから新しいことが始まるのです。 7月10日(木)ルツ二1〜7  嫁のルツは食べるものを手にいれるために、畑に落ちている穂を拾いにでかけました。イスラエルでは、麦を刈り取るとき、束から落ちたものは、誰でも拾ってもらうことができたからです。何も知らずに入った畑は、ナオミの夫の親戚の畑でした。 7月11日(金)ルツ二8〜16  親戚のボアズは、ルツが親戚のナオミの嫁であるとわかると、他の人々に畑でルツにいじわるたり邪魔したりせず、気兼ねなく落ち穂を拾わせなさいと言いました。神さまは、ルツにとっては知らない土地でも安心して働ける場所をお与になりました。 7月12日(土)ルツ二17〜23  たくさんの大麦を持って家に帰ったルツから、報告を聞いたナオミは喜びました。ルツは大麦と小麦の刈り取りが終わるまで働くことができたので、ナオミと安心して暮すことができました。    あなたは結婚に憧れますか?まだあまり考えないかもしれませんね。最近の若い人の中には、結婚に興味のない人が増えているそうです。だからキッザニアでは子どもが模擬結婚式を体験できるそうですよ。でも今からできる一番いいことは、未来の結婚のために神さまにお祈りすることですね。 7月13日(日)ルツ三1〜5  ナオミはルツがボアズの畑で働く様子を見て、ルツの結婚相手にボアズがいいのではないかと思うようになります。またボアズは親戚であり、跡継ぎのいないナオミの家に跡継ぎを残すチャンスを与えることのできる人の一人でした。それは二人が結婚して生まれた子どもが家を継ぐということです。 7月14日(月)ルツ三6〜13  ルツはナオミの言う通り、収穫の宴会の後、麦打ち場で休んでいるボアズの足下に行きました。気づいたボアズにルツはどきどきしながら、「一番近い親戚として、あなたのすそで、はしためを覆ってください。」と言いました。すそで覆うのは、結婚するということです。ボアズは優しく「あなたが求めることはみないたしましょう」と答えました。 7月15日(火)ルツ三14〜18  ルツは夜明け前にボアズからもらったたくさんの大麦をかかえて家に帰りました。ナオミはルツの話しを聞いてボアズがルツと結婚するつもりであることを知りました。 7月16日(水)ルツ四1〜6  ボアズは、町の裁判にまず自分よりももっと近い親戚を呼び、ナオミの家の土地を買い取ることと、ルツと結婚して子どもを残すかどうかを尋ねました。その人は、ルツと結婚することは考えられなかったので、自分はしないのでボアズに任せると言いました。ボアズ自身がほっとしたことでしょう。   7月17日(木)ルツ四7〜12  町の裁判で、ボアズがナオミの土地と嫁のルツを引き受けることが認められました。すると町の人々はボアズとルツの結婚を祝福しました。年を取った独り者のボアズに、良い嫁が与えられ、周りの人も喜んだのです。 7月18日(金)ルツ四13〜17  こうしてボアズとルツは結婚し、ルツは男の子を生みました。その子オベデはナオミの子として育てられました。苦しみばかりだと嘆いたナオミ(楽しみ)の人生に、神さまはもう一度「楽しみ」を与えてくださったのです。 7月19日(土)ルツ四18〜22  オベデの孫は、イスラエルの二代目の王ダビデです。さらにずっと後になって、オベデの子孫にイエスさまが生まれました。モアブで夫や家族に先立たれたナオミと外国人ルツに、神さまはイスラエルで新たな生きる道を備えてくださり、さらにはイエスさまと系図でつながる恵みを与えらました。  いよいよ待ちに待った夏休みですね。夏休みは教会のキャンプに参加できたらいいですね。ところで、神さまにお祈りする時に「この願いをきいてくださったら、何でもします」なんて祈ったことありますか?大抵口ばかりになってしまう私たちですが、それをした人が聖書にはいますよ。 7月20日(日)サムエル上一1〜2  聖書の時代のイスラエルでは、子どもがたくさんいる家は神さまに祝福されていると考えられていました。だから子どもが生まれないということは、その人に問題があるからではないかと思う人もいました。ハンナに子どもがいないことは、どんなに辛いことだったでしょう。 7月21日(月)サムエル上一3〜8  エルカナ一家は一年に1回、神殿に行って感謝のささげものをささげていました。礼拝の後食事をする時に、分け与えられる食事の量で、子どものいるもう一人の妻ペニンナが、子どものいないハンナをいじめました。ハンナの方がエルカナに愛されていたので、ライバルと思っていたからです。神殿に行くと子どもを産めないみじめさを味わわされるのでハンナには苦しみでした。 7月22日(火)サムエル上一9〜11  ハンナはいてもたってもいられず、神殿にもどって、神さまに心をさらけ出して泣きながらお祈りをしました。「神さま、私の悩みをきいてください。もし、男の子を与えてくださったら、わたしはその子をあなたの働きのためにおささげします。」あなたはこんなふうに必死になって神さまに何かをお祈りしたことはありますか? 7月23日(水)サムエル上一12〜18  ハンナは誤解されるほど、心を注ぎ出して、長い間祈りました。祈り終えたハンナの顔は今までとは違っていました。お祈りを神さまが聞いてくださるという強い思いが与えられていたからです。 7月24日(木)サムエル上一19〜20  神さまはハンナの求めにこたえてくださり、ハンナに男の子が与えられました。その子には「神の名」という意味の「サムエル」という名前がつけられました。赤ちゃんをだくたびに、ハンナはどんなに神さまに感謝をささげたことでしょう。 7月25日(金)サムエル上一21〜25  ハンナは神さまに与えられた子どもをささげると約束していました。せっかく与えられたのに、そんなことできるのでしょうか?ハンナはしたのです。まだ小さなサムエルを神殿につれて行き、祭司エリのもとに預けたのです。将来サムエルも祭司になるためです。 7月26日(土)サムエル上一26〜28    祈りの聞かれたハンナの心は神さまを心から信頼していました。だからサムエルを手放して、神さまにお任せしたのです。  サムエルにとって小さいうちから両親と離れての生活は、寂しい時もたくさんあったでしょう。お父さんとお母さんも、サムエルのことをどうしているかな?と思いながらいつもお祈りしていたでしょう。そして毎年一度神殿にやってきて、サムエルに会い、作った上着をあげるのを楽しみにしていました。サムエルは神さまにも人にも愛される子どもとして成長していきました。 7月27日(日)サムエル上三1〜9  サムエルはある晩3回神さまの呼ぶ声を聞きますが、それが神さまの声だとはわかりませんでした。だから「エリ先生だ」と思ってすぐにエリのもとに行きました。しかしエリに、神さまが呼ばれたと教えられます。神さまは私たちにも呼びかけておられますよ。どうやってその声を聞けるのでしょうね。 7月28日(月)サムエル上三10〜14  サムエルはもう一度神さまの声を聞きました。そこでエリに言われた通り「しもべは聞きます。お話ください。」と言いました。私たちも聖書を読む時、礼拝する時、「僕は聞きます。主よ、お話しください。」と祈ると、神さまからの私へ言葉を聞くことができます。 7月29日(火)サムエル上三15〜18  神さまの言葉は、エリとその息子たちに対する神さまの裁きの悪い知らせでした。それをエリに話すことはサムエルには辛いことでした。神さまの言葉は、私たちにとって厳しく感じることもあります。罪を教えられたり、誰かにあやまるように導かれたり、やめなければならない事を気づかされたりするからです。 7月30日(水)サムエル上三19〜21  神さまはいつもサムエルと共におられました。そして人々に神さまの言葉を伝えると、全てその通りになっていくので、みんなはサムエルが神さまの言葉を伝える預言者として選ばれたことがわかりました。 7月31日(木)マルコ九2〜8  ペテロとヤコブとヨハネは、「これはわたしの愛する子、これに聞け」と言われた神さまの言葉を聞きました。これはイエスさまの言う言葉をよく聞きなさいということです。そうすれば、生き方がわかるからです。 8月1日(金)ルカ一〇38〜42  マリヤはイエスさまの足下に座って、み言葉にじっと耳を傾けていました。それがマリヤには今何よりも必要なことだったからです。私たちも今本当に大事なことが何かをわかるためには、イエスさまの言葉をじっと聞いてみることです。 8月2日(土)詩篇四六10  体をらくにして座り、目をつぶってみましょう。深呼吸して、心を落ち着けてみましょう。心の中で静かに主の祈りを祈ってみましょう。心が静まります。神さまがそばにいてくださるからです。  日本には王様はいませんが、世界には王様がいる国があります。イスラエルには初め、王様がいませんでした。神さまが真の王だからです。しかし人々は他の国のように目に見える王が欲しいと思うようになりました。そこで、王が選ばれるのです。どんな人だったでしょう。あなたならどんな人が王様だったらいいと思いますか? 8月3日(日)サムエル上九1〜10  もし飼っている犬や猫がいなくなったら、探しにいくでしょう。いなくなったロバを探しに出かけたサウルは、見つけることができなかったので、神さまの言葉を伝えてくれる神の人の所へ行きました。どうしたらいいか教えてくれるからです。私たちも探す時、神さまにお祈りしたらいいのです。 8月4日(月)サムエル上九11〜14  たまたまサウルのいる場所の近くの町に、神の人(先見者)サムエルもやってきていました。だからすぐにサウルはサムエルに会えたのです。まるで偶然のようでしたが、これには神さまの計画がありました。 8月5日(火)サムエル上九15〜17  実はサムエルは神さまからサウル会うことになると聞いていました。そしてサウルがイスラエルの王になること、ペリシテ人によって苦しめられることから救い出す人となると言われました。人々の祈りと叫びに神さまが答えてくださったのです。サムエルがサウルに会うと「この人だ」と示されました。 8月6日(水)サムエル上九18〜21  サウルは先見者サムエルの言葉にびっくりするばかりでした。話す前に自分のことを何もかも知っていたからです。それもロバはもう見つかっていました。全ては、サムエルが神さまから言われた大事な話をサウルに伝えるための導きでした。私たちの生活にも神さまの導きがあります。 8月7日(木)サムエル上十1〜8  サムエルはサウルの頭に油を注いで、イスラエルの王としました。そして彼が王になったことが本当だとわかるために、3つの出来事が起こると告げられました。それは神さまが確かに共にいてくださることのしるしでもありました。 8月8日(金)サムエル上十9〜16  サウルがサムエルと別れると、その日のうちに、告げられた通り三つの不思議な出来事が起こりました。そして彼には王として立っていくための心が神さまによって与えられました。 8月9日(土)サムエル上十17〜24  イスラエル全体で王を立てるためにくじ引きが行われました。するとくじはサウルに当たりました。しかしサウルは臆病で荷物の間に隠れていたのです。人々が憧れるイケメンの最初の登場はなんとも格好悪いものでした。でも神さまが力をくださるから大丈夫なのです。  私たちは戦争を知りません。知らなくても戦争は怖いと思います。日本が戦争で負けてから69年が経ちました。これからも絶対に起こってほしくないことです。今の私たちには悪魔との戦いがあります。悪魔は私たちを神さまに頼ることから引き離そうとします。サウルには戦争と悪魔との戦いが両方絶えずありました。 8月10日(日)サム上一三1〜4  サウルの息子ヨナタンと彼の軍隊がペリシテ軍の一部を倒しました。それによってイスラエルとペリシテの戦争がさらに激しくなりました。イスラエルの人々はさらに戦うために集められました。 8月11日(月)サム上一三5〜7  ペリシテ軍の数はイスラエルよりもはるかに多く、戦っても到底かなわないように見えました。すると兵士たちは安全な場所に身を隠してしまいました。サウルのそばで従う兵たちも震えていました。すでに心が打ちのめされていたのです。どんな時でも本当に力のある神さまに頼ることができたらいいですね。 8月12日(火)サムエル上一三8  サウルはサムエルに七日間待つように言われていました。戦いに行く前に神さまにささげものとお祈りをするためです。しかしサムエルは来ません。集まった人々は敵を恐れてその場を離れて行きました。サウルの心はとても不安になりました。その場の雰囲気に負けないで待つのはなんと難しいことでしょう。 8月13日(水)サム上一三9〜10  サウルは人々が離れて行くのをみて、このままでは敵の攻撃だけでなく、王として信頼されなくなってしまうのではと怖くなりました。そこで祭司しかしてはいけないささげものの儀式をサウルがしてしまいました。するとそこへサムエルが到着するのです。私たちは目の前に見える恐れに負けてしまう弱い者です。 8月14日(木)サム上一三11〜12  「あなたは何をしたのですか」というサウルの言葉に、サムエルは「七日間待ったけれどあなたが来てくれないから。」と言いました。言い訳ばかり語り、悔い改めることができませんでした。 8月15日(金)サム上一三13  サウロが恐れたことは全て、神さまの言葉を守っていたら解決することでした。「もし守ったら、あなたの王国は長く続いた」のです。 8月16日(土)サム上一三14〜15  自分の王国を失いたくなかったのに、神さまの言葉を守らなかったために、結局サウルは王国を失うことになりました。私たちも自分のことばかり考えていると、損をしたくない気持ちが強くなって、サウルと同じようにしてしまうことがあるかもしれません。神さま、そういう心の戦いに負けないよう私たちを助けてください。  神さまの言葉に従わなかったサウルは人々の前ではイスラエルの王でしたが、神さまは新しくサウルに代わる王を選ばれました。私たちが考える王にふさわしい人は、立派で頭が良く、人の上に立って引っ張っていける人などです。しかし神さまが喜ばれる王は、姿や見た目、能力があるかではなく、ただひたすら神さまを信じ従う人でした。 8月17日(日)サム上一六1〜5  サムエルに神さまは、サウルの代わりに王となる人を見つけたと言われます。そしてその人に油を注いで、王としてたてるようにと命じられました。神さまは新しいことを始めておられました。 8月18日(月)サム上一六6〜13  サムエルは立派なエッサイの息子を見て、ふさわしい人がいると思いました。しかし七人の立派な息子たちの中には、神さまの選ばれた王はいませんでした。選ばれたのは、大事な場に呼ばれなかった末っ子の羊飼いダビデだったのです。まだ父親から見たら一人前ではなかったのでしょう。でも神さまが選ぶにはそれは問題ではありませんでした。 8月19日(火)サム上一七1〜11  戦場にペリシテ軍から一人の大男が現われました。彼は3メートル近くもあるゴリアテでした。ゴリアテは、自分と一対一で戦う者はいなかと挑戦してきたのです。とても太刀打ちできない相手にサウルも兵隊たちも震えあがりました。 8月20日(水)サム上一七12〜27  戦場にいる兄たちの様子を確認しに、食べ物を持ってやってきたダビデは、ゴリアテのイスラエルをばかにする言葉を聞きました。ダビデは頭にきて、黙っていられませんでした。「神さまを味方に持つイスラエルに恥をかかせるとは許せない。」 そんなことを言ったのはダビデだけでした。 8月21日(木)サム上一七28〜32  ダビデの姿を見た兄は身の程知らずのダビデに怒り出しました。しかしダビデは本気でした。そしてサウル王に「しもべが行きます」と言いました。ダビデは自分の力でなく、神さまの力を信じていました。 8月22日(金)サム上一七33〜40  サウル王はダビデには到底無理だと思いました。しかしダビデは神さまの助けによってライオンや熊から羊を守ってきたことを話しました。だからゴリアテにも勝たせてくださると確信していました。ダビデは使い慣れた石投げと5つの石を持って戦いにでました。 8月23日(土)サム上一七41〜54  ダビデの手には剣も槍もありませんでした。彼は「この戦いは主の戦いだ」と言い、「神さまが戦ってくださるから大丈夫だ」いう神さまへの信頼がありました。そしてダビデが投げた石はゴリアテの命を奪う一撃となりました。  兄弟や友だちが自分よりもほめられていたら、なんとなく心がいやーな気持ちになったことはないですか?あいつばかりほめられて、なんか気に入らないなあ、というように。自分よりも人気がある人や、得をしているように見える人が、うらやましく妬ましくなるのです。でも妬みばかりの生活は全然楽しくありません。サウルはダビデを妬んで、心が暗くなっていきました。 8月24日(日)サム上一八1〜5  ダビデとヨナタンは親友になりました。二人の友情は、固い絆で結ばれて、どんなことがあってもお互いを大事にしました。  神さま、私たちも友だちと、心からの友だちになれるように導いてください。また神さまを信じる仲間を与えてください。 8月25日(月)サム上一八6〜9  ゴリアテを倒したダビデは、いっぺんに英雄になりました。しかし町で出迎える女たちの歌の言葉に、サウル王は深い怒りを感じました。このままでは、もはやダビデに王位を与えるほかないではないか。一気に心が妬みに変わりました。 8月26日(火)サム上一八10〜11  サウルの妬みは、ダビデを殺したいほどに強くなりました。ダビデさえいなければ…。悪霊に苦しめられる中で、二度もやりをダビデに振り上げたのです。妬みで心が一杯になると、私たちはあの人さえいなければとまで思ってしまいます。自分の力だけでは妬みをなくせません。 8月27日(水)サム上一八12〜16  サウルは、神さまがダビデと共におられることがよくわかりました。だから何をやってもかなわないと恐れました。ダビデは、主が共におられるので、恐れることなく先頭に立って戦いに出て行きました。  神さま、私たちを人に対する妬みや恐れから助けてください。 8月28日(木)サム上一八17〜19  サウルは、激しい戦いにダビデを出すための口実に、自分の長女メラブを褒美として約束しました。戦争で殺されればいいと思ったからです。しかしダビデが死ぬことはなく、メラブとの結婚もありませんでした。 8月29日(金)サム上一八20〜29  ダビデはサウルの娘ミカルと結婚します。ダビデには主が共におられ、みんながダビデを大好きなので、サウルは恐れるばかりでした。ダビデへの敵対視する思いに支配された生活は、恐れはあっても喜びはありませんでした。 8月30日(土)イザヤ四三1〜4  私たちは、いろいろなことを恐れます。悪いことがおこることや、失うこと、認められないことなど。でも私たちと「共にいる」「愛する」と言われる神さまの言葉を信じるなら、こわくなって固くなった心を柔らかくし、恐れないで前に進ませてくださいます。  いよいよ夏休みも終わりです。宿題を早く終わらせた人もいれば、今必死でやっている人もいるでしょう。学校によってはすでに始まっているところもありますね。2学期も、学校生活が守られますように。  ダビデはサウルの殺しの手から逃げる生活をしていました。しかし、ダビデがサウルに手をかけることができる絶好のチャンスがやってきたのです。 8月31日(日)サム上二六1〜5  サウル王は、ダビデを探すために三千人もの軍隊を率いて荒野にやってきました。ダビデは、夜彼らの様子を探るため陣地へ潜り込むと、サウルや軍隊長が寝ているのを見つけました。ダビデにとっては、サウルを倒す絶好のチャンスでした。 9月1日(月)サム上二六6〜12  しかしダビデは、神さまに油注がれた者に自分たちは決して手をかけてはいけないと、アビシャイの行動を引き止めました。ダビデはサウルのことを、神さまが油注いで選んだ王として、決して軽んじませんでした。サウルの姿は自分勝手ですが、それでも神さまも彼の命を軽んじておられませんでした。 9月2日(火)サム上二六13〜16  朝になってダビデは遠く離れた場所から、サウルの陣地に向かって叫びました。サウル王がどんな危険な目にあったかを語り、守り切れなかった軍隊長をとがめたのです。そして自分が殺さなかった証拠に、ダビデは彼らの枕元にあった槍と水のびんを持ち出したことを示しました。 9月3日(水)サム上二六17〜20  ダビデの声に、サウル王も姿を現しました。ダビデは、何か王に追いかけられ、殺されなければならないような悪いことをしたのでしょうか?そうではありません。王がダビデをねたんで邪魔に思ったからです。どうやってサウルは自分のあやまちに気づけるのでしょうか? 9月4日(木)サム上二六21〜25  「わたしは罪を犯した」とサウルは言いました。自分の命と神さまの王としての選びを大事にしたダビデの言葉を聞いた時、自分が間違っていたとサウルは気づきました。 9月5日(金)サム上二六21〜25  ダビデはサウルに、自分がサウルの命を大事にしたのだから、私の命も大事にしてくださいとは言いませんでした。神さまに「わたしの命を重んじて、もろもろの苦難から救い出してください」と祈りました。 9月6日(土)ルカ一1〜7  サウルは神さまの目には、もう王ではありませんでした。けれども、次に王として選んだダビデをすぐに王座に座らせることはしませんでした。むしろダビデには居場所すらなかったのです。イエスさまもお生れになった時そうでした。でも時がきたら場所が用意されているのです。  賛美を心から歌っている人をみて、恥ずかしく感じたことはありますか?なんだかそこまでついていけないような気持ちになって。私たちは、人の目を気にしていると、自分はそこまでできないと思ってしまうのです。ダビデが神さまへの賛美として力の限り踊った姿は、人の目には恥ずかしく見えたかもしれません。でもダビデは、人に見せるためでなく、神さまを心から喜んで踊ったのです。 9月7日(日)サムエル下六1〜5  エルサレムに神の箱を迎え入れるために、たくさんの人が集められました。そして神の箱を運び出すために、たくさんの楽器演奏と、賛美の歌と力の限りの踊りがささげられました。それは大変盛大でした。 9月8日(月)サムエル下六6〜11  ところが、牛がつまずいて神の箱が落ちないように手で押さえたウザが死んでしまいました。神さまが怒ったからでした。楽器も歌も踊りも一斉にやみました。ダビデは「神さま、どうして」と恐れとショックを受けました。神の箱はしばらく、オベドエドムの家にとどめられました。 9月9日(火)サムエル下六12〜15  すると今度は、オベドエドムの家が大変祝福を受けたのです。そこでダビデは、もう一度神の箱を運び出すことにしました。今度は、神の箱 をレビ人が肩に担ぎました。これでもう神の箱が倒れる心配はありません。がたがた道も、神の箱をしっかりと運び出せました。 9月10日(水)サムエル下六12〜15  ダビデは、箱を担ぐ人の足が六歩進むと、神さまへの犠牲をささげ、力の限り踊りました。神さまへの喜びと感謝一杯の気持ちが踊りに現われていました。そして人々は喜びの叫びと角笛をならしながら、運び出して行きました。 9月11日(木)サムエル下六16〜19  たくさんの人とダビデが、心を一つにして主を賛美しつつ神の箱を運び出していました。しかしエルサレムに入って来た人々の様子を窓から見ていた妻のミカルは、心を一つにして喜べませんでした。ダビデが力の限り神の箱の前で踊る姿をみっともないと思ったのです。 9月12日(金)サムエル下20〜23  家族を祝福しようとやってきたダビデに、ミカルはダビデの踊る姿が王様らしくなかったと言いました。しかしダビデは、王様らしさより、ばかにされても主の前に喜び踊り続けると言いました。それがダビデの大事にしたいことでした。 9月13日(土)詩一五〇  神さまへの賛美をささげるのは、日曜日だけのことではありません。毎日、いつでもどこでもどんな時も「神さまはすばらしいです」とほめたたえていいのです。文句でうまりそうな心が、喜びに変えられます。  心が何かでいっぱいになっていると、他のことに気づけないことがあります。でも心に余裕がでたり、ゆったりできたりするようになると、今まで気づかなかったことに気づくようになります。ひたすら敵と戦ってきたダビデに、戦いのない時が訪れました。すると彼はあることに気づくのです。 9月14日(日)サムエル下七1〜4  神さまは、周囲の敵を退けてくださり、ダビデの生活に平和がやってきました。すると自分の住む家は大変立派なのに、神の箱はずっと仮の家の幕屋にあるままだと気づきました。そこで神さまへの感謝を思い、神の箱を置く立派な神様の住いを建てたいと思いました。 9月15日(月)サムエル下七4〜8  しかし神さまは、今まで誰にも私のために立派な住いを造りなさいと言われたことはありません。なぜなら神さまは、世界を造られたお方なので、人の手で造った家を必要とされないからです。神さまはイスラエルとずっと一緒にいて、人の中に住んでくださってきたからです。 9月16日(火)サムエル下七9〜11  小さな羊飼いだったのに、ダビデはイスラエルの王になりました。いつ戦いに行ってもダビデは勝利し、ついに敵がいなくなりました。全ては神さまが共におられたからです。これからもますますダビデは大いなる人となり、敵は退けられ、さらにはむしろ主が、ダビデのために家を造ると約束されました。  9月17日(水)サムエル下七12〜17  ダビデのために「家を造る」とはダビデの子や孫も王国を継ぐということです。そして神の家を建てるのは、ダビデの子だと言われました。ダビデ家の王座が長く続くのです。神さまが子孫たちを教えたり、過ちを叱ったりしながら、王国を導いてくださるのです。 9月18日(木)サムエル下七18〜21  神さまのすばらしい約束に、ダビデはびっくりして祈りました。「神さまにこんなに愛されるほど、私は立派でもないし、ふさわしくもないのに。子や孫の代まで考えてくださるとは。」神さまの恵みは豊かであふれています。   9月19日(金)サムエル下七22〜24  ダビデは神さまの太っ腹に強く心を打たれました。「神さまは偉大なお方です」と心から思いました。それほどまでにしていただける理由など自分にもイスラエルにもないことをダビデは知っていました。 9月20日(土)サムエル下七25〜29  神さまの約束はダビデの夢と希望になりました。そして約束を果たしてくださいと祈りました。それはずっと後にダビデの子孫からイエスさまがお生れになり、イエスさまによって私たちが幸いな神の国へ導いていただける希望だからです。  小学六年生の頃ふと読んだ聖書物語で、ダビデの犯した罪の話を知りました。とてもショックでした。ダビデがこんなことをしたとは。私にとってダビデはカッコいいヒーローで、信じる心の強い人のイメージでした。でも初めていい面ばかりではないダビデを知って、とても驚いたことを覚えています。 9月21日(日)サム下十一1〜5  部下たちが戦いに出ている頃、ダビデは昼寝から覚めて屋上を散歩していました。ダビデはそこで美しいウリヤの妻バテシバを見かけて、彼女を手に入れたいと思いました。そして人の奥さんであることを知っていながら彼女を宮殿に呼び寄せ、彼女を妊娠させてしまいました。 9月22日(月)サム下十一6〜13  ダビデは自分との関係でバテシバが妊娠したことをごまかすために、戦場にいた夫のウリヤを呼び寄せました。あの手この手でウリヤを家に帰らせようとしましたが、ウリヤは戦場にいる仲間を思い、家に帰ろうとしませんでした。ダビデの計画は上手くいきませんでした。 9月23日(火)サムエル下七14〜27  そこでダビデは戦争の最も激しい場所にウリヤを送り、戦死させたのです。そしてダビデはバテシバを自分の奥さんとして迎えました。彼女は男の子を産みました。あなたはダビデのしたことをどう思いますか?神さまは彼のしたことを見過ごされませんでした。 9月24日(水)サム下十二1〜6  預言者ナタンがやってきてダビデにこんな話をします。「何でも持っている金持ちが、旅人をもてなすのに、自分の家にある家畜を惜しんで、貧しい人のたった一頭の小羊を取りあげてもてなしました。」ダビデは怒ってそんな悪いやつは死刑にすべきだと言いました。 9月25日(木)サム下十二7〜14  「あなたがその人です。」「あなたがウリヤを殺し、妻を取りあげて自分のものにした。それは主の言葉を軽んじたのだ」というナタンの言葉に、ダビデは頭をがつんと殴られたような気持ちになりました。「わたしは罪を犯しました。」ダビデはただ悔いるばかりでした。    9月26日(金)サム下十二15〜25  ダビデは神さまに赦されますが、生まれた子どもは病気にかかり死んでしまいました。ダビデは必死で祈り願いましたが、願いは聞き入れられませんでした。 9月27日(土)詩篇第五一1〜10  ダビデは、ナタンの言葉に始めて自分がしたことの恐ろしさに気づきました。「私の罪を清めてください。私がもうこんな罪を犯さないよう、わたしの中に清い心をつくってください。」と心から祈りました。私たちも神さまの憐れみによって赦しをいただかなければやっていけない者たちです。  もし自分が羊だったら…。想像してみてください。学校に行かないですむ!宿題がない!テストもないし、勉強しなくてもいいし、楽でいいなあ。でももし飼い主が、面倒だからと草も水も与えてくれなかったらどうでしょう。ゲームや携帯も使えなくて、大丈夫でしょうか? 9月28日(日)詩篇二三1  この詩をうたったダビデは、もともと羊飼いをしていました。自分が羊を大事にし、世話をして守っていたので、神さまもそのように、私たちを面倒見てくださるお方だと感じていました。面倒だからと手を抜かなのです。だから私たちには不足がいろいろあっても、神さまが大丈夫なように助けてくださいます。 9月29日(月)詩篇二三2  イスラエルの羊飼いは、砂漠のような草があまり生えていない場所を歩いて、草のある場所まで羊たちを案内します。水を飲ませて安心させてくれます。神さまも、私たちにとってまるで青草がなかなか探せない危機的な時も、ちゃんと面倒みて、青草へ辿り着かせてくださいます。   9月30日(火)詩篇二三3  おいしい青草とたっぷりの水で羊は元気になります。神さまは、私たちが元気のでないような時、大変なことが続く時、心に力を与えて生きることを助けてくださいます。また私たちが進むのに良い道を教えてくださり、前に進ませてくださるのです。 10月1日(水)詩篇二三4  暗闇で何も見えない谷には恐いい獣が潜んでいるかもしれません。臆病で目の悪い羊は、前に進めなくなってしまいます。だから羊飼いはむちで獣を追い払い、また崖に落ちそうな時は杖の先に羊の首を引っかけて羊飼いの側に引き寄せて守ります。神さまの守りは、先の見えない辛い時も共にいて、そこを通り抜けさせてくださいます。 10月2日(木)詩篇二三5  神さまは、敵から逃れてきた人を見捨てず、家の中に迎え入れて、ごちそうでもてなしてくださるようなお方です。そのもてなしは気前良くあふれるほどです。それほどに、神さまは私たちを心も体も「もう十分いただきました」と言わせてくださるお方です。 10月3日(金)詩篇二三6  ダビデの人生は、命を狙われて追いかけられ、逃げながら隠れて生活することが多くありました。けれどもどんな苦しみをも越えるほどの神さまのいつくしみと恵みがダビデをずっと追いかけていました。苦しみも神さまの賛美となりました。 10月4日(土)マタイ六25〜34  私たちの生活にはあれがない、これがないと思い悩むことがつきません。物も、自分の能力も。でも神さまは私たちのすべての必要を知っていて、満たしてくださると言われました。神さま、ありがとうございます。