…勝利の礼拝にあずかる喜び!… 中西 雅裕 またわたしは、天と地、地の下と海の中にあるすべての造られたもの、そして、それらの中にあるすべてのものの言う声を聞いた、『御座にいますかたと小羊とに、さんびと、ほまれと、栄光と、権力とが、世々限りなくあるように』 (ヨハネ黙示録5:13)  ヨハネの黙示録の4?5章には、天にある門が開き、そこでヨハネが見た天上での光景として、すべての被造物が、御座にいます御方と子羊なるイエス・キリストの御前にひれ伏し、賛美と祈りを持って礼拝を献げる様子が描かれます。何と荘厳な礼拝でしょうか。ヘンデルはこの光景を思い描きながら、あのハレルヤコーラスを作曲したと言われます。礼拝を献げることこそが、神によって造られた私たちの本来のあるべき姿なのです。  しかし、直前の2?3章には、この地にある7つの教会に送られた手紙が記されます。そこで述べられているのは、この地上での弱さであり、混乱です。信仰をもって、今を生きる私たちにも教会にもそれぞれ課題、不安、恐れがあります。これが私たちの現実です。しかし、憐れみ深い神は、この罪ある私たちのために独り子であるイエス・キリストを神の小羊としてほふってくださいました。この十字架の御業のゆえに、私たちは救われているのです。この喜びをしっかりと持ち続ける者たちでありたいと思います。  天上でなされる完全なる勝利の礼拝に加わる時を待ち望みつつ、この地上を歩ませていただきましょう。また私たちが地上で献げる祈りは、香として天に届くとあります。地上での礼拝を通して、今も私たちは天上での勝利の礼拝に加わらせていただいているのです。そうです。私たちが今この地上で献げる礼拝は、天上での礼拝をあらかじめ味わわせていただける、素晴らしいときです。先に御許に召された信仰の先輩たちとともに御前にひれ伏す、その喜びのときの。「礼拝の喜びに生きる」私たちでありたいと願います。  「主はわたしの力また歌、わたしの救となられた、彼こそわたしの神、わたしは彼をたたえる」(出エジプト15:2) (2015年3月)