◇  ◆  ◇ 新学期が始まりました。新しく小学校、中学校に進学したみなさん、おめでとうございます。また一つずつ学年が上がったみなさん、うれしいですね。教室も教科書も、またクラスも変わって、新しい気持ちでスタートしておられることでしょう。ぜひ、お友だちをたくさん作って下さい。どんなお金や才能よりも、あなたのお友だちは大事な宝だからです。 4月7日(日)ヨハネ二十19〜23 イエスさまがよみがえられた日の夕方、弟子たちは部屋の中に集まって、ドアというドアに全部鍵をかけて隠れていました。けれども、イエスさまはそんな弟子たちの所に入って来て「安かれ」と声をかけてくださいました。そして、罪のゆるしの福音を弟子たちにゆだねて、「わたしもまたあながらたをつかわす」とおっしゃったのです。責任重大ですね。 4月8日(月)ヨハネ二十24〜29 トマスはそこにいませんでした。あとで他の仲間から、イエスさまがよみがえられたと聞いても、どうしても信じられません。けれどもイエスさまはそんなトマスにも近づいて、見て、確かめてではなく、「信じる者になりなさい」とおっしゃいました。 4月9日(火)ヨハネ二十30〜31 イエスさまが神の子、救い主です。ヨハネはみんながイエスさまを信じてほしいと思って、この福音書を書きました。信じる人は、永遠の命をいただくことができるからです。あなたはイエスさまを信じていますか。 4月10日(水)Tペテロ一1〜7 イエスさまが死を打ち破ってよみがえってくださったということは私たちたちにとって大きな希望です。この世でどんなに苦しいことがあっても、私たちには大きく確かな希望があるからです。 4月11日(木)Tペテロ一8〜12 私たちはイエスさまを見たことはありません。見ることはできません。でも私たちは、このお方を知っています。信じています。輝きに満ちた喜びを持っています。信じて、たましいの救いをいただいているからです。 4月12日(金)Tペテロ一13〜21 神さまは聖なるお方です。そして、私たちはやがて私たちのために十字架でその尊い血を流してくださったイエスさまを会うことを知っています。だから私たちは聖なる者として生きていくのです。 4月13日(土)Tペテロ一22〜25 目に見えるもの、この地上にあるものは全部変わって行きます。けれども、主の言葉は変わることがありません。ずっと残っていきます。私たちはこの御言葉を信じて新しく生まれました。だから私たちの救いもまた、変わることはありません。    ◇  ◆  ◇ イエスさまを信じるとはどういうことでしょう。それは、自分の罪を認めて、神さまにごめんなさい、とお祈りすることです。それは、イエスさまがあなたの罪を負って、十字架で身代わりになって死んでくださったからです。そしてイエスさまは三日目によみがえってくださいました。だから私たちは、神さまありがとうございます。あなたは私の救い主です、と祈ります。それが信じるということなのです。 4月14日(日)ヨハネ二一1〜8 弟子たちはエルサレムからガリラヤに帰って来ました。イエスさまがガリラヤに行くようにとおっしゃったからです。でもそこでペテロたちは、また漁をします。漁ならできると思ったでしょう。でも何もとれません。でもイエスさまはそんな弟子たちに近づいてくださいました。 4月15日(月)ヨハネ二一9〜14 イエスさまは先に炭火を起こし、朝ご飯を用意していてくださいました。大きな魚が一五三匹もとれました。イエスさまに従うということは本当にすばらしいことです。そして、弟子たちはよみがえられたイエスさまが用意してくださった朝ご飯を食べました。 4月16日(火)Tペテロ二1〜10 私たちはイエスさまを知りました。信じて神の民としていただきました。神さまの光の中に入れていただきました。だから、暗やみの中を歩むことはできません。 4月17日(水)Tペテロ二11〜12 私たちはこの世では旅人です。あくまでもよそ者です。なぜなら私たちは神さまの国の人にしていただいたからです。だから私たちは悪いことはやめて、正しいことをします。するとそれを見ている人たちは私たちの信じる神さまのことをすばらしいと言うでしょう。 4月18日(木)Tペテロ二13〜17 私たちはイエスさまによって救っていただいて、自由にしていただきました。自由というのは何でもしていいということではありません。神さまのしもべとして喜んで神さまに仕え、人々に仕える自由があるということです。 4月19日(金)Tペテロ二18〜25 私たちはイエスさまがどういう生き方をしておられたかをよく考えているべきです。それは私たちはイエスさまが生きて行かれたように生きるからです。罪を犯さず、仕返しをしたり、意地悪をしたりせず、しもべとして生きるのです。 4月20日(土)Tペテロ三1〜7 外見がきれいでかっこいいということは大事ではありません。どんなに見た目がよくて人気があっても、心の中が汚かったら、それが何になるでしょう。どうしたら心の美人になれるでしょうか。それをしてくださるのは神さまです。    ◇  ◆  ◇ イエスさまを信じると何が起こるでしょうか。あなたは救われます。救われるとはどういうことでしょうか。あなたの罪がゆるされます。あなたは神の子にされます。永遠の命が与えられます。あなたには天国が約束されます。  あなたががんばったら救われるよ、がんばったら天国に行けるかもよ、とういうことではありません。信じたけれども救われたかどうかは分からないというのでもありません。あなたは救われます。どうしてそんなことが言えるでしょうか。聖書にそう約束されているからです。 4月21日(日)ヨハネ二一15〜17 イエスさまはペテロ一人を呼び出して聞かれました。「あなたは私を愛するか」と三回も聞かれました。そしてペテロに、「私の羊を養いなさい」と大事なお仕事を任されたのでした。 4月22日(月)ヨハネ二一18〜23 イエスさまはペテロにこれからどんなことが待っているかを話されました。これからは大変なこと、苦しいこともあるだろう。でも「私に従って来なさい」。他の人のことは気にしなくていいのです。あなたもイエスさまにしたがってください。 4月23日(火)ヨハネ二一24〜25 イエスさまのなさったこと・おっしゃったことを全部書き記すことはできないでしょう。でもこの福音書でヨハネは大事なメッセージを書き記しました。そして書かれていることは本当です。本当にヨハネがそれを聞き、また見たからです。 4月24日(水)Tペテロ三8〜12 悪いことをしてきたり、悪口を言う人もいるでしょう。でも私たちは意地悪を仕返すのではなくて、その相手を祝福するのです。私たちはそのために救われたのです。 4月25日(木)Tペテロ三13〜22 正しいことをしていても馬鹿にされることがあります。けれども、大事なことがあります。私たちの目に見えなくても、いつもイエスさまが私たちの心の中にいてくださることを覚えて、心の中でキリストを主とあがめることです。 4月26日(金)Tペテロ四1〜6 悪いことを言ったり、したりする人はあなたも仲間にしたいと思うものです。けれども悪い誘いにのってはいけません。私たちは自分の欲や悪魔の思いではなく、神さまの御心に従って生きるのです。 4月27日(土)Tペテロ四7〜11 私たちはイエスさまが来られる時が近づいていることを覚えていなければなりません。そして人々を愛し、他の人たちの役に立つような生き方をするのです。神さまはあなたがそのように生きることができるように、すばらしい賜物を備えていてくださるからです。    ◇  ◆  ◇ あなたは何のためにイエスさまを信じるのでしょうか。イエスさまはあなたを何のために救ってくださるのでしょうか。あなたがかわいそうだから、地獄に行かないため・・・それもそうでしょう。でもそれだけではありません。神さまはあなたに大事なお仕事をゆだねたいと思っておられるのです。神さまがあなたに願っておられるのは、あなたがその口を通して、またイエスさまに救われたその生き方を通して、神さまのすばらしさをみんなにあらわしていくことなのです。 4月28日(日)使徒一1〜5 使徒行伝はルカによる福音書を書いたルカがテオピロに書いた教会の最初の頃の記録です。よみがえられたイエスさまは弟子たちにご自身を示され、また約束の聖霊が来てくださるまで待っているように命じられました。 4月29日(月)使徒一6〜8 イエスさまは弟子たちに聖霊が来てくださることを約束してくださいました。聖霊は私たちに力を与えてくださいます。私たちがイエスさまの証し人として世界中でイエスさまのことを証しする力です。 4月30日(火)使徒一9〜11 十字架にかかり、死んで、よみがえってくださった主イエスは、弟子たちが見ているところで天に帰っていかれました。そして、このイエスさまはやがて同じように雲に乗って帰って来られます。 5月1日(水)Tペテロ四12〜19 私たちが正しいことをしていても苦しむことがあります。それは何も恥じることがありません。またイエスさまのために苦しむことがあってもびっくりする必要はありません。知ってください。やがてイエスさまがもう一度来られる時に、その苦しみは喜びに変えられるのです。 5月2日(木)Tペテロ五1〜5 あれをしろ、これをしろと他の人にいいつけるよりも、まず大事なことは自分がお手本を示すことです。みなさんは自分よりも小さい人たち、自分が教会に誘った人たちのよいお手本になっているでしょうか。 5月3日(金)Tペテロ五6〜14 私たちの敵は悪魔です。そしてこの悪魔は私たちをやっつけようといつも狙っています。でも悪魔の言いなりになってはいけません。悪魔を怖がる必要もありません。あなたの神さまはあなたに力を与えて下さるからです。 5月4日(土)Uペテロ一1〜11 イエスさまを信じたら、あとは好きなことをしていようということでは困ります。もう罪の中にとどまるのではなく。もっと神さまのことを知って、もっと愛にあふれて、もっと神さまのお役に立つように歩んでいくのです。    ◇  ◆  ◇ 私たちはイエスさまを知ると、イエスさまを信じて神の子にしていただくとイエスさまのことをみんなに知ってほしいと思うようになります。けれども、私たちが自分の力でそれをしようとしてもうまくいかないでしょう。でもイエスさまは私たちに聖霊を約束してくださいました。聖霊は私たちに力をくださいます。それはけんかに勝つ力ではありません。イエスさまのことを証しする力です。私たちはこの口を使って神さまのことを話し、生き方によって神さまが生きておられることを示すのです。 5月5日(日)使徒一12〜14 オリブ山から下ってきた弟子たちは、エルサレムの町の中の一つの家の屋上の間(二階座敷)に集まってお祈りを始めました。イエスさまのお母さんや兄弟たちも一緒です。約束の聖霊を待ち望んで祈り始めたのです。 5月6日(月)使徒一15〜26 一二〇人の人たちが集まっている中でペテロが立ち上がり、イスカリオテのユダの代わりの十二人目の弟子を選びました。ペテロもそこにいた人たちもこのことが旧約聖書に約束されていたことであったことを知っていたからです。 5月7日(火)Uペテロ一12〜20 聖書の御言は暗やみに輝くともしびです。私たちを照らして、正しく導いてくれます。でも同時に聖書を自分の都合に合わせて利用してはいけません。聖霊が働いて書かれたものですから聖霊の導きの下で読むのです。 5月8日(水)Uペテロ二1〜22 イエスさまを信じて、罪赦され、神さまの恵みに生きるようになったら、元の汚れた生き方、神さまが嫌われる生き方に戻ってはいけません。あなたを愛しておられる主イエスのみこころの中を歩み続けてください。 5月9日(木)Uペテロ三1〜7 自分勝手な生き方を続けていたいと思う人たちは、「イエスさまが再臨されると言ったって、全然来ないじゃないか」と言って、悪いことを続け、自分の好きなことだけを続けるかもしれません。でもそれは間違いです。 5月10日(金)Uペテロ三8〜13 まだイエスさまが来ておられないのは、約束が遅れているのではなく、神さまの忍耐です。みんなが悔い改めるのを願ってずっと待っておられるのです。けれどもその日は必ずやって来ます。だからちゃんと準備をしておきましょう。 5月11日(土)Uペテロ三14〜18 私たちはイエスさまがまたおいでになる日を待ち望んでいます。だからいつイエスさまがおいでになっても喜んでお迎えできるように準備をしていたいと思います。そのために大切なのはイエスさまを信じ、従っていることです。    ◇  ◆  ◇ 聖霊は、私たちに何が罪であるかを教えてくれます。私たちは自分が間違っていることをなかなか認めることができません。でも、聖霊は私たちが素直になって神さまにごめんなさいと近づくことができるように力を与えてくださいます。また聖霊は何が正しいこと・神さまの喜んでくださることであるかを教えてくださいます。私たちはお祈りしながら聖書を読んでいると、聖霊が私たちが何をすればよいかを教えてくださるのです。大事なことは聖霊が教えてくださるとおりに生きることです。 5月12日(日)ヨハネ十四1〜3 私たちは心が騒ぐことがあります。いろいろなことがあって、心配で心配でたまらなくなることです。不安や恐れで心がいっぱいになることです。でもイエスさまは神を信じ、またわたしを信じなさいと言われたのです。 5月13日(月)ヨハネ十四4〜6 イエスさまは父なる神さまのみもとに行こうとしておられました。そして、私たちにも父なる神さまのところに、天国に行くことができるようにしてくださいました。そのためにイエスさま自身が道になってくださったのです。 5月14日(火)ヨハネ十四7〜11 イエスさまは、わたしを見た者は、父を見たのだ、とおっしゃいました。神さまは目に見えません。でもイエスさまはこの世に来てくださって、目に見えない神さまを目に見えるように表してくださったのです。 5月15日(水)ヨハネ十四12〜15 イエスさまを信じて生きていく人は、イエスさまが生きられたように生きます。ある意味、もっと大きな業をするようになります。イエスさまが父の御許に行って、私たちの祈りをかなえてくださるからです。 5月16日(木)ヨハネ十四16〜17 神さまがあたえあてくださる恵みの中でも最高のものは、いつも私たちといっしょにいてくださる助け主である聖霊を与えて下さるということです。聖霊はいつも私たちと一緒に、私たちのうちにいてくださいます。 5月17日(金)ヨハネ十四18〜24 イエスさまは私たちを見捨てられることはありません。私たちをひとりぼっちにすることもありません。私たちを愛していて、いつも私たちと一緒にいてくださるのです。 5月18日(土)ヨハネ十四25〜31 神さまは私たちのところに遣わしてくださる聖霊は、私たちの助け主です。私たちにイエスさまの言葉を思い起こさせることによって、私たちを助けてくださるのです。そして私たちの心にはイエスさまの中にあった平安がいっぱいになるのです。    ◇  ◆  ◇ 聖霊は私たちにイエスさまの言葉を思い起こさせてくださいます。ただ、聞いたことも読んだこともない聖書を思い起こす事はないでしょう。だから普段の時から、コツコツと聖書を読み続けていることが大切です。読んだ御言がずっと心にとどまっているように何度も読んだり、暗記するのもすばらしいことです。そうしているといざという時に、聖霊はその言葉を私たちの心に思い起こさせ、私たちが間違うことがないように、正しく歩むことができるように助けてくださいます。 5月19日(日)使徒二1〜4 五旬節(ペンテコステ)とは過越の祭のから五十日の祭で収穫感謝の時でもありました。世界中から人々がエルサレムに集まっていました。その日に、集まって祈っていた弟子たちに聖霊が下り、教会がスタートしたのです。 5月20日(月)使徒二5〜13 聖霊に満たされた弟子たちはいろいろな国の言葉で神さまのすばらしい御業を語り始めました。世界中からエルサレムに集まっていた人たちは自分たちの国の言葉で神さまのことを聞いてびっくりしました。 5月21日(火)使徒二14〜21 十二人の弟子たちは立ち上がり、ペテロが口を開いて人々に語りかけました。そして、旧約聖書のヨエル書で約束されていたことが今、起こっているのだということを宣言したのでした。 5月22日(水)使徒二22〜32 ペテロはイエスさまについて話し始めます。イエスさまが神さまから遣わされたお方であること、このお方が十字架につけられて死なれたこと、けれども死んで終わりではなく、ダビデが語っていたようによみがえられたこと、について大胆に語ったのでした。 5月23日(木)使徒二33〜36 ペテロは続けます。この旧約聖書に預言されたお方であり、イスラエルの人々が十字架につけて殺したイエス、けれども死を打ち破ってよみがえられたイエスが私たちの主であり、救い主なのです。 5月24日(金)使徒二37〜42 人々はその話を聞いていて、自分たちが何と恐ろしいことをしてしまったかに気づきました。そしてペテロに自分たちはどうしたらいいかと尋ねます。ペテロはみんなに悔い改め、イエスさまを信じて、バプテスマを受けるように勧めました。 5月25日(土)使徒二43〜47 イエスさまを信じた人たちはみんな集まって喜びとまごころをもって神さまを賛美し、心を一つにして礼拝しました。みんなが助け合って仲良くしていました。毎日毎日イエスさまを信じる人たちが増えていきました。    ◇  ◆  ◇ 聖霊はいつも私たちと共にいてくださいます。聖霊は神さまの思いを知っていて、私たちに教えてくださると共に、私たちのお祈りを助けて、私たちが祈るまずしい祈りを神さまの前に届けてくださいます。聖霊は私たちといつも一緒にいてくださる慰め主・助け主です。私たちはひとりぼっちに感じ、寂しく思うことがあるかもしれません。でも知ってください。あのペンテコステの日に集まって祈っていた人たちに注がれた聖霊はあなたにも注がれ、あなたとも一緒にいてくださいます。 5月26日(日)使徒三1〜10 美しの門に置かれていた生まれながら歩いたことのない人はペテロとヨハネからお金をもらいたいと思っていました。でもペテロはお金はないけれど、わたしにあるものをあげようと、イエスさまの力でこの人を歩けるようにしました。 5月27日(月)使徒三11〜16 この男は歩けるようになって、うれしくてうれしくてたまりません。ペテロたちのところから離れません。そこにびっくりした人たちが集まって来ました。ペテロはわたしの力ではない、イエスさまだ、と力強く語りました。 5月28日(火)使徒三17〜26 ペテロはイエスさまの十字架のことを語り、また復活のことを語りました。そして人々に、悔い改めて、本心にたちかえって、イエスさまを信じるようにと勧めたのでした。 5月29日(水)使徒四1〜12 この日だけで、五千人の男たちがイエスさまを信じました。女や子どもをいれたらもっとだったかもしれませんね。ペテロたちはつかまえられてしまいましたけれど、みんなの前に立って、この人の他には救いはない。イエスサムだけが救い主だ、と大胆に語りました。 5月30日(木)使徒四13〜22 ペテロとヨハネはさんざん脅され、イエスさまのことをもう話すな、と言われました。でもペテロとヨハネは自分たちは神さまに従わないといけない、自分の見たこと、聞いたことを語らないわけにはいかない、と言ったのでした。 5月31日(金)使徒四23〜31 ペテロとヨハネが帰ってきた時、教会の人たちは心を合わせてお祈りしました。そしてどんなに脅されても、思い切って大胆に御言を語ることができるようにお祈りしました。 6月1日(土)使徒四32〜37 イエスさまを信じた人たちは心を一つにし、また思いを一つにしていました。いろいろなものを持っている人たちは自分のものを持ってきて、みんなのために使いました。これはわたしのだから誰にもあげない、なんて誰も言わなかったのです。    ◇  ◆  ◇ 霊が私たちの心に語られる時に、その声を無視したり、逆らったりしてはいけません。聖霊はただのパワーではありません。人格をもった神です。ですから、私たちが神に従う時には喜ばれますし、私たちが神の思いと逆に行こうとすると悲しまれるのです。私たちは聖霊を怖がる必要はありません。でももし神さまの悲しまれることをしていることに気づいたらすぐに悔い改めることです。そして聖霊に力をいただいて悪魔に勝っていきましょう。 6月2日(日)使徒五1〜11 アナニヤとサッピラは土地を売って献金しました。でも二人で話し合って、その一部を全部だと嘘を言ってささげることに決めたのでした。人によく思われたかったのかもしれません。神さまはうそはお嫌いです。二人はそこで倒れて死んでしまいました。 6月3日(月)Tヨハネ一1〜4 ヨハネは教会に手紙を書きました。その手紙を読む人たちが喜びにあふれるためです。ただの喜びではありません。確かに生きて、私たちと一緒にいてくださる神さまの交わりの中に入れていただく喜びなのです。 6月4日(火)Tヨハネ一5〜10 神さまは光です。暗いところは少しもありません。でも私たちには暗いところがあるから、光の中に来ると罪が見えてきます。でも私たちが自分の罪を告白して悔い改める時に、神さまは私たちをゆるしきよめてくださるのです。 6月5日(水)Tヨハネ二1〜6 私たちはイエスさまを信じたら、イエスさまのように生きていくべきです。罪の中にとどまってはいけません。でももし私たちが失敗することがあっても、イエスさまは私たちのためにとりなしていてくださいます。 6月6日(木)Tヨハネ二7〜11 ここでヨハネは古くて新しい戒めを語ります。それは神さまの光の中に生きる人は、同じ神さまを信じている人を憎むはずはない。愛するはずだ。そして兄弟を愛する人はつまづくことはありません。 6月7日(金)Tヨハネ二12〜17 私たちは罪が赦され、神さまを知る者とされました。御言が心の中にあるので、悪魔に打ち勝つことができます。この世にあるものを愛し、この世にあるものにしばられて生きることはないのです。 6月8日(土)Tヨハネ二18〜29 うその教え、にせものの救い主もいろいろと出て来ていました。そういう人たちはイエスさまが救い主であることを認めません。そしてなんとか私たちをだまそうとします。ですから私たちは、神さまからいただいた油である聖霊が御言を通して教えてくださることに聞き従うことが大切です。    ◇  ◆  ◇ 聖霊は教会を導かれます。教会を建て上げてくださいます。イエスさまを信じている人が集まればそれが教会だというわけではありません。また立派な礼拝堂があればいいというわけでもありません。大勢の人たちがいるのがすばらしいというわけでもありません。聖霊がその教会の中に働いておられる時に、教会の中に悔い改めが起こり、また信じる人たちが加わってきます。聖霊によって導かれた教会は主イエスを宣べ伝えて行きます。 6月9日(日)使徒五12〜16 使徒たちの周りに次々と奇跡や不思議な事が起きていきました。イエスさまを信じる人たちが次々に起こされていきました。またイエスさまを信じない人たちでも、お弟子さんたちを尊敬していました。神さまが働いておられることがよく分かったのでしょうね。 6月10日(月)使徒五17〜20 神殿で奉仕をしていた大祭司やサドカイ人たちはいらいらしてとうとうお弟子さんたちを捕まえて牢屋に入れてしまいました。でも神さまは天使を遣わして彼らを救い出されました。 6月11日(火)使徒五21〜32 お弟子さんたちが牢屋からいなくなってしまったのを知ったみんなはびっくりしました。もう一度彼らを連れてきて議会に立たせます。ペテロたちは、神さまに従う方が大事です、と救い主イエスさまのことを伝えるのをやめませんでした。 6月12日(水)使徒五33〜42 議会にいた人たちは怒って弟子たちを殺そうとします。けれども議会のメンバーだったガマリエルは、このことは神から出たものかもしれない、と意見をしました。釈放された弟子たちはまた毎日、イエスさまのことを語り続けました。 6月13日(木)Tヨハネ三1〜3 私たちは神さまから大きな愛をいただいて神の子になりました。そして私たちはやがてイエスさまとお会いするという希望を与えられています。この希望があるから、私たちは自分をきよめるのです。 6月14日(金)Tヨハネ三4〜12 神さまによって生まれた人、神の子にしていただいた人は罪を犯し続けることはできません。同じようにイエスさまを信じて神の子になった人を心から愛するようになるのです。 6月15日(土)Tヨハネ三13〜24 イエスさまは私たちを愛して、私たちのために命を捨ててくださいました。イエスさまと出会って初めて私たちは愛ということを知りました。だから私たちも愛するのです。憐れみの心をもつのです。この愛は口先だけのものではありません。これはまさに命を捨てて愛する愛なのです。    ◇  ◆  ◇ 教会は仲よしクラブではありません。いろいろな人たちが集まっていますから、当然、そこで考え方が違う人たちややり方や好みが違う人たちが出て来ます。でもそれでいいのです。イエスさまを信じ、救われているということによってみんながつながっています。いらない人なんてひとりもいません。みんなが神さまに愛され、救われた兄弟姉妹だからです。 6月16日(日)使徒六1〜7 教会の中に問題が起こりました。ヘブル語をしゃべるユダヤ人と、ギリシャ語をしゃべるユダヤ人との間がぎくしゃくしてきたのです。けんかをしたり、悪口を言い合うのではなく、教会では一緒に祈り、話合いました。そして新しく七人のリーダーを選ぶことにしました。この人たちが食事のお世話をするようになって、教会はまたとても力強く成長していきました。 6月17日(月)Tヨハネ四1〜6 私たちの周りには本物だけではなく、いろいろな偽物や私たちを迷わすものがあります。だまされてはいけません。イエスさまは神さまではないとか、イエスさまがこの世に来て、十字架にかかって死んでくださったことを否定するのは、にせものです。 6月18日(火)Tヨハネ四7〜12 私たちではなく、神さまが私たちを愛してくださったのです。そして、イエスさまをこの世に遣わして、私たちのために救いを備えてくださったのです。そして神さまの愛を知った私たちは他の人も愛するのです。 6月19日(水)Tヨハネ四13〜21 見えない神さまを愛する人は、見える兄弟姉妹のことを愛します。そうでなかったらうそです。神さまが私たちを愛して、聖霊によって、私たちの心の中に住んでてくださるからです。 6月20日(木)Tヨハネ五1〜12 世は私たちをだまし、迷わし、神さまから引き離そうとするでしょう。けれども恐れる必要はありません。主イエスを信じて神さまから生まれた人は悪魔の力に勝つことができます。イエスさまが一緒にいてくださるからです。 6月21日(金)Tヨハネ五13〜17 私たちはお祈りというすばらしい特権を与えられています。私たちは、神さまの御旨に従って求めるなら神さまが答えてくださることを知っているのです。だから自分のためにも、お友だちのためにもお祈りしましょう。 6月22日(土)Tヨハネ五18〜21 イエスさまが私たちを守っていてくださるので、私たちは何も恐れる必要はありません。このお方は偶像のようなうその神さまではありません。この方はいつも変わらずに私たちを愛し、守ってくださる真実な方なのです。    ◇  ◆  ◇ 教会が迫害にあうのは決して不思議なことではありません。イエスさまを信じて真実に生きようとすると必ず迫害にあうのです。一九四二年六月二六日の朝早く、ホーリネス派の教会に警察がやって来て、牧師たちを連れて行き、牢屋に入れました。そして牢屋で死んだ牧師たちもいます。どんな悪いことしたのでしょう。イエスさまは神さまだ、神さまの国がやがて来る、すべての人はこのイエスさまを礼拝しなければならないと信じ、語り、伝えていたからです。    ◇  ◆  ◇ 6月23日(日)使徒六8〜15 ステパノは恵みと力とに満ち、知恵と御霊とによって人々にイエスさまのことを語っていました。ステパノを憎んだ人たちは、ステパノについて嘘の悪い噂を立てて、ステパノを捕まえました。でもステパノの顔は天使のようでした。 6月24日(月)使徒七1〜8 ステパノは捕まられて立たされた裁判でみんなに語り出しました。自分たちの先祖アブラハムに語られたのはエルサレムではなく、メソポタミヤでした。神さまは私たちが世界中どこにいてもお語りになることができるのです。 6月25日(火)使徒七9〜16 イスラエルの先祖たちはヨセフの時代にエジプトに導かれました。神さまは異国エジプトでもヨセフと共にいて、彼を救い、恵みと知恵をもって彼を支えてくださいました。 6月26日(水)使徒七17〜34 先祖たちがエジプトに拡がる中でイスラエルには非常に厳しい時代が続きます。でも神さまはイスラエルを覚えておられて、モーセを生まれさせられます。そして主は八十歳になったモーセにシナイ山で語り、イスラエルを救い出すためにお用いになったのでした。 6月27日(木)使徒七35〜43 イスラエルはエジプトから救い出されて、シナイ山で生ける御言葉を与えられます。けれども彼らは神さまの御言葉に背き、子牛の像を造ってそれを拝み、また天の星を拝み続けたのでした。 6月28日(金)使徒七44〜53 モーセの時代には、礼拝のための特別な場として幕屋がありました。神殿が作られたのはずっと後、ソロモンの時代です。けれどもどんなに大きな神殿も神さまを入れるには小さすぎます。そして大事なことは神さまに従うことなのです。 6月29日(土)使徒七54〜60 人々が正しい方、主イエスを殺してしまったことを指摘した時に、人々はステパノに怒り、ステパノを引きずり出して、石を投げて殺してしまいます。けれども、ステパノはみんなのためにお祈りしていました。その様子をサウロも見ていました。    ◇  ◆  ◇ 聖霊は私たちの心に働いて、私たちの心をきよめ、私たちの心によい実を結ばせてくださいます。聖霊の力によって、私たちは愛にあふれた人にしていただくことができます。それはただ自己満足や自慢するためではありません。その神さまからいただいた愛で自分の周りにいる人たちを愛することができるようになるのです。この地上を歩みまれたイエスさまのような人にしていただくことができるのです。 6月30日(日)使徒八1〜8 大変な迫害がエルサレムに起こります。イエスさまを信じていた人たちの中で特にギリシャ語を話すユダヤ人たちはエルサレムを離れていきます。けれども、この人たちは御言を語りながら進んでいきます。ピリポもそんな一人でした。サマリヤの町でもイエスさまを信じる人たちが起きていきます。 7月1日(月)使徒八9〜13 サマリヤの町では、ピリポがイエスさまのことを話すと、みんなが次々にイエスさまを信じました。魔術をしてみんなを驚かしていたシモンもイエスさまを信じてバプテスマを受けました。 7月2日(火)使徒八14〜25 ペテロとヨハネがピリポの応援にやってきました。そしてイエスさまを信じたみんなに聖霊が与えられるようにとお祈りしました。魔術師だったシモンは、みんなが神さまの霊に満たされるのを見て、お金を出して、自分にもその力がほしいと言いました。でも神さまの力はお金では買えません。 7月3日(水)使徒八26〜28 神さまはピリポに、今度はガザの方に下る道に行くようにとおっしゃいました。でもサマリヤはどうなるのでしょう。ガザ下る道になにがあるのでしょう。でもピリポは神さまに従いました。 7月4日(木)使徒八29〜31 ピリポは誰もいないその道でエルサレムから帰るところだったエチオピアの宦官に出会います。この人はちょうどイザヤ書を読んでいるところでした。ピリポは彼に声をかけ、馬車に乗って聖書を説明しました。 7月5日(金)使徒八32〜35 エチオピアの宦官が読んでいたのはイザヤ書五三章でした。これは十字架の預言です。ピリポは宦官に私たちの罪を負って身代わりに死んでくださったイエスさまのことを話してあげました。 7月6日(土)使徒八36〜40 宦官はピリポにバプテスマを授けてほしいとお願いしました。そして宦官はイエスさまを信じて、ピリポからバプテスマを受けました。ピリポはそこでいなくなります。でもイエスさまを信じて救われたこの宦官は喜びをもって自分の国に帰って行きました。