今年も教会で神さまを礼拝しましょう。みんなの教会は小さいかもしれません。子どもの数も少ないかもしれません。けれども、知っていてください。日本中に今日もかみさまを賛美する仲間がたくさんいます。世界中にこの日曜日にも神さまにお祈りをしているお友だちがたくさんいるのです。  その仲間の多くとは、たぶん一生会うことはないでしょう。けれども、やがてイエスさまが来られて、私たちが天国に集められるとき、私たちはそんな数え切れないほどたくさんの仲間と会い、一緒に神さまを賛美するのです。    ◇  ◆  ◇ 1月5日(日)出エジ一1〜7 ヤコブとその子どもたちがエジプトに行ったときには七十人でしたが、その子孫はどんどん増えていき、強くなり、エジプトの国に満ちていきました。神さまが祝福してくださったからです。 1月6日(月)出エジ一8〜14 エジプトの王さまはイスラエル人がどんどん増えていくので、怖くなっていきました。イスラエルに意地悪をし、奴隷にしてこき使いました。それでも、イスラエルの人たちは増えていきました。    ◇  ◆  ◇ 1月7日(火)出エジ一15〜22 エジプトの王さまは、イスラエルの家に男の赤ちゃんが生まれたら全部殺すようにと助産婦たち(赤ちゃんが生まれるときに助けてくれる人)に命令します。でも助産婦たちはしませんでした。民はますます増えて強くなりました。    ◇  ◆  ◇ 1月8日(水)出エジ二1〜10 男の子が生まれたら全部ナイル川に投げこめと命令が出ます。モーセの両親も赤ちゃんを植物を編んで作った籠にいれてナイル川に置きました。ところがパロの娘がモーセを助けて自分の子どものようにして育てたのでした。神さまは不思議な事を始めておられました。 1月9日(木)詩篇三1〜8 この詩篇を書いた人は敵に囲まれていました。多くの人たちがこの作者にひどいことをしようとしていました。けれども、この作者が叫ぶとき、神さまはその叫びを聞いてくださいました。まさに神さまがこの作者を囲んで守っていてくださったのです。    ◇  ◆  ◇ 1月10日(金)詩篇四1〜8 神さまは私たちが悩みや苦しみの中で祈り、声を上げるときに、聞いていてくださいます。そして私たちの心に平安と喜びを与えてくださるのです。    ◇  ◆  ◇ 1月11日(土)詩篇五1〜12 朝ごとに神さまに近づく中で神さまは朝ごとにその叫びを聞いていてくださいました。悪いことをしている人が力を持ち、何でも自由にしているように見えることもあります。けれども、神さまは、神さまに頼り、正しく歩む人を祝福してくださるのです。 明日は成人の日です。二十歳の人をお祝いする日です。皆さんは二十歳の人を見てどんな風に思いますか。すごく大人だなあと思いますか。自分もいつかはなるけれど、まだまだだなと思うでしょうか。でも、結構あっという間に二十歳になってしまうものです。自分は二十歳になった時に、どんな大人になっているでしょうか。どうか夢をもってください。でも夢だけでは困ります。夢を実現するためには今から一歩一歩努力することが大切なのです。    ◇  ◆  ◇ 1月12日(日)出エジ二11〜15 モーセは、自分の力でエジプト人を倒して、ヘブル人(イスラエル人)を救うのだ、と燃える思いを持っていました。でも、人々はモーセのことを受け入れてくれませんでした。モーセの人間の力ではヘブル人を救うことはできなかったのです。 1月13日(月)出エジ二15〜24 モーセはパロを恐れて逃げて、ミデアンの地に来ます。そして、そこで結婚し、羊飼いになりました。そんな時にもイスラエル人はとても苦しい時を過ごしていました。そして神さまは彼らの叫びを聞いておられました。    ◇  ◆  ◇ 1月14日(火)出エジ三1〜6 実はこの時、モーセはミデアンで四十年を過ごし、八十歳になっていました。神さまは羊を飼っていたモーセに、燃えるしばの中から声をかけられました。そして、モーセはこの神さまの前にくつを脱いで礼拝したのでした。    ◇  ◆  ◇ 1月15日(水)出エジ三7〜12 神さまはモーセをエジプトからイスラエルを救い出すために遣わそうとおっしゃいました。モーセはとんでもない!と思います。けれども神さまは「わたしは必ずあなたと共にいる」と約束してくださったのでした。・ 1月16日(木)出エジ三13〜22 神さまはご自分のことを「有って有る者」とおっしゃいました。神さまは何がなくても、いつでも「いる」お方、すべてのものを生かすお方だということです。こmのお方が、イスラエルをエジプトから救い出し、乳と蜜の流れる豊かな地に導くとおっしゃるのです。    ◇  ◆  ◇ 1月17日(金)出エジ四1〜9 モーセはそれでも自信がありません。イスラエルの人たちは自分の言うことなんか聞いてくれない・・・モーセの中には恐れがありました。神さまはモーセに不思議な事をする力をくださいました。    ◇  ◆  ◇ 1月18日(土)出エジ四10〜20 自分は話が下手だし、他の人を・・・なおも言うモーセを神さまは叱られました。あなたに口を与えたのは誰か。そう、神さまですよね。そしてまた神さまは助け手としてお兄さんのアロンを与えてくださいました。 神さまはモーセに特別な使命を与えられました。神さまは今、これを読んでいるみんなにも、特別なお仕事を用意しておられます。それは有名人になるとか、大きな教会の牧師になるとかということではないかもしれません。でも、それはあなたにしか頼めないような特別な仕事なのです。あなたが小さい時に、教会に来て、神さまのことを知ったということの中にはとても大切な意味があります。神さまのご計画があります。神さまは皆さんのためにとてもすばらしいプランを考えておられるのです。    ◇  ◆  ◇ 1月19日(日)出エジ七1〜23 モーセは神さまに従ってエジプトに戻りました。でも神さまは、パロ王さまが頑固で、モーセの言うことを聞いてくれないことも知っておられました。でも神さまはそれを越えて大きな事をしようとしておられたのです。 1月20日(月)出エジ八1〜32 この章にはかえるの災い、ぶよの災い、あぶの災いについて書かれています。エジプトの魔術師たちにはモーセのまねはできませんでした。いのちを与えることは神さまにしかできないからです。パロ王さまは災いがなくなると、すぐに心を変えて頑固になってしまいました。    ◇  ◆  ◇ 1月21日(火)出エジ九1〜33 この章には家畜の病気、はれものの災い、大きな雹の災い(氷の塊が空から降ってきたのです)が出て来ます。パロは今度も一度はイスラエルを自由にすると言いながら、すぐに心を変えたのでした。    ◇  ◆  ◇ 1月22日(水)出エジ十1〜29 この章ではいなごの災い、そして暗闇の災いが出て来ます。それだけ大変なことが次々に起こっても、それでもパロは素直になって、神さまの言うとおりにしなかったのでした。 1月23日(木)出エジ十一1〜10 さて十番目の災いが近づいています。モーセはパロ王さまのところに行って、どんな災いが来るかを話して警告しました。悔い改める最後のチャンスです。でもパロはイスラエルを自由にしませんでした。    ◇  ◆  ◇ 1月24日(金)出エジ十二1〜51 エジプト中の最初に生まれた男の子が死ぬという恐ろしい災いが来る時に、イスラエルの民にはしておかなければならないことがありました。小羊を殺して、その血を家の扉の両側と上に塗っておくということです。その血は後で生まれるイエスさまのことを指し示していました。    ◇  ◆  ◇ 1月25日(土)出エジ十三1〜16 エジプト中の初子が死んだその日、イスラエルの民はエジプトから脱出しました。誰もできなかったことを、主はその強い手をもってそのことをしてくださったのです。 エジプトから出たその日に、小羊を殺してその血を家の入り口の両側と上に塗ったことをイスラエルの民は忘れませんでした。そして神さまに言われたように、同じように小羊を殺してその血を塗ったのです。それは神さまがあのエジプトで奴隷だったところから自分たちを救い出してくださったことを忘れないためでした。そしてイスラエルの民が救われるために小羊の血が流されなければならなかったように、私たちが罪の力から自由になるために、イエスさまが十字架の上で、その血を流してくださったのです。    ◇  ◆  ◇ 1月26日(日)出エジ十三17〜22 イスラエルの民は二百万にもなったと言われています。武器はなかったでしょう。その中には子どももお年寄りもいました。でも神さまが昼も夜も一緒にいてイスラエルの民を守ってくださったのです。 1月27日(月)出エジ十四1〜9 イスラエルの人たちは意気揚々と大喜びでエジプトから出て来ました。けれども、やっぱりイスラエル人を自由にするのではなかったと、またエジプトの軍隊が追ってきました。でも、神さまが一緒だったら大丈夫ですよ。    ◇  ◆  ◇ 1月28日(火)出エジ十四10〜18 イスラエルの人たちはエジプトの軍隊を見た時にもうだめだ!死んでしまう!と叫びました。でも神さまはそこで戦われる主を、そして主がしてくださる救いを見るようにとおっしゃったのでした。    ◇  ◆  ◇ 1月29日(水)出エジ十四19〜31 その時起こったことは誰も予測していなかったことでした。そんなこと誰が考えられたでしょうか。普通に考えたらイスラエルはもうおしまいです。でも神さまは信じられないようなことをしてくださいました。海の中に道ができたのです。 1月30日(木)出エジ十五1〜18 イスラエルの民は心から神さまを賛美し、神さまのしてくださった大きな救いを喜びました。確かにエジプトは強かったし、イスラエルは弱かったのです。しかし、主の右の手はエジプトの精鋭部隊よりもはるかに強かったのです。    ◇  ◆  ◇ 1月31日(金)出エジ十五19〜21 モーセやアロンのお姉さんのミリアムもタンパリンをたたいて神さまを賛美しました。他の女の人たちも声と心を合わせて一緒に賛美しました。あなたも楽器で神さまを賛美することがあるでしょうか。    ◇  ◆  ◇ 2月1日(土)出エジ十五22〜27 すばらしい神さまの救いを経験したイスラエルの民は三日後に、水が苦くて飲めないとつぶやきました。大丈夫、神さまはちゃんと助けてくださる、というように信じることができなかったのです。そして、神さまはちゃんと飲み水をくださったのです。 私たちは何かよいことがあると、神さまありがとう!と感謝しますが、すぐに慣れっこになって、何か何でも当たり前のように思って、感謝することを忘れてしまうことがあります。お父さんがいること、お母さんがいること、兄弟がいること、姉妹がいること、お友だち、学校、今日もおいしいごはんが食べられること、住む家があること、神さまを知っていること、賛美ができること・・・他にもたくさんあるはずです。それなのに感謝することを忘れて文句ばかり言っていたらとても残念ですね。ぜひ今週、神さまからいただいているものを一つ一つ感謝してみましょう。    ◇  ◆  ◇ 2月2日(日)出エジ十六1〜8 イスラエルの人たちは食べるものがないと文句を言い始めました。神さまはちゃんとイスラエルの人たちのことを心配してくださっていたのにね。 2月3日(月)出エジ十六9〜21 夕方にはうずらがたくさん飛んできました。朝になると白いものがたくさん家の周りにありました。それは神さまがイスラエルの人たちのために用意してくださった特別なパンでした。明日の分は集めなくていいのです。毎日、そのパンは与えられたからです。    ◇  ◆  ◇ 2月4日(火)出エジ十六22〜30 六日目には二倍の量を集めることになっていました。七日目は安息日で、その日は神さまを礼拝する日です。その日は天からのパンはありませんでした。神さまはイスラエルの人たちがちゃんと休んで神さまの前に出ることができるようにしてくださったのです。    ◇  ◆  ◇ 2月5日(水)出エジ十六31〜35 イスラエルの人たちは「これ何?(マナ)」と言いました。そこでその食べ物はマナという名前になりました。神さまは四十年間ずっとこのマナをくださったのです。 2月6日(木)出エジ十七1〜7 レピデムまで来た時、そこには飲む水がありませんでした。イスラエルの人たちは文句を言って、モーセに石を投げて殺そうとしました。モーセはそのような中で、神さまに声を上げて叫びました。そして神さまは岩から水を出させてくださいました。    ◇  ◆  ◇ 2月7日(金)マタイ六9〜13 私たちは毎日、わたしたちの日ごとの食物を、と祈ります。ごはんが食べられるのは当たり前のことではありません。今日もお与えください、と祈る中で、それもまた神さまの恵みによって与えられているものであることを告白するのです。    ◇  ◆  ◇ 2月8日(土)マタイ六25〜34 空の鳥も野の花も何も心配しません。文句を言いません。でも神さまがちゃんと一羽の小鳥のことを一輪の花のことを心配してくださっているのです。 お祈りって好きですか。一人だといいけど、みんなの前でお祈りするのは苦手って言う人が時々います。でもね、お祈りはみんなを感動させたり、うならせるためのものではありません。下手でもいいのです。教会では、みんながあなたのお祈りに心を合わせて、アーメンと言います。「その通りです」という意味です。  一人で静かにお祈りすることもあります。神さまはとりでお祈りする時にもちゃんと聞いていてくださいますよ。上手いとか下手とかいうのではなく、自分の思いをそのままお祈りしましょう。    ◇  ◆  ◇ 2月9日(日)出エジ十七8〜16 アマレクとの戦いが起きました。モーセは丘の上に上って、そこで手を上げてお祈りをしました。アロンとホルもモーセを助けました。神さまはお祈りに答えて勝利を与えてくださいました。 2月10日(月)出エジ十八1〜12 実家に帰っていたモーセの奥さんと子どもたちが戻ってきました。しゅうと(奥さんのお父さん)のエテロも一緒です。エテロは神さまがしてくださったことを見て、心から神さまをたたえました。    ◇  ◆  ◇ 2月11日(火)出エジ十八13〜26 エテロはモーセの仕事を見て、モーセに注意し、アドバイスをしました。モーセが一人で全部をやっていたからです。モーセはエテロの意見を受け入れて、自分を助けてくれる千人の長・百人の長・十人の長を立てて、みんなで仕事をすることにしました。    ◇  ◆  ◇ 2月12日(水)出エジ十九1〜6 イスラエルの民はシナイの荒野に来ました。この山で神さまはイスラエルの人たちにとても大切な事を教えようとしておられました。神さまはモーセを通して、わたしの声に聞き従うようにとおっしゃいました。 2月13日(木)出エジ十九7〜9 イスラエルの人たちはモーセに、主の言われることをみな行います、と答えました。聞いてから考えますとか、好きなことだけ従います、ではありません。これから神さまおっしゃること何でもみんな従うという決心をしたのです。    ◇  ◆  ◇ 2月14日(金)出エジ十九10〜15 神さまは三日目にシナイ山に下るとおっしゃいました。そこでイスラエルの人たちは神さまとお会いし、神さまを礼はする準備をしました。聖なる神さまにお会いするためには準備がいるのです。    ◇  ◆  ◇ 2月15日(土)出エジ十九16〜25 雲と雷の中、シナイ山に神さまが下られました。モーセは山の上で、神さまとお話をしました。神さまはモーセとアロン以外の人が山に登ってこないようにと警告されました。でもね、今はイエスさまの救いがあるので、私たちも神さまに近づくことができるのです。 十戒は時代が変わり、国が変わっても変わらない、とても大切な十の戒めです。神さまがどのような生き方を私たちに求めておられるのか、十戒を読むと分かってきます。  けれども、本当に十戒の心を理解してそれを守るというのは決してやさしいことではありません。神さまは人に見えるところで私たちが何をするかというだけでなく、私たちの心の中を見ておられるからです。    ◇  ◆  ◇ 2月16日(日)出エジ二十1〜2 この部分は十戒の前文です。十の戒めの大前提にあるものです。神さまは一生懸命これを守ったら救ってあげるからねとおっしゃったのではないのです。神さまがあのエジプトで奴隷であったところからイスラエルを救ってくださった、だから救ってくださった神さまの御心を行うのです。 2月17日(月)出エジ二十3 エジプトの国にも、それからこれからイスラエルの人たちが行こうとしているカナンの地にもたくさんの神さまがありました。でも、神さまは、私の他には神はないのだとおっしゃるのです。    ◇  ◆  ◇ 2月18日(火)出エジ二十4〜6 人は見える神さまが欲しくていろいろな形の神さまを作りました。でも人に作られたもの、目に見えるものは神さまではありません。神さまは、本当の神さまを愛する人を千代までも祝福してくださいます。    ◇  ◆  ◇ 2月19日(水)出エジ二十7 神さまのお名前を遊びに使ってはいけません。神さまをばかにしたり、神さまを礼拝するときにふざけてはいけません。どんなに子どもでもふざけてはいけないときがあります。私たちを救ってくださったこの神さまは聖なるお方だからです。 2月20日(木)出エジ二十8〜11 安息日は一週間の七日目です。イスラエルの人たちは土曜日に安息日を守り、神さまのものとして、神さまを礼拝し、その日を大切に過ごしました。私たちにとっては日曜日がその日ですね。    ◇  ◆  ◇ 2月21日(金)出エジ二十12〜17 これが十戒の第五戒から第十戒で、人間関係に関する戒めになります。まず神さまに感謝し、神さまを礼拝し、神さまを愛する生活が先で、それがしっかりしてくると、その後が続いてくるのです。    ◇  ◆  ◇ 2月22日(土)出エジ二十18〜25 神さまがモーセと語られる様子を遠く離れて見ながら、イスラエルの人たちは震え上がっていました。これ以上神さまのことを見たら、その声を聞いたら、近づいたら、死んでしまうと思ったのです。神さまはモーセに、この神さま以外にどんな神さまも作ってはいけないとまたおっしゃいました。 私たちは神さまがイスラエルの民のためにしてくださったものすごい奇跡のことを知りました。またイスラエルの人たちが雷と雲の中に神さまがシナイ山に下られたのを見たのも学びました。そんなすごい神さまを知ったのだから、イスラエル人たちは神さまに感謝し、神さまを信じ、従ったに違いない、と思います。しかし、現実は違いました。イスラエルの人たちはすぐに自分で判断し、神さまの言葉を無視していきます。でも私たちもイスラエルの人たちのことを笑っておられないかもしれませんね。    ◇  ◆  ◇ 2月23日(日)出エジ三二1〜6 モーセはシナイ山に登り、何日も戻って来ませんでした。神さまはそこでモーセにとても大事な話をしておられたのです。でもモーセ、死んじゃったかも、心配になったイスラエルの人たちは金の子牛を造ってそれを拝んだのです。 2月24日(月)出エジ三二7〜14 神さまは偶像を造って、早くも神さまのお嫌いになることをしたイスラエルの民を滅ぼすと言われました。けれどもその時、モーセはイスラエルのために神さまにとりなしの祈りをしたのでした。神さまはモーセの祈りをお聞きになりました。    ◇  ◆  ◇ 2月25日(火)出エジ三二15〜29 モーセは急いで山から下りていきました。そして子牛を拝んで大騒ぎをしているイスラエルの人たちを見ました。モーセは神さまの怒りを神さまと一緒に感じ、神さまと一緒に怒ったのでした。    ◇  ◆  ◇ 2月26日(水)出エジ三二30〜35 モーセは次の日、もう一度神さまのところに戻ります。そして、そこでイスラエルの人たちのためにお祈りしました。そこでモーセは人々の罪を告白し、自分の体を張るようにして神さまのゆるしを求めたのでした。 2月27日(木)出エジ三三1〜11 神さまはモーセのお祈りを聞いて、民を滅ぼすのをやめられました。でも、神さまはイスラエルの民は頑固なので、自分はお前たちとは一緒に行けない、とおっしゃいました。イスラエルの人たちは本当に悲しい気持ちになりました。    ◇  ◆  ◇ 2月28日(金)出エジ三三12〜23 モーセはまた神さまの前に出ます。そして、神さまあなたが一緒に行ってくださらないのでしたら、ここからどこにも行かせないでください、と祈るのでした。そして神さまも、わたし自身が一緒に行く、と約束してくださったのです。    ◇  ◆  ◇ 3月1日(土)出エジ三四1〜10 モーセは前と同じような石の板を持って神さまのところに上ります。そこにまた十戒を刻んでいただくためです。神さまはもう一度イスラエルの民と約束を結ばれました。神さまが一緒に行ってくださることが何よりの力・祝福なのです。 3月です。もうすぐ新しい年度を迎えます。学校を卒業して、新しい学校に行こうとしている人たちもいるでしょうね。今まで行ったことのない新しいところに入って行くということは楽しみもいっぱいですが、同時に大丈夫かなあ・・・とちょっと心配にもなることでしょう。でも知っていてください。神さまはあなたがどこに行く時にもあなたと一緒にいてくださいます。神さまはあなたのためにすばらしいところを用意してくださっているのです。    ◇  ◆  ◇ 3月2日(日)民数記十三1〜24 それぞれの部族からひとりで十二人がスパイとしてカナンの地に入って行きました。そこがどんな土地で、どんな人たちが住んでいるのかを調べに行ったのです。そこは本当にすばらしいところでした。神さまは本当に豊かな地を用意してくださっていたのです。 3月3日(月)民数記十三25〜33 けれども、そこには強く、体の大きな人たちが住んでいました。町には高い城壁がそびえていました。十二人のうちの十人は、あんなところには行けないと言いました。でもカレブは、私たちは必ず勝てます、と言いました。神さまを信じていたからです。    ◇  ◆  ◇ 3月4日(火)民数記十四1〜10 イスラエルの人たちは報告を聞いて、もうだめだ!と泣きました。でもヨシュアとカレブは、神さまはそのすばらしい地を必ずくださるから神さまに従おう、と言いました。    ◇  ◆  ◇ 3月5日(水)民数記十四11〜19 神さまは民が文句を言っているのをお聞きになって、神さまを信じないで馬鹿にしているイスラエルの民を滅ぼすとおっしゃいました。この時もモーセは神さまの前に近づいて「この民の罪をおゆるしください」とお祈りしました。 3月6日(木)民数記十四20〜25 神さまはこの時もモーセのお祈りを聞いてくださいました。けれども、その時に神さまを信じないで文句を言っていた人たちは誰も神さまが約束してくださったすばらしい地に入って行くことはできませんでした。    ◇  ◆  ◇ 3月7日(金)民数記十四26〜38 この時に二十歳以上だった人たちは誰も約束の地に入ることはできませんでした。そしてこれから四十年イスラエルの人たちは荒野をさまようことになります。約束の地に入ることができたのは、神さまを信じたヨシュアとカレブだけでした。    ◇  ◆  ◇ 3月8日(土)民数記十四39〜45 イスラエルの人たちは神さまを信じなかったことを後悔しました。そして神さまがダメだとおっしゃったのに、約束の地に攻めて行き、そしてさんざんにやられてしまいました。遅すぎたのです。 さて四十年がたちました。あのとき、神さまを信じないで文句を言った人たちはみんな死んでしまいました。モーセも百二十歳になりました。神さまはモーセに、あなたはここでおしまい、と言われていました。お別れの時が近づいていました。モーセは死ぬ前に、これから約束の地に入って行こうとしているイスラエルの人たちに、もう一度神さまのことを話しました。これはモーセの大事な大事な遺言でした。    ◇  ◆  ◇ 3月9日(日)申命記四1〜8 モーセはもう一度イスラエルの民を集めて、彼らに神さまがイスラエルのことを思って与えられた律法を教え、それを守るようにと言います。神さまはすばらしいお方です。自分たちがお祈りする時に、いつも近くにいてくださり、私たちの進むべき道を示してくださるからです。 3月10日(月)申命記六1〜9 主イエスさまが、一番大切な戒めとして引用されたのはこの申命記六4〜5の御言でした。いろいろな律法があっても、その中心は、きまりを守ればいいということではなく、神さまを愛して生きる、ということなのです。    ◇  ◆  ◇ 3月11日(火)申命記八1〜10 荒野の四十年間はそもそもイスラエルの罪から始まりました。けれども神さまは、その四十年間を用いてイスラエルの民を訓練なさったのです。そして、イスラエルの民はその四十年間の荒野の生活を通して真実で恵み深い神さまを経験していったのでした。    ◇  ◆  ◇ 3月12日(水)申命記三一1〜8 モーセは話の終わりに、自分がもう死ぬこと、ヨルダン川を渡ってカナンの地に入ることはできないことを語ります。そしてみんなの前でヨシュアを呼び、神さまの言われるように彼を励ましました。 3月13日(木)申命記三四1〜12 モーセはピスガの山に登り、遠く約束の地を見渡します。モーセはまだまだ元気でした。でも、そこでモーセはヨシュアにバトンタッチしなければなりませんでした。モーセは自分も、イスラエルの将来も神さまにゆだねて、いこの地上の生涯を終えるのでした。    ◇  ◆  ◇ 3月14日(金)ヨシュア一1〜9 モーセが死んだ後、神さまはヨシュアに語り、モーセと共にいたようにあなたと共にいる、と約束してくださいました。雄々しくあれ、強くあれ、主が共におられる。ヨシュアはどんなにうれしかったことでしょうね。    ◇  ◆  ◇ 3月15日(土)ヨシュア一10〜18 ルベンとガドとマナセの半部族はヨルダン川の東側に土地を与えられていました。もう自分たちの土地があったのです。でも他のみんなの住む場所が決まるまでこの人たちも戦いに参加しました。 エジプトを出たときに二十歳以上だった人たちはヨシュアとカレブ以外はみんな死んでしまいました。今はその子どもたち、孫たちの時代です。モーセも死んで、ヨシュアがリーダーです。みんなも今は子どもかもしれません。でも必ずみんなの時代が来ます。ですから大人の人たちが神さまを信じてどんな風に生きているかをしっかり見ていて下さい。そして知ってください。神さまはみなさんのお父さんやお母さんと一緒にいてくださるように、必ずみんなとも一緒にいてくださいます。    ◇  ◆  ◇ 3月16日(日)ヨシュア二1〜7 神さまが約束されたカナンの地の最初の町はエリコです。ヨシュアはエリコに二人のスパイを送り込みました。でもスパイたちが来たことがエリコの王さまにばれてしまいました。でも神さまはラハブを用意して二人を守られました。 3月17日(月)ヨシュア二8〜14 ラハブは二人のスパイたちに、エリコの人たちがどんなにイスラエルの人たちを、いえ、それ以上に、イスラエルの神さまのことを恐れているかを話しました。ラハブは、天でも地でも、イスラエルの神さまが本当の神さまだと言いました。    ◇  ◆  ◇ 3月18日(火)ヨシュア二15〜24 二人のスパイはラハブに、窓に赤いひもを結びつけておくようにと話します。その赤いひもの結ばれた部屋の中にいた人は助かるから、と二人は約束しました。ラハブはそおれを信じて、さっそく赤いひもを結びました。    ◇  ◆  ◇ 3月19日(水)ヨシュア三1〜17 カナンの地に入る前に、イスラエルの人たちはヨルダン川を渡らなければなりませんでした。でもヨルダン川には水がたくさん流れています。でも神さまはその水を止めて、乾いた道を造ってくださいました。 3月20日(木)ヨシュア四1〜10 神さまはヨシュアに川底にある大きな石を十二個持ってくるようにとおっしゃいました。十二の石が川底から持ってこられました。それはイスラエルの人たちが神さまのしてくださったことを忘れないための記念の石でした。    ◇  ◆  ◇ 3月21日(金)ヨシュア四11〜24 みんなが渡り終わってから、最後に主の箱をかついだ祭司たちがヨルダン川から上がってきました。するとまた上から水が流れてきて、もとのようにヨルダン川は水であふれました。神さまの手には本当に大きな力があったのです。    ◇  ◆  ◇ 3月22日(土)ヨシュア五1〜12 ヨルダン川を渡ったイスラエルの人たちは神さまの民であるしるしとして割礼という特別な儀式を受けました。そしてヨルダン川を渡ってから初めての過越の祭を祝いました。新しい時代が始まろうとしていました。 ヨシュア記には戦いの記事がたくさん出て来ます。私たちは直接誰かと戦うのではありません。私たちが今戦う相手は、目に見えない悪魔です。この悪魔は私たちの弱さを知っていて、実に巧妙に私たちを誘惑します。そして、私たちが神さまに背いて、罪を犯し、神さまから離れるようにと私たちに働きます。私たちは誰も悪魔の攻撃に対して大丈夫とは言えません。私たちが自分の力で悪魔に向かっていったらきっとやられてしまいます。でも、知って下さい。神さまは私たちと一緒にいて私たちに勝利を与えてくださいます。    ◇  ◆  ◇ 3月23日(日)ヨシュア五13〜15 ヨシュアはエリコに向かって立っていました。そこに向いた剣を持って立っている人がいました。その人こそがこの戦いの大将でした。ヨシュアはこの人の前にくつを脱ぎます。 3月24日(月)ヨシュア六1〜14 この大将は勝利を約束し、ヨシュアに作戦を授けます。祭司たちが先頭に立ち、戦いに向かう人たちが続いて一緒に毎日一回エリコの城を回るのです。七日目は七回です。不思議な作戦です。でもヨシュアは言われたように従いました。    ◇  ◆  ◇ 3月25日(火)ヨシュア六15〜27 七日目には町の周りを七回まわりました。そして神さまの言われたように大声で叫んだとき、エリコの町の城壁は全部崩れてしまいました。エリコの町で助かったのは赤いひもが結ばれた部屋にいた人たちだけでした。    ◇  ◆  ◇ 3月26日(水)ヨシュア七1〜9 次の戦いはアイでした。アイは小さな町です。でもその町との戦いでイスラエルは負けてしまいます。どうしたのでしょう。エリコの町の戦いの時に、取ってはいけないものを盗んで取ってしまった人がいたからでした。 3月27日(木)ヨシュア七10〜26 アカンは誰にもばれないだろうと思ったことでしょう。けれども神さまは知っておられました。一人くらい大丈夫だろうと思ったことでしょう。けれども一人の罪がイスラエルの民に大きな敗北をもたらしたのでした。    ◇  ◆  ◇ 3月28日(金)ヨシュア八1〜17 一度戦いに敗れてしまったイスラエルの民の中には大きな恐れがあったことでしょう。けれども、主はヨシュアに作戦を与え、またその地をあなたに与えると約束してくださったのでした。    ◇  ◆  ◇ 3月29日(土)ヨシュア八18〜35 イスラエルの民が向きを変えてやって来たときにアイの人たちはとても驚いたことでしょう。神さまが与えられた作戦の通りにしたイスラエル民は勝利します。人々は神さまを礼拝し、もう一度律法の言葉を読んで、神さまに従う決断をしたのでした。 三月も最後です。この四月から新しく中学生になったり、高校生になる人たちもいることでしょう。どうぞ知って下さい。教会には卒業式はありません。私たちは一生、神さまを信じて神さまを礼拝し続けていくのです。それはこの神さまが私たちを愛してくださったからです。私たちを愛してイエスさまをこの世に送り、私たちが信じるときに救われる道を開いてくださったからです。新しくまた一歩を踏み出そうとして皆さん。おめでとう。神さまはこれからも皆さんと一緒に行ってくださいます。    ◇  ◆  ◇ 3月30日(日)ヨシュア二三1〜13 ヨシュアも年をとりました。イスラエルの人たちはそれぞれ住むところを与えられて新しい生活を始めていました。けれどもヨシュアはもういちど みんなを集めて、神さまの御言を守るように勧めます。 3月31日(月)ヨシュア二三14〜16 ヨシュアはイスラエルの人たちに思い起こさせます。神さまが約束された良いことはみんな実現した。神さまが約束されのに、その通りにならなかったことは一つもありませんでした。神さまは真実なお方だからです。    ◇  ◆  ◇ 4月1日(火)ヨシュア二四1〜13 ヨシュアは自分たちに代々語り継がれてきた神さまの恵みの物語を語ります。最初自分たちの先祖のアブラハムのお父さんはまだ本当の神さまを知らなかった・・・そこから神さまはイスラエルの物語を始められたのです。    ◇  ◆  ◇ 4月2日(水)ヨシュア二四14〜18 確かに周りの国々ではいろいろな神さまが拝まれていました。けれどもヨシュアは、わたしとわたしの家とは主に仕えますと語り、イスラエルの人たちも同じように、神さまを信じ、このお方に仕えていく決心を新たにしたのでした。 4月3日(木)ヨシュア二四19〜26 ヨシュアはイスラエルの人たちがきっと神さまから離れていくだろうと思っています。そこで何度も念を押しながら、イスラエルの民を神さまに従う約束へと導いていったのでした。あなたも一生神さまを信じ、愛していく決断を今日してください。    ◇  ◆  ◇ 4月4日(金)ヨシュア二四27〜33 ヨシュアも一緒に歩んだ長老たちも死んで行きます。みなさんの中には自分のお父さんやお母さんがクリスチャンの人たちもいるでしょう。みなさんはやがてお父さんやお母さんから離れていきます。お父さんたちがいなくなっても神さまを信じ続けてください。    ◇  ◆  ◇ 4月5日(土)士師二6〜23 ヨシュアが死んでしばらくしてイスラエルの人たちは他の神さまを拝むようになります。けれどもそんなイスラエルを何とか導こうと神さまは働き続けられたのでした。