7月3日〜 エレミヤは、とても厳しい時代に神さまの言葉をみんなに話しました。みんなは聞かないかもしれない。でも、神さまの言葉を届け続けました。エレミヤの話を聞いて、神さまを信じた人もいたかもしれません。また、エレミヤの時代には信じなくても、後でエレミヤの言葉の記録を読んで、神さまを信じた人もいたかもしれません。  エレミヤはとにかく、御言葉を語り続けました。神さまがそうするようにおっしゃったからです。 7月3日(日)エレミヤ一八1〜11 陶器師は粘土をこねて、形を作り、焼いて、うつわを作っていきます。自分が満足するまで何度でもやり直して、形を作ります。イスラエルの人たちも、神さまの手の中の粘土のようなものでした。神さまはきっとすてきに作ってくださるのです。作ることがおできになるのです。 7月4日(月)エレミヤ一八12〜17 神さまは、イスラエルの人たちが悔い改めて、神さまの喜ばれるものにされていくことを願っておられました。でもイスラエルの人たちは、自分たちは自分たちの好きにいきていくと言うのでした。 7月5日(火)エレミヤ一八18〜23 エレミヤが本当にみんなことを心配して、神さまの言葉を伝えても、エレミヤのことを嫌って、エレミヤをやっつけようとする人たちがいました。エレミヤは助けを求めて神さまにお祈りします。 7月6日(水)エレミヤ二〇7〜13 エレミヤはみんなの物笑いにされていました。エレミヤはもう神さまのことは話すことはやめようと思います。けれども、神さまの言葉はエレミヤの心の中で燃える火のようになって、押さえていることはできませんでした。エレミヤは一緒にいてくださる神さまに信頼してまた語り出します。 7月7日(木)エレミヤ二三23〜32 エレミヤの時代にも勝手に預言者をしている人たちがいました。神さまの言葉を聞いていないのに、自分で考えて好きなことをいう人たちです。それは神さまの言葉ではありません。自分の好きなこと、みんなが喜ぶことを勝手に言っていただけでした。 7月8日(金)エレミヤ二五1〜14 神さまはイスラエルの人たちに悪いことはやめて、神さまに従うようにとおっしゃいました。けれどもイスラエルの人たちは言うことを聞きません。神さまは補囚を言われます。けれどもそれには七〇年という制限がありました。 7月9日(土)エレミヤ二八1〜17 バビロンに負けることはない、心配ない、と嘘を教える人がいました。そして嘘を信じる人たちもたくさんいました。みんなめんどくさいこと、いやなことは聞こうとしなかったのです。 7月10日〜 エレミヤはエルサレムのために厳しいことを語りました。みんなが聞きたくないような裁きのメッセージです。それは間違っている、とはっきり言うのは勇気がいりますよね。エレミヤはエルサレムが嫌いだったのではありません。エレミヤは涙を流してイスラエルの人たちのためにお祈りしました。エレミヤはエルサレムが大好きだったから、みんなが神さまのことをもう一度信じてほしいと思っていたのです。 7月10日(日)エレミヤ二九1〜9 エレミヤの時代に、もうすでに捕まえられて捕虜になって、バビロンに連れて行かれた人たちがいました。エレミヤはそんな人たちに手紙を書いて、神さまのメッセージを伝えます。そんなに早くは帰って来られないから、その町でしっかり生活するようにという言葉でした。 7月11日(月)エレミヤ二九10〜14 エレミヤは、エルサレムに帰るには七〇年必要であることを伝えます。神さまは意地悪をしているのではありません。神さまはバビロンに補囚になっている人たちのために平安と希望と将来のあるすばらしい計画を持っておられたのです。 7月12日(火)エレミヤ三一1〜6 イスラエルは国を失いとても大変な時を過ごします。けれども、神さまはイスラエルが嫌いなのではありませんでした。神さまはイスラエルをどこまでも愛し、いつも真実であり続けておられたのです。 7月13日(水)エレミヤ三一31〜34 神さまはイスラエルと新しい契約を結ぼうとしておられました。その契約とは、イスラエルの罪がゆるされ、神さまの律法がその心の中に書き込まれて、イスラエルが神の民として仕えるようになるという約束でした。 7月14日(木)エレミヤ三三1〜9 エレミヤは捕まえられて閉じ込められてしまいました。エルサレムにとても悲しく厳しい滅びの時が迫っていました。けれども、神さまは私に呼び求めよ、とおっしゃいます。神さまはすばらしい恵みと祝福を用意しておられたのです。 7月15日(金)エレミヤ三三10〜18 神さまは「ダビデのための一つの正しい枝」であるすばらしい救い主をイスラエルのために送ろうとしておられました。もう一度、公平と正義が町に満ち、喜びと感謝があふれる時が約束されていたのです。 7月16日(土)エレミヤ三三19〜26 北イスラエル王国の人たちも南ユダの人たちも神さまは憐れみを注ごうとしておられました。神さまの約束は確かでした。昼と夜が必ず来るように、神さまの救いと祝福の約束は必ず実現しようとしておられたのです。 7月17日〜 夏休みが始まりますね。学校が休みになっても教会はあります。教会は何で夏休みがないのでしょうか。それは教会では、神さまを礼拝しているからです。神さまは休むことなく、いつも私たちのことを守ってくださっています。そして、神さまは私たちが日曜ごとに集まって神さまを礼拝することを喜んでくださるのです。  いろいろなことで教会に行けない時には、教会の先生にそのことを話しておいてくださいね。 7月17日(日)エレミヤ三八1〜6 エレミヤはこの町は必ずバビロンの王の軍勢にとられてしまうと繰り返し警告しました。けれども、エレミヤが話す神さまの言葉を聞きたくない人たちはエレミヤを捕まえて深い穴の中に投げ入れました。けれども、エレミヤほど、エルサレムを愛し、人々のために祈った人はいませんでした。 7月18日(月)エレミヤ三八7〜13 王の家でお仕事をしていたエベデメレクは外国人でした。でも、みんながエレミヤにしていることは良くないです、とはっきり王さまに言いました。王さまはまるで目が覚めたように、エレミヤを助けることを許したのでした。 7月19日(火)エレミヤ三八14〜23 王さまはエレミヤを呼んで、神さまの言葉を聞きました。エレミヤは王さまのために一生懸命神さまの言葉を伝えました。王さまのことを一番心配していたのはエレミヤでした。 7月20日(水)エレミヤ三九1〜14 ゼデキヤ王さまは結局、エレミヤが話した神さまの言葉に従うことをしませんでした。バビロンの王はエルサレムに攻め入ります。ゼデキヤは逃げようとしますが、捕まってしまいます。エレミヤが話していた通りの事が起きてしまいました。 7月21日(木)エレミヤ四〇1〜6 バビロンが攻めて来た時、エレミヤも一緒に捕まえられます。けれどもバビロンのネブザラダンはエレミヤにバビロンに行ってもいいし、エルサレムに残ってもいいと自由を与えます。エレミヤはエルサレムに残って人々と生きる道を選んだのでした。 7月22日(金)エレミヤ五〇1〜5 バビロンは大きくて強い国でした。でも、エレミヤはそのバビロンも滅んで、誰も住まないところになってしまうと言います。けれども、エルサレムにはまたみんなが帰って来て、神さまを礼拝するようになる、エレミヤは語るのでした。 7月23日(土)エレミヤ五〇17〜20 エルサレムはめちゃくちゃにされてしまいました。家も城壁も、神殿も壊されました。人々の罪のためです。けれども、神さまは罪のゆるしのが与えられる日が来ることを約束しておられました。 7月24日〜 今年の夏休み、みなさんは何か特別な予定がありますか?夏でなければできないいろいろなことがきっとあるでしょうね。教会でも夏季学校があったり、夏のキャンプがあったり、夏の特別お祈り会があったり、教会によっていらいろなプログラムがあるかもしれません。ぜひ、教会の夏のプログラムにも思い切って出てみて下さい。きっといつもの日曜日とまた違ったよい経験ができると思いますよ。 7月24日(日)ダニエル一1〜7 バビロンの王さまが攻めて来ました。国はバビロンに敗れて、ダニエルと仲間たちは捕まえられてバビロンに連れてこられました。お父さんやお母さんとも別れなければならなかったと思います。でも神さまはダニエルたちをいじめておられたのではありません。ダニエルたちのために特別なご計画を持っておられたのです。 7月25日(月)ダニエル一8〜16 王さまはダニエルたちにおいしいごちそうや高級なお酒を用意しました。でも、王さまの用意したごちそうの中には、聖書で食べてはいけないと言われていたものや、偶像の神々に献げられたものが入っていました。ダニエルたちは神さまに従いたいと思ったのです。 7月26日(火)ダニエル一17〜21 神さまはダニエルたちにすばらしい知恵を与えて下さいました。ダニエルたちもがんばったと思います。でも、神さまはダニエルたちに特別な知恵をくださったのです。ダニエルたちを通して、バビロンの王さまも神さまの力と知恵を知るためでした。 7月27日(水)ダニエル二1〜16 ネブカデネザル王は夢を見ました。国中の博士たちが集められました。でも誰も王さまの求めに答えることのできる人はいませんでした。人の知恵は限られているのです。 7月28日(木)ダニエル二17〜24 ダニエルも王さまにどう答えたらいいか分かりません。ダニエルは友だちと一緒に神さまにお祈りしました。そして神さまは、ダニエルに秘密を明かして下さったのでした。 7月29日(金)ダニエル二25〜45 神さまが夢を通してネブカデネザル王さまに教えようとされたことは、これからの世界に何が起こっていくかということでした。世界を治めているのはバビロンの王さまではありません。歴史を導かれる神さまがおられるのです。 7月30日(土)ダニエル二46〜49 王さまはダニエルが、自分の見た夢が何であったかを示し、その意味を説き明かした時に、ダニエルの信じている神さまが本当の神さまであることを認めないではいられませんでした。神さまはどんな秘密をも明らかにすることができるお方だからです。 7月31日〜 夏休み・・・教会で何かないかなあ、と待っているのもいいけれど、教会で何かしようよ、とみんなからお願いしてみるのもいいと思います。日曜日以外にも教会に行ったことがありますか?「先生、お手伝いしたいなあ」って声をかけてみるのもきっといいと思いますよ。夏休みならではの、プランをみんなの方から先生たちに提案してみてください。 7月31日(日)ダニエル三1〜12 バビロンのネブカデネザル王は大きな像を造りました。高さが三〇メートル近くある金の像です。そしてみんなにその像の前でひれ伏して拝むようにと命じたのでした。拝まないと火の中に投げ込むというのです。でもシャデラクたちはその像を拝みませんでした。本当の神さま以外のものを拝むことは、神さまがお嫌いになることを知っていたからです。 8月1日(月)ダニエル三13〜18 シャデラクたちが自分の立てた金の像を拝まなかったことを聞いた王さまはカンカンになって怒ります。でも三人は、神さまが自分たちを火の中からも救う力があることを知っていました。信じていました。 8月2日(火)ダニエル三19〜30 三人は火の中に投げ込まれてしまいます。でも三人は火の中で自由に歩いていました。王さまが見ると火の中で四人の人が歩いているように見えました。神さまは確かにシャデラクたちを守ってくださったのです。 8月3日(水)ダニエル四1〜27 ネブカデネザル王はある日不思議な夢を見ます。その夢には意味がありました。ダニエルはその夢を解き明かします。その夢はネブカデネザル王が高慢にならないように警告する夢でした。王を立てられたのも神さまだったからです。 8月4日(木)ダニエル四28〜37 ネブカデネザル王は警告を忘れて、自分のすごさを自慢していました。そのとたんに王はいろいろなことがわからなくなってしまい、牛のように草を食べ、人を離れて住むようになりました。もう一度人の世界に戻った時、王は神さまをほめたたえる人になりました。 8月5日(金)ダニエル五1〜16 ベルシャザルはエルサレムから持ってきた神さまのために使う器で大騒ぎをします。突然、人の手が出て来て壁に字を書きました。見たことのない字です。ダニエルが呼ばれました。ダニエルには神の霊が与えられていたからです。 8月6日(土)ダニエル五17〜30 壁に書かれた字は、ペルシャザル王の時代が終わったしるしでした。その夜のうちにベルシャザル王は殺されて、バビロンの時代が終わり、ペルシャの時代になりました。神さまのおしゃった通りでした。 8月7日〜 夏のバイブルキャンプに行くお友だちもいるかもしれません。キャンプに行ったら、友だちもたくさんできるでしょうし、楽しいこともたくさんあると思います。でも教会のキャンプのもう一つの楽しみは、みんなで聖書のお話を聞くことです。ワクワクするような神さまのお話を聞くことです。聖書の言葉がみんなの人生を変えていく力があるからです。 8月7日(日)ダニエル六1〜5 ダニエルはペルシャの時代になって、新しい王さまになってもとても大切な仕事を任されました。でも他の人たちはダニエルばかり偉くなるのがおもしろくありません。何かダニエルの悪いところを探して王さまにいいつけてやろうとするのですが、ダニエルには何も悪いことが見つかりませんでした。ダニエルには神さまの霊が与えられていたからです。 8月8日(月)ダニエル六6〜10 ダニエルをおとしめてやろうと思う人たちは、ダニエルが困る法律を作ってしまいます。王さま以外には誰にもお祈りもお願いもしてはいけないという法律です。でもダニエルはやっぱり、神さまにお祈りし、感謝することをやめませんでした。 8月9日(火)ダニエル六11〜18 ダニエルのことが嫌いな人たちは、ダニエルのことを王さまに言いつけます。王さまはびっくりしましたが、どうすることもできません。でも、王さまもダニエルが信じ、仕えている神さまのことを知っていました。 8月10日(水)ダニエル六19〜24 神さまは天使を送ってダニエルを守ってくださいました。ダニエルは何もけがをしていませんでした。ダニエルが生きておられる本当の神さまを頼りにして、真実に生きていたからです。 8月11日(木)ダニエル六25〜28 ダリヨス王さまは国中の人たちに手紙を送ります。ダニエルを救ってライオンの穴からも救ってくださった神さまを恐れて仕えるようにという命令です。王さまもダニエルの神さまは生きていて力があると、本当に分かったからです。 8月12日(金)ダニエル九1〜19 ダニエルは、エレミヤの書き残した言葉を読みました。そこにはイスラエルの罪のために、エルサレムに神さまの裁きが臨むこと、そして、回復までに七〇年の時がかかることが書かれていました。ダニエルは人々の罪を自分の罪のように悔い改めて祈るのでした。 8月13日(土)ダニエル九20〜27 神さまはダニエルのお祈りを聞いていてくださいました。そしてダニエルに神さまの言葉が届きます。それはやがて来る救い主メシヤについて、エルサレムについての神さまのご計画でした。 8月15日〜 八月一五日は太平洋戦争が終わった日です。日本は戦争に負けて、降参をしました。たくさんの人たちが戦争でなくなりました。またたくさんの人たちを殺し、ひどいことをしました。  この戦争に負けた日から日本は新しい歩みを始めました。私たちが今、平和に、何不自由なく暮らしている背後で、多くの人たちの命を奪い、痛みや苦労を負わせました。でも、それはただの昔話ではありません。「戦争」は私たちの心の中から始まるからです。 8月14日(日)エズラ一1〜4 ペルシャの王さまのクロスは、バビロンによって連れてこられてきていたユダの人たちに、エルサレムに帰って、主の宮を再建するようにと命じます。夢のようなことが起こりました。でも、これは神さまが言っておられた通りのことでした。 8月15日(月)エズラ一5〜11 神さまは遠いよその国に連れてこられていた人たちの心を奮い起こしてくださました。エルサレムに帰るのも本当は大変だったと思います。でも「帰ろう」と思えたのは、神さまが心を動かしてくださったからでした。 8月16日(火)エズラ二1〜35 ゼルバベルは政治的な指導者、エシュアは宗教的な指導者でした。そこに名前のあがったリーダーたちも、名前が残っていない人たちも、心を一つにして帰ります。一人一人が数えられ、覚えられていました。 8月17日(水)エズラ二36〜58 祭司やレビ人、宮に仕えるしもべたちも先祖ごとに、数を数えられました。補囚の時代には、神の宮の仕事はありませんでした。でも、この人たちは、神さまの約束を信じ、帰る日のことを覚えて準備していたのでしょうね。。 8月18日(木)エズラ二59〜63 イスラエルの人たちでいざエルサレムに帰ろうと思ったときに、そのことが分からなくなってしまっていた人たちがいました。祭司の中にもそういう人たちがいました。きちんと準備していなかったのです。 8月19日(金)エズラ二64〜70 五万人近い人たちがいました。でも本当はバビロンに連れていかれた人たちはもっとたくさんいたのです。この人たちは自分たちがイスラエル人であることを忘れず、またエルサレムに帰ることを待ち望んでいた人たちでした。 8月20日(土)エズラ三1〜7 イスラエルに帰った人たちは七月にみんなエルサレムに帰ってきました。まだ神の宮は壊れされたままでした。でもみんなは神さまに言われたように祭りを祝い、ささげものをささげて、神さまを礼拝し、感謝したのでした。 8月21日〜 休みが終わるのは早いですよね。もう今週には夏休みが終わるお友だちもいることでしょう。宿題は終わりましたか。宿題はいやだよね。めんどくさく感じるかもしれないね。でもこつこつやっていくときっとみんなのためになる。神さまはみんなが教会に来るだけでなく、体を動かして遊んだり、勉強をするのも喜んでくださるんだよ。まだの人はがんばってね。 8月21日(日)エズラ三8〜13 エルサレムに帰って、次の年の二月にみんなは神の宮の工事を始めました。まずは土台作りからです。そして、神の宮の土台ができたとき、みんなで感謝して、神さまを賛美して歌いました。それは昔、ソロモン王の時代に作った土台よりも小さく見えたかもしれません。中には泣いている人たちもいました。みんなの叫びは遠くまでひびきました。 8月22日(月)エズラ四1〜24 ところが、イスラエルの人たちが神の宮を立て直すのをおもしろく思わない人たちがいました。そしてペルシャの王さまに悪口を言って、神の宮の工事が続けられないようにさせたのでした。 8月23日(火)エズラ五1〜17 約一五年の時が過ぎました。預言者ハガイとゼカリヤは神さまの言葉を聞いて、みんなを励ましました。恐れがなかったとは思いません。でもみんなは勇気を出して、神の宮をもう一度建て始めたのでした。 8月24日(水)エズラ六1〜12 ダリヨス王は、昔の王さまの文書を探してクロス王の命令を見つけました。そして、工事を助けて、進めさせるようにという命令を下しました。ダリヨス王は必要なものは何でも出すように、そして、王さまのために神さまにお祈りするようにと言ったのでした。 8月25日(木)エズラ六13〜22 四年で、神の宮を立て直す工事は完成しました。人々は喜んで、神さまの宮をささげました。そして新しくできた宮で、過越の祭りを祝いました。これは神さまがエジプトから救ってくださったことを祝う祭りです。そして神さまはこの時も救い主でした。 8月26日(金)ハガイ一1〜15 神さまの宮の工事が中断している間に、まあいいやと考えて、そのうち、自分の事ばかりで忙しくなってしまう人たちが多くなってきました。神さまはハガイを通して、今、しなければならないことが何かを考えるようにと迫られました。 8月27日(土)ハガイ二1〜9 恐れや不安もありました。でも神さまは勇気を出せと励ましてくださいました。昔の神殿より小さかったかもしれません。でもみんなの祈りと力が集まっていました。神さまの霊が注がれていました。 8月28日〜 夏の間、教会学校をお休みしていたり、お休みが多くなってしまったお友だちもいるかもしれません。「それ、私」という人は、これからまたがんばりましょうね。また、あおのお友だち休んでいるなあ・・・という人がいたら、ぜひ、あなたが「どうしてる?」「またいおいでよ」と声をかけてあげてください。勇気がない? 神さまはあなたにたくさん勇気をくださるよ。 8月28日(日)ネヘミヤ一1〜11 人々がエルサレムに帰って、神の宮は建ったかもしれません。でも、エルサレムの町をぐるりと囲んでいた城壁は崩されたままでした。町の門も何十年も火で焼かれたままになっていました。そのことを聞いた時、ネヘミヤはとても悲しくなりました。神さまの前に、ごめんなさい、助けて下さいとお祈りしないではいられませんでした。 8月29日(月)ネヘミヤ二1〜10 ネヘミヤは王さまのそばにいて、王さまの食事のお手伝いをする係でした。王さまはネヘミヤのことがとても気に入っていたのです。でもネヘミヤは王さまにお許しをいただいて、エルサレムに向かったのでした。 8月30日(火)ネヘミヤ二11〜20 ネヘミヤはエルサレムに着くと誰にも言わずに、夜中にでかけて、エルサレムの城壁を見て回りました。そして、ユダヤ人のリーダーたちに城壁を築こうと声をかけます。邪魔をする人たちも出て来ました。でもネヘミヤは神さまの恵みによって奮い立ちます。 8月31日(水)ネヘミヤ三1〜32 城壁の工事が始まりました。一部の人たちだけが工事をしたのではありません。偉い人もそうでない人もみんなが自分の家に近い箇所を担当して、力を合わせて一生懸命このことをしたのです。 9月1日(木)ネヘミヤ四1〜23 サンバラテはいろいろな方法で工事の邪魔をしようとします。ばかにしたり、おどしたり、攻めてこようとしたりしました。ネヘミヤは見張りを立て、また半分の人は武器を持って敵に備えました。でも何よりもしたのはみんなでお祈りすることでした。 9月2日(金)ネヘミヤ六15〜19 ついに城壁は完成しました。ネヘミヤたちもがんばったのですが、それ以上に、神さまが助けて下さったのです。イスラエルの人たちもまた敵たちも、そのことに気づいていました。 9月3日(土)ネヘミヤ八1〜12 エズラはイスラエルの人たちを集めて、聖書の言葉をみんなに読んで聞かせました。みんなは神さまを礼拝しました。泣く人たちもいました。でもネヘミヤたちは、主を喜ぶことはあなたがたの力と言いました。 9月4日〜 九月になりました。みんながいるところによっては、まだまだ暑い日が続きますが、それでもカレンダーの上では秋になります。秋というのは収穫の季節です。いろいろ手をかけて育ってきた作物がたくさん実を結ぶ季節なのです。みなさんの周りにも、いろいろな野菜や果物、そしてお米などが実を実らせていることでしょう。汗を流してがんばってきた人が喜んで収穫を迎える季節なのです。 9月4日(日)マタイ五1〜3 イエスさまは山に上られ、ついてきた人たちとみもとに近寄ってきた弟子たちにお話しになりました。神さまの支配しておられる国に生きるということがどういうことかをお話になったのです。「さいわい」とは祝福されているということです。自分の心の貧しさを本当に知っている人を神さまはかえりみて祝福してくださるのです。 9月5日(月)マタイ五4〜5 悲しんでいる人は、たいてい自分は不幸だと感じています。神さまに見捨てられていると感じています。でも、イエスさまはそうではない、とおっしゃいました。神さまは悲しんでいる人を慰め、恵みを注いでくださいます。 9月6日(火)マタイ五6〜7 正しいことを求め、弱い立場の人、傷つき痛んでいる人、困っている人に愛を注ぎ、親切にするということはとても大切な事です。まあいいや、と言ったり、見て見ぬふりをしないことです。 9月7日(水)マタイ五8〜9 罪を赦され、罪から離れて、心の清い人、いろいろな戦いや疑い、憎しみや不信が広がる中で平和をもたらす人は神さまに祝福されています。そのような人は、神さまと近く歩むのです。まさに神の子たちはそのような生き方をするのです。 9月8日(木)マタイ五10〜12 正しいことをしたらみんなが喜んでくれるかというとそうとは限りません。正しいことをし、神さまの言葉を語っているのに、悪口を言われたり、迫害されることがあるのです。でも、イエスさまは、天国はそんな人たちのものだとおっしゃいました。 9月9日(金)マタイ五13 塩は私たちが生きるためにとても大切です。味をつけたり、ものを保存したりすることができます。でも、塩が味をなくしてしまったら塩とは言えないでしょう。私たちも地の塩です。他の人と同じになってはいけないのです。 9月10日(土)マタイ五14〜16 私たちは世の光です。私たちはよい行いをして、人々を照らすのです。でもそれで私たちが偉いねえとほめられるのではありません。神さまってすばらしいねえと、みんなが言ってほしいのです。 9月11日〜 秋に連休があってお出かけしたり、運動会や学芸会があったりして、教会学校にいけないなあというときがあるでしょうか。まず、お休みする時には、前もって教会の先生に言っておきましょう。教会学校の時間に来られない時でも、だから教会に行かなくていいや、ということではなくて、ぜひ、別の時間、別の日にちでもよいので、教会に行って神さまにお祈りし、礼拝を守る時がもてたらいいですね。でも・・教会は遠くて一人では行けないし・・・そんな時には教会に電話して、牧師先生にお祈りしてもらいましょう。 9月11日(日)マタイ五17〜20 「律法や預言者」とは旧約聖書のことです。旧約聖書の言葉は古くさくなってしまったのではありません。イエスさまは、旧約聖書を成就するために来てくださったのです。 9月12日(月)マタイ五21〜22 殺すのが悪いことはすぐに分かります。でも人を憎んだり、誰かのことを怒ったり、悪口を言うのも同じくらい悪いことです。確かに殺してはいないかもしれません。でも、同じような暗い心がその人の中にあるからです。 9月13日(火)マタイ五23〜26 神さまに礼拝をすることはとても大切な事です。でも礼拝していたら他はどうでもいいということではないのです。イエスさまはだれかがあなたのことをうらんでいたらあなたの方から行って仲直りするようにとおっしゃいました。   ◇  ◆  ◇ 9月14日(水)マタイ五27〜32 姦淫するとは、結婚しているのに、他の人と不倫することです。それが悪いことなのは旧約聖書でも言われています。でもイエスさまは、いやらしい思いで他の人の奥さんを見たり、他の女性を見ていたら同じだとおっしゃいました。 9月15日(木)マタイ五33〜37 誓ったことを守ることは当然のことです。でもイエスさまは軽々しくいろいろなことを言って、すぐに言ったことを変えてしまう人たちに警告されます。しかりとは「はい」、否とは「いいえ」です。たくさんしゃべって、守れないようなことを約束してはいけません。 9月16日(金)マタイ五38〜42 私たちはやられたらやり返したくなります。けれども、イエスさまは、やり返すのではなく、もっと親切にしてあげるようにとおっしゃいました。 9月17日(土)マタイ五43〜48 イエスさまは敵を愛し、迫害する人のためにお祈りしてあげなさいとおっしゃいました。私たちの天の父が憐れみ深いお方であるように、私たちも憐れみ深く、親切で、愛に満ちた人になりたいと思います。私たちの天のお父さまは、私たちをそんな人に造り上げてくださるのです。 9月18日〜 明日は敬老の日です。歳を重ねた人生の先輩たち、おじいちゃんやおばあちゃんに感謝する日です。もちろん、他の日はどうでもいいということではなく、毎日いつでも、尊敬し、感謝を表すのです。もし、助けが必要な人たちがいたら、あなたにできることをしてあげることも大切です。おじいちゃんやおばあちゃんが近くにいなかっとしても、お手紙を書けるといいですね。家の近くにいる人たちや、教会の高齢者の方々にもぜひ声をかけてあげてください。 9月18日(日)マタイ六1 何か良いこと・正しいことをする時、人の目を気にして、人に見られるためにしているとしたらとても残念なことです。人が見ていなかったら、悪いことをするというのは困ります。私たちは人のほめる言葉ではなく、神さまに喜んでいただきたいのですから。 9月19日(月)マタイ六2〜4 イエスさまの時代の他の先生たちは、何かよいことをする時には、できるだけたくさんの人たちに、自分がどんなに良いことをしているか知ってもらいたいと思いました。でもイエスさまは神さまは隠れたことを見ておられるとおっしゃいました。 9月20日(火)マタイ六5〜6 お祈りの時も、他の人たちがすばらしいお祈りだと感心するかどうかではありません。みんなで、みんなとお祈りするのもいいのですが、一人になって神さまだけにお祈りことがとても大切なのです。 9月21日(水)マタイ六7〜8 お祈りは長ければきかれると言うわけではありません。神さまはくどくど言わないと分からないお方ではなく、私たちに何が必要かを知っておられるます。神さまは私たちが神さまに信頼し共に歩むことを願っておられるのです。 9月22日(木)マタイ六9〜15 イエスさまは弟子たちに「主の祈り」を教えられました。これはただ、この言葉を唱えていればいいということではありません。どのようなお祈りが神さまに喜ばれるのか、イエスさまはお祈りの心を教えられました。 9月23日(金)マタイ六16〜18 イエスさまの時代の人たちは、自分はご飯も食べないで、一生懸命お祈りしていると自慢していました。でも、イエスさまは断食してお祈りするなら人に自慢するのではなく、分からないようにしなさいとおっしゃいました。神さまは隠れたことも見ておられますから。 9月24日(土)マタイ六19〜24 この世でほめられたり、この世でお金持ちになることばかり考えているとしたら、それはとても悲しいことです。いつの間にか神さまよりもお金の方が大切になってしまうことでしょう。 9月25日〜 だんだん涼しくなってきたでしょうか。過ごしやすい季節です。九月が終わってしまう前に、今年の夏にどんなことがあったかちょっと思い起こしてみましょう。どんな楽しいことがあったでしょうか。家族と過ごしたこと、教会の行事・・・いろいろなことが思い出せますか? 夏の教会の夏季学校やキャンプで、イエスさまを信じたお友だちがいますか。知ってください。あなたが神の子のなったということは変わることはありません。 9月25日(日)マタイ六25〜27 私たちはいろいろなことを心配します。でも、時々、心配してもどうすることもできないこと、心配しても何も変えられないこともあるのです。空の鳥を見てごらん。神さまが養っていてくださる。そしてその神さまはわたしたちの天のお父さんなのです。 9月26日(月)マタイ六28〜30 野の花を見てごらん、とイエスさまはおっしゃいます。この花はイスラエルの歴史の中で一番のお金持ちだったソロモンよりもずっときれいだ、とイエスさまはおっしゃいました。神さまが咲かせてくださったのです。そして神さまは私たちをもかえりみてくださるのです。 9月27日(火)マタイ六31〜33 あのこともこのことも・・・心配なこと、必要なものはたくさんあります。でも私たちが一番求めるのは、神の国とその義です。あとのものはおまけなのです。 9月28日(水)マタイ六34 明日のことを何も考えない、計画しないということでありません。大切な事は今日をどう生きるかということであり、また、明日のことを心配することではなく、明日のことは明日のことを心配してくださる神さまにまかせることです。 9月29日(木)マタイ七1〜6 人の欠点や失敗や罪はすぐに気がつくのに、自分のことはなかなか気づかないものです。人をさばくのではなく、人の欠点に気づいたら、その欠点や弱さをカバーしてあげられるといいですね。そして、まず自分の姿をよく見ることです。 9月30日(金)マタイ七7〜11 神さまは私たちが求める時に与えてくださるお方です。ですから信頼して求めましょう。あきらめないで求め続けましょう。神さまは私たちの祈りを聞いて、いつでも良いものをくださるお方です。 10月1日(土)マタイ七12 これは「ゴールデン・ルール」と言われているイエスさまの言葉です。人にしてもらいたいと思うことを人にして上げる、それが旧約聖書の時代から、神さまが私たちに教えておられることなのです。あなたは今、あなたの友だちに家族に何をしてもらいたいですか。