「聖書の光」 聖書だワクワク! 2012年4月〜6月 169号 四月になりました。皆さんも新しい学校に行ったり、クラス替えがあったり、ひょっとしたら引っ越しをしたお友だちもいるかもしれませんね。みんな一つずつ進級します。新しい一年が楽しい一年になるためにも、新しい気持ちで聖書を読んでいきましょう。  今週は特に、イエスさまが十字架につけられた週で、「受難週」と言います。イエスさまのお苦しみを思いながら過ごしましょう。    ◇  ◆  ◇ 4月1日(日)マタイ二七32 イエスさまは、前の日からずっと引っ張り回されて、イエスさまはお疲れで、重い十字架を運ぶのが難しくなってきました。ローマの兵隊は、クレネ人シモンにイエスさまの十字架を運ばせます。シモンも本当はいやだったと思います。でも、このシモンは後で、イエスさまを信じるようになったと言われています。 4月2日(月)マタイ二七33〜38 イエスさまはゴルゴダにつくと、そこで十字架に釘付けにされました。イエスさまの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエス」とふだがつけられました。みじめな姿のイエスさま、でもこのイエスさまは私たちの王さまです。    ◇  ◆  ◇ 4月3日(火)マタイ二七39〜44 イエスさまのことをみんなが馬鹿にしました。イエスさまは十字架から下りられなかったでしょうか。下りられました。でもそうしなかったのは、十字架を止めてしまったら、私たちの罪のゆるしもなくなってしまうからでした。    ◇  ◆  ◇ 4月4日(水)マタイ二七45〜49 イエスさまは、十字架の上で罪人として呪われて、父なる神さまからも捨てられてくださいました。イエスさまが私たちの代わりに捨てられてくださったから、イエスさまを信じる時に、私たちは見捨てられないのです。 4月5日(木)マタイ二七50〜53 神殿の幕は、普通の人は近づけない、特別な場所の前にかかっていました。そこから内側にはみんなは入れませんでした。でもイエスさまが十字架で死なれた時に、その幕が裂けてしまいました。誰でも、神さまの前に近づくことができるようになったのです。    ◇  ◆  ◇ 4月6日(金)マタイ二七54〜56 十字架の様子を悲しい気持ちで見ていた女の人たちがいました。ローマの兵隊もそこにいました。ローマの百人隊長は、イエスさまの様子を見ていて、「まことに、この人は神の子であった」と言いました。    ◇  ◆  ◇ 4月7日(土)マタイ二七57〜61 ヨセフは勇気を出してイエスさまの体を引き取りました。死体にさわったら、大事なお祭りに参加できなくなります。でもそれはヨセフにはどうでもいいことでした。イエスさまが大事だったのです。 私たちの罪を負って十字架で死んでくださったイエスさまは、死を打ち破ってよみがえってくださいました。イエスさまが死なれたのは、悪魔に負けたのではありません。神さまは私たちを救うために、私たちの身代わりとなるために、イエスさまを送ってくださったのです。イエスさまの死を見る時に、私たちは自分の罪がどんなに恐ろしいかを知ります。でも、それは神さまの愛のあらわれた場所でもありました。そして、神の勝利といのちのしるしとして、イエスさまはよみがえられたのです。    ◇  ◆  ◇ 4月8日(日)マタイ二七62〜66 イエスさまは三日目によみがえると確かに言っておられました。ユダヤ人たちに言われて、ピラトはお墓が開けられないようにして、ローマの兵隊に番をさせました。でも、イエスさまはもっと力のあるお方でした。 4月9日(月)マタイ二八1〜7 週の初めの日とは日曜日です。その日に女たちがイエスさまに会いにお墓に行きました。でもイエスさまはお墓にはいませんでした。お墓はもう空っぽでした。イエスさまはよみがえられたのです。    ◇  ◆  ◇ 4月10日(火)マタイ二八8〜10 イエスさまは弟子たちのところに帰って知らせようとしていた女たちに出会ってくださいました。女たちはよみがえられたイエスさまにお会いしてどんなにうれしかったことでしょう。    ◇  ◆  ◇ 4月11日(水)マタイ二八11〜15 その朝起こった事を番人たちが祭司長たちに報告しました。兵隊たちは町の人たちにうそを広めようとしました。確かにそのうそを信じた人たちもいたでしょう。でも、誰もイエスさまの死体がどこに行ってしまったかを説明できません。イエスさまは本当によみがえってくださったからです。 4月12日(木)マタイ二八16〜20 お弟子さんたちは山に登って、そこでイエスさまとお会いしました。けれども、それでも信じない人がいました。しかし、イエスさまは自分が権威を与えられたことを宣言され、いつもあなたがたと一緒にいると約束してくださったのです。    ◇  ◆  ◇ 4月13日(金)Tコリ十五50〜55 イエスさまが死を打ち破ってくださったことは、私たちにも大きな希望を与える出来事です。人は死んだらおしまいだと言うでしょう。誰も死にはかなわないというでしょう。でもイエスさまがよみがえられたように、私たちもよみがえるのです。    ◇  ◆  ◇ 4月14日(土)Tコリ十五56〜58 イエスさまは私たちが罪や死に打ち勝つことができるようにしてくださいます。私たちが神さまのためにしたことが無駄になってしまうことは決してないのです。   今週から創世記を読んでいきましょう。神さまが世界を造られた最初のことが書かれています。私たちが目で見るすべてのものが神さまが造ってくださいました。山も海も空も、動物も、植物も、そしてあなたも。神さまはあなたのことを、そしてあなたのとなりにいるお友だちのことも大事な大事なものとして、そしてとっておきの傑作として造ってくださったのです。うれしいですね。    ◇  ◆  ◇ 4月15日(日)創世記一1〜5 「はじめに神は」という言葉で聖書は始まります。何もないときから神がおられて、すべてのものは神によって造られました。神が最初に造られたのは光でした。神が「光あれ」と言われた時、光ができました。神さまはその御言をもって世界を造られました。神さまの御言には今もそのような力があるのです。 4月16日(月)創世記一6〜13 二日目に神さまは大空を造られました。そして、神さまは三日目には海と陸が造られ、いろいろな草や花や木が造られました。いろいろな色で世界が飾られていきます。神さまは造られた世界をよしとされました。    ◇  ◆  ◇ 4月17日(火)創世記一14〜19 神さまが四日目に造られたのは太陽と月と星でした。昼は太陽が世界を照らし暖め、夜も月やたくさんの星たちが地を照らしました。ますますすてきな世界ができてきました。    ◇  ◆  ◇ 4月18日(水)創世記一20〜23 あと何が足りないでしょうか。神さまが五日目に造られたのは海の中の生き物たちです。海はとてもにぎやかになりました。それから神さまは空にも鳥を造られました。海の中を魚たちが泳ぎ、空には色とりどりの鳥たちが飛ぶようになりました。 4月19日(木)創世記一24〜31 六日目に造られたのは動物たちです。神さまはすてきな動物たちをたくさん造られました。そして最後に神さまは人間を造られました。神さまは人間に大事な仕事をまかせてくださいました。神さまが造られた世界を守るお仕事です。    ◇  ◆  ◇ 4月20日(金)創世記二1〜3 こうしてすばらしい世界ができた時、神さまは七日目に休まれました。神さまはこの日を大事な大事な日とされました。だから私たちも一週間に一回は他の事をやめて神さまを礼拝するのです。    ◇  ◆  ◇ 4月21日(土)創世記二4〜14 神さまは人間を土で作り、その鼻から神さまの息を吹き込まれたのです。それまで命をもっていなかった人間がその時、生きた者になりました。人間は神さまと向き合ってお話しができる特別なものとして造られたのです。うれしいですね。 神さまは私たちを、男か女かどちらかに造ってくださいました。どちらが偉くて、どちらが偉くないということではありません。でも神さまは違ったものとして男と女を造られて、男と女に違った役割を与えておられます。男でも女でもできることがたくさんあります。男も女も神さまに造られた人間だからです。でも同時に、男でないと女でないとできないこともあります。そして男と女が支え合い、神さまのために一緒に働く時に、神さまは喜んでくださるのです。    ◇  ◆  ◇ 4月22日(日)創世記二15〜17 神さまは人間を造られてとても美しいエデンの園に置かれました。それを耕し、守るためです。そして人間はどの木からとって食べてもいいと言われました。だめだったのは善悪を知る木の実だけでした。神さまは人間が死んでほしくなかったのです。 4月23日(月)創世記二18〜20 神さまもひとりはよくない、と言われました。神さまはいろいろな動物も造られたのですが、動物は人間にぴったりの助け手、パートナーではありませんでした。神さまは特別なパートナーを造ろうとしておられました。    ◇  ◆  ◇ 4月24日(火)創世記二21〜23 神さまは人をぐっすり眠らせて、そのあばら骨を取り出して、それから女を造ってくださいました。人が最初、神さまの連れて来られた女を見た時、人はとても喜びました。ぴったりの助け手を人は女と呼びました。    ◇  ◆  ◇ 4月25日(水)創世記二24〜25 人は男と女に造られました。今も私たちは男か女かで生まれてきます。でもあの日、男が女に出会ったように、私たちもやがてお父さんやお母さんの家から出て、すてきな異性のパートナーとひとつになるのです。 4月26日(木)エペソ五22〜24 男と女が結婚すると夫婦になります。男の人は夫、女の人は妻になるのです。パウロは妻は夫に従いなさいと言いました。それは男が女よりも偉いからではありません。ふたりがいがみあって自分勝手に生きていかないためです。    ◇  ◆  ◇ 4月27日(金)エペソ五25〜30 パウロは夫に妻を愛しなさい、と言いました。ょうど、イエスさまが教会のために十字架にかかって死んでくださったのと同じくらい、命をかけて妻を愛するのです。    ◇  ◆  ◇ 4月28日(土)エペソ五31〜33 夫と妻の関係はキリストと教会の関係と同じです。ですから夫は妻を愛し、妻は夫を敬うのです。みんなもいつの日かきっとそんなすてきなパートナーに出会って結婚することでしょう。その日まで、相手の人のために自分を大切にし、またすてきな夫・妻になれるように自分を磨きましょう。 神さまに従っていると一番幸せです。けれども、悪魔は私たちをだまして、まるで神さまの言うことを聞いていると損であるかのように思わせます。神さまの御言に従うことよりもすばらしいことがあるかのように思い込ませます。  大事なことがあります。いつも神さまの御言をしっかりと心にとどめていることです。神さまの御言はあなたのことを守ってくれます。神さまの御言を忘れないで、信じていきましょうね。    ◇  ◆  ◇ 4月29日(日)創世記三1〜3 へびが女ところにやって来ました。そして、こんなことを聞いたけど本当?神さまってひどいねえ、と言うかのようにして、女に話しかけます。女もへびの言葉を訂正するのですが、最初神さまがおしゃったこととはもうずれています。悪魔は神さまの御言を疑わせ、ねじ曲げていくのです。 4月30日(月)創世記三4〜7 ここで悪魔はついに本性を発揮します。神さまがどう言ったかは知らないけれど、「決して」そんなことは起こらない。これを食べたら、あなたは賢くなる、神のようになる・・・そんな風に言われて、二人は神さまが食べてはいけないとおしゃった実を食べてしまったのです。    ◇  ◆  ◇ 5月1日(火)創世記三8〜10 神さまが二人に近づかれた時、二人は怖くなって隠れます。「あなたはどこにいるのか」。神さまは二人がどこにいるか分かっておられました。神さまは二人に大事なことを気づかせたかったのです。    ◇  ◆  ◇ 5月2日(水)創世記三11〜13 神さまの言うことをきかなかったことは神さまにお見通しでした。でも男は女のせいにし、女はへびのせいにしました。神さまの前に悔い改めてごめんなさいと言うこともできなくなっていました。 5月3日(木)創世記三14〜15 神さまはへびの子孫と女の子孫の間に何が起こるかを語られました。悪魔はやがて女の子孫として生まれる男の子にかみつくけれど、その男の子はへびの頭を踏み砕き、滅ぼしてしまう・・・イエスさまによってこの言葉は成就します。    ◇  ◆  ◇ 5月4日(金)創世記三16〜19 女には子どもを産む苦しみが、男には働く苦しみが加えられ、死が人間の世界に入ってきたのでした。だから人は死んで、やがて土に帰るのです。    ◇  ◆  ◇ 5月5日(土)創世記三20〜24 二人はもう神さまが造られたすばらしいエデンの園にいることができなくなります。けれども神さまは二人のために、皮の着物を作ってくださいました。二人のからだを覆うために、動物が殺され、死ななければなりませんでした。イエスさまもあなたを覆うために死んでくださったのです。 アダムとエバが罪を犯した時、死が人間の世界に入ってきました。アダムとエバのせいだ!と思いますか。それとも、あんなところに食べてはいけない木を植えた神さまが悪い、と思いますか。たとい、あなたが最初の人だったとしても、やっぱり同じような罪を犯していたことでしょう。神さまがあなたに命を与えようとして、これは食べてはダメだよ、とおっしゃってもダメと言われると食べたくなってしまうのです。でも知ってください。神さまは人間が罪を犯したすぐ後から救いのご計画をスタートされたのです。    ◇  ◆  ◇ 5月6日(日)創世記四1〜7 カインとアベルの兄弟はそれぞれ神さまにささげものをしました。でもカインは自分の供えものが受け入れられなかった時に、反省し、考えるのではなく、腹を立てるのでした、 5月7日(月)創世記四8〜16 カインは何も悪いことをしていないアベルを殺してしまいます。カインは自分をかえりみるのではなく、アベルをねたんだのです。カインは自分がいた土地からまたもっと遠くに行かなければなりませんでした。でも、そんなカインにも神さまは守りを約束されました。    ◇  ◆  ◇ 5月8日(火)創世記四17〜24 カインに子どもたちが生まれ、カインの子孫が世界に広がって行きます。カインの子どもたちにはいろいろなすばらしい才能をもった人たちも多かったようです。でも彼らはカインの怒りやねたみも受けついでいきました。    ◇  ◆  ◇ 5月9日(水)創世記四25〜26 アダムは、カインとアベルと二人の息子たちを失いますが、神さまはアダムとエバに三人目の男の子セツを与えて下さいました。セツの子どもの時代に人々が神さまを呼び始めました。 5月10日(木)創世記五1〜5 アダムの時代がまだみんな長生きですね。神さまは神さまにかたどってアダムとエバを創造してくださいました。アダムに今度はアダムにそっくりの子どもが生まれました。神さまの形だけでなく、アダムの罪深いところもよく似ていました。    ◇  ◆  ◇ 5月11日(金)創世記五6〜24 エノクは六五歳で子どもが生まれた時、そこから神さまを信じる歩みを始めました。神さまが彼をとられたので彼はいなくなりました。神さまをあの時、あそこで信じたというだけでなく、信じて神に従う歩みをしていくことが大切です。    ◇  ◆  ◇ 5月12日(土)創世記五25〜32 お父さんたちが汗だくになって、苦労して、涙を流し、傷つきながら畑を耕していく中で、ノアの誕生は大きな慰めでした。あなたがいるということもきっとたくさんの人たちを慰め、励ましています。 今週と来週はノアの話です。ノアの時代、みんなは悪いことばかりしていました。悪いことを考え、悪いことを言い、その日その日、自分が楽しいかどうかだけを考えてめちゃくちゃな生き方をしていました。神さまのことを考えたり、自分のしていることは悪いことかもしれないと反省する人は誰もいません。でもそんな悪い人だらけの中でノアとその家族は正しいことをしていました。神さまにお祈りし、神さまの御言を聞いて歩んでいたのです。みんながどうかだけを考えているのではなく、神さまがどう思っておられるかを考えることが大事ですね。    ◇  ◆  ◇ 5月13日(日)創世記六1〜10 ノアは「正しく、かつ全き人」でした。神さまにそのように見ていただくことができました。神さまがあなたのことをどのようにごらんになっているでしょうか。 5月14日(月)創世記六11〜22 神さまは悪い人たちをそのままにしておくことができなくなりました。神さまはノアに自分がしようとしていることを明かし、ノアと家族と動物たちのために大きな箱舟を作るようにとおっしゃいました。ノアは神さまに言われた通りにしました。    ◇  ◆  ◇ 5月15日(火)創世記七1〜5 神さまはノアに動物たちと一緒に箱舟に入るようにとおっしゃいました。まだ雨が降る気配もなかったことでしょう。そんな大きな洪水なんてだれも考えられなかったでしょう。でもノアは神さまに言われた通りにしました。    ◇  ◆  ◇ 5月16日(水)創世記七6〜10 動物たちも神さまがおっしゃったように雄と雌と二つずつやってきて箱舟に入りました。洪水が来ようとしていました。助かる方法は一つだけでした。その箱舟に入ることだったのです。 5月17日(木)創世記七11〜16 動物たちが全部箱舟に入った時、最後にノアとその家族が箱舟に入りました。神さまに言われたとおりです。そして神さまはその箱舟の扉を閉じられました。その後は誰も箱舟に入ることはできませんでした。    ◇  ◆  ◇ 5月18日(金)創世記七17〜24 雨が降り始めました。雨は四十日降り続きました。人々が大変だと気づいた時にはもう遅かったのです。箱舟はぽっかり水の上に浮かびました。箱舟に入った人たちはみんな無事でした。    ◇  ◆  ◇ 5月19日(土)創世記八1〜5 神さまは、悪いことばかりしていた人たちを滅ぼしてしまわれました。けれども、箱舟の中にいた動物たちや、ノアの一家のことを心にとめていてくださいました。神さまは風を吹かせられたので、水がだんだん引いていきました。少しずつ地面が出て来ました。 神さまが洪水を起こされた時、人々はみんなギリギリまで、神さまのことを忘れて自分勝手に悪いことを続けていました。きっとノアさんもみんなに注意し、警告し、また箱舟のことを話したでしょう。でも、誰もノアの話を本気で聞こうとはしませんでした。かえって高い所に箱舟を作ったノアを馬鹿者呼ばわりしたことでしょう。  やがてもう一度イエスさまがおいでになる時も同じだと言われています。みんながイエスさまは今日は来ないよ、と自分勝手に好きなことをしている時に、イエスさまは来られるのです。    ◇  ◆  ◇ 5月20日(日)創世記八6〜12 雨が降り始めてから、もう十ヶ月というその頃、ノアは鳥を放ちます。二回目にオリーブの若葉をもって鳩が帰って来た時、どんなにうれしかったでしょうね(ホーリネス教団のマークをみてごらん)。 5月21日(月)創世記八13〜19 ノアたちはずっと箱舟の中にいました。どんなに早く外に出たいと思ったことでしょうか。でもノアたちは神さまの言葉をじっと待っていました。そして洪水からちょうど一年後、神さまの言葉に従って箱舟を出たのです。    ◇  ◆  ◇ 5月22日(火)創世記八20〜22 ノアが箱舟から出て、最初にしたのは何だったでしょう。ささげものをささげて神さまを礼拝するということでした。神さまはこれをとても喜ばれました。    ◇  ◆  ◇ 5月23日(水)創世記九1〜7 神さまはノアとその子どもたちを祝福して、生めよ、増えよ、地に満ちよ、とおっしゃいました。箱舟に入ったノアとその家族以外の人たちはみんな死んでしまいました。ノアとその家族はたった八人です。でもその八人から、神さまが祝福してくださったように世界中の人たちが生まれていきました。 5月24日(木)創世記九8〜11 神さまはノアに約束をされます。それはノアとその子孫に対する約束です。神さまは、二度とこのような世界中の人たちが滅びるような洪水は起こさないと約束されたのです。    ◇  ◆  ◇ 5月25日(金)創世記九12〜17 神さまは、その約束のしるしとして空に虹を置かれました。虹は雲が出て、雨が降ったあとに空にかかります。そして、私たちは、どんなに雨が降っても、虹を見るたびに、神さまのお約束を思い起こすのです。    ◇  ◆  ◇ 5月26日(土)創世記九18〜29 ノアはある時、大失敗をしました。子どもたちの前でとても恥ずかしいことになってしまいました。ハムは、お父さんを笑いものにし、そのことを他の兄弟に言いました。人の失敗をあげつらって馬鹿にするのでなく、人に失敗をカバーしてあげられるといいですね。 今週の日曜日は教会にとって、特別な日です。世界中の教会でこの日曜日を特別な日としてお祝いします。今日は教会の誕生日なのです。イエスさまが天に帰られて、集まってお祈りしていたお弟子さんたちに聖霊が下られた日です。その日に教会がスタートし、エルサレムに集まっていた三千人の人たちが、自分の罪を悔い改め、イエスさまを救い主として信じて、洗礼を受けました。そして、教会がスタートしたのです。    ◇  ◆  ◇ 5月27日(日)創世記十1〜5 ノアの子どもたちの系図がここに残されています。イスラエルの人たちは自分の系図をとても大切にしました。今日のところにあるのはノアの子ヤペテの系図です。この子孫が広がって、今の欧米人や、ロシヤ人、ペルシャやインドの人たちにつながっていくと言われています。 5月28日(月)創世記十6〜20 ここにあるのはハムの子孫です。ハムの子孫はアフリカ大陸、アラビヤ半島、メソポタミヤ、パレスチナ、シリア、トルコなどに広がって行きました。このハムの子孫の中からもニムロデのようにとても力のある支配者が出て来ます。    ◇  ◆  ◇ 5月29日(火)創世記十21〜32 最後に出てくるのはセムの子孫です。このセムからイスラエル人やアラビヤなど中近東に住む人たちが出て来ました。この人たちは名前だけしか分かっていないかもしれません。でも神さまはこの人たちを覚えておられます。    ◇  ◆  ◇ 5月30日(水)創世記十一1〜9 神さまは地を満たすようにとおっしゃいましたが、人々はなかなか広がって行きませんでした。そして力を合わせて高い塔を建て、神さまに届こうとしました。神さまは彼らの言葉が通じないようにして、人々を世界に散らされました。 5月31日(木)創世記十一10〜32 セムの系図が詳しく書かれています。このセムの子孫の中からアブラムが生まれます。そしてアブラムを中心にしてこの後の話が続いていきます。アブラムは、自分の父テラ、お父さんを早く亡くしたロトを連れて旅をするのでした。    ◇  ◆  ◇ 6月1日(金)使徒一6〜8 イエスさまは弟子たちに、聖霊が来られる時に、あなたがたは証人になって、わたしのことをたくさんの人たちに話すようになるとおっしゃいました。そしてペンテコステの日にその通りのことが起きたのです。    ◇  ◆  ◇ 6月2日(土)使徒二1〜12 五旬節(ペンテコステ)の日はお祭りで、世界中の人たちがエルサレムに集まっていました。いろいろな言葉の人たちがそこにいました。しかし、その日、みんなが自分の言葉で語られる神さまの救いのメッセージを聞いたのです。 さて今日からしばらくアブラム(後のアブラハム)の話を学びます。イスラエルの人たちはアブラハムを自分たちの先祖としてとても大事にしました。でもイスラエルの人たちだけではありません。今、日本に生きている私たちにとってもアブラハムはとても人物です。イエスさまもこのアブラハムの子孫として生まれましたし、またアブラハムも、救い主イエスさまの誕生を楽しみにしていたからです。    ◇  ◆  ◇ 6月3日(日)創世記十二1〜3 神さまはアブラムに声をかけられました。それは自分の慣れ親しんだ、国や親戚の人たちからも離れて、神さまの示される所に行けということでした。神さまはアブラムにあなたは祝福の基となるとおっしゃいました。世界中の人たちがアブラムによって祝福されるようになるのです。 6月4日(月)創世記十二4〜9 アブラムは神さまがおっしゃるように出発しました。七五歳のアブラムにとってこのことはとても大変なことだったはずです。けれどもアブハムは神さまが言われた通りにして、カナンの地にやって来ます。そして導いてくださる神さまを心から礼拝したのでした。    ◇  ◆  ◇ 6月5日(火)創世記十二10〜20 アブラムはサライのために、自分が殺されるのではないかととても心配しました。そしてサライが自分の奥さんであることを黙っていたのでした。神さまはアブラムたちを守ってくださいましたが、これはアブラムの大きな失敗でした。    ◇  ◆  ◇ 6月6日(水)ヘブル十一8 アブラムが神さまの声を聞いた時、アブラムはまだ行き先を知らされていませんでした。けれどもアブラムは神さまに従って出発したのです。その日その日神さまに従っていったのです。 6月7日(木)使徒七2〜5 ステパノがアブラムの物語を語っています。神さまはメソポタミヤで、そしてカラン(ハラン)でアブラムに語られました。神さまは今も聖書の御言を通して私たちに語られます。    ◇  ◆  ◇ 6月8日(金)ネヘミヤ九6〜8 天地を創造された神さまがカルデヤのウルにいたアブラムという一人の人に声をかけられ、彼と契約を結ばれました。彼が神さまに従う忠信な人であることをしられたからです。そして神さまはアブラムとされた約束を守って下さいました。    ◇  ◆  ◇ 6月9日(土)イザヤ五一1〜2 神さまはアブラハム(アブラム)とサラ(サライ)に声をかけられました。そして彼らが神さまに従ったところからイスラエル民族は始まりました。神さまに従う一人の人の生涯を、神さまは豊かに祝して下さるのです。 ロトはアブラムおじさんについてきました。きっとロトはアブラムおじさんが大好きで、まるでお父さん代わりのように思っていたのでしょう。でもだんだんロトはアブラムと一緒にいるのが、いやになっていきます。アブラムは神さまに約束をいただいて、神さまを信じて旅をしていました。でもロトは違いました。アブラムについてきただけでした。あなたはなぜ教会に来ているのですか。誰かについてきているだけ・・・だったら悲しいなあ。    ◇  ◆  ◇ 6月10日(日)創世記十三1〜7 アブラムもロトも持ち物をたくさん持っていました。家畜もたくさんいました。だんだん家畜の食べるえさがなくなってきました。アブラムのしもべたちとロトのしもべたちの間にけんかが起こります。アブラムはきっと悲しい気持ちになってでしょうね。 6月11日(月)創世記十三8〜13 アブラムはロトに提案をします。そしてロトに最初にどちらに行くかを選ばせます。ロトはとても緑が多く、豊かに見える低地を選びました。そこには町があって、たくさんの人たちが住んでいました。でもその人たちは悪い人たちでした。    ◇  ◆  ◇ 6月12日(火)創世記十三14〜18 ロトはさっさと低地に行ってしまいました。アブラムはどんな気持ちがしていたでしょうね。でもそこでアブラムは神さまの声を聞きます。目を上げてみる地は全部あなたとあなたの子孫に与えるという約束の声でした。    ◇  ◆  ◇ 6月13日(水)詩篇一1〜6 悪い人たちと一緒に行動したり、悪い人たちの話を聞いて巻き込まれていったり、神さまを馬鹿にする人たちの話に乗ってはいけません。そうではなくて、神さまの言葉をいつも思うのです。 6月14日(木)イザヤ五二11〜12 神さまと一緒に生きていきたい、神さまのお役に立つ人になりたいと思ったら、罪や汚れ、神さまがお嫌いになるものと一緒にいてはいけません。そのようなものからは離れることが大切です。    ◇  ◆  ◇ 6月15日(金)Uコリント四16〜18 目に見えるものはやがてすたれていきます。目に見える豊かさやかっこよさもいつかなくなってしまうでしょう。目に見えない、いつまでも続くものをたいせつにしたいと思います。    ◇  ◆  ◇ 6月16日(土)ヘブル十一13〜16 私たちが生きているこの世で、お金持ちになり、大きな家に住み、楽をして暮らす・・・というのは私たちの人生の目標ではありません。神さまはもっともっとすばらしい天のふるさとを私たちのために用意していてくださいます。私たちをそれを望み見て、喜びをもって生きるのです。 アブラムはロトと分かれて住むようになりました。でもアブラムはいつでもロトのことを心配していたのでしょうね。ロトがピンチの時にはすぐに立ち上がって行動を起こします。あなたはお友だちのために同じようにできるでしょうか。いつも心にかけて心配し、お祈りに覚え、またいざという時には立ち上がって助けてあげるのです。大好きな優しい友だちの時はどうですか。ちょっと失礼な友だちの時にはどうですか。    ◇  ◆  ◇ 6月17日(日)創世記十四1〜16 王さまたち同士の間で戦いが起きて、ソドムの王さまはやられてしまい、ソドムにいたロトとその家族は捕まってしまったのです。でもアブラムはすぐに立ってロトを助けに行って、見事に助け出しました。ロトたちはアブラムの顔を見て、どんなにうれしかったことでしょう。 6月18日(月)創世記十四17〜20 アブラムが敵を打ち破り、ロトたちを助け出して帰って来た時、メルキゼデクという人が来て、アブラムを祝福しました。メルキゼデクはアブラムのためにお祈りしていてくれたのです。    ◇  ◆  ◇ 6月19日(火)創世記十四21〜24 ソドムの王さまはアブラムにたくさんお礼をくれようとしました。でもアブラムはそれを受けとりませんでした。アブラムは神さまだけにすがって生きていたのです。    ◇  ◆  ◇ 6月20日(水)ヘブル四14〜16 イエスさまは私たちの弱さをよく知っていてくださいます。そして私たちのためにお祈りしていてくださるのです。アブラムのためにメルキゼデクがお祈りしてくれていたのと同じです。このイエスさまがいてくださるので、私たちも神さまにお祈りするのです。 6月21日(木)ヘブル五1〜10 人間の大祭司は自分でなりたくてなったわけではありませんでした。神さまから召され、選ばれて、その仕事をしたのです。イエスさまも同じです。神さまがイエスさまを特別なお仕事のために立てられたのです。    ◇  ◆  ◇ 6月22日(金)ヘブル七1〜10 アブラムのひ孫にレビという男の子がいました。神さまはレビの子孫たちに代々礼拝の仕事をまかせられました。でもレビの子孫は特別でした。でもレビ族ではない、もっと特別な祭司がいました。それがメルキゼデクでした。    ◇  ◆  ◇ 6月23日(土)ヘブル七11〜25 イエスさまはメルキゼデクと同じように、特別なお方として私たちのためにとりなしの祈りをしてくださっています。そして私たちは、このイエスさまによって神さまに近づき、このイエスさまによって救われるのです。 アブラムは神さまの約束を信じて旅をしていました。「信じる」って分かるような分からないような感じかもしれません。アブラムは神さまがおっしゃったことは必ず、絶対、そのとおりになると受け止めたのです。それはがんばってそのように思い込むことではありません。その言葉を語られたお方に信頼することです。このお方を信用し、信じて生きることなのです。    ◇  ◆  ◇ 6月24日(日)創世記十五1 神さまはアブラムにご自身を表してアブラムを励まし、アブラムに約束をくださいました。神さまはアブラムに「恐れてはならない」とおっしゃいます。アブラムの中にも恐れがあったのでしょう。私たちの心にも恐れが満ちることがあるでしょう。その時には繰り返し、神さまの言葉を聞くのです。 6月25日(月)創世記十五2〜6 アブラムは自分に子どもがいないということを神さまに訴えます。神さまはアブラムを外に連れだして星を数えさせます。アブラムは、あのようになるでしょう、とおっしゃった主を信じたのでした。神さまはそのアブラムの信仰を喜ばれ、義と認められました。    ◇  ◆  ◇ 6月26日(火)創世記十五7〜21 アブラムにはまだ子どもがいません。でも神さまはアブラムにこれから先、アブラムの子孫に何があるかを語られたのでした。    ◇  ◆  ◇ 6月27日(水)ローマ四1〜5 神さまはアブラハムが一生懸命がんばったから、そのがんばりを見て、アブラハムを義、正しい、と認められたのではありません。アブラムが信じたということを見て、その信仰を義と認められたのです。神さまは私たちのことも、アブラハムと同じように、信じる時に救い、義としてくださいます。 6月28日(木)ローマ四16〜17 神さまはアブラムとその子孫に祝福を約束されました。アブラムの子孫とは、アブラムが神さまを信じたように、神さまを信じるすべての人をさしているのです。私たちが信じる時、アブラハムの祝福の中に入れていただけるのです。    ◇  ◆  ◇ 6月29日(金)ローマ四18〜22 アブラハムも奥さんのサラももうすっかり歳をとっていました。子供が期待できるような歳ではありませんでした。でも、そ0のことが分かっていながら、神さまは約束されたことを必ず、守ることができると信じたのです。    ◇  ◆  ◇ 6月30日(土)ローマ四23〜25 アブラハムが神さまを信じたように、イエスさまが私のために死んでくださったこと、イエスさまが死人の中からよみがえってくださったことを信じる人は、罪がゆるされ、救われます。大事なことはこのイエスさまを信じることです。