…この土の器にも… 「しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである」(Uコリント4:7)  三浦綾子さんの自伝的代表作「道ありき」の第2部は、この御言葉から「この土の器にも」と題がつけられました。肺結核と脊椎カリエスに病み、長い間の療養生活を強いられ、無理の利かない身体。しかし、このような状況の中にも、宝を持っていると、この土の器の中に。私たち一人ひとりも土の器です。脆く弱い存在です。肉体面に限らず、精神的・霊的にも、すぐに重荷につぶれ、気持ちが萎えてしまいがちな私たちです。しかし、こんな私たちであっても素晴らしい宝を持っているとパウロは私たちを励まします。  この宝とは、文脈からはキリストの栄光の輝き(4)、あるいは、新しい契約(3:6)と言えるでしょう。笹尾鉄三郎牧師は内住のキリストだと言い切っています。イエスさまに出会い、この御方を主と受け入れたときから、私たちはこの宝を持っているのです。罪と自我という悪臭を放つ泥水から、神の与えたもう恵みの宝石へと私たちの中味が変わったのです。そしてこの宝から、測り知ることの出来ない力が出て来ると言うのです。  この宝を持っているからこそ、パウロは続けて書きます。「わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない」(3:8〜9)。何があっても、どんなことが起こっても、立ち上がらせ、課題に立ち向かい、乗り越えさせる力が現れると。これがまさしくイエスさまが約束された平安です。「わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる」(ヨハネ14:27)。  パウロはここで私たちと書きました。私パウロだけでなく、あなたがたもみなこの測り知れない力のことを知っているではないかと。この力によって立ち上がった、課題を乗り越えた、慰められた経験が私たち一人ひとりにあるではないかと。この力は今も私たちに働くのです。働き続けているのです。あなたに、そして教会に。私たちが生きている時代、直面する現実、そして将来は厳しいものがあります。しかし、こういう時代だからこそ、喜んで自我に死に、イエスのために生きる「この宝を土の器の中に持っている」生き方をしていきたいと願うのです。諸先輩方から手渡されてきたこの宝を、この世の人々に手渡し続ける私たちとして。 (中西 雅裕)