「福音」とは「良い知らせ」という意味です。聖書はわたしたちを罪から購い出すためにイエス・キリストが十字架にかかって死んで下さったこと、わたしたちを死から導き出すためにイエス・キリストが最初に復活して下さったこととを、この言葉は表しています。イエス・キリストがわたしたちのためになして下さった、救いの出来事の本質を表現する言葉で、それは文字通りわたしたちにとって「良い知らせ」であります。
日本ホーリネス教団では、この「福音」を「四重(しじゅう)の福音:新生、聖化、神癒、再臨」と言い表してきました。「四重の福音」という言葉は、アメリカの長老教会牧師であったA.B.シンプソンが提唱したものです。シンプソンは、福音そのものであるイエス・キリストが「救い主」であり、「きよめ主」であり、「癒し主」であり、また「再臨の主」であられるという意味で用いました。
私たちの教団の創立者である中田重治は、この表現に敬意を表し、この言葉を使用しました。しかし彼は、その強調点を、福音そのものであるイエス・キリストが、人を変化させることが出来ることにおきました。すなわち、人はキリストによって新しく生まれ変わり(新化)、きよめられ(聖化)、癒され(健化)、復活体に変えられる(栄化)るのです。新化と聖化は心霊的な変化を意味し、健化と栄化は具体的な肉体の変化を意味します。
「新生」からキリスト者の歩みは始まります。そしてその歩みは成長を続け、ウエスレーが「キリスト者の完全」とも言った「聖化」の体験にやがて導かれます。それはまた、神よりの直接的、間接的な「神癒」を重ねながらの成長です。さらにそれは、主イエス・キリストの「再臨」を待望しながらの歩みと言うことができます。
しかしこれは、単にキリスト者の歩みの順序を示しているだけではありません。過去に「新生」と救いの経験をしたものは、未来にその救いが完成する「再臨」という終末の出来事を目指して歩んでいます。「聖化」という現在の恵みは、この過去と未来の間の緊張関係でとらえられます。緊張関係というのは、神の恵みの現実(リアリティ)とも言い換えることができます。わたしたちの信仰の歩みは、こうして豊かにされ、また律せられるのです。「神癒」も同じです。
また、前文解説で再三触れたように、中田重治は、教派や教会を設立しようとはせずに、ホーリネス運動をはじめました。ですから、信仰告白を制定するようなことはなかったのですが、しかし自分たちが言い表している信仰内容を、「四重の福音」として言い表しました。
厳密には四重の福音を信仰告白と言うことはできないかもしれませんが、似た役割を果たしたとは言えるでしょう。それは、四重の福音が単なるキャッチフレーズではなく、信仰内容を言い表すものであったからです。そして、わたしたちの教団の歴史の中でも、指導者たちは「四重の福音」と「信仰告白」をほば同列に扱っています。
そしてわたしたちは、運動体ではなく、キリストのからだなる教会という共同体を形成しようと決意し、信仰告白を制定したのですから、これらのことを踏まえて、四重の福音とはどのようなものであるのか、改めて問い直すことは、とても大切なことと言えるでしょう。信仰告白でも、「わたしたちの教会の特別な使命は、新生、聖化、神癒、再臨の四重の福音を全世界に宣べ伝え」ることだと言い表しています。
このように、「四重の福音」というのは、わたしたちの教団が大切にしてきた、信仰の「体験」を表現したものと言えます。わたしたちが四重の福音についての理解を深めることは、わたしたちの信仰の歩みそのものが豊かになることですし、また、わたしたちの宣教が祝福されることにもつながるでしょう。
このような事柄を前提とし、一つ一つの恵みの内容について見て行きましょう。